第2話『迫川優』②
自宅へ向かう前に、咲のアパートに寄った。着替えや翌日以降の大学関係の荷物を取って来る為だ。それから夜道を10分程、車を走らせると、程なく自宅に到着した。閑静な住宅街の中でもそれなりに大きい庭付きの一軒家だ。
「大きな家ですね」
咲は下から見上げて感心しているようだった。父の設計で普通の家より少し縦に長い造りになっているのだ。
「ほら、入るぞ」
優はいつまでも家を眺めている咲を促し、玄関の鍵を開けた。
「うわ~っ」
邸内に入るやいなや、咲は驚嘆の声を揚げた。迫川家の玄関は、高い天井にプラネタリウムのように無数の星が瞬いており、それに驚いたのだ。
「父の趣味というか、研究の一環だ。投影装置が置かれて天井を彩っている」
「素敵なお父様ですね……。研究って仰いましたが、先輩のお父さんって研究者なんですか?」
「ああ。宇宙の研究をしていた」
「していた?」
「ああ、今はここにはいない」
「す、すみません。失礼な事を聞いて」
「大丈夫だ。気にするな」
咲は父が亡くなっていると思って謝ったのだろう。優はそう思わせておけば良いと判断し、それ以上はこの話をしなかった。そのまま玄関から目の前にある螺旋階段を昇り、二階の一室に彼女を案内した。
「ここを使ってくれて構わん。今、布団を持ってくる」
四畳半の部屋の中は何もなかった。現在、優の父も母もいない為、完全な空き部屋になっていた。優は咲を部屋に入れ、一階へ布団を取りに階段を下りた。
「何をやってるんだ、俺は」
優は布団を準備しながら、自問自答していた。事の流れで咲を守らなくてはと思ったが、まさかこんな展開になるとは思いも寄らなかった。
元々は最初の殺人事件の時に「怪物を見た」という証言がネット上にあった為、かねてから奴らを追っていた優は、気になって動き出したのだった。そうしたらその後、第二の殺人が起き、優はやられたばかりの被害者「牧良助」を発見した。被害者の傷跡を見て、まだ近くに怪物がいるのではと追っている間に、咲が第一発見者となってしまったのだ。それは予想外の出来事だった。
怪物と戦うと決意した時点では、自分の事だけで精一杯だったのに、彼女の様子と状況からして、しばらくこんな生活をしなければならないかと思うと、気が滅入りそうになる。
「乗り掛かった舟だ。仕方ないか」
自虐的に呟くと、布団を持って二階へ上がる。閉じていたドアをノックして部屋に入ると、咲は汚れた服を脱ぎ、下着姿になっていた。
「す、すまん……」
優は慌てて扉を閉じる。勢いで床に布団を落としてしまった。
「い、いえ……」
中から申し訳なさそうな咲の声が聞こえる。
「そう言えば、汚れたって気にしてたな。先に浴室へ案内するべきだったか。すまん」
「大丈夫……です」
汚れているであろう衣服を再び纏って咲が部屋から出てきた。優は落とした布団もそのままに、再び階段を下りて彼女を一階の浴室へ案内した。
「タオルはこれ使っていいから」
棚からバスタオルとフェイスタオルを取り出して渡す。咲は頷くと、それを受け取り、脱衣所に置いてあった籠に入れた。
「すみません。私が先に入っちゃっていいんですか」
「ああ。気にするな。その間に布団も部屋に入れておく」
「何から何までありがとうございます。私、先輩の事、誤解してました。冷たい人だとばかり思ってました」
咲はまた頭を下げた。優は苦笑いした。
「それは間違ってないさ。俺はそんなに温かみのある人間じゃない」
「そんな事ないですよ。今の状況だって、放っておいたっておかしくはないし」
「俺の蒔いた種だしな。責任感のない真似はしたくないだけさ」
「先輩がそういう人で良かった。私、今日の事を考えたら、怖くてとても一人でなんていられません」
「ただ、俺の近くで大丈夫かもわからないけどな。また襲って来る可能性はあるし」
優は本当にそう思っていた。戦う為の装備は整えたものの、怪物に本当に対処し切れるかはまだ未知数だ。
「その時は先輩がさっきみたいにやっつけてくれるでしょ」
「どうだか……。もっとも警察よりはアテになるかも知れんが」
「警察に話さないんですか、怪物の事」
「話して通じると思うか?」
「そ、それは……」
優は無駄だと思っていた。警察に宇宙人が攻めてきているなどと話しても、頭が狂っていると思われるのがオチだ。
「いいから、シャワー浴びてろ」
優は浴室のドアを閉めた。扉の向こうからはーいという明るい声が聞こえた。咲は怖がっている癖に、変な所は楽観的だったり明るかったり不思議な子だ。優は一人でいると、怪物と戦わなければという使命感で一杯になってしまうが、咲のような感覚、おそらく女性特有の感覚は自分にないもので珍しく思えた。そして、しばらく張り詰めた気持ちでいたが、咲のお陰で自然と和んでいる自分に気付いた。
「これは感謝しないとかな」
優は独り言を呟きながら、再度階段を上がり、先程落とした布団を部屋に入れて敷いてやった。
咲が浴室から出た後、優もシャワーを浴び、身体を洗い流した。咲も言っていたように、返り血や土の汚れが酷かったので、ようやくすっきりした。
着替えて浴室から出ると、咲は部屋ではなく、居間でソファーに座っていた。
「何だ、部屋に行かないのか」
「もう少し、話をしましょうよ。一人は怖いですし」
「明るくなったり怖がったり、おかしな奴だな」
「もう~。先輩、ひどい!」
咲は頬を膨らませる。
「本当の事だ。俺は感心してる。あんなことがあっても明るさを保っているし」
優は冷蔵庫から赤ワインを取り出して来て、グラスと共にソファー前のテーブルに置いた。
「そうですかぁ」
咲はまだ不満気な顔をしている。
「まあこれでも飲め。酔えば眠れるかも知れん」
優はコルクを抜いて栓を開けた。
「ありがとうございます」
咲によって赤い液体が二つのグラスに注がれる。その間に優はハムやチーズなど、つまみを用意した。
「乾杯」
二人で軽くグラスを合わせた後、互いにワインを啜る。
「そう言えば夕飯食べてなかったな。桜花もか?」
「はい。お腹ペコペコです」
「こんなものしかなくてすまんが、つまんでくれ。あとはパンやご飯なら用意出来なくもないが」
「お酒飲むならこれだけで十分です。あまり食べると太っちゃうし」
咲は言いながらチーズを摘まむ。彼女は細身で、言う程体型が崩れているようには見えないが、本人なりに気にしているのだろう。そんな事を言う割には酒が進むペースは速く、さすが日本酒王国と言われるN県人だと納得させられた。
「先輩、ペース遅いですよ」
などと言われて次々に注がれて、大して強くない優は参ってしまった。
「お前な、そういうのをアルハラって言うんだぞ」
「そんな事言ったら先輩はアカハラじゃないですかぁ」
咲は笑いながら返してくる。が、優は日頃から後輩に冷たく当たっている事を自覚しているので、胸が痛い思いがした。
「悪かったな」
「あはは。冗談ですよ」
「あんまり冗談には聞こえなかったけどな。まあ事実だし」
「イヤだ、先輩、自覚があるんですか?」
「まあ……な」
「だったら普段からもっと優しくしてくださいよ~。この前だって本当に怖かったです」
咲は膨れ面をする。
「この前? ああ。警察に尋問されて遅刻したって時か」
「そうですよ~。先輩、全然話を聞いてくれなかったじゃないですか」
「それは……。決まりは決まりでな」
根に持たれていたのを知り、優は苦笑した。
「そういうとこ優しくないと、モテませんよ~」
「そんな事は気にしていない。ルールを曲げてまでモテる必要もない」
「ぶぅ~」
咲はまた不満気な顔をして、グラスに入ったワインを一気に飲み干した。高校以来、あまり笑う事のなかった優には、そんな表情がかわいらしくも思えた。
そのまましばらく飲みながら、互いにつまみを口にしていたが、ふと咲が口を開いた。
「あの、先輩。聞いていいのかどうかわからないですが、あの写真が先輩のご両親ですか?」
咲が指差したのは戸棚の上で、一枚の写真が飾られていた。
「ああ」
優は渋い顔で返事をした。あまり触れられたくなかった話題だ。とはいえ、彼女をここに連れて来た以上、それもしばらく面倒を見るのであれば、避けては通れない話でもあった。
「やっぱり聞かない方が良かったですか」
「いや、そんな事はない。だが、聞いたら後戻り出来ないかも知れんぞ。いいのか?」
「あ、いや……そこまで覚悟がある訳じゃないですけど。でも、今日の出来事からして、もう後戻りなんて出来ないですよね」
咲は意外と腹が据わっている。話しても良いのかも知れない。
「じゃあ聞いてもらおうか。そもそも何で俺があの怪物を追っていたかというと、アレを呼んだのが俺の父親なんだ」
「えーっ」
さすがに咲は驚いていた。無理もない。マンガや映画のような話だ。
「父は宇宙研究をしていてな。その過程で偶然、宇宙人と交信する事に成功したんだ」
「そっか。玄関に綺麗な星空がありましたね。宇宙人と交信なんて凄いなあ」
「確かに地球の歴史上、とんでもない事かもな。しかし、それが結果的に災いを呼んだ」
「あの怪物が……?」
「そうだ。宇宙人は最初から侵略が目的だった。父は利用されたんだ」
「そんな……」
「あまり思い出したくない話だが、父も母もその時に行方不明になった。俺が高校生の頃だ。だからこうして広い家に一人で住んでいるって訳さ」
優は思い出したくないと自分で言ったものの、話したら意外とすっきりとした気分だった。抱え込んでいたものが他者に共有され、重さが減ったのかも知れない。
「先輩……大変だったんですね」
咲の顔もさすがに真剣なものになっていた。
「まあな。こんな話、警察にも、他の者にも話したって信じてもらえないだろ。桜花みたいにあの怪物に遭遇でもすれば別だが」
だから、優はこの話は誰にもしていない。両親はあくまで山で遭難して行方不明という事になっており、優の面倒を見てくれた父方の親戚にも真実は話していない。
「そうですね。私みたいな目に遭わないと、誰も……」
「結果的にそんな風になってしまってすまなかった。申し訳ないが、しばらく俺のそばにいてくれるとありがたい」
「えっ?」
咲は別の意味で受け取ったようで戸惑いの表情を見せた。
「あ、いや、変な意味でじゃない。こんな事になってしまった以上、お前を守るという意味だ」
言った自分も何だか照れてしまう。本当に彼女を守りたいが為に出た言葉だったが、聞きようによっては告白みたいだった。もちろん、そんなつもりは毛頭ない。
「わ、わかってますよ~。それはお願いします」
咲は頭を下げる。
「部屋は自由に使ってくれて構わないから。しばらくの間は大学も俺が送迎するよ。もっとも、ここが安全かどうかもわからないけどな」
「そんなぁ。脅かさないで下さいよ」
「本当さ。奴らが嗅ぎ付ければ、ここだって安全じゃなくなるかも知れん。まあ最低限の警備システムは付けているが、怪物ならそんなものは簡単に突破するだろう」
「えーっ……じゃあどうしたら……」
不安げな顔の咲にワインを注ぎながら言う。
「大丈夫だ。守るって言っただろう。俺が戦う」
「先輩、さっき奴らって言ってましたけど、あの怪物ってまだ沢山いるんですか?」
「わからん。今日戦った奴だって、俺は初めて見た。俺も親玉が生きているって事しかわからないんだ」
「親玉?」
「ウォーグって名乗っている、奴らのボスみたいな存在だ。そいつが全ての元凶だ。父に友好的に接してきて油断させておいて、真の狙いは侵略だったんだ」
自然と語気が強まる。優は自分の中に溜めていた怒りや悔しさが出て来るような気がした。
「先輩はそのウォーグに復讐しようって?」
「かもな。俺自身よくわからない。ただ、奴らの魔の手は全て打ち砕いてやる。そんなつもりでずっと準備してきた」
「ごめんなさい……」
突然、咲が謝ってきた。
「何だ、急に……」
「さっきも言いましたが、私、先輩の事、誤解してました。そんな過去があったなんて知らなかったし……。ただの冷たい人だと思ってました」
「そんな風に言われるとは驚いたな。気にする事はない。俺は本当に冷たいだけだ」
本当に驚いた。咲は同情、共感してくれているようだった。強がってしまったが、内心は嬉しく思った。
「そんな事ないですよ。私で良かったらお手伝いさせて下さい。ご飯作ったり、掃除くらいは出来ます。私だってゼミの一員ですからスーツの強化だって、少しくらいは……」
「ありがとう。頼らせてもらうよ」
優の口から素直にそんな言葉が出た。
「はい。何でも言ってください」
咲の顔は嬉しそうだった。やっぱり今まで自分の接し方が冷たかったのかな、と優は思った。
「じゃあそろそろ寝ようぜ。もう十二時過ぎてるし、一限から出るから明日も早いぞ」
壁掛け時計を見ると、もう十二時半になろうとしていた。戦いもあったし疲労もしている。グラスを台所に置いたり、ワインを冷蔵庫に片付けたり、ゴミを捨てたりして、それぞれ部屋に入った。優も部屋に入るとすぐにベッドに横になり、そのまま寝入ってしまった。