第三十五話:信じてるからッ!
必死に頭を働かせる。自己暗示をかけるようにハンターの存在を否定する。お前など怖くない、お前は空想上の存在なのだ。お前は実在しない──
「……うぅ!」
しかし一向にハンターの力が弱まる気配は無い。まるで効果が無い。
「なんで……!」
「落ち着け結季奈、焦るな! お前がやろうとしていることはそう簡単な話じゃない。時間がかかるのは当たり前だ! 心を乱すな、今お前がしていることは無駄じゃない!」
廊下の向こうから月姫の声が届く。その声を聞きここへ来てようやっと結季奈もハンターの正体に気づき始める。すっかり忘れていたがこのこのイコン、覚えがある。小さい頃自分の周りで一時流行った怪談。今思ったがこいつはあの怪談の幽霊だ。
時間がかかる?言われてみればそれもそうだ。自分の中に刻まれた物語をそう簡単に無かったことになどできるものか。
「!」
ふと、強い気配を感じ顔を上げる。同時にハンターのローブがめくり上がり、弾け飛んだ。見ると中から先ほどから散々振り回していた脚の塊の怪物が現れた。突然眼前に現れた怪物に思わずひるんでしまう。
その一瞬を見逃すハンターではない。不気味に浮かぶ怪物は勢いよく十数本の脚を一気に伸ばし、結季奈を狙う。
「こっちだ!」
が、到達する寸前で数本は横から伸びてきた鞭に捕まり、残りはことごとく銃声と共に爆散した。音のする方を見てみれば丁度トーマが散弾銃を回転させ、次弾を装填している所だった。
「集中するんだ! 心配しなくていい、僕が護る!」
──護る。
その言葉にははっきりと覚悟が滲んでいる。伊達や酔狂、はてまたただの叱咤などで言っているわけではないことがわかる。
そこにいるのはトーマだ。間違いなくトーマだ。しかし、普段学校で散々見ている姿とは何かが違う。上手く説明はできないが、何か決定的なものが、今のトーマには、ある。
それが〝これ〟か。理解と同時に、遂に覚悟が決まった。
「……任せたから! 信じてるからッ!」
目を閉じる。寸前、視界の隅に親指を立てるトーマの姿が見えた気がした。
思考が、精神が、急速に冷静になっていく。先ほどまで散々結季奈を苦しめた恐怖心は少しづつ遠ざかっていく。恐怖はある。しかし、それでも着実に遠ざかっていく。悟りにも近い超常的な落ち着きが頭を満たしていった。
聴覚だけがまだ機能している。銃声と、崩落音、怒声も混じって聞こえる。しかしもうどうだっていい。気になるものか。自分の傍には、今──
トーマがいる。
「ぐっ!? 何ッ!?」
ハンターの姿が薄くなる。とっさに結季奈の方へ視線が泳いだ。
その隙を着いて空気を裂く鋭い音が響く。まだわずかに実体のあるハンターの体に鞭が巻きつき、動きを制限した。
慌てて転がる視線を落ち着かせるとカウボーイハットが目に入る。肩で息をしながらも倒れこんだハンターを踏みつけ、弾切れになった拳銃に丁寧に弾を装填していている。
「降参……しろッ!」
「断る!」
瞬間、ハンターの体躯が発光する。トーマの目が見開かれると同時に破裂したように脚が一斉に伸びた。
「もうなりふり構わんというのならいい! こっちだってそうするまでえェ! 多摩川結季奈! お前の心の臓、止めてでも連れていくわァ!」
物質としてある程度の硬さを持つものが無理に変形するミシミシという嫌な音をたて目にも留まらぬ速さで結季奈に足が殺到する。
しかしもう結季奈は微塵も動かない。頭、胸、首筋と急所を狙った不気味な脚が凄まじい速度で迫ってくるというのにも関わらず、静かに、ひどく場違いな様子でそれを待ち構えた。
そのまま当然のように先端の爪が体を貫いた。肉を裂き、痛覚を容赦なく刺激する。
「……」
「……」
痛みには苦悶。激痛の後には絶叫が来るはずだが今回それはなかった。事務的に、まるで人がいないかのように破壊音だけが響いた。
「……貴様アァッ!」
ハンターの低い声。それに合わせ、どこにあるともわからない眼球が動く。その先には一本の脚に肩を貫かれたトーマがいた。
「よく狙えよ狩人……そこは肩だぞ……!」
挑発に呼応するようにハンターが一番の怒声を上げた。それに合わせて全ての脚がうねり、一本の巨大な脚、いや、槌となりトーマと結季奈を潰しかねない程の勢いで振り下ろされる。
しかし、直前でまるで何かに弾かれるようにコースがそれる。続けて二回、三回と振り下ろされるが全て弾かれてしまう。
「……もう、私はあんたなんか怖くない」
結季奈の声だ。まるでそれが悪魔に向けた祝詞でもあるようにハンターの体が不安定に歪み更に影が薄くなっていく。
「あんたは空想上の存在。こっちに出てきていい奴じゃない!空想に帰って!」
「……ぐぅッ!」
ついにハンターの末端が見えなくなる。合わせて実体も再びなくなり、中途半端にハンターを拘束していた鞭がぱさり、と音を立て床に落ちる。
「……多摩川アアアァァァァッ!」
断末魔の一撃。執念とも言える一撃が結季奈に迫る──
「ここまでだ」
銃口が向けられた。もはや見えなくなった脚の爪に銃口が突きつけられ、その動きが止められる。
それに合わせ、ハンターの消滅が一気に加速する。端から見てももう勝敗は明らかだった。
「……」
静かに、静かに勝敗が決する。結季奈は既にハンターは恐れない。トーマもまだ戦う意思はある。今や劣勢はハンターの方だった。
何も言わずに改変世界が崩壊していく。それはすなわちイコンが自分の世界に帰るということ。結季奈は急速に青さを取り戻していく空を窓越しに見つめながら、その視界の隅で崩壊していく異形を眺めていた。恐怖は無い。恐怖心と共にハンターに対する感情もしぼんでいっていく。自らが原典として機能しなくなっていっていることを事実として感じた。
「まだだアアァッ!」
しかしハンターは諦めない。それまでの静かさを破り、咆哮しながらトーマに飛びかかる。
既に肩の拘束を解かれていたトーマは素早く立ち上がり、腕の中で散弾銃を回す。見慣れた動きだが、結季奈にはその動きがひどくゆっくりと、一つの完成された芸術品のように感じられた。
引き金が引かれる。今日何度聞いたかわからない銃声と共に散弾が撃ち出され、ハンターの体をすり抜けていく。
半透明の物体をすり抜け煌く散弾は学校に久しぶりに注いでくる太陽光に反射し美しく煌いた。当たったわけでも無いのにハンターの体は急速に薄まり──そのまま消えてしまった。




