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第1話『疑惑』②

 白いパーカーが朝からの姿と同じだった為、咲は認識出来た。迫川は何をしているのか。横たわっている男を覗き込み何かを確認しているようだが、暗くてはっきりとは見えない。やがて、彼は周囲を見回した後、その場を離れた。咲の方ではなく、さらに木々の深い中へ進んで行ってしまった。


 咲は横たわる人間に近付くかどうか迷った。薄気味悪さもあるし、迫川が戻って来て見つかったらどうなるかという恐怖もあった。しかし、最初の動機と同様、何が起こっているのかを知らぬまま帰るのも嫌だった。自分も研究者の端くれだ、ここまで来たら、何が起こっているのか、自分の目で確かめたかった。


 咲は木の間を縫って、倒れている人物に近寄った。遠目には真っ暗くてよく見えなかったが、近付いてみて、若い男が驚いたような顔で目を見開き、首から相当な流血をしているのがわかった。


 咲は思わず悲鳴を揚げそうになったが、そのままにしておく訳にもいかず、よく覗き込んでみた。息はなく、既に絶命しているようだった。咲の目の前にあるものは死体だった。何とか声は揚げなかったものの、咲は思わずその場に尻餅を突いた。ショックで呼吸がまともに出来なかった。


 しばらくするとようやく呼吸も落ち着いて来て、咲はスマホで警察へ連絡した。自分でも早口で何を言っているのか頭が追い付かない感じだったが、「N工業大学のキャンパス内で人が死んでいて……」という要旨は通じたようで、「すぐに向かいます」という返事があった。


 暗闇で到着を待っている時間は異様に長く感じた。迫川はここで何をしていたのか。彼が犯行に及び、逃げて行ったのか。そんな事を考えると、研究室で日々一緒にいた事すら恐ろしく感じられる。なかなか来ない警察の代わりに迫川が戻って来たらどうしようかと、不安が募る。


 赤いランプが見えて、咲はようやく少し安堵した。制服を着た警察官が三人寄って来て、一人が恐怖におののく咲を支えてくれた。残りの二人は死体を検分し始めた。その間に支えてくれている警官が質問してきた。


 何があったのか、何をしていたのか、知っている者か、何か気付いた事はないか、そのような事を尋ねられたが、口が上手く開かなかった。何度も「落ち着いて」と言われたが、そう簡単に落ち着けない。ひとまず危険という意味での恐怖は去ったが、警官に尋問されているという恐怖は続き、しばらくは明確に状況を説明出来なかった。ただ、時間が時間なので、野次馬が集まってくるような事もなかった。


 そして、そんな状態で、迫川を目撃した事を口には出来なかった。何となく言ってはいけないようにも思われたし、自分でも頭が混乱していて、彼を見た話を上手く説明出来る気がしなかった。


 やがて死体は運ばれて行き、咲は最寄りの警察署で質問を受けた。一室に通され、水をもらってやっと少し落ち着いて喋れるようになった。それで、帰り道に悲鳴が聞こえて様子を見に行ったら死体があった事、死体が誰かはわからない事、死体を見付けたら恐ろしさで身体が固まってしまった事、などを伝えた。


 被害者の所持品に学生証等があったようで、「牧良助」という名前も聞かされたが違う学科の学生で、面識はなかった。警察は咲の証言を疑っている素振りはなく、しばらく話したところで解放してくれた。全て終わると、咲は警察に送ってもらい帰宅した。もう日が変わりそうな時間になっていた。


「何かあれば、また話を聞かせて下さい」

 送ってくれた若い警官はそう言って、去って行った。当然だが、携帯の番号と住所は伝えてきたし、また連絡が来そうな予感はある。面倒な事に巻き込まれてしまった。


 面倒な事と言えば、迫川の件をどうするか。警察に話す事は出来なかったが、自分の胸に留めておくべきなのか、いずれ警察に説明するべきなのか……。咲は隠れながら様子を窺っていた為、何をしていたのかはっきり見えた訳ではなく、願わくば彼が無実であって欲しかった。

 

 ただ、無実だったとしても、彼が死体を放置して行ったのは間違いなく、何らか関与していると考える方が妥当であるようにも思えた。となると、彼に対してどのように行動すべきか。まさか、忍び見ていた事がバレている筈はないが、自分の胸の内に仕舞っておくのも苦しい。迫川を怪しいと疑いながら、それをずっと口にも出さずに黙っている事は出来そうになかった。


 よく眠れないまま、翌朝を迎えた。自分が第一発見者だという事は公になっていないようだが、キャンパス内で第二の殺人事件が起きた事は、ニュースや大学のホームページ、メール連絡が来ていて、大きく広められていた。「状況に応じて登校を控えるように」との文面も見られたが、行かないで家にいても悶々としそうだったし、授業や研究も忙しいので、欠席する気はなかった。どちらかと言えば一人で家にいる方が色々と考えてしまって怖かった。

 

 両親からもまた電話が来た。しかし、自分が第一発見者だなどと言ったら心配して連れ戻されかねない。「大丈夫よ、私と別の学科の学生だから」と明るく振る舞い、両親の心配を封殺した。咲は通話を終えると、家を出て大学へ向かった。外は今日も薄曇りで蒸し暑かった。


 キャンパスはものものしい雰囲気だった。警官が何名も出入りし、学生達が質問を受けていた。咲も門から入った直後に掴まったが、第一発見者であり、昨日質問には答えた旨伝えると、すぐに通してもらえた。


 今日も一限から講義で、大教室に学生が集まっていた。ただし、殺人事件の影響か、通常よりは少ないようにも感じた。教授も何事もなかったような様子で授業を行い、学生達も普段と変わらぬ様子で受講していた。その片隅に渦中の人物である迫川がいた。今日も授業補助をしており、教授の解説するスライドを映したり、器具の準備を手伝ったりしていた。


 咲は授業もそっちのけで迫川の動きを凝視していた。昨日の今日で怪しい動きがないか、確認したかったのだ。しかし、迫川はいつもと変わらない様子で教授の手伝いをしていて、何ら怯えたり挙動不審になったりする様子は見られなかった。


 逆にじっと見ている事を気付かれ、睨まれたのは焦った。咲は慌てて目を逸らし、テキストを見る振りをした。怖くなってしばらく前の方を見られなかった。テキストに目を落としてはいるものの、当然全く頭に入って来ない。先程睨んで来た鋭い目が脳裏に焼き付いて離れなかった。結局、俯いたまま授業は終わった。


 余計な事をしてしまったと思った。かえって迫川の気を引く結果になってしまい、咲は後悔した。そそくさと教室を後にしたが、後ろから「ちょっと」と声が掛かった。声を聞いて咲は心臓が止まるかと思った。呼び止めてきたのは迫川だった。


「せ、先輩。何ですか?」

 振り返って迫川の顔を見て、咲は恐怖を覚えた。その目は先程同様、厳しいものになっていた。


「桜花、昨日の事件、第一発見者だったそうだな」

「どうしてそれを?」

 咲は予期せぬ問い掛けに驚かされた。しかし、迫川はそれには答えず、

「何か気付いた事はなかったか? 亡くなった牧君とは知り合いか?」

 と警察と同じような事を聞いて来た。それも険しい顔付きでだ。咲は口籠った。この迫力を前にして、「貴方を見ました」なんてとても言えなかった。

「な、何も……。被害者の方も知りません」

「そうか。ならいいんだが、気を付けろよ」

「えっ」

 迫川の言葉の意味がよくわからず、咲は首を傾げた。

「お前が第一発見者だって事はちょっと調べれば俺でさえわかるんだ。その繋がりで今度は狙われないとも限らんからな」

「そ、そんな……」

 咲はとんでもない事を言われてその場にへたり込みそうになった。ひょっとして、犯人である迫川が、暗に脅して来ているように思えなくもない。

「まあ、気を付けるんだな」

 迫川はもう一度言うと、そのまま背を向けて先程の教室へ戻って行った。咲はぽかんとしてそれを見送った。


 何だか変な感じだ。咲は迫川が怪しいと思っているのに、その当人が咲を第一発見者だと把握しており、逆に情報収集しようという雰囲気であった。確かに迫川が犯人であれば、咲が何処まで知っているのかを知りたくなって、聞いてくるのもおかしくはないが、それにしても少し大胆過ぎやしないか。ゼミに所属する小娘だと思ってナメられているのだろうか。咲はどう考えたら良いのか訳がわからなくなってきた。


 頭が混乱したまま、昼食を経て、午後の講義を終えたが、全く身が入っていなかった。昨日の事件の事、迫川の事が気になって、頭の中はそれだけが渦巻いていた。この日、ゼミはなかったが、課題である義足の開発が進んでいない為、咲は夕方、研究室へ向かった。


「お疲れ様です」

 挨拶をしながら研究室に入ると、何名かの学生がパソコンに向かったり、機械操作を行ったりしていた。中には迫川もいて、相変わらずスーツの研究に従事していた。彼は咲を一瞥したが、すぐに何事もなかったかのように視線をスーツに戻していた。


 咲は早速仲間と義足開発に取り組んだが、やはり頭は何処か違うところへ行っていた。ちらちらと迫川を盗み見るが、全く変わった様子はない。昨夜は何か見間違えたのかと自分を疑いたくなるが、そんな筈はない、確かに迫川だった。迫川自身が何らやましい事がないのか、それとも強靭な精神力で罪悪感など微塵も生じていないのか、咲にはそのどちらかではないかと思われた。そんな調子で、手作業とは裏腹に、頭は別の事を考えている状態で時間が過ぎて行った。


「お疲れさん」

 迫川は19時頃去って行った。咲はその様子を見て、仲間の二人に

「ちょっとゴメン。今日は私、ここで帰っていいかな?」

 と頭を下げて後を頼み、研究室から駆け出した。スッキリしない迫川への疑念を解決する為、彼の後を付けようと考えたのだった。


 昼間、薄曇っていた為か、外はもう暗かった。お陰で相手に気付かれずに容易に尾行出来た。さらに帰りの学生がちらほらと歩いていた為、良いカモフラージュになっていた。迫川は振り向く素振りもなく、前へ進んで行く。少し足早で、咲は小走りして付いていく。


 しばらく行くと、彼は昨日の現場の方へ足を向けた。そこに何かあるのではないかという疑念が湧いて来て、咲の緊張感が高まってくる。さすがに事件現場に近付く学生は皆無だった。警察も校門周辺にはいるようだが、この辺りからは姿を消していた。迫川は捜査で立ち入り禁止になっている区画に入り込み、木々の中で周辺を見回していた。


 やっぱり怪しい……咲はそう感じ、迫川が何をしているのかじっと観察した。彼はスマホの明かりで地面を照らし、何かを探しているようだった。さすがに警戒しているようで、周りを見ながら下も見る、そんな感じだった。


 その時、ちょうど迫川と咲の間くらいに何かが上空から落ちてきた。猛烈な勢いで落下してきた為、木々を割き、同時に発生した凄まじい地響きは暗い中にもはっきり見える程の土煙を巻き起こした。


「きゃあっ」

 咲は思わず叫びを揚げた。落ちてきた者は人間ではなかった。全身が黒く輝き、開いた口から二本の白く光る牙を剥き出しにした、見た事もない怪物だった。その目は赤く輝き、間違いなく咲を視界に捉えていた。


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