第2話『迫川優』⑥
「ブシュブシュゥゥ……」
怪物は調子に乗って、突進しながら液体を吐いてくる。ある程度はマスクに内蔵されたコンピューターの計算で避ける事が可能だが、液体だけでなく攻撃してくる相手への対応もあり、かわしているだけでは済まなかった。優は怪物が液体を吐いた後に踏み込んで浅くキックを当てるなどして、間合いを保つのがやっとだった。右腕の負傷が恨めしい。
「マッハキックに賭けるか……。しかし、万が一にも外して液体を食らったら終わりだ……」
優は攻撃方法を決めかねた。その間にも敵は次々に攻撃を繰り出してくる。避けている内に数台の車が溶かされてしまった。
「こりゃ、こいつを倒したとしてもタダじゃ済まないな……」
この惨状を見た運転手達は必ず騒ぐだろう。そして、監視カメラでもあれば、優の変身からこの戦いまで全部収められている事だろう。とはいえ、今は目の前の怪物への対処が精一杯で、そんな事を気にしている場合でもない。
とにかく人が寄って来ない内に決着しなくては。優は目の前の難敵を攻略する術を練った。もちろん、相手の攻撃を避けながらである。
「先輩! 大丈夫ですか」
優の苦戦を心配したのか、咲が声を掛けてくる。
「桜花! 俺に構うな。そっちが狙われたら俺が集中して戦えない。奴の気を引くんじゃない」
「すみません。でも……」
「気持ちはわかっている! 大丈夫だ」
咲の呼び掛けは気持ちの面だけでなく、優にある事を思い出させて一つの着想を与えてくれていた。優は右半身を前に出す、立ち技系の格闘技でのいわゆるサウスポースタイルで構えた。
「来いっ!」
優は手招きして相手を挑発した。怪物とはいえ、さすがに理解出来るようで液体を吐きながら猛然と突進してくる。優は飛んでくる液体をマスクの計算通りに避けた。そして、突っ込んで剛腕を振り回してくる敵に、
「マッハパンチ!」
痛めていない左腕の一撃をカウンターで叩き込んだ。強烈な一撃は相手の顔面を粉砕した。溶解液とは違う液体が飛び散る。優は、咲の声でスーツの左半身を強化した事を思い出したのだった。元々、右利きの為、フィニッシュのマッハパンチは右腕のみで考えていたが、咲のアイデアにより、左腕で放つ事も可能になったのだ。
顔を失った怪物は、首から液体を噴出させて暴れ狂う。それに対し、優は腰を落とし、正拳突きの構えを取った。
「ハッ!」
怪物の身体が正面を向いた瞬間、左のマッハパンチを心臓目掛けて繰り出した。この一撃は見事に胸部を貫通し相手の身体を貫いた。怪物の動きが止まり、亡骸が地面に崩れ落ちる。優は大量の返り血を浴びたが、溶解液とは別のようで、スーツが溶けたりする事はなかった。
「先輩!」
咲が寄って来る。
「オイ、まだ、溶解液が飛んでるから気を付けるんだ」
優が注意しても、彼女は構わず近づいてきた。
「ああ……怖かった」
咲は優の脇に来てへたり込んだ。どうやら無鉄砲というよりは、恐怖で早く優の近くに来たかっただけの事らしい。確かに何の装備も持たない女性があんな怪物の近くにいたら、怖
くて仕方がないだろう。優は黙って彼女が落ち着くのを待った。
「先輩、早く帰りましょう」
ようやく立ち上がった咲が促してくるが、
「この場を離れたい気持ちはよくわかるが、まだやる事がある。車に乗ってちょっと待っててくれ」
怪物の溶解液で、何台かの車は破壊されていたが、優の車は無事だった。優は咲に鍵を渡すと、闇に紛れて怪物の死骸を担いで砂地へ向かった。例によって、高速で穴を掘り、死骸を埋めた。ここでも痛む右腕の代わりに、パワー増強した左の力が役に立った。
「桜花に感謝しなくてはな……」
穴を塞いでしまうと、今度は駐車場の防犯カメラを探した。映像が流出したら大変な騒ぎになるし、優や咲の立場すら危うくなりかねない。幸いにして、駐車場に近づく者はなかったようなので、カメラさえ破壊出来れば秘密は守られる。車を破壊された者には申し訳ないが、優に取れる行動はそれしかなかった。三台のカメラを破壊した優は、スーツを脱ぎ、車に乗った。
「待たせたな。早々にこの場を去ろう」
優は咲の返事も聞かず、エンジンを起動し、アクセルを踏んだ。口にした通り、すぐにこの場を離れたかった。
「先輩、ありがとうございました。また守ってもらっちゃいましたね」
助手席に座っている咲は、前回ほどショックを受けてはいないようだった。
「桜花のお陰だよ。今日、左のパワーの件指摘してくれたから、最後は何とかなった」
「少しは役に立てましたかね。あ、そんな事より右腕は大丈夫ですか? 途中、痛そうだったんで心配でした」
「まあ、動かせなくはない。マッハパンチは怖くて打てなかったが」
優の右腕は運転しながら今も痛みが続いていた。ハンドルを動かしただけで激痛が襲ってくる。
「ちゃんと治療しないとですよ」
「わかってる。でも医者には行けないな」
何故ケガをしたかとか、手繰られる危険性を考えると、病院へ行くのは避けたかった。とはいえ、こんな戦いを続けていたら、身体がもたないという懸念もずっと付き纏っていた。
「先輩の身体が心配です。やっぱり医者に行った方が……」
「今はダメだ。怪物の存在が世の中に知れ渡っていない内は……」
「そんな事言ってたら先輩がボロボロになっちゃいますよ」
咲は本気で心配してくれているようだった。
「ありがとう。だが、大丈夫だ。俺は絶対諦めない」
「先輩、それ口癖なんですね」
咲は小さく笑っていた。
「病は気からじゃないが、為せば成る、諦めなきゃ何とかなるもんだ」
「それはわかりますけど……。先輩って優秀な研究者かと思ってましたけど、意外と根性論者なんですね」
「それは……父親の影響かもな。あの人は武道も嗜んでいたし、研究者の割には精神論者でもあった」
優は幼い頃、父に各種武道を叩き込まれた。その中で出来ない事や勝てない相手があると、挫けそうになり、涙も流した。しかし、必ず父は厳しくも優しい口調でこう言った。
「優、諦めなければ負ける事はない。諦めた時が敗北なんだ」
その言葉はずっと胸に刻まれている。実際にこの言葉を信じて、優は決して諦める事無く、試練を乗り越えてきた。父と母がいなくなり、怪物と戦うという絶望的な現実を前にしながらも頑張れたのは、この精神の賜物かも知れない。
「あの……先輩、改めて私で良かったら、何でもサポートさせて下さい」
「桜花……」
優は思わず助手席を見た。
「先輩がこんなになって戦って、誰もサポートがないんじゃ大変過ぎますよ。乗り掛かった船なんで、私も手伝います」
「俺としてはありがたいが、いいのか?普通の学生生活が送れなくなるかも知れないぞ」
「工学女子の時点で普通の学生生活じゃないですよ」
「かもな。確かに普通の大学生のキャンパスライフってのとはちょっと違うかもな」
優がそう言うと、咲は笑った。男子学生の中に咲一人がいるような空間だ。彼女が自虐的に言ったように、普通の女子大生のキャンパスライフとは少し違うだろう。
「それに、どうせ宇宙人に侵略されたら終わりでしょ。だったら、私も戦います。だから、手伝える事があったら何でも言って下さい」
「ふっ。ふふふふ」
優も笑った。確かにその通りだ。奴らに侵攻されて地球が滅ぼされてしまえば学生生活もへったくれもない。
「笑い事じゃないですよ」
「そうだな。それじゃあ頼んでいいんだな」
「もちろんです」
笑い事じゃないとは言われたが、優は嬉しくて自然と笑みがこぼれた。諦めない気持ちを持ち、一人で戦ってきたが、初めて理解者を得たのだ。
第2話終わりです。忌憚のないご感想をお待ちしております。