第二十六話:優しい……人、なんですね
「……で、そこのアイコンだ。押してみろ」
「あっ! できました!」
それからしばらくして、コンピュータ部の部室は一組の男女の声が飛び交っていた。相澤の飲み込みは存外早く、今や表計算ソフトを使いそこそこ立派な表を作れるまでになっていた。
シグはというとそんな相澤の少し後ろに座り、気だるげに言葉を投げるだけだったが、それが逆に余計な言葉を削ぎ相澤の成長の一助になっていた。
「あ、あのっ! 次はここなんですけど……」
〝できなかったこと〟が解消されていくのは気持ちの良いものだ。すっかり気を良くした相澤は次は次はとシグに疑問をぶつけ、その度に嬉しそうな声を上げていた。
「……」
不意にシグが黙り込む。パソコンに向かい嬉しそうに声を上げる少女──この光景にシグは見覚えがあった。
「……なぁ、相澤」
思考が嫌な方向に向かうのを感じたシグはそれを振り払う為に言葉を発した。突然名前を呼ばれた相澤は驚いたように振り返り、不安げにシグを顔を見やる。
「……楽しいか」
「はい!」
「そうか」
そう言って組んだ足を逆にする。相澤の方は何か言葉が続くと思っているのかそのまま黙り込み、微妙な沈黙が流れた。
──楽しいよ! あ、そうだ! 次はさ──
またあの声だ。シグの耳にこびりつき、おそらく一生消えることの無い声。何故今この声を思い出すのだろうか。いや、イコンになってから、相澤に会ってからだろう。この声がよく聞こえるようになってしまったのは。
「……先輩?」
「ゲームはやるか?」
「えっ」
「ゲームでなくても……そうだな、漫画とか小説でもいい。読むか?」
突然質問をぶつけてきたシグに相澤は面食らったように目を白黒させた。そして探るようにはい、と返事を返す。
「そういう……物語にさ、昔は幸せだったが家族が皆死んじまったキャラクターが出てきたとする」
「……?」
「町が壊され、家が焼かれ、そいつと、そいつの妹だけ生き残った。二人はそれから懸命に生きて、それなりにでかくなった」
「……あの、何の……」
相澤が不審げにシグの話を遮る。しかしシグは気にせず話を続けた。
「だが、ある日かつてと同じように戦いに巻き込まれて、妹はそいつの代わりに死んだ。兵隊に殺された。それからそいつは復讐するために力をつけた。結果、機械を思い通りに動かせるようになった……そんなキャラクターだ」
「はぁ……」
「そんなヤツがいたとして、お前はそいつをどう思う? お前みたいに、楽しく機械いじりができると思うか」
いつもと違う雰囲気のシグに相澤は微妙な声を漏らす。いつもの気だるげな雰囲気は無く、その言葉にはどこか悲しそうな、自嘲的な響きがあった。
「……あぁ、いやなに、この間やったゲームにそんなキャラクターが出てきてな。今のお前と大違いだなと思っただけだ。深い意味はねぇよ。さて、次は文書ソフトだったな……」
「優しい……人、なんですね」
シグが顔を上げる。
「何?」
「だ、だって、その人は妹さんをとっても大事にしてたってことじゃないですか……?確かに、とっても……悲しい話だと思います。復讐なんていけないことだとも思います。でも……その人はそうなってしまうくらい、妹さんや、家族を大事にしてたんですよね。もし私がその妹さんだったら……お兄さんがそうなってしまうのはもちろんとっても悲しいし、やめてほしいとも思いますけど、でも……でも、そこまで大事にしてくれるんだ、って……ちょっと嬉しくもありますよね……えへへ……返事になってませんよね、これ……」
「そう……か」
シグにしては歯切れの悪い返事が返ってきた。
「先輩?」
「え……あ、あぁ、なんだ?」
一方、相澤は急に様子のおかしくなったシグの様子を怪訝そうに窺う。シグは急に相澤に顔を見られることが気恥ずかしくなり、自然を装って視線を外した。
「あ、いえ……なんでもない、です」
「そうか……あぁ、そういや、この後は時間あるか」
「え、あ、はい……ありますけど……」
「秋葉に行かないか。前に自分のパソコン欲しいって言ってただろ。見立ててやる」
「……はい」
また相澤の声が小さくなる。今度はシグが怪訝そうな顔をし、ゆっくりと相澤と向き合ってみる。すると耳まで真っ赤になった相澤の顔が映り込んだ。
そこで初めて、シグは自分がとんでもない提案をしてしまったことに気づいたのだった。
***
「やれやれ、あいつも意外と青いな」
場所は戻り再び保健室。二人の学生が鞄を持ち校門を出て行くのを窓越しに眺めながら月姫が言った。そうは言いながらも口元は緩んでおり、まるで噂のタネを見つけて喜ぶ子どものようだった。
手に持ったマグカップを傾け、砂糖を入れすぎて酸っぱくなったコーヒーを口に流し込むと改めて机に向かう。そこには大量の紙が散らばっており、活字が印刷されたものから綺麗な字でメモが書き込まれているものまであった。
「しかし……本当に進展が無いな」
目の前の紙の山と同じく、やたらめったらと文字が打ち込まれたパソコンの画面を前に呻く。相当な時間を費やし調査しているがそれでも進展が無いのだから、そう簡単に何か収穫を得られるはずはないのだが、そうだとしてもここまで何も無いのは流石にこたえる。自分もあいつらのように何か別のことに手を出すべきか──そう考え始めてすらいた。
なんだかんだでイコン達は現代の生活に馴染んでおり、目的のため行動しながらもそれぞれ〝イコン以外の顔〟を形成していた。トーマやシグは言わずもがな、センチュリオンはジム通いを始めたし、宇琳はゲームセンターに興味を持ち、忠雪はいつの間にかアルバイトを始め、名物店員にまでなっていた。
「……はぁ、自分のことがよくわかっている連中は気楽でいいものだな」
椅子に身を投げ、少し大きな声で皮肉を口にする。気にすることは無い。どうせ誰も聞いていないだろうから。
「ほんとだよねぇ」
返事は返ってこないはずだから。
「ッ!」
すぐに身を起こす。何か嫌な予感がした。まるで体の内側から変な所をくすぐられているかのような、そんな何とも言えない不快感が体を駆け巡る。
まず入り口。誰もいない。
ベッド。誰もいない。
窓──誰もいない。
「こっちだよこっち」
また声がする。声の方に目をやると──パソコンの画面の中に何かが映っていた。
人間? まず最初にそう思った。青一色の背景に黒一色の影。しかし激しく動き、それが人の挙動だったからそう思った。
「あぁやっと見たよ。おっせ。センセおっせ。〝貴様見ているなッ〟ってやりたかったんだけど」




