第三十二話:……ごめんね。遅くなった
「何をだね」
「もう……これ以上トーマ達に何もしないで……お願い……お願いします……」
震えながら、結季奈が搾り出すように言う。
自分のせいで。ハンターが言った言葉は予想以上に結季奈の心を抉った。
避けこそしたが。もう関わるなと突き放しこそしたが、それでも自分のせいでイコン達が苦しんでいると言われ、その光景を見せられ──それでも、もう関係ない連中だからと捨て置ける程、多摩川結季奈という人間の心は強くできていなかった。
結季奈はあろうことか命乞いを始めた。自分のではない。自分のせいで苦しむイコン達の命を、だ。
「……駄目だな。我にも目的がある。お前を連れていかねばならん。その為にはもっと恐怖してもらわなければならんのだ」
「じゃあ行きます! 私どこでも行きますからもうやめて!」
「……ふむ。そうか。よかろう」
ハンターはそう言うと改めて結季奈に向かい合う。すると、ローブの下からパキパキと気持ちの悪い音をたて、まるで節足動物のような脚を生やしてみせた。
ひっ、と小さく悲鳴を上げ後ずさるがもう遅い。瞬く間に脚は結季奈を抱き寄せるように囲い込み、ハンターのローブの中へ招き入れる。
ここからどこへ連れて行かれるのか。ろくな場所ではないのは間違いない。もう戻っては来れないだろう。しかし不思議とそれはさほど怖くなかった。今ここに残ったところでハンターの恐怖にさらされ、トーマ達も苦しみ続けるだけだろう。今の結季奈にとってはその方が怖かった。決意、というよりは諦めと逃避からくる後ろ向きな決心に身を委ね、自分を取り囲む黒い布の感覚を感じ取ることだけに専心し、精神に恐怖が入り込んでこれるだけの容量を残さず時を待つ。
これでいい。これでいいのだ。
結季奈は目を閉じ、次の瞬間を待つ──
「ハンタアアアアアァァァァァァァァッ!」
瞬間、世界が弾けた。
いや、違う。そう感じただけだ。結季奈は反射的に顔を上げ、声がした方を向く。マントの隙間からかろうじて外の様子が見えた。
今の声は。まさか、今のは──
「その子にそれ以上何かしてみろ! ただじゃおかないからなああぁぁぁッッ!」
「トー……マ……?」
扉が激しく音をたてる。外側から強い衝撃を与えられているのか?
「……」
衝撃。扉が再び激しく音をたて、大きく形を変える。
「……!」
またしても衝撃。ドアノブが衝撃に耐え切れず吹き飛んだ。
「……ッ!」
衝撃。
「結季奈ッ!」
扉が吹き飛んだ。
「……なんで……」
そこには。
吹き飛んだ扉の向こう側には。
「……ごめんね。遅くなった」
──トーマが立っていた。
「……何故だ。どうやって……」
そこで初めてハンターが口を開く。瞬間、それまで結季奈を覆っていたマントが急に軽くなり、結季奈はその場にへたり込み、結果的に拘束から逃れた。
しかし鏡を介さずに見るトーマは更に酷い姿だった。片目は斬り付けられ塞がっており、全身の傷はさらに増え、至るところにあるあざが痛々しい。加えて左腕は力なく垂れ下がっており、既にトーマの思うとおりに動かなくなっていることが一目でわかった。
しかしそれでもまだ目は生きている。少し前に地面に半分埋まりながらハンターを睨みつけたあの目が、まだそこにあった。
「……言っただろ……僕らはまだ負けてない!」
「……ふん、そうか。まだ殴られ足りないか!」
「ま、待って!」
ハンターが忌々しげに言いながら飛び出す。結季奈の制止も無視し、展開していた節足動物の脚でトーマを何度も殴りつける。
まるでサンドバッグのようにトーマは殴られ、膝をつく。しかしそれでもまだ顔を上げハンターと向かい合った。
「……痛い。もう……叫べるだけの力も残ってないや……」
そうは言いながらもトーマは素早く銃を抜き、近くにあった脚に向けて引き金を引いた。
すると、当然のように脚が砕けた。
「……あれ……?」
「えっ」
時が止まった。実体が無いはずのハンターに、攻撃が通った?
トーマはすぐさま銃口をハンターに向け、引き金を引いた。
するとハンターは飛来する三発の弾丸を素早くかわし、トーマとの間合いを詰めた。そのまままだ残る腕でトーマの腹部をしたたかに殴りつける。
──まさか。
「うっ……」
腹を殴られたトーマはその場に倒れこむが、今度はしたり顔をハンターに向けた。
「なんで……今、避けたんだ?」
「……」
「へへ……実体があるんだな。今の、お前には」
ゆっくりとトーマが立ち上がる。ハンターはそんなトーマをどうするわけでもなくただじっと見ていた。
「攻撃が……通る! よし……いけるぞ……覚悟しろ……覚悟しろハンター!」
「だからどうした」
次の瞬間、トーマの頭が勢い良く踏みつけられた。まるでくしゃりと潰れるようにトーマは踏み潰され、その場に押さえつけられてしまう。
はっとした結季奈が顔を上げると、いつの間にかハンターが自分の傍から離れ、倒れたトーマの頭に人間の足を置いている。
「やっと一発通っただけだ。状況は変わらん。今のお前に何ができる」
「今……お前の脚を砕いて見せただろ」
言い終わらない内にトーマの体が蹴り上げられる。まるでサッカーボールのように勢い良く壁の本棚に飛び込み、大量の本が散乱した。
「ほら、脚はまだあるぞ」
ぱきぱきと音をたてハンターのローブの下から足が何本も増えていく。
「……やりがいが、あるっ、ね……」
よろよろと本の山からトーマが現れる。すぐに脚が殺到し、何度もトーマを殴りつける。しかしその中からさらに銃声が鳴り響き、二本の脚を撃ち抜いた。
が、それでもハンターは止まらない。更に脚が増え、まるでハリネズミのようになったハンターはその内の一本の脚でトーマを引きずり出した。
「う……」
──気を失うな──! 意識を手放したら終わりだ──!
トーマは必死に頭を動かし、全身を駆け巡る激痛を理性でねじ伏せる。まるで赤熱した鉄棒で殴りつけられているかのような感覚が常に全身に走っており、叫びたいほどの激痛であるがもう苦痛の叫びを上げる程の元気も残っていない。
「……こん……にゃろッ!」
宙にぶら下げられたままトーマが銃を向ける。
──カチッ。
「……あっ……! 弾切……」
小さな金属音が響き終わらないうちにまたしても無数の殴打音にかき消される。
トーマの握る拳銃の装弾数は六発。先ほどの二発でもう弾切れだ。装弾数すら把握しきれなくなるほど余裕が無くなっていることに自分で驚愕した。
「……」
ゆっくりと脚が引っ込んでいく。ハンターは元ののローブ姿に戻っていき、やがて引っ込んだ脚の山の中からぼろぼろになったトーマが現れた。
既に意識は朦朧としているようで、先ほど弾切れを自覚したはずなのにそれでも銃を向け、無意識に引き金を引き続けている。
「……ふん」
「……待て……よ……」
「認めろ、お前の負けだ」
「……ちがう……」
かちり、かちりと断続的に乾いた音が鳴る。銃を握り、引き金を引いている自分の手が視界に入っているが、今のトーマにはそれが自分のやっていることだという自覚は無い。なんでこの手は弾切れの銃をこんなに必死に動かしているんだ? と滑稽に思う気持ちすら湧き始めている。
「これだけやって我の脚を三本砕いただけだ。もう何もできまい」
「……ちがう……!」
「諦めろ」
「ちがう……ッ!」
「……ッ、もういいよ!」
突然、結季奈が声を上げた。




