第六話 エリスアート家
──十二貴族。
それはこの国、ロイエブールにおける最も誉れ高い貴族の総称なのだという。名前の通り十二の貴族が存在し、それぞれの家は王都を囲む様にぐるりと配置されているらしい。これはかつて小国だった頃、外敵から国を守る為にその様な配置になったと言われている。故にどの家も戦に長けており、他の貴族よりも王家からの信頼が厚いことから、この国に住む人々からは尊敬と畏怖の念を抱かれている。
ご主人様の家はそんな十二貴族の一つである。
ご主人様に手を引かれるままにエリスアート家の扉をくぐった僕が目にしたのは、まるで舞踏会の会場を思わせる様な広いエントランスだった。床は落ち着いた上品な赤。壁は外壁と同じ様に白く、扉や手すりなどは濃い茶色で統一されていた。目の前には二階へと続く幅の広い階段が二つ伸びていて、その上には大きなシャンデリアが飾られていた。家の外観から想像はできていた事だが、それでも実際目にするとその美しさに目を奪われる。
「ヒイロ、案内するね」
「申し訳ございませんお嬢様。旦那様がお呼びです」
家の中を案内しようとするご主人様をエクリムが呼び止める。
「お父さんが?」
「はい、お嬢様の使い魔を是非見せてほしいと」
「そっか。報告、報告かぁ……お父さんは執務室?」
「左様でございます」
「ううぅ、なんて説明しよう。ヒイロ、ごめんね? ちょっとだけ付き合ってくれる?」
こくり、と会釈だけする。
「それでは入口までご案内いたします」
執事さんに導かれ、執務室へと向かう。
──父親への挨拶。
その言葉は僕の肩に重くのしかかっていた。別に恋人と言うわけでもなければ、結婚の報告に行くわけでもない。それでも人生初めての体験に体が震えていた。しかも僕は唯の使い魔ではない。人間、しかもご主人様と同年代の男である。そんな男が父親に挨拶をする。結果は火を見るよりも明らかだろう。
「旦那様、お嬢様が到着いたしました」
執事さんの声である。
──もう、着いてしまった。
目の前には茶色い扉。この奥にご主人様の父親がいるのだろう。ごくりと喉が鳴る。
「入りなさい」
扉の奥から男の声が聞こえた。威厳に満ちたその声に緊張は増すばかりである。
「失礼致します」
執事さんが扉を開け、ご主人様とともに中に入る。
中の作りは学園長室と似通っていた。真ん中には木のテーブルとそれに沿う様にして並べられた白いソファ、その後ろには木の棚があり、本と書類で埋まっている。そして一番奥には執務用の机と一人の男。
癖のある深紅の髪と鋭く尖った黄金の様な瞳をした男だ。髭を携えた口は真一文字に結ばれており、気難しい雰囲気を醸し出している。黒で統一されたスーツはがっしりとした体型にピタリとハマり、見ただけで強者だと分かる。
そんな男はご主人様に目をやると、先ほどまでの表情を崩し、笑顔を浮かべて出迎えた。
「おかえりなさいオペラ」
見た目からは想像できない優しい声である。先程の威厳に満ちた声はどこにいったのだろうか? もしかしたら緊張感によって聞こえた幻聴なのかもしれない。
「ただいまお父さん」
「もしかしてだが、そちらの彼がオペラの使い魔君かな?」
「そう、私の使い魔の、ヒイロ……だよ」
「よ、よろしくお願いします!」
ご主人様に促された僕は勢いよく頭を下げた。
「……仲睦まじいんだね」
頭をゆっくりとあげると、さっきまで綻んでいた顔が険しいものへと戻っていた。疑問に思った僕は男の視線を辿る。その目線は二人のちょうど間、繋がれた手へと集約されていた。
──しまったぁああああぁあああっっ!!!!
緊張感していたこともあり気が付いていなかった。家に帰った可愛い娘が知らない男と手を繋いでいる。それはどう見ても宣戦布告。ただでさえややこしい状況である。そんなところにこれでは燻っていた火にガソリンを撒く様な行為でしかない。
急いで手を離し、ゆっくり横を向く。
ご主人様と視線が合った。その頬はほんのりと赤く、『バレちゃったね』とでも言わんばかりの顔をしながらはにかんでいる。更なる燃料投下である。こんな状況でなければ僕だって喜んださ。だってかわいい女の子と手をつないじゃっているんだぜ? でも今は、今この瞬間に関してだけはそれじゃあいかんのですよ。
ちらりとご主人様の父親に目を見やる。──そこには鬼の形相をした……いや、紛う事なき鬼がいた。
──ごめんなさい、父さん、母さん。全然親孝行してあげられなかったけど、僕はここまでの様です。
「……まぁいい。ヒイロ君、だったね。バルバフから話は聞いているよ。私はカーマイン。カーマイン・エリスアートだ。よろしく」
「はっはい! よろしくお願いします!」
「それにしても大変だったそうだね。なんでも異世界から召喚されてしまったとか。娘が迷惑をかけてしまい申し訳ない」
「い、いえそんな……」
先程までの態度との違いに困惑する。しかし恐らく、これが本来の姿なのだろう。
──なんだか、学園長に似てるな。
そんな風に考える。
「娘は少し抜けているところがあってね。まぁそんなところも愛らしいのだけど……」
「ちょ、ちょっとお父さん! ヒイロに何言ってるの!?」
「ははは、ごめんごめん」
「もぉ……」
仲睦まじい親子の会話。学校でのご主人様と違い、自然な表情をする姿に陽色は顔を綻ばせる。
そうして二人が暫く他愛のない会話をした後、カーマインさんはこほんと咳払いをし、こちらに目を向ける。
「さて、本題に入ろうか。着いて早々執務室に来てもらったのには理由があってね。──ヒイロ君、悪いけど少し二人で話ができないだろうか?」
「はい」
カーマインさんの真剣な表情を目にしたら、自然と言葉が口から出ていた。
「じゃ、じゃあ私も……」
「ごめんね。オペラは先に戻っていてくれるかな? これは男同士の話し合いなんだ」
ご主人様は暫くカーマインさんと僕の間で目を行き来させた後、諦めた様に項垂れる。
「ううっ、お父さん、ヒイロを虐めちゃダメだよ?」
「大丈夫だよ。エクリム、すまないが君も席を外してくれないかな?」
「かしこまりました。ではお嬢様」
執事さんに手で案内され、ご主人様は扉の外へと向かう。そして最後に一度振り返り、自らの父親を睨みつける。
「いい? ヒイロを虐めたら本当に本当に怒るからね!」
「ははは、信用ないなぁ。安心してくれていいよ。そう言う話ではないからね」
扉が閉まり、しばしの間、静寂が場を支配する。
「さてと、ヒイロ君。そこに座ってくれるかな?」
「はい」
カーマインさんに手でソファへと案内され、それに従いソファへと腰を掛ける。座ったのを確認したカーマインさんは反対側のソファへと移動し、自らも腰を落ち着けた。
「君に残ってもらったのは他でもない。私の娘、オペラについて、話しておきたいことがあってね」
「僕も、それを聞きたいと思っていました」
「ははは、そうか。少し長くなるけど良いかな?」
「お願いします」
「それじゃあ、まずは……どこから話そうかな」
カーマインさんはソファに深くもたれかかり、天井を見上げながら頭の中を整理していく。
「そうだねぇ、まずは前提となる話から始めようか」
視線を元に戻し、こちら方へと向ける。
「──オペラはね。特別な才能を持って生まれてきた子どもだったんだよ。……ただそれは、側から見るととても羨ましく映るものではあっても、本人にとってはそうでもない。そんな代物だったんだ」
「才能を妬まれた、と言う事ですか?」
「いいや、違うよ。もしかしたらそれもあったかも知れないけど、今話したい内容としては違うね。ヒイロ君は、魔力についてどれくらい知っているかな?」
僕は腕を組み、学園長に言われた事を思い出す。
「そうですね。まだ召喚されたばかりであまり知りませんが、魔術を使う際に必要な力だと言う事と、この国の人は大体百程度の魔力を持っているという事くらいですかね。あぁそれと、学園の生徒が優秀で、一年生でも五百から一千の魔力を持っているって話も聞きました」
「それだけ分かれば十分……と言いたいところだけど。少しだけ情報を追加しようかな。ちょっと話が脱線するけど良いかな?」
「はい」
「参考程度に聞いてほしいんだけど、この国で宮廷魔術師になる場合、必要な魔力量は千五百以上だと言われている。これは学園の優秀な三年生が卒業時に大体それくらいの数値になるって言うのが理由らしいね」
「結構上がるんですね」
「学生の頃が一番伸びるって言うのもあるんだけど、ある一定以上の魔力があると、その分伸びる幅も大きくなるらしいよ。魔力の親和性とかが関係しているらしいんだけど、まぁ取り敢えずそれは置いておこう。で、次に賢者と呼ばれる存在についてだけど、この世界には『二千五百の壁』と呼ばれるものがあってね、それを超える魔力量を獲得した人間の事をそう呼ぶんだ。というわけでここで本題」
「まさか……」
「ははは、ここまで言えば流石に察するか……」
──オペラの魔力量はね。生まれた時点で三千もあったんだ。