第2話『迫川優』④
表彰を終えた優は、研究室へ向かった。怪物が出現した以上、スーツの改良や強化は必須であり、今日は一日研究に没頭するつもりだった。
部屋には誰もいなかったが、優にとっては好都合だった。昨日の戦いでスーツの性能はある程度確認出来たが、身体への負担、破壊力、神経伝達等のデータはよく解析して調整する必要があった。これらを他の研究室メンバーに知られる訳もいかないので、密かに自分のPCで行わなければならない。表向きはあくまで研究室でのパワードスーツの研究として進めなければならないので、この場に一人でいられる時間は貴重だった。しかし、
「先輩、お疲れ様です」
研究室に似つかわしくない女性の声が響く。咲だ。授業を終えて研究室へ来たのだろう。優は、来た人物が昨日の事を把握している彼女で安堵した。
「お疲れ様。今日は一限だけか」
「そうです。なので、課題に取り組まないとと思って来ちゃいました。先輩も早く終わったんですね」
「表彰受けただけだからな。少し学長と話して戻って来たよ」
「学長って、ダンディですよねえ。私も入学式とか、写真でしか見た事ないですけど」
「女子の感覚でもそんな風なんだな」
優から見ても速水学長は風格を漂わせており、男らしいと感じる人物だった。
「それはそうと、何もなかったか? ここに来ているって事は大丈夫だったんだろうが」
「はい。特に」
咲は胸を張った。昨日の今日だというのに大した度胸だ。
「お、そうだ」
優は彼女の顔を見て着想が浮かんだ。驚いて自分を見ている咲に、
「桜花、頼みがあるんだが」
と切り出した。先程考えていた戦闘用のスーツの性能把握について、彼女に力を借りようと思い立ったのだ。優は事情を説明した。
「えーっ。私も課題があるんですが……」
と最初は渋っていた咲だが、
「わかりました。先輩がそこまで言うのでしたら一肌脱ぎましょう」
と快諾してくれたのだった。
「助かるよ」
優は素直に礼を言った。
「何か、昨日以来、先輩らしくなくて調子狂いますね」
そう言って咲は笑った。優は何だかバカにされているような気もしたが、悪い気はしなかった。
咲は思った以上にパソコンの処理や計算能力等が高く、スーツの強度や思わぬ穴など、優が気付かないような点まで指摘してくれて、予想以上に役に立ってくれた。特に
「先輩、右利きだから、左の性能は抑え気味なんですか?」
という問いには驚かされた。
「よく気付いたな。一気に出力するマッハパンチやマッハキックは負担も大きいし、利き腕だけにしようかと思ってな」
「でも、格闘技する上で両方の腕は使えるんですよね」
「まあな、明らかに右の方がパワーは出るけど、とりあえず使う事は出来る」
「だったら、左の出力も上げませんか。スーツ自体に無理は掛からないと思いますし、何かあった時、両方使えた方がいいんじゃないかと」
「む……。まだ試作段階だったんだよ」
ズバっと指摘されて、優はぐうの音も出なかった。確かに咲の言う通りで、自分の弱気がスーツ制作にも出ていたのかも知れない。
「遅刻のイメージとかあったからよく認識していなかったが、桜花って優秀だったんだな」
「ひどーい、先輩ってそんな風に私を見てたんですか」
咲はむくれた顔をする。
「見てたっていうか、正直よく見てなかったな、すまん」
優は頭を掻いた。自分で言った通り、人の事など良く見ていなかったというのが正直なところで、こうやってコミュニケーションを取ってみると、咲の非凡さも垣間見えて、自分の視野の狭さが身に沁みる。怪物に対抗する為に必死にスーツ開発に没頭してきたが、独りよがりだったのかも知れない。
「ありがとな」
優は素直に礼を言って、咲に缶コーヒーを渡した。
「先輩、私、コーヒー砂糖入りはダメですから、お手伝いさせたかったらよく覚えてて下さいね~」
「そ、そりゃすまん」
優が渡したのは微糖の製品だった。こういうのも観察力の一つだろう。
「でも、せっかく先輩がくれたんでありがたくいただきま~す」
咲はパソコン操作をしながら、プルトップを上げ、缶コーヒーに口を付けた。「甘っ」と言いながら変な顔をしていたが、それでもちゃんと飲んでくれているようだった。
優はそのまま研究用と戦闘用のスーツの検討に没頭した。気付くと外は暗くなっており、時計を見ると二十時を過ぎていた。咲も課題に取り組む仲間が来てからはそちらに集中したようで、同様に残っていた。もっとも優の送迎がなければ帰れないので、彼を待っていたという事もあるのかも知れない。
「そろそろ帰るか」
優は介護用の装具をいじっている咲に声を掛けた。他の仲間はもう帰っており、彼女一人で従事していたようだ。
「はい。待ってましたよ」
「やっぱりか。すまなかったな。お前に指摘された部分を直していて時間が掛かった」
「もう改善しちゃったんですか」
咲は驚いた顔を見せた。
「ああ。お陰様でな」
「先輩やっぱり凄いですね。私なんて理論上はわかっていても実際の修正はそんなに上手く出来ないです。今だって……」
咲は目の前の装具に悪戦苦闘しているようだった。
「どれ、少し見てやろうか」
「そんな。大丈夫ですよ」
「遠慮するな。こんな時間まで待たせちゃったし、少しはお返しさせてくれ」
「先輩に見てもらえるなんて、緊張しちゃいますよ」
「散々生意気な口を利いているのに、急にどうした」
優は咲の変化に驚いたが、
「どうもこうも、元々研究面では先輩にアドバイス貰うなんて恐れ多くて……」
彼女からしてみたら、優の研究面での業績等が引け目を感じさせるようだった。午前のように優に頼まれた事をやるのはまだしも、自分が取り組んでいる事に意見をもらうなどは、そう感じる側面が強いのかも知れない。
「らしくないな。そんな事気にするな」
優はすぐに咲が手に持っている装具に目をやった。それを受け取ると、じっくりと目視する。
「ここの継ぎ目が少しおかしくないか。付け方もそうだが、角度の調整も」
優はネジで接続されている部分を示して説明した。咲は言われたところをじっくり見ると、
「ホントだ! 先輩、何ですぐわかるんですか。全然気付かなかったです」
と声を揚げた。
「たまたまだよ。強いて言えば経験と勘だ。沢山の経験を積めば自然と分かってくる事もある」
「それは先輩みたいな才能ある人だから言えるんですよ~」
「そんな事はない。桜花だって、俺にないものを持っているさ」
優は自分で言いながら、人付き合いの方の経験は大いに不足しているなと実感していた。ここは人間工学の研究の場だ、いくら機械の事がわかっても、人間の事がわからなければ何の役にも立たないのだ。そういう意味では、咲の方が自分よりはそういう面に長けている。
「えーっ、私なんて何の取り柄もないですよぉ」
「そんなもんだろう。自分で自分の長所を完全に把握して誇っていたら、それはそれで見苦しい。それでいいんだ。いいから、早くやって帰ろうぜ」
優は咲を急かした。彼女は「はーい」と言って、装具の改良に取り掛かった。
「本当にありがとうございました」
真っ暗なキャンパス内を駐車場まで歩きながら、咲は何度も礼を述べていた。あれから十分程で解決したのだが、余程嬉しかったようだ。
「礼を言うのは俺の方だ。桜花のお陰で昨日の戦いを基にしたデータが上手く取れた」
「また襲ってきますかね」
暗くて顔は良く見えないが、咲は少し怯えているようだった。
「わからん。直接俺達に襲い掛かって来るかは何とも言えんが、この大学に現れた以上、近くに何らかの手掛かりがあるのは間違いないと思う。こっちとしてはいつ出現しても良いように、準備をしておくまでだ」
「先輩、しばらくお邪魔してもいいんですか。邪魔だったら言って下さい。私、アパートか実家に帰りますから」
「一緒にいろと命令は出来ないが、出来れば近くにいてくれないか。俺も離れていたら、守れる自信がない。あの凶暴さと力を考えると、もし目を付けられたら俺が駆け付ける頃には、全てが終わってしまいかねないからな……」
これは本音だった。咲を一人で帰して、万が一にも奴らに襲われた場合、優が向かった頃にはおそらくもう彼女の命はないだろう。少し前までならそういう非常な決断もしたかも知れないが、咲という人間を知ってしまった以上、見捨てるような真似は出来なかった。
いや、自分ではそう思い込んでいたが、実はそうでないような気もする。優は、咲とこうして一緒にいる事に何だか居心地の良さを感じている自分がいる事に気付いていた。
「私は……先輩が迷惑じゃないならこのまま守って欲しいです。昨日の今日だし、まだ一人になるのは怖くて……」
「なんて言った矢先に現れたようだぞ。やはり、俺かお前か、どちらかが狙われているのかもな」
優は暗闇の中、まばらに並んだ車の先を見つめていた。特に闇に浮かぶ一台の白いバンをじっと見つめる。
「い、いるんですか……」
咲が怯えて、腕にしがみついてきた。
「多分な。レーダーが反応している」
優は時計を見せた。赤い光がピコンピコンと点滅している。昨日倒した怪物の細胞を採取して、同種の生体反応を察知する簡易の感知レーダーを急ごしらえで作成したのだった。そのレーダーが今まさに行く手の先を指し示していた。
「さて、どうするか……。向こうも気付いていそうだし、逃げたら追って来そうだな」
優は前方から目線を外さない。咲はまだ震えている。
「桜花、怖いところすまんが、手を放して俺の後ろに回ってくれ」
「は、はい」
咲が手を放した瞬間、破壊音と共にバンが真ん中で真っ二つに割れて、何かが飛び出して来た。