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第二十三話:そこ燃えないゴミだよ

 それからしばらく経った。少しずつ聞こえていた夏の足音はすぐそばまでやってきて、東京は夏の顔へ変わり始めていた。


「あっつい……」


 その中にあってとりわけトーマの変わりようはすさまじかった。全身からとめどなく汗を流し、その場に立ち止まっていれば水溜りのできそうな勢いである。


「大げさだろこれくらいで」

「日本暑すぎない? ダラスの方がまだ過ごしやすいよ……」


 既に半分溶解したかのようなだらしなさでトーマは窓から身を乗り出し、少しでも涼しい風に触れようとする。その隣でシグはやはり額にうっすらと汗をかきながらもすました顔をしてみせていた。

 あれから意外にもイコンの襲撃は全く無く、トーマもシグも拍子抜けと言わんばかりに学校生活に勤しんでいた。もうすぐ中間テストがやってくるのでイコンよりも勉強の方が大事になっているレベルである。


「……あぁそうだ。ねぇシグ、五限の課題やった?」

「ああ」

「うっそ……いつやってたの……みせて」

「あんなもん授業中に終わんだろ。見せねぇからな」

「けちぃ……」


 でろでろとシグを非難する声にも力がない。いくら西部劇のヒーローと言えども暑さには勝てないようだ。ここ数日で着々と気温を上げていく東京の空気にトーマの気力はすっかり奪われてしまったようである。

 更にもう一つ言うと、トーマに元気がない理由はもう一つあった。


「あ! 結季奈! おはよう!」


 不意に二人の傍を結季奈が通る。するとトーマは先程までのだらしなさなどどこへやら、さわやかに挨拶をしてみせた。


「……」


 が、結季奈はそんなトーマのことなどまるでそこに居ないかのように完璧に無視し、黙って教室に入ってく。結季奈が視界から消えるとトーマはその場にがっくりと膝を着いた。


「また無視された……」

「完全に嫌われたな。本当にお前あの後何しやがったんだ」

「何もしてないよ!」


 トーマは即座に顔を上げ抗議する。しかしシグは興味無さそうに鼻を鳴らすだけだった。

 あれから結季奈は露骨にトーマ、ひいてはイコン達を露骨に避けるようになり、神保町にも向かわなくなっていた。一応結季奈が訪れた時の為に毎日誰かしらが巡回しているようだが、これまで毎日通っていたという事実そのものが嘘であったかのように彼女が再び神保町を訪れることはなかった。

 行きつけの古書店の店主達とも親しくなり、アンテナを張るがそれら一切にひっかからない。あの老主人も急に姿を見せなくなった結季奈を心配していた。

 恐怖を含む強い感情は人を変える──シグはそう語り、至極面倒臭そうな顔をしたが相変わらずトーマは能天気に結季奈に声をかけ続けていたのだった。


「ああなっちまったらもう面倒だぞ……もはや敵意向けられるレベルに片足突っ込んでんぞ」

「いいや僕は諦めないからね」

「……はぁ、そうかよ」


 シグはあくまで無愛想にそう言うと手に持っていたパックジュースの中身を一気に飲み干し握りつぶす。そうして近くにあったゴミ箱へ適当に投げ込んだ。


「そこ燃えないゴミだよ」

「どのみち全部埋めちまうんだ。変わらねぇよ」


 そういうところなんだよなぁとため息をつくトーマ。その時窓から風が吹き込み、トーマの表情が明るくなった。


「そうだ。それから菜緒ちゃんとはどうなの?」

「あ?」


 やや調子を取り戻したトーマがいたずらっぽく言う。あの後トーマが結季奈に嫌われたのに対し、シグの方は逆に相澤に好かれ始めていた。


「どうもこうもないだろ。関係ねぇよ」

「またまたぁ。照れ隠しかい?」


 トーマがにやにやと笑いながらシグを小突くと頬に一撃が飛んできた。


「自分のするべきことをしろ。あいつは今回の案件とは関係ない」

「オ……オーキードーキー……」


 ***


「先生! 体育で転びました!」

「あぁ、唾でもつけとけ」


 一方、その頃保健室では。

 やたら元気な声で保健室に駆け込んできた生徒の要望を月姫が気だるげに一蹴する。ひざを擦りむいたという男子生徒を適当に追い返すと改めてパソコンに向かい合う。そこには宇琳や忠雪、センチュリオンが映りこんでいた。


「まったく、何かあるとすぐ私を頼る。怪我くらい自分で治して欲しいものだが」

「先生? あなた自分のお仕事理解してる?」

「イコンの改変を止めること、その背後にいる者をあぶりだすこと、だ。で? それからどうだ?」


 苦笑いを浮かべるセンチュリオンの言葉も一蹴すると月姫は相変わらず不機嫌な声で面前の三人に報告を求めた。同時にセンチュリオンも真面目な顔になり、それに呼応するように忠雪が和紙を取り出す。


「調べてみましたが、結季奈殿が生まれてから今日に至るまでの間、火災自体は何度か起きているようです。ですが……先生が見たという町全体を焼き尽くすような大火となると、少なくとも記録上には残っていませんでした」


 和紙に書かれた流麗な文字を参照しながら忠雪が言う。その報告に月姫はまぁそうだろうな、とため息をつき椅子に深く腰を落とした。


「あれだけの火事なら調べても出てこないということはないだろう。となると……やはりそんな火事は本当に無かったんだろうか……」

「先生が見たっていうイコンも結局わからなかったよー……」


 宇琳もしおれた声を出す。

 月姫の戻った一部の記憶。それはあまりにも難解で、そこに込められた意味を考察するにはまずその真偽を確かめなくてはならなかった。しかし突飛で強烈な記憶の割には手がかりが少なく、このしばらくの期間を使って火事、少年のイコン、という二つの切り口から調査を進めているが収穫は全くと言っていい程無かった。

 イコンの襲撃が無いのは良いことではあるが、イコン事件の黒幕を追っていれば月姫の記憶も戻るかもしれないという事実が突きつけられた今、イコンの襲撃は望まないが、それが無ければ前進もできないというジレンマに苦しめられる結果になってしまっていた。


「結季奈ちゃんもあれからワタシ達に会ってくれないし……困ったわねぇ」

「ええ。心配です……変に気を病んでなければ良いのですが……」

「それはトーマに向けた言葉か? こればかりはどうしようもない。この間の一件は私達に非は無い。ならば謝罪もできん。向こうが勝手に解決してくれるのを待つしかないだろう」

「ええ、そうですが……」


 忠雪が画面の中で俯く。かつて結季奈を傷つけた過去がある忠雪にとって、結季奈がイコン関連のことで気を病んでいるのは気持ちの良いものではないのだろう。

 だがそれは別に忠雪に限った話ではない。センチュリオンも宇琳も神保町へ姿を見せなくなった結季奈を心配していた。毎日古書店へすさまじく元気の無い様子で帰ってくるトーマを見れば学校で結季奈がいかにイコンを避けているのかというのが嫌でもわかる。


「ともかく……今はあるだけの手がかりから探りを入れていくしかない。忠雪。お前の記憶も大事な手がかりだ。何か思い出したらすぐに言え。いいな」

「……はい」


 そう言ってパソコンの電源を落とす。同時に小さく息をついた。既にあれからそれなりの時間を費やしているのにここまで収穫が得られないとなると気が滅入るのも無理はない。机の上に置かれたノートにはレポートという名の日記が書き連ねられており、前回記入した欄には神保町のパンケーキの食レポが書かれている。

 ふと、背後の扉が開く。その音でスイッチが入ったように月姫はノートを隠し、白衣の下に忍ばせた鉄塊へ手を伸ばす。


「ハァイセンセー! ハワユー?」


 部屋に入ってきたのはメアリだった。相変わらずの能天気な笑顔に月姫は警戒を解き、腕を組んで来客を迎えた。




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