第四十三話:あんただって本来は〝何も……〟なヤツでしょ?
「結季奈! 結季奈っ!」
「あ、はいはい! どうしたのトーマ!」
その頃神保町。イコン達が出払った後の古書店で、一人残された結季奈の前に置かれていた通信機が突然トーマの声を吐き出した。
切羽詰まったような声で結季奈の名を呼ぶトーマの声に不吉なものを感じ取った結季奈は慌てて通信機を手に取り、返事を返した。
「今どこ!?」
「地下鉄! シグが菜緒ちゃん連れて電車に乗った!」
「はぁ!?」
「それより聞きたいことがあるんだ! えぇと……しろ……きん? たかわ? 行きの電車ってどこ行く!?」
通信機の向こうからはトーマの声と馬が地をかける独特な足音が届く。どういう状況になっているかはわからないが、どうやら走っているらしいということだけはわかった。
「しろきんたかわ……白金高輪行きのこと? 待って今どこにいるの?」
結季奈の頭の中に地下鉄の路線図が構築されて行く。決して電車に詳しいわけではないが、それでも神保町周辺なら多少は頭に入っている。
「ええと……しろやま?」
「はくさん、ね! 白山から白金高輪……」
必死に路線図を思い起こす。普段あまり使わない路線だが、何か嫌な予感がする。
白山から白金高輪。確かその間には十箇所程駅があったはずだ。そしてその中には──
「まさか」
瞬間、〝嫌な予感〟の正体に気づいた。
「大手町」
「え?」
結季奈が小さく呟く。白山を出て五つ目の駅に大手町という駅がある。東京の地下に複雑に張り巡らされた複数の路線のうち、五つの路線が合流する駅であり、更に地上へ出れば目の前に東京駅がある。
ここへ出られてしまってはまずい。不規則に、迷宮のように入り組んでいる東京の地下鉄へ紛れ込まれてしまっては探し出すのは至難のわざであるし、更に東京駅と言えば、日本全国どこへでも道が伸びているような駅だ。地下へ逃げても地上へ逃げても、ここへ辿り着かれてしまってはもはやシグを捕まえるのは絶望的だ。ただでさえ今のトーマには目立った行動ができない。なんとしてもそれだけは阻止しなくてはならない。
「そうか、それは確かにまずいね……!」
結季奈の説明を受けたトーマの声に焦りが更に滲んだ。少し息遣いも荒いようで、本当に通信機の向こうで何が起こっているのだろうか。
「と、とにかく! そこにつくまでに……え、ちょっ、何すんの!?」
「結季奈?」
瞬間、結季奈の手から通信機がひったくられる。横から伸びてきた手の方へ目をやると、そこには
──通信機を高く振り上げた月姫が立っていた。
次の瞬間、通信機は勢いよく地面に叩きつけられ、砕け散った。結季奈の目が見開かれ、今目の前で起こった状況を理解しようとする。
が、できない。まるで理解ができない。
「……なんで」
反射的にそう言葉が出てきた。しかし月姫は黙ったまま、結季奈に目をやる。そうしたかと思うと次はしゃがみこみ、通信機が完全に破壊されていることを確認すると、
「もう充分だ」
それだけ言った。
「充分って……どういうこと!?」
「言葉通りの意味だ。あとは勝手にやらせておけ」
そう言い、部屋へ戻っていこうとする。そこで結季奈はやっと我に返り、月姫の前に割って入った。
「……説明してください! 先生さっきから何か変ですよ!」
「説明も何ももう充分だというだけだ。他に何を言えばいい?」
「そうじゃなくて……!」
「邪魔だ、どけ」
月姫の手が結季奈の肩に伸びる。結季奈はそれに本能的な恐怖を感じ肩を引く。
──そしてそのまま、月姫の手は空を切り、彼女はその場に倒れこんだ。
「せ……先生!」
「う……ゆ、結季奈か?」
倒れこんだ月姫は顔を歪め、苦しそうに声を漏らした。
ますます意味がわからない。先ほどまで目の前に立っていた結季奈に対し、まるでそこにいるのか?とでも言いたげな言葉を投げてくる。先程までと打って変わって結季奈は月姫の腕を自らの肩にかけ、近くの椅子に座らせた。
「はぁ……さっきまで……私は何をしていた」
「何って……覚えてないんですか?」
「ハァイ月姫ちゃん。調子どう?」
新しい声。鋭敏になっていた結季奈の神経は素早くそれを拾い、全身に警報を発した。
振り返り、部屋を探る。しかし部屋に入ってきたものは無く、先ほど月姫が破壊した通信機があるのみで──
「……ここから?」
通信機に手を伸ばす。
「触るな!」
月姫の鋭い声に結季奈の手が止まる。それに合わせて壊れたはずの通信機から声が漏れ出てきた。
「おっと、今回はオタクちゃんも一緒なんだ。こんばんは! 黒幕ちゃんです!」
「え? 何これ……?」
「お前の……はぁ、仕業か……! 何をした……!」
月姫が椅子にぐったりと座ったまま通信機の声を問い詰める。しかし相変わらず声は楽しそうに笑い、月姫とはまるで対照的な様子だった。
「何って見ての通りよ。シグとトーマに仲間割れしてもらってー、オカマ達を追い払ってー。後は一人残された月姫ちゃんと恋バナでもしようと思ってたんだけどなー。結季奈も一緒だったなんてなぁー」
「そうじゃない……私に何をしたんだと聞いている」
「覚えてない? ちょっとお願い聞いてもらっただけ」
「……くそ! いつやられたんだ……!」
忌々しげな様子の月姫を前に通信機から届く笑い声はさらに大きくなる。
「まぁでもさ、ここで正気に戻れたのはラッキーじゃん?ほらまだ時間あるよ! まだ小鹿ちゃんは無事だよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
と、ここで結季奈が話に入ってくる。
「はいそこのオタクちゃん」
「今回の件、あんたがやったの?」
「うん」
「なんで菜緒ちゃんを巻き込んだの!? あの子は何も……」
「だから? あんただって本来は〝何も……〟なヤツでしょ?」
「……!」
声はやや不機嫌そうにそう言うと、興が削がれた、と言い一方的に話を切り上げてしまった。通信機は今度こそ完全に沈黙し、部屋には静寂だけが残った。
「……先生」
「……一杯食わされたようだ。すまん、私が迂闊だった……」
月姫はそう言い、現状の説明を結季奈に求めた。それを受け、結季奈はここに至るまでの経緯を説明する。
月姫が出し抜かれた。その事実がずっと結季奈が月姫に対して抱いていた、頼りがいというものを粉々に粉砕してしまい、ついさっき結季奈の前にその存在を示した黒幕への恐怖を育てた。ハンターとはまた性質の違う恐怖が結季奈を包み、それを振り払うように少し詳しすぎるくらいに解説した。
「……そうか、我ながら随分と戦犯かましてるな……」
「……先生、菜緒ちゃんは……」
「無論助ける。死なせはしない」
月姫の力強い言葉に結季奈も少しだけ安心する。得体の知れない不気味な月姫ではなく、いつものふてぶてしい月姫が戻ってきた。
丁度その時である。
「結季奈ちゃん! 無事かしら!?」
センチュリオンが部屋に入ってきた。




