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第四十話:好きです

「戻ったぞ」


 それから程なくして話を切り上げたシグが部室へと戻ってきた。忠雪を伴い、相変わらずのぶっきらぼうさである。


「……お待たせしてしまいました。相澤さん?居ますか?」

「お帰りなさい。もう用事は済んだんですか?」


 そんなシグをいつものように相澤が出迎えた。先ほどまで誰か居たのか、ちょうど二人分の紙コップを処分している最中だった。


「ああ、待たせたな」

「先輩」


 無愛想に椅子を引き、それにシグが腰を下ろすと、唐突にその前に相澤が立った。不意を突くように声をかけられたシグはやや怪訝そうな顔をしながらも視線を上げ、目で返事をした。

 その時、ふと違和感を感じる。

 これは──?

 が、すぐにそれは立ち消えてしまう。違和感を感じたことすら違和感となり希釈されていってしまった。今、自分は何を思ったか?と思ってしまうように、一瞬前の思考を見失ってしまう。


「……どうした」

「後夜祭の時、時間ありますか? ちょっとお話したいことが」

「……?」

「シ……幣原殿?」

「……あぁ。わかった」


 違和感を感じたまま、シグは返事を返す。目の前に居るのは相澤──のはずだ。しかしなんだこの感覚は。何かが違う──何かが妙だ。


「ありがとうございます。それじゃあ、私はクラスの方へ行ってきますね。二時間くらいで戻れると思います」

「なぁ、相澤。お前……」

「はい?」

「……いや、なんでもない」


 そうですか、と相澤は軽く返事をすると静かに扉を開け、部室を出て行った。


「シグ殿?」

「あ? なんだよ一般公開はもうじき終わるぞ。そろそろ帰れ」

「……そうですね」


 シグとて忠雪の言わんとしていることがわかってないわけではない。しかし本人がいない所で議論しても答えは出ないと二人とも理解していた。それをシグは相変わらずの無愛想な物言いで表現する。そこに込められた音と文面だけでは理解できない意味を忠雪は読み取ると、そのまま大人しく退散して行った。


 ***


「よっしゃぁ! 次の曲行くよー!」


 やがて日は落ち、文化祭はクライマックス、後夜祭に突入した。即席で改造された体育館のステージに立つ軽音楽部のボーカルの叫びに、館内のボルテージは否が応にでも高まって行った。


「いやぁ盛り上がるねぇ!」


 そんな会場の隅でトーマが声を上げる。その言葉の放られた先にはシグがぼんやりと座り込んでいた。


「結構なことだな」


 トーマの言葉にシグはやや皮肉げに返す。その手には売れ残りと思しきケバブが握られていた。それをむさぼりながら適当に言葉を返していたシグの視線は時計に向けられている。

 しばらくトーマはシグの横で舞台上のボーカルを眺めていたが、やがてシグの視線がステージから時計へと、定期的に動いていることに三往復目で気づいた。


「うん? 時間が気になるのかい?」

「あぁ、この後用事がある」

「忙しないなぁ。今日くらい楽しめばいいのにさ」


 トーマがそう言いながら押し付けてくるクレープを雑にかわし、緩慢な動作で立ち上がる。


「あいにく暇とは無縁の身でな。帰るなら俺を待たなくていいぞ」


 やはり無愛想にそう言いながらシグは体育館の出口へ向かう。トーマはそんなシグの様子を目で追っていたが、出口の傍に置かれた「燃えるごみ」のごみ箱にケバブの包み紙を捨てたのを確認したあたりで視線を舞台上へ戻した。


「……おう」


 一方シグはというと、丁度トーマが視線を戻した時に目的の待ち人と合流していた。

 待ち合わせ場所は部室だったはずだが、体育館の出口に相澤が立っていた。こちらの姿を確認すると、優しく微笑んで見せる。


「来ちゃいました」

「……そうか」

「先輩。こっちです!」


 相澤は慣れたような手つきでシグの手を取ると、その手を引き校舎へ向かい始めた。思いのほかぐいぐいと来る相澤の態度に面食らったような顔をしているシグをよそに、二人は半ば無人になっている校舎へと足を踏み入れた。


「お……おいっ!」


 調子を狂わされたシグを前に、相澤はいたずらっぽく笑ってみせるだけだった。二人は踊るように校舎を深く進んでいき、やがて見慣れた部室の前へと辿りつく。


「……結局ここかよ」

「ふふ。さぁ、先輩。どうぞ」


 扉が開かれ、いつもの埃一つ無い部屋がシグを迎え入れる。違う点があるとすれば、部室の外にすら人気が無いことくらいだろうか。


「……」


 やはり日中感じた違和感はなくならない。しかし違和感の正体を掴む前にまるで霞を触るように雲散し、まさしく霞の向こう側へと消えてしまう。

 シグは正体不明の違和感から来る気味の悪さを感じながらも、いつものようにくたびれた事務椅子に逆向きに腰を下ろし、未だ扉の傍に立っている相澤と向き合う。

 既に日は落ち、満月の月光が部室に差し込んでいる。窓の外からはクライマックスを迎え、ボルテージが高まりきった体育館の音が空気を伝い、遥か遠くの音のように聞こえてくる。


「……話ってのはなんだ」

「……えっと……」


 ここで初めて相澤が視線を外した。顔を赤らめ、伏し目がちになっている。


「先輩には……たくさんお世話になってます」

「……おう」

「本当に感謝してるんです。その……私、友達、いなくて。部活に入れば先輩や、同期の人たちと仲良くなれるかな、って思ってたらこんな感じで……だから!だからその……あの日、とっても嬉しかったんです。おかげでパソコンも使えるようになったし……危ないところも、何度も、助けてもらったし……」

「……」


 違和感が消えていく。そこにいる相澤が、本来の姿を取り戻していくように感じられた。いや、元よりそこにいるのは相澤以外の何者でもないのだが。

 同時にシグは何故か居心地の悪さを感じ始めていた。不快感から来る居心地の悪さではない。これは──なんというか、恥ずかしい?


「……そうか。あぁ……そうだな。お前の言いたいことはわかった。気にするな。ところで今日はもう遅い、そろそろ……」

「先輩!」


 適当に理由をつけ、帰ろうと立ち上がった時、不意に相澤に手を握られた。


「好きです」



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