第6話『右腕』③
そのまま研究室に来たが、午前中の為か、誰もいなかった。優はこれ幸いとばかりに自分のPCを立ち上げ、新しいスーツの研究を始めた。昨日の戦いを経て、何としてもウォーグと渡り合えるだけの装備が必要だと実感していた。
優が身に着けているマスクは戦いの記録を残す事も出来る。パソコンにデータを抽出して、改めてカイゼル、ウォーグと戦った際の映像を見る。両者共凄まじいスピードとパワーだ。数値も記録されており、優がスーツを着て出せる最大のスピードが秒速20m、パワーが1トン程度なのに対し、両者はその数十倍もの数字を弾き出していた。
ただ、戦った映像を解析できるのは非常に参考になる。スローにすれば、奴らが何をしていたかもハッキリとわかった。戦っている最中は速過ぎて全くわからなかったが、奴らはフェイントも織り交ぜながら高速の攻撃を繰り出していた。要するにそれがわからなかった優の実力は、奴らにとってフェイントするまでもない相手だという事だ。まずこの実力差をハッキリと認識出来たのは収穫だ。
そして、今の技術はさらに応用を利かせる事が可能であった。優はパソコン上に戦いをシミュレーションする為のソフトも作っており、例えば先程見たウォーグの動きを、速さ・パワーなどを考慮して疑似映像化していた。そこに木人形的なモデルを置き、格闘ゲームのような疑似戦闘を行わせる事で、対抗する為のデータを取ろうと考えていた。
画面上では、優が自ら味わった衝撃が再現されていた。これに対抗するパワーやスピードを計算する上で、単純に相手の数値を上回ろうとするのは無理がある。何故なら、そもそもの能力差が大き過ぎて、人間の常識を超えた数字を弾き出す必要がありそうだったからだ。
なので、優はカウンター攻撃が通じる数値を割り出してみることにした。例えば人間のレベルでは、仮にボクシングの世界チャンピオンクラスがカウンターを決めても奴の体躯に弾き返される。これは蹴りでも同様で、空手の世界王者クラスでも同じ結果だった。そもそも生身の人間ではまず達成不可能だが、シミュレート上、仮にカウンターで攻撃が入っても、相手は蚊に刺された程度した影響がなく、下手をしたら攻撃した側の腕や脚が破壊されるという有様であった。
木人形はウォーグにやられっ放しだったが、データをいじり、数値を徐々に上げて行くと、ようやく木人形のパンチがウォーグの顔面に入り、ぶっ飛ばした。その数値を見て優は唖然とした。
「これは無理だ……」
ウォーグやカイゼルに対抗する為にスーツを強化するとなると、とんでもない出力を発揮する数値が弾き出されるのだった。今のスーツの数十倍の出力が必要で……
「ダメだ、そんな事をしたら身体の方がイカれてしまう……」
理論上、単純に出力を上げる事は出来ても、身体の方が耐え切れず、ボロボロになってしまう。奴らと渡り合うだけの出力を出そうとすると、人間の限界を超える必要がありそうで、オリンピックアスリートレベルであればいざ知らず、優の体力でそれに耐えるのはかなり厳しいように思えた。
もちろん多少の無理は覚悟の上だが、それでも最初から無謀な状況に身を委ねるのは危険である。仮に一度だけ超パワーを発揮出来たとしても、ウォーグを倒せぬまま絶命するような事があっては何の意味もない。
となると、出力や強度をある程度高めるのは前提としても、負荷が酷くならないレベルに止めて、代わりにとんでもない威力の武器を装備するとか、自分が強くなるのではなく相手を弱くするとか、そんな戦い方を目指すべきだ。戦いにおいて、強い方が必ず勝つとは限らないし、それを覆した例とて少なからずある。そこに何かヒントがある筈だ。
結局、昼までは誰も研究室に来なかったので、新スーツの検討に没頭する事が出来た。おぼろげながら理想像が見えてきたところで昼休みになり、咲がやって来たので、優は自分のPCを閉じた。
「先輩、もう来てたんですね」
「ああ、学長室の調べも大体済んだしな。やはり、秘書さんも怪物が出たなどとは言わなかったよ」
「となると、やはり風間さんや学長本人に聞くしかないんですかね」
「そうだな。風間に近付くのは少し危険な感じもするが、少なくとも学長には接触しないとだな」
風間からは名刺も受け取っていたし、電話番号もわからない訳ではないので、その気になれば確認出来なくもない。ただ、ウォーグに通じている可能性がある以上、安易に接触する気も起きなかった。とはいえ、自宅も知られているだろうし、あまり良い状態ではない。
「場合によっては引っ越しも考えないとかもな」
「えっ」
「風間はおそらく俺の正体も知っているし、家もわかっている。もし、奴がウォーグに通じているのであれば、正体も居場所もバレている事になる」
「そ、そんな……」
咲の顔が青くなった。敵の大将に居場所がバレているかも知れないなどと聞いたら、不安も大きいだろう。しかし、事は急を要する可能性もある。ここは風間に接触するべきだろうか。
「咲はどう思う? 風間に連絡してみるか否か……」
「私なら何が何だかわからない不気味さよりは、一歩進む方を選ぶかな……」
「そう言えば、最初もその前向きさで俺の後を付けたんだったな」
「そう……でしたね」
「だが、だからこそこうして今がある」
優の言葉に咲は頷いていた。この大学に初めて怪物が現れた事件において、彼女の尾行があったからこそ、今二人は一緒にいる。人生の巡り合わせとは、実に奇妙なものだ。
「一歩進む方を選ぶか……。まあ、お前にとって、今の状況は不本意な結果かも知れないが」
「不本意なんかじゃ……ないですよ!」
「えっ」
咲の強い口調に驚かされた。彼女は少し怒ったような表情をしていた。
「何でそんな風に言うんですか。私、先輩とご一緒させてもらっている事、後悔なんてしてませんし、イヤだと思った事もありません」
「咲……」
「先輩は私といるのがイヤなんですか?」
「そんな事……思ってる訳がないだろう。ただ、やっぱり巻き込んでしまったという負い目はある」
「負い目なんて感じる必要ありませんよ。私は望んで先輩といるんです」
咲は真剣な顔で言う。そんな風に思ってくれているのは嬉しい。以前から感じている事だが、優は真剣に人と付き合って来た時間が少ないせいか、他人の気持ちを素直に理解出来ないのだった。咲が何度か自分を思ってくれるような発言をしているのに、それを信じ切れていなかった。
いや、咲が大事だからこそ、巻き込みたくないのだ。その言葉が通じないのがもどかしい。彼女に無理をして欲しくないし、危険な目に遭わせたくない、それが優の本心なのだ。
でも、今、そんな事を言い争う必要はない。だから優は「ありがとう」とお礼を口にした。咲は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐににやけ面で優の顔を眺め回してくる。
「何だよ。そんなにじろじろと見るなよ」
「えへへ。何がありがとうなんですか。ちゃんと言ってくれないと伝わりませんよ」
「本当に意地悪いな。言葉にしなくても伝わる事だってあるだろう」
「でも、言葉にしてもらいたい事だってありますよ」
また、ニコニコしている彼女のペースに巻き込まれそうなので、優は机を軽く叩き、話をまとめに掛かった。
「とにかくだ。俺は咲を危険な目に遭わせたくない。だから、風間に連絡するのは明日にしよう。万が一、ウォーグの手の者だったら、今の俺の状態では厳しい」
「それもそうですね。先輩まだ本調子じゃないみたいですし、今日は早めに上がって家でのんびりしましょう」
咲も賛同してくれて、まずはスーツとマスクを補修して戦える状態にした。やられた個所もそれ程大きな損傷ではなく、とりあえず昨日戦う前と同じ状態には戻せた。そして、お互い課題や用務だけ片付けて、夕方になる前には研究室を後にした。
昨夜と同じく、帰りは咲に運転してもらった。夏が間近に迫っており、空は未だに青く、夕方という感じがしない。「明るい時間なら私がしますよ」と、彼女が運転を買って出てくれたのだった。スーパーで食材の買い物を済ませてもまだ時刻は16時半、珍しく明るい時間での帰宅だった。
だが、邸内に入り、異変に気付いた。
ストックがなくなり更新が遅れました(^_^;)