第十一話:信じて!
結季奈は目の前の光景が信じられず、ただ呆然とするだけだった。
トーマが、負けた。日向の電撃の餌食になって、負けた。
日向が立ち上がり、ゆっくりと結季奈に迫ってくる。結季奈はそこで初めて我に返り、後ずさった。ソファから転落し、少し前に忠雪に襲われた時のようにしりもちをついたまま不恰好な姿勢になってしまう。
「ま……待ってよ!なんで私を狙うの!? 何が狙いなの!?」
「あんたならわかってるだろう? 俺がそういうの答えないイコンだって」
「……!」
日向が結季奈に手を伸ばす。結季奈は反射的に頭を腕で覆い、身を固めた。
「やめて! 来ないで!」
「悪い、無理だわ」
日向は止まらない。帯電せず、優しい手つきだが恐ろしい意味が込められた手が結季奈に近づき──
止まった。
「うっ!?」
そのまま不意をつかれたような声を上げ、体勢を崩す。不審に思った結季奈が顔を上げると、日向が何かに足を取られたように宙を舞っていた。少し重い音をたて、日向がその場に転げたおかげで彼の背後の様子が見えてくる。するとそこには、後方数メートルの位置には、誰かが立っていた。
「大丈夫!?」
トーマだ。先ほどよりもずっとすすけていたが、トーマが立ち、鞭を片手に立っている。結季奈はその姿に脱力し、声の代わりに首を何度も縦に振った。
「離れて!」
トーマはそう言うと日向の腕を狙って鞭を振るった。鞭はまるで意思を持っているかのようにしなり、日向の腕に巻きつく。日向は渋い顔をし、鞭を振り払おうと乱暴に腕を振り回すがかえって絡ませるだけだった。
結季奈はその隙に日向の脇をすりぬけ、店の外へ出た。その刹那、唐突に視界の隅で何かが動いた。
「えっ?」
「こんにゃろ……離せ!」
「いやだね」
戦場を再び店内に移したイコン達はにらみ合い、奇妙な繋がりを生んでいる鞭を挟んでさながら綱引きのような状況になっていた。
「……そうかい」
が、その瞬間日向の腕が光った。一瞬でその光が鞭に移り、トーマめがけて一直線に進んでいく。
「ッ!」
その時だった。一瞬前に日向が放電した時と同じくらい唐突に鞭の繋がりが切れた。日向もトーマも後方に向けていた力が一気に解放され、引き絞った弓が放たれるように背後へ倒れこむ。
一瞬二人とも何が起こったかわからないという顔をし、奇妙な静寂が生まれた。次に日向はトーマが鞭を離したと分析し、トーマは鞭が焼き切れたと解釈した。
が、真実はそのどちらでもなかった。鞭は途中で〝斬れ〟ており、ちょうど中間地点に新たな人影があったからだ。
「あれは……!」
それが誰か、結季奈は理解した瞬間全身が緊張し動かなくなるのを頭で理解した。頭以外の全ての感覚が死に、感じるものが感覚ではなくただの情報と化す。自分の感覚がどこか他人のものであるかのような奇妙な感覚だ。
そこに現れたのは、乱入してきた者は──忠雪だった。
「たっ……」
「立てますか」
言葉を失う結季奈をよそに忠雪はトーマに声をかける。トーマは忠雪のことを不思議そうに見つめたがすぐに立ち上がり素早く銃を抜いた。その視線は忠雪の向こうで同じく態勢を整えている日向と、今度は日向と向かい合っている忠雪に向けられていた。
「君は……」
「……信じて!」
忠雪の鋭い一言にトーマは一瞬で表情を変え、注意を全て日向に向ける。右手でゆっくりと撃鉄を起こし、
「あと三発……」
呟いた。
「また新手か……」
対して日向は少し余裕が無くなったように見える。鞭の片割れを腕に巻きつけたまま先ほどよりひどい渋面をした。
トーマは拳銃を両手で構え日向に向け、忠雪も独特の構えを取り威圧的に日向を睨みつける。先ほどの、まだ店が破壊されつくされる前以上の緊張が訪れた。
「……ま、いいか。今日はもうやめとこう!」
しかし日向は唐突にそう宣言した。虚をつかれたような顔をしている二人をよそに腕の鞭を乱暴に投げ捨てると、激しい閃光を発生させ、その中へ消えていった。
「……」
日向が消えたあと、しばらく二人ともぴりぴりと空気を緊張させていたが、やがてトーマが銃を下ろし、それに呼応するように忠雪も刀を納めた。
「結季奈!」
トーマは結季奈の名を呼び、未だ呆然と立ち尽くしている結季奈のもとへ走りよる。
「大丈夫だった? あ、いや……大丈夫じゃあないか……はは……」
「う、うん……だい、じょうぶ」
「そっか……あぶなかったあ~っ!」
トーマは急に気の抜けた声を出すと、振り返り何歩かふらふらと歩くと焦げ跡の目立つ地面にだらしなく寝転んだ。忠雪もまた緊張した面持ちをやめ、周囲を見渡す。
と、結季奈と目があった。
「あ……」
結季奈が無意識に声を上げるが、忠雪は申し訳なさそうに少し俯いた。
「……申し訳、ありませんでした」
忠雪はそう言うとゆっくりと結季奈に歩み寄る。
「待って」
しかし、そこでトーマの言葉に足を止める。優しい声色だったが微妙な緊張感が含まれており、結季奈にもわずかな緊張感が伝わってきた。
「……」
ふと、視線を落とした忠雪の目に結季奈の腕に巻かれた包帯が目に映る。
「……あの、それは……まさか」
そう言われ結季奈は自分の腕に目を落とす。そういえば昨日忠雪に刀を振るわれた時、服と一緒に少し切り傷を負わされていた。結季奈はそれを思い出すが、微妙な精神状態にあったため返答に窮した。
「えっ、あ……」
「某が……つけてしまった傷、ですよね」
忠雪がわなわなと震えだす。そんな忠雪を前に結季奈はどうしたらよいのかわからず、とりあえず首を縦に振った。すると忠雪はさーっ、と本当にそう音が聞こえるように顔が青ざめていき、その場にどっかりと腰を降ろした。
「なんということ! 正気を失っていたとはいえ婦女子に傷を負わせるとはっ……!かくなる上は……腹を切ってお詫びを──!」
「あああ待った待った待った! ストップううう!」
忠雪はやや早口にそうまくし立てるとをまた刀を抜き、そのまま腹に突き立てようとした。が、すんでの所でトーマに羽交い絞めにされ阻まれ、不恰好に両手を振り回す。
「離せ! 離してくださいトーマ殿! 死んでお詫びをせねば──!」
「駄目だよ! ハラキリは駄目だって!」
切腹しようとする幕末の侍とそれを羽交い絞めする西部劇のシェリフ。そのあまりにも珍妙な光景に結季奈は頭が痛くなってきた。