第三十六話:君は僕にとって、大切な人だからさ
「……う」
「おう、起きたか」
その頃、九段下でハンターが消滅するのに合わせ、秋葉原も本来の姿を取り戻していった。少しづつ片付いていく建物の中で相澤が目を覚ました。
声がする方を見やる。すると、瓦礫の中に半身が埋まったシグが目に入った。他には誰も居らず、前後の記憶が無い相澤にはまるで訳のわからない状況だった。
「え……先……」
「あれだな」
驚いたような顔をする相澤をよそにシグが指を指す。その先には瓦礫の中に混じって奇跡的に無傷のノートパソコンがあった。
「あれを買おう。丈夫で、性能と……運もいいらしい」
シグは早口にそう言うと天井を仰ぐようにそのまま瓦礫に身を預けた。一方の相澤は状況が飲み込めず目を白黒させている。
「ええい、まったく不器用な子ね」
「駄目だよー、邪魔しちゃ悪いって」
──そんな二人をよそに物陰ではセンチュリオンらがじれったそうな顔をしていた。
***
ハンターが消えたことで、九段下の改変世界も消えていく。赤みが薄れる空、元の形を取り戻していくビル群をよそに、結季奈は倒れこむシルエットに向き合った。
「……ねぇ」
「なんだい」
結季奈が声をかけると、トーマはなんでもないと言うように返事を返した。
ハンターが消えた後、彼は糸が切れたように倒れこんでしまっていた。当然だ。ハンターとの戦いで何度も限界を超えた身は、戦いが終わった後に悠長に立ち話をする元気など残しているわけが無い。
「……あー、その……」
「怪我は無い?」
「……」
トーマが結季奈に笑いかける。しかし、それに対して結季奈は口をつぐみ俯いてしまった。
申し訳なさを強く感じる。目の前のトーマは見れば見るほど痛々しい。全身傷だらけで痣も相当な数見受けられる。ハンターが作った改変世界が崩壊していくのに合わせてそれらがゆっくりと治っていくが、それが結季奈の罪悪感を加速させていた。
自分のせいで。自分のせいでトーマはボロボロになった。しかしそれが無かったことになっていく。それが、結季奈にとっては事実から目を背けているかのように感じられてしまうのだ。
「……うん。ありがと……」
搾り出すようにやっとそれだけ言える。これまでの人生の中で最も言うことに苦労した一言だった。
言葉の代わりにトーマの肩を掴む。トーマは驚いたような顔をしたが、そのままされるがままにしていた。
「……ねぇ」
腕を引き、トーマの体を引き起こす。そしてまた、ひどく苦労しながら言葉を紡ぐ。
聞かなければ。今、言って、聞いて、納得しなければ──多分、いや絶対に後悔する。
「なんでここまでしてくれるの」
「え?」
呆気にとられたような顔が視界に映りこむ。
「なんで……私のためにここまでしてくれるの……? 私、あんなにひどい、こと……言っ……たのに!」
最後はもう自分でも何を言っているかわからなかった。気づかないうちに涙が流れていた。頬をくすぐる感覚でやっとそれに気づいた。
「えっ! ちょっ……! なんで泣くのさ!」
突然泣きはじめた結季奈を前にトーマがにわかに慌てだした。必死に結季奈を落ち着かせようとするが、不意に背中が嫌な音を立てて顔を引きつらせた。
「なんでよ……私が……突き放したのに……なんで……なんでよ……」
結季奈の声が震える。もう涙を抑えることもできずに顔を伏せる。もう一生泣き止むことなどできないのではないか、そう思うほどに感情の制御を失っていた。
そんな結季奈を前にトーマは小さく声を漏らす。
「……言っただろ」
静かに、言葉が紡がれる。
「君は僕にとって、大切な人だからさ」
悲しくはないのに涙が余計に溢れ出した。その言葉には、無限の慈しみが感じられた。
「ごめん……ごめんね……!」
「結季奈」
静かに、しかしはっきりと聞き取れる言葉が放られる。
「笑ってよ。君に笑ってて欲しくて僕は戦ったんだ」
不意に結季奈の頭に何かが置かれた。顔を上げると、トーマが笑っているのが見える。傷だらけの顔を結季奈に向け、優しく、世界中の誰よりも優しく笑っていた。
「……」
「え、えぇと……くさかったかな?」
「……ふふ、ははっ、何それ……やっぱり訳わかんないよ」
やっと笑ってくれた。
よかった。笑えた。
笑い方など忘れてしまったと思ってしまっていたのに、言うことを聞かない体は、やはり言うことを聞かないまま、トーマに笑顔を投げ返した。
「ほら。笑えた。やっぱり君は笑ってた方がいい」
「……キザだなぁ。映画の中のまんまだよ……ねぇ、トーマ」
「なんだい?」
「決めたの。私も覚悟を決める。もう逃げないよ。イコンと戦う」
「そっか。でも……戦うのは僕の仕事。頼もしいけど、僕の仕事とらないでよ」
そのまま二人は笑った。訳もわからず笑った。もう笑いの止め方などわからないように、言うことのきかない体は、これが正解だと笑いを止めることは無かった。
***
「やれやれ……どいつもこいつも……っ青いな……」
放送室。保健室の隣に配置された機材だらけの小部屋の中で月姫は小さく息をついた。無理に教室を移動したせいでトーマ程ではないにしろ傷だらけであり、こちらでも相当な〝無理〟があったのが見て取れる。
「全くだよね」
横から声がする。瞬間、月姫の体が緊張し、ゆっくりと声がする方を見やった。
部屋の隅に置かれ、埃を被っていたブラウン管テレビに誰かが映りこんでいる。改変前に保健室のパソコンに映っていた〝アイツ〟だ。
「おーっと! そう構えんなって月姫ちゃん。流石に二連戦するほどこっちも元気残っちゃねーよ」
相変わらず影は軽妙な身振りで話し続ける。月姫は警戒したまま相手の次の言葉を待った。
「あーんもうほんっと可愛げがねーなアンタ。黒幕ちゃんにももうちょっと優しくしてくれてもいーんじゃねぇ?」
「黙れ。またお前が出てきたということは何か言うことがあるんだろう?」
「ん。まぁね。ほらいつものご褒美タイム。はーい思い出しましょー! って言いたいんだけど……」
「?」
「その前に聞かせてほしいんだけどさ。なんでアイツが都市伝説のイコンだってわかったワケ?」
影がゆらゆらと揺れながら聞く。思えば月姫のこの推察が全てひっくり返した。彼女がこの事実に気づかなければハンター攻略はなしえなかったはずだ。
それだけに。何故彼女はそれに気づくことができたのか。
「教える義理は」
「教えてくれたらご褒美におまけつけちゃう」
「……正直に言うと私にもわからん。勘というか……それに近い。原典が見つからない、実体が無い。確かに奴の正体に至る重要な要素ではあるが、それと事実に繋がる気づきが私の勘だ……待て、まさか私は」
「さぁね。でもひょっとしたらそれがアンタの正体に繋がる手がかりかも。よし、じゃ思い出しタイム!張り切っていきましょー!」
「おい! まだ話は」
月姫の言葉を遮ってブラウン管が発光した。その光を浴びた月姫の頭が激しく揺さぶられ、そして──
***
「……?」
気づくと一面白い空間に立っていた。霧が立ち込めているのもあるのだろうが、辺りには何も見えない。ここがどこであるかはわからない。検討もつかない。だが──自分はここを知っている。これは自分の記憶だ。自分はかつて、間違いなくここを訪れている。
「ここは……ッ!?」
不意に全身に圧迫感を覚えた。同時に周囲の霧がさらに濃くなっていき、手元すらよく見えなくなる。かと思えば、突然足元の感覚が無くなった。いや、感覚というよりは〝立っている〟という状況が何の前触れも無しに崩壊した。そしてそのまま、何か強い引力に引っ張られるように高速で移動し始めた。
宙に浮いている状況で何かに引っ張られたせいで体が滅茶苦茶な方向に振り回されてしまう。吐き気を覚え始めた辺りで突然視界に何かが映り込んだ。
「いいか、お前があいつを攻略する鍵なんだ」
人に見える〝それ〟が口を開き、切羽詰まったように言う。
「……わかってる」
月姫の口が勝手に開き、言葉を発した。また人影が増え、結季奈に声をかけていく。
「今回は失敗した。だが次は! 次ならいけるんだ!」
「皆……待ってて……!」
また言葉が勝手に出てくる。確固たる覚悟を感じ取る強い言葉であった。自分の言葉、自分の感覚なのに理由がわからず、まるで他人事のように感じていた。
「頼んだぞ……結季奈!」
これは──
「っ!」
そこで現実が帰ってくる。息がひどく荒くなっていることに一拍遅れて気がついた。肩で息をしながら辺りを見渡すと、ブラウン管にまだあの影が居る。月姫が言葉を投げかけてくるのを待つかのようにゆらゆらと揺れている。
「……私は……何者なんだ」
「さぁ?なんだろうね」
「答えろ!」
ブラウン管に乱暴に掴みかかり、声を荒げる。
「やだよ」
「あれは何だ!? どこだ!? 私は……いや待て、それよりも結季奈だ。あいつは……何者なんだ」
「ふふ、面白くなってきたじゃん。ゆっくり考察するといいよ。ただ、急ぎな。黒幕が主人公に話しかけてくるのって」
「……」
「もうあんまり時間がない段階だから」




