第4話『忌まわしき過去』②
「あなた! 優! 早く来なさいよ」
真夏の生温い風が吹く山中、いわゆる山ガールのような格好をした母が坂の上から呼んでいる。まだ40歳手前の彼女は、青空をバックにして爽やかな印象を受ける。
「好美、まだ半分も来てないんだからな。そんなに最初から張り切ると後でバテるぞ」
下から父が苦笑しながら母に呼び掛ける。三人の中で一番重い荷物を背負っているが、平然と足を進めており、日頃の鍛錬が窺われる。父は細身だが、鍛えた肉体は全身筋肉で覆われていて、服を脱げば軽量級のボクサーのような身体をしていた。
高校一年生の迫川優は両親と共に、N市内中心部から少し外れたK山へ山登りに来ていた。K山は頂上から市内を見下ろせる絶景ポイントを持つのだが、急な勾配が複数ある為、登山客は少ない。迫川一家も、相応の準備をした上での行動であった。
高一にもなって親と一緒に山へ登るなど、若干の恥ずかしさはあったが、そもそも両親の事は嫌いではない。むしろ子供の頃から二人を好きな気持ちは変わらずここまで育ってきた。母の優しさには高校生になっても甘えたくなるし、大学教授である父も武道を始め、色々な事を教えてくれて憧れを持ち続けていた。今回も父の宇宙研究における発見の一つを見せて貰えると聞き、興味津々で付いて来たのだった。
父の発見、それは「宇宙人との交信が成功した」というものだった。話を聞いた時、優は母と一緒に「研究のし過ぎでついに狂ったか」と呆れた顔をしたが、50代前半の父は真顔で真実であると訴え掛けてきた。
優も母も最初は信じなかった。しかし、父が交信器及び宇宙の地点を表す機械を見せてくれ、共に地球人とは思われない言語を聞き、ある程度信じる気持ちが芽生えてきた。父の宇宙研究は世界的な学会でも評価されるくらい優れていたし、こんな嘘を家族に吐くような人ではなかったからだ。
父は複雑な造りの自作した通信機器を使い、相手の発する音声を解読し、我々の言葉に置き換える事を可能にした。この辺は理系一辺倒だけではない、父の優秀さならではの所業だろう。
「ホ……シ……ノ……ナ……ハ……。星の……名は……か?」
こんな風に音声を一語ずつ地球の言語に置き換えて行き、ついには相手とやり取りする事に成功したのだった。そして、相手の音声で単語を構成し、片言ながら会話を成立させるに至った。
「チキュウ……我らの星の名は地球」
優も家で父がこのような交信をするのを見た。それに対して相手がまた機械を介してモゴモゴと音声を発してくる。
「優、凄いぞ! この相手はおよそ20万光年離れたミョルドという星の出身だと言っている」
父の興奮は凄まじい程だった。その本気度には優も圧倒された。確かに発信器からは聞き慣れない音声が流れてきているし、父が嘘を吐いているとも思えなかった。父の机の上には、アルファベットと日本語、数式を組み合わせたような書き込みがびっしりと入った紙が何枚も置かれていた。おそらく相手の言語を解読する為に苦心したのだろう。
こうした父の努力と才能を傍で見ているからこそ、突拍子もない話を信じる気持ちになれるのだった。父はさらに相手とのやり取りで得たこんな話を聞かせてきた。
「ミョルドという星は、昼は60℃の灼熱、夜はマイナス30℃の凍てつくような寒さになるんだってさ。彼ら自身、ある程度それに耐え得る肉体構造をしているらしい」
「我々より文明が遥かに発達していて、極端な気温の変化にも耐えられるような住居もあれば、高速の宇宙船で他の宇宙へも飛び回る事も出来るらしい」
「近隣の星と交易を行ったり、戦争したり、なかなか騒がしい環境のようだな。我々の話をしたら、他の星との戦いがない事に驚いていた。もっとも地球人だって、星の中で一部の国は争いを起こしてはいるが……」
「ミョルド人は我々のような肌の色ではないようだ。黒や緑、青とか、そんな色らしい。血液も赤くはないと」
まるでSF小説やアニメのような話だが、本当だとしたら世紀の大発見かも知れない。父は少年のように目を輝かせながら話してくれた。研究者という人種は、特定の分野では秀でているのだろうが、案外こういうものなのかも知れない。
さらに父はミョルド人と交信を続けていたが、やがて相手と友好を深めて行ったようで、ついには対面する事となったのだ。優も母も「本気で言ってるの?」と何度も尋ねたが、父が真顔で訴えるので、それを信じるほかなかった。
そして、嘘のような話だが、このK山の山頂で彼らと初対面するという運びになり、家族三人で登山がてら来たといった次第である。優は最初、
「何故、俺達まで行くんだよ。父さん、一人で行けばいいじゃないか」
と訴えたが、父は
「家族というものを見たいと言うんだ。どうもそういう概念自体、ミョルド人は持っていないようでな」
と言う。要は地球人のモデルを見せるつもりらしい。何の変哲もない自分なんかが地球人代表みたいな扱いをされるのも本意ではなかったが、父のたっての頼みなので渋々承諾した次第だ。
「私とやり取りしている相手はウォーグという名前だ。会った時の為にお前達も覚えておいてくれ」
「ウォーグ? 変な名前だな」
そんな軽口が叩けたのはその時だけだった。まさかその名に忌々しい記憶を植え付けられる事になろうとは、夢にも思っていなかった。
「父さん、ウォーグさんってどんな人なの?」
優はK山の急勾配を登りながら尋ねる。
「私も姿形はわからん。ただ、交信している限りでは、誠実な感じだな。我々の星に興味があるようだ」
「ふうん。地球に来てどうするんだろう。観光でもして行くつもりかな」
「さあ……な」
きつい傾斜を登っているせいか、父の顔は険しかった。