第四十六話:頑張って私を〝助けて〟ください
「……うぁ」
頭がひどく痛い。朦朧とする意識の中、ぼんやりと手を頭にやると、ねっとりとした感覚が絡み付いてくる。指先へ視線をやると、案の定赤いのか黒いのかわからない微妙な色をした液体がこびりついていた。どうやら転落の際に頭を打ったようだった。
だが、しかし──シグを止めなければ。トーマは痛む全身に力を入れ、無理矢理体を起こした。
「……」
しかし。
体が起ききる前に額に何かが押し当てられる。
「……」
「……まだ頭は冷えないのかい?」
その視線の先にはシグが立っていた。無表情なまま、無感情にトーマに銃を突きつけている。
「お前と同じさ」
「……そっか」
刹那、トーマの右腕が異常な程機敏に動いた。額に押し付けられた銃をはたき落とすと同時に素早く立ち上がり、反対に左腕が右腕に隠され死角になっていた場所から勢いよく繰り出される。
シグはそれに冷静に対処し、背後へ跳び退くと少し前にそうしたように右腕の機械へ手をやる。
「コード〝フェルディナント〟」
そう呟くとシグの背後から四両の小型の戦車が飛び出した。トーマは驚きながらも鞭を抜き、それを振るう。
先頭の一両目に振るわれた鞭はキャタピラを捉え、その場でミニチュア戦車を転がしてみせる。二両目はそれにぶつかりひしゃげ、三両目はそれを目の当たりにして慌ててブレーキを踏んだが、二両目にぶつかり宙を舞っていた一両目の着地の下敷きになった。
しかしその後方からさらに四両目が現れる。はっとしたトーマがとっさに銃を抜いた時にはもう遅く、砲身はトーマに向けられ、凶暴な音をたてながら砲弾を吐き出していた。
「うっ……げっ……!」
完全に不意をつかれたトーマは砲撃を無防備な腹部に喰らい、勢いを殺しきれないまま後方へ吹き飛ばされた。一瞬前まで自らの足場になっていた実物大戦車からは転げ落ち、それの落下によってできていた瓦礫の山へと勢いよく押し込まれた。すぐにそれをかきわけ這い出てくるが、シグはまるで躊躇いもせずに追撃に入る。
「コード〝ウルリッヒ〟」
爆撃機が現れ、次々にトーマへ爆弾を投下してきた。トーマは全身を使い、まるで自分の体を弾くようにしてそれをかわしていく。
「コード〝サイクロプス〟」
が、かわした先に無機質な円筒形の機械が十数本現れる。それらは目標の姿を確認すると赤いレーザを吐き出した。トーマはすぐに銃を抜き、素早くそれらを撃ち抜き破壊していった。
「コード〝アットウォーク〟」
今度はトーマの頭上に巨大な多脚戦車が現れた。重厚な着地に巻き込まれぬよう慌てて跳び退くと、またしても数分前、額に感じたのと同じ感覚を後頭部が訴えた。
「……お前、もう二回も頭に穴開けてんぞ」
シグがそう言う。肩で息をしながらゆっくりと両腕を上げるトーマの目の前では、同じように巨大な戦車が先程のミニチュアとは比べ物にならない程太い砲身をトーマに向けている。
「穴? ……はぁっ、僕には、見えないな……」
後頭部の圧迫感が強くなる。
「シグ」
「失せろ」
「頼むから、話を聞いてくれよ。どうも……菜緒ちゃんの様子が、っはぁ……おかしい……彼女、笑ってたよ」
「……」
「あの子だけじゃない。皆、なんだか今夜は妙だ。先生も、僕や……君だって。何かがいる。何かが……絡んでるんだ。今はこんなことしてる場合じゃないんだよ!」
「多摩川だったら」
トーマの言葉にゆっくりとシグが口を開く。振り返れないのでその表情は伺いしれないが、トーマはその言葉に怪訝そうな顔をした。
「もし、爆弾を仕掛けられたのが相澤じゃなくて多摩川だったらどうしていた」
「……!」
トーマの表情が〝怪訝〟から〝驚愕〟へ変わった。
想像できてしまった。もし、相澤ではなく結季奈だったら。想像できてしまったのだ。シグのように、神保町から結季奈を連れ出し、追ってきたシグに銃を向けている自分が。
おかしい。そんなはずはない。もし結季奈だったら。それを考えなかったわけではない。むしろここへ来るまで何度か考えた。もし自分がシグの立場だったら。自分は冷静でいられるのか。そう、考えた。
答えはイエスだった。自分はヒーローだ。判断を誤るわけにはいかない。結季奈を助けるためならなんでもしただろう。だが彼女を連れ、目の前の問題から逃げたりはしないはずだ。そう思っていたのに。何故かこの期に及んでシグのように、仲間にすら銃を向ける自分がありありと、一瞬で想像できてしまった。
「どうなんだよ」
「……そ、それは……」
鼓動が早くなる。
「何とか言えよ」
「僕は……」
どこからか声が聞こえる。
「何してんだ。答えは出てんだろ……!」
「待て……!」
知った口をきくな。
「言えよ! 〝もちろん僕は、結季奈よりも正義を取る〟ってな! そうなんだろてめぇはよ!」
黙れ。
「お前えええええ!」
そうだ。やっつけてしまえ。やれ、やれ!
トーマが叫ぶ。勢いよく振り返り、少し前にそうしたように突きつけられた銃をはたき、そのままシグの胸倉を掴み乱暴に押し倒した。
「言っていいことと悪いことがあるぞ……! もう一回言ってみろ……! ただじゃおかないからな……!」
「……結局そうなんだよお前らは。目の前で起こってることに敏感なくせに、首を突っ込みたがるくせに……自分とは関係の無い話だと思い込む。人間の七つの大罪。あれには八つ目があるって知ってたか?」
「……何を」
「〝正義〟だ。お前達は大義だ正義だと言って、考えるのをやめて、都合の悪いものを叩く。潰す。殺す犯す弄ぶ! 正義なんざ! 糞くらえだってんだッ!」
トーマに胸倉を掴まれたまま、シグが叫ぶ。その言葉には何か、〝シグ〟というイコンを形成する何か決定的なものが込められた、そんな凄みがあった。
「……」
「だから俺は悪役なんだ。ヴィランなんだ。正義は俺を助けてくれなかった。かわいそうだね、と涙を流すだけだった。飲み水にもなりゃしねぇ汚ったねえ涙をさ。そして今、また俺から奪おうとしてるんだ。〝今僕達は何をするべきだ?〟 って言ってな」
「……!」
トーマも既に冷静さを失っている。荒い息を歯の間から漏らしながら、まるで獣へと変わろうとしている自分を押さえ込むように、肩で息をしている。
反対にシグはそんなトーマに冷めた視線を送っていた。しかしその視線には底知れぬ怒り、そして軽蔑が込められていた。
「先輩」
ふと、声がした。トーマが顔を上げると、いつの間にか戦車の傍にまで相澤が降りてきていた。静かに、穏やかな笑みを浮かべながら、こちらに視線を向けている。
「無駄ですよ。先輩も、キッド先輩も。悪役とヒーローが仲良くできると思いますか?」
「菜緒ちゃん……?」
「そもそも、ヒーローがいるから悪役がいる。悪役がいるからヒーローがいるんです。戦わなくてどうするんですか」
「何を言って……」
「先輩の力はそんなものじゃないはずです。先輩……頑張って私を〝助けて〟ください」
「……そんなとこだ」
状況が飲み込めないトーマの下で、シグが静かに言う。はっとトーマが視線を下に下ろすと、すぐに視界いっぱいに拳が映り込んだ。
衝撃。まぶたの裏で火花が激しく散った。思わず手を放し、激痛を訴える鼻を庇うと、そのまま突き上げられ、シグの拘束を解いてしまった。




