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第二話:大丈夫?

 アスファルトで舗装されているはずの道は乾いた土がむき出しになり、コンクリートのビルが建っていた所には大きな西洋式の屋敷が建っている。明らかに現代日本の風景ではない。幕末の光景だ。幕末日本がそこにあった。

 これは──何度も見た状況、と言っても嘘にはならないが少なくとも現実でありえる話ではない。

 店を出るとそこは別世界であった。そんなことがあってたまるか。悲劇の観客が悲劇を楽しんでも登場人物にはなりたがらないように、いざ超常現象の真っ只中に放り込まれても〝冗談ではない〟という感想しか出てこなかった。

 深呼吸を一つつき、深くまばたきをする。これが何かの間違いであるという可能性を捨てたくなかったからだ。しかしそうしてみても状況は変わらない。絶望感と虚脱感から結季奈はその場に座り込んでしまった。

 完全に思考が停止し前後不覚となる。何より音が無いというのが恐ろしい。どれだけあたりを見渡しても人はおろか野鳥すらいない。

 唐突に現れた幕末日本にぽつんと一人だけ取り残され、誰にも会えず、何も無く──至極当たり前の反応であった。


「……ん?」


 そう思っていた矢先、結季奈の耳が異音を拾う。体が本能的に何かの音を求めていただけに、普段なら聞き逃していたであろう小さな音だったのにも関わらずよく聞こえた。


「人の声だ」


 何かを歌い上げるような、かと思えば坊主がお経を読み上げるような、言葉に表しにくい声が道の向こうから聞こえてくる。

 思わず結季奈は立ち上がり、声がする方へふらふらと歩き始めていた。不気味な声ではあるが、今の結季奈はそんなことを考慮する余裕もないくらい誰かに会いたかった。


「あ……あのっ! 待って!」


 道にいつの間にかかかっていた霧の向こうに人影が見えた。心臓が高まる。思わず声をあげ、走りだす。力が入らなかったはずの両脚は今や力強く地面をとらえていた。


「待ってよ! ねぇ!」


 やがて霧の中に足を踏み入れたがそんなのおかまいなしに走り続ける。そこに誰かいる。少なくとも人には会えるはずだ。

 ここはどこなのか。神保町なのか違うのか。私はどうしてしまったのか。相手が答えてくれる保証はないが質問をぶつけたい。誰かに思考を肩代わりしてもらって安心したかった。


「!」


 人影には唐突に追いついた。霧の中から現れた人影は思いのほか小柄であり、結季奈とほぼ同じくらいの身長だった。


「……あの」

「こんばんは」


 結季奈の言葉に合わせるように人影がゆっくりと答え、振り返る。

 三度笠を目深に被り、粗末な和服の上に薄汚れた外套を羽織る姿は時代劇に登場する浪人を思わせた。


「こん、ばんは」


 面喰らったようにあいまいな挨拶を返す。浪人は相変わらず微動だにしなかった。三度笠のせいで表情がまるで読み取れない。人に会ったことで最初の興奮が冷め、段々と相手を不気味に思う気持ちが芽生えてきた。


「あの……えぇと、聞きたいことが」

「お嬢さん、一人ですか?」

「え?」


 絶妙に会話のテンポが悪い。結季奈は内心顔をしかめながら返答する。


「はい……一人です。うん」

「そうですか」


 浪人はそう言うと今度は結季奈の足元に視線を落とし、結季奈の服装を観察し始めた。浪人が本当に見た目通りの時代の人間であるなら結季奈の服装は珍しく見えるのだろうが、結季奈にとってもそれは同じこと。どうするべきかすぐに判断できず、観察されるがままにした。


「時にお嬢さん。私は今、人を探していまして」


 唐突に浪人が口を開く。自分と同じくらいの身長の相手に〝お嬢さん〟と呼ばれるのは今更ながら違和感があった。


「人、ですか?」

「えぇ。多摩川結季奈、という方なのですが」


 その瞬間、結季奈の前で何かが光った。反射的に目を瞑り、再び開くと制服の袖口がぱっくり裂けていた。

 混乱したまま相手を見やる。三度傘の下からは穏やかな笑みを浮かべた美しい顔が覗いており、そこから目を落とすと長細い金属が眩い光を放っている。いや、これは──刀だ。


「えっ……あ」


 悲鳴を上げろ。脳はそう叫ぶが声帯が仕事をしない。ほんの一瞬で爆発的にその濃度を上げた相手の殺意に押されその場にしりもちをついた。

 浪人は相変わらず穏やかに笑ったまま刀を弄ぶようにたたずんでいる。しりもちをつき、見上げる形になって初めて見えた相手の顔はとても端正だった。女性かと見間違える程であり、混乱しきって正常という状態を忘れた結季奈の思考は呑気に〝綺麗な子だ〟などと考え始めていた。

 しかし思考が仕事を放棄しても本能は働き者だ。結季奈はまるで誰かにそうさせられたかのように立ち上がり、一歩、二歩と後ずさる。


「あ……あ……」


 そして、思考が再起動した。


「うわああああああああああっ!」


 やっと悲鳴を上げ、全力でその場から逃げ始めた。浪人は少し首をかしげたように小さなリアクションを取ると外套の下に空いている左手を突っ込む。


「はぁっ……はぁっ……なんで!? なんで命狙われてるの私!?」


 結季奈は先程以上に無我夢中で走った。今度は不安ではなく恐怖が結季奈を動かした。時代劇で人斬りに狙われた登場人物はどうなるか、想像しただけで全身が鳥肌立つのを感じた。

 相手は間違いなく自分を殺す気だ。驚かすのが目的じゃない。そうでなければあれほど濃厚な殺気を放つものか。平穏な現代に生きる結季奈ですら感じ取れる程の殺意だ。とにかく一センチでも遠く離れたい。これまでに無いほどに全力で走った。

 その時だった。


「えっ」


 結季奈の耳が大きな音をとらえた。聴覚が敏感になっているせいではない。もともと大きな音だった。

 ふと足元を見やる。平らな乾いた地面に小さな穴が空いている。うっすらと煙が上がり、土の地面にひびを入れるその小さな孔には──弾丸。


「うっ……うわっ……」


 二度目のしりもち。震える体で首だけを動かし振り返ると浪人の左手に煙を吐き出す拳銃が握られているのが見えた。

 ──死ぬ。死んじゃう。

 結季奈は死がもうすぐそこまで迫っていたことにやっと気づいた。まだ自分は死から逃げていると思っていたがそうではなかった。既に肩をつかまれていたのだ。

 恐怖が許容量を超え、わけもわからず口元が緩み、結季奈は間抜けな笑みを浮かべてしまう。〝死〟を察知し思考も、本能も、今度こそ仕事を放棄した。

 ぼんやりと意識に靄がかかる。霞む視界の向こうで銃口が何やらもぞもぞと動く。撃鉄が起こされ、結季奈へと狙いが定められた。あとは引き金を引くだけ──


「……ん」


 その時、結季奈の耳が三度目の仕事を果たした。明らかに拳銃とは違う、乾いた断続的な音が近づいてくる。独特なリズムを刻み、集中を散らしていく。


「この音……?」


 浪人が小さく呟く。同時にわずかに銃口がぶれた。


「えっ」


 そう声を漏らすために口を開いた瞬間にはもう結季奈は風圧に押され体勢を崩していた。


「……何が」


 唐突に傍で何かが爆ぜた。結季奈の頭はそう判断し無意識に情報を分析し始めた。

 そして、いつの間にか自分の正面に大きな影が立っていることに気づいた。


「え?」

「乗って!」


 馬だ。大きな馬が立っている。逆光で見えないが誰かが乗っている。

 ──誰だ。今何と言った。

 自分が取るべき行動がわからず口から妙な音を漏らしていると突然腕を捕まれた。そのまま立ち上がるとそのまま馬上へ引っ張り上げられた。


「待て!」


 馬の体越しに初めて浪人の焦ったような声が届いた。銃口を結季奈から馬の脚へ向け、今まさに引き金を引こうとしている。


「いやだね」


 馬上の人間が言い腰から何かを取り出した。

 銃声。拳銃から弾が飛び出し、空を切って的に飛び込み、金属を抉るような甲高い音を響かせた。


「ッ!」


 浪人が憎らしげに口元を歪め右手を庇うように少し屈んだ。その手には既に拳銃は握られておらず、数歩後ろで歪に変形していた。

 見ると馬上の人間も拳銃を抜いている。浪人に向けられた銃口から飛び出した弾は浪人の拳銃を確実に撃ち抜き、彼の右手からそれを弾き飛ばしたのだ。

 そのまま一瞬妙な間が置かれたかと思うと突然馬が急発進する。


「うわっ!」

「行くよ、掴まってて!」


 少し遅い注意が何故か結季奈の思考に落ち着きを取り戻させた。

 同時に呼吸するのを忘れていたことを思い出し、突然結季奈の呼吸が荒くなる。

 肩でぜいぜいと息をしながら改めて手綱を握っている相手のことを観察する。まず視界に入ったのは大きなカウボーイハット。周囲の幕末の風景に恐ろしい程合わない。その下から覗く金髪も、腰に取り付けられた拳銃、鞭、ポーチも、茶色いブーツも、背中にかけられた大きな散弾銃も何から何まで浮いている。

 そこに現れたのは西部アメリカ開拓時代のカウボーイ。どういうわけか結季奈を助けたのは西部劇から飛び出してきたカウボーイだったのだ。


「大丈夫?」


 カウボーイが振り返り結季奈に声をかける。


「え……」


 結季奈の口からもう何度目かわからない間抜けな声が漏れた。いや、この状況なら誰もがそういう反応を示すだろう。

 そこにいたのは、結季奈を助け、今こうして馬上で優しく微笑みかけてきているカウボーイは結季奈のよく知る存在だったからである。


「トーマ・ザ・キッド……?」





GWの間は一日四話分くらいの頻度で更新していこうかと思っとります。

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