第十二話:ハラキリは駄目だよ
「で──」
それから数分後、落ち着きを取り戻し刀を鞘に戻した忠雪を前にトーマが口を開く。
「昨日の君は誰かに操られてて、さっき目を覚ました、と」
「ええ。信じられないかもしれませんが昨日の某はどうにかしていました。目を覚ました後、お二方が危ないと聞きいてもたってもいられなくなり……贖罪が果たされたとは思いませんがこれくらいはせねば、と」
忠雪は伏し目がちなまま淡々とそう話す。改めてちゃんと聞くと少し低めだがれっきとした女性の声であり、その容姿も相まって昨日結季奈が話した〝男性として育てられた女性〟という設定が本当であると思えてくる。
対してトーマはトランシーバーを取り出し、誰かと何やら話し込んでいる。しばらくのやりとりを経て、再び顔を上げると今度は先程結季奈に向けた柔和な微笑みを浮かべていた。
「……うん、わかった。信じるよ。改めて僕はトーマ。よろしくね」
そう言って差し出された手を忠雪は申し訳なさそうに見つめる。
「ん?あ、そっか。日本式はこうだっけ」
そう言うとトーマは手をひっこめ、深々と頭を下げた。しかし忠雪はトーマの行為を前ににわかに慌てだした。
「そっ……そんなもったいないことを!某にはそんな敬意を払われる資格は……!」
「いいのいいの! 僕らはもう仲間なんだからさ! ね? 結季奈もいいよね?」
「……」
しかし結季奈は答えない。
「結季奈?」
「い、いや……なんで私も一緒みたいになってるの?」
「え」
結季奈はさっと鞄を拾い上げ、二人のイコンから少し距離を取った。その動作にトーマが不安そうな表情を向ける。
「そ、そもそも私には関係ない話じゃん、巻き込まないでよ」
「えっ、いや、その、確かにそうだけど……」
「お礼は……言うけど。ありがと。じゃ、じゃあ私帰るから!」
そう言って結季奈は一直線に駆け出していく。既に改変世界は崩壊し、店が修復されていくのと同時にちらほらと人影が戻り始めていた。結季奈はその中に紛れ、トーマの前から姿をくらましてしまう。
「ま……待ってよ! 結季奈!」
「……嫌われてしまったようですね……」
「……ハラキリは駄目だよ」
トーマの背後で刀を鞘に納める音が聞こえた。
***
その晩、結季奈は自室で大きすぎるため息をついた。
「なんで私が……」
日向ははっきりと〝狙いは結季奈だ〟と言った。トーマの気をそらすための嘘だった可能性もあるが、忠雪も結季奈を狙っていた以上、嘘である可能性は低い。
そういえばせっかく忠雪と話せるチャンスがあったのに色々と聞きそびれた。結季奈はふとそう思ったが、正直もう忠雪、いやそもそもイコンとはもうこれ以上関わりたくない。今度こそ本当にそう思ってしまい、その後悔も瞬時に立ち消えてしまう。
そもそもあれが忠雪の意思でなかったとすればろくな返答は返ってきまい。操られていたキャラクターが正気に戻っても大事な情報は持っていない、などよくある展開だ。物語に忠実なイコン達なら都合よく情報を持っていない、とぬかすに違いない。結季奈はそう決め付け、忠雪に会わなくていい理由を作り未練を断った。
だが、あの時忠雪の背後にいた者とは何者だったのだろうか。きっと日向の背後にも同じ者がいるのだろう。昨日の忠雪がやたら攻撃的だったように、今日の日向の振る舞いにも違和感を感じた。もともとややニヒルでぶっきらぼうなキャラではあるが、粗野ではない。あんな風に相手を弄ぶような態度はあまり取らない。たぶん、忠雪のように操られて──
「ああもうやめやめ! 考えないようにしたじゃん!」
そこまで考察を進めた所で結季奈はベッドの上で一人そう叫び、思考を振り払うように乱暴に寝返りを打った。
「はぁ……」
「ため息なんて珍しいネー、何かあったの?」
翌日。結季奈は寝る前についた大きなため息と同じため息を机に突っ伏しながらついた。
そんな結季奈のため息を聞きつけた友人が結季奈の顔を覗き込む。彼女を心配する言葉を吐きながらもその声色は陽気だ。顔を上げると、能天気な顔をした金髪が目に入った。
「メアリ。髪染めて」
「ワッツ!? 急に何!?」
「もう当分金髪は見たくないの~……あと刀とか」
メアリと呼ばれた女子生徒は困ったような顔をしながら再び机に突っ伏した結季奈を見下ろした。
「……ホントに何があったの? 今日のユキナ何か変だヨ?」
「その喋り方も下手したらアウト……チャイナァ……」
「まさか朝から全てを否定されるとは思わなかったヨ」
メアリは辟易したように結季奈の頭をぽんぽんと叩く。対して結季奈はうめき声のような奇妙な音を漏らし、一応の反応は示して見せた。
結季奈に向かうこの友人の名はメアリ・スミス。一年前、アメリカから日本へやってきた留学生だ。結季奈とは昨年出会ったばかりだが、日本のエンタメに興味を持っていたことからすぐに打ち解け、気の置けない良い友人となっていた。
「いいじゃんメアリは文武両道、私みたいなクソオタとは違って人気者だし先生からのウケもいい……ちょっとくらい否定されろ」
「はいはいそうですネー、ところでユキナ、五限の宿題やった?」
「……やっべ忘れてた。見させ」
「やだ」
「メアリ様ぁ……お願いしゃっす……」
「イヤでーす。そんなんじゃ転校生に嫌われちゃうヨ?」
瞬間、勢いよく結季奈が顔を上げる。
「転校生? 何それ」
「ん? 聞いてないの? うちのクラスに今日転校生が二人来るって。ちょっと前から話題だヨ?」
「えっ初耳なんだけど」
真顔でそういう結季奈に対し、メアリが何か言おうと口を開くと同時に教室のドアが開き、担任がいつものように眠そうな顔で入ってきた。するとにわかに教室がざわめき出す。おそらくメアリの言う〝転校生〟が原因だろう。
「転校生、ねぇ……」
担任が眠そうな顔に違わず眠そうな声で話し始める。やはり予想通り転校生の紹介だった。教室のざわめきはピークに達し、面倒臭くなったのか担任はそのまま教室の外で待機させている転校生を入室させた。
その瞬間、教室で歓声が上がる。主に女声で構築された歓声が。入室してきた二人の転校生はいずれも男子生徒であり、非常に顔立ちが整っていたからだった。一人は落ち着いた見た目ながら気だるげな表情がそれらしく、もう一人に至っては明らかに外国人であり、やや太い眉に優しげな童顔、さらに見事な金髪──
「ふ……ふざけんなぁああぁぁああぁあぁぁああぁぁぁぁぁ!」
放課後、結季奈は保健室でたまらず叫んだ。向かうは困ったような表情を浮かべるトーマ、早くも制服を着崩しているシグ、さらにあくまでも無表情を貫く月姫がいた。
なんとなく嫌な予感はしていたが結季奈の教室にやってきた転校生とはトーマとシグだった。さらに立て続けに保健室の教員も新しく変わるという情報が入り、放課後急行してみればそこにはさも当たり前のように鎮座する月姫がいたのだった。
「しかたないだろう。現状イコンはお前を狙ってきてるんだ。ならお前をノーマークにはできない」
月姫は結季奈の抗議などどこ吹く風と言わんばかりに一蹴する。結季奈は見せ付けるように渋面をしてみるが、既に関心が薬品棚に移っている月姫に効果は無かった。
そのままシグに視線を送るが露骨に無視され、トーマに抗議しようと──思ったがやめた。
「はぁ……もうなんでよ……関わらないでって言ったじゃないですか」
「そうはいかんと言ってるだろ」
そう言って月姫は結季奈の額をつつく。
「昨日既に新手のイコンがお前を狙って来てるんだ。忠雪とトーマが二人がかりでやっと〝なんとかした〟相手だぞ?」
「う……じゃ、じゃあ約束してください! ここでは変なことはしないで!」
「当たり前だ。妙なことをして正体を晒すほど馬鹿じゃない」
「不安だ……」
結季奈の渋面はもはやこれ以上ひどくなりようがないほど悪化していたが、とりあえずはそれで納得せざるを得なかった。結局その日はその場で解散し、神保町を避け、わざわざ遠回りして帰った。