臆病な姉飛竜
「さぁ、飛べビグ!」
「キャ、キャウゥー!」
ノルンがブーツの拍車でうろこの隙間を刺激すると、ビグは悲鳴のような咆哮をあげて、大空へ舞い上がる。
「ガァー! ガガァー……(じゃあ行くよ、ラング……)」
「ギャァー! ギャギャー!(こら、人間! お姉ちゃんをいじめるなぁー!)」
オッゴの合図を待たずに、ラングは飛び立ってゆく。
「ガァァァァ!(お転婆め!)」
オッゴは少し苛立たしげに、ラングの後に続くのだった。
ビグはぐんぐん上昇し、あっという間に飛行高度に達した。
やっていることだけをみれば、合格点。しかし、
(この急上昇は誉められたものではないぞ。こんなのを続けていれば翼があっという間にだめになってしまうじゃないか)
「キャウッ!」
突然、ビグが短い悲鳴を上げた。
緊張しているのか身体が強張っている。
(飛ぶのが怖い? いやそれ以外に何か原因が……)
実はビグが、ノルンに対してビビっているなど気づきもしなかった。
それにしても……
(遅い……遅すぎるっ! さっきの急上昇の元気はどこへ行ったんだ!?)
のろーり、そろーり。
そう表現するのが相応しいほど、ビグの飛行は鈍足だった。
これでは輸送用で使い物にならない。
「キャウワワっ!」
「ぐおっ!?」
少し風が吹いただけでビグは慌てて、バランスを崩す始末。
「ギャアァァァ――!!(お姉ちゃんっ!! このぉ、人間めぇー!)」
そんなビグの脇へ、ものすごいスピードでラングが現れた。
首の上に乗るノルンへ激しい咆哮を浴びせかける。
今にも食い殺されそうな勢いに、流石のノルンも怯んでしまう。
「ガガガーっ!(なにやってるんだお前! 勇者様に失礼じゃないか!)」
するとオッゴが割って入り、怒りに満ちた咆哮を上げる。
まだまだ若いラングはオッゴを忌々しそうに睨みつつも離れてゆく。
「ありがとうオッゴ。申し訳ないがもう少しラングの相手を頼む!」
オッゴは力強い鼻息を上げると、ラングを追って高度を落とす。
そして再び、びくびく震えて続けているビグへ意識を戻した。
どうやらこのビグという雌飛龍は極端に臆病な性格らしい。
しかし離陸の時は、怪我を心配してしまうほどの急上昇をしてみせている。
他の飛龍に比べて、飛行能力が劣っているとは考えられない。
(ならば、やるべきことは一つ!)
ノルンは雑嚢を探りはじめた。
そして長くて、硬くて、立派な……こんなこともあろうかとグスタフに作らせた、飛龍用の鞭を手にとる。
ちなみに素材は海の主と有名な、ダイダラナマズの髭。勇者時代に獲得したノルン秘蔵の素材である。
「キャ、キャキャキャ!!(そ、それで私に何をっ!? いやっ! だめっ!)」
「ふふっ、悪いなビグ……しかし、これはヨーツンヘイムの、いや、君の未来のためなのだっ!」
ノルンは鞭を振りかぶりった。
そして特に敏感に感じるという首の付け根へピシャリ! と鞭を叩き落とす。
「キャ、キャウゥゥゥーー!!(い、痛ぁーーーーい!!)」
「おおっ!?」
ビグは目にじんわり涙を浮かべつつ、甲高い悲鳴を上げた。
同時に翼を大きく打ち付ける。
さっきまでの、のろりそろりはなんだったのか、と思うほどの速度を出している。
「良いぞ、ビグ! その調子だっ! 速度を緩めるなっ!」
「キャウウッ!!」
拍車で敏感な首の鱗の間を刺激して速度を維持させる。
しかしまだまだノルンの狙う速度には達していない。
「もっとだ! お前ならできるっ!」
「キャウッ!」
もう一度、鞭でピシャリ!
ビグは吠え、更に速度を上昇させる。
そんなノルンを睨みながら、妹のラングがものすごいスピードをで追跡してきている。
「ギャアァァァ! ギャァァァ!(お姉ちゃんっ! 喰ってやる、人間っ!)」
と、怒り心頭なラングの前へ、オッゴが割って入った。
スタン機能を持つ咆哮を上げて、ラングを怯ませる。
「ガアァァ! ガガガァァァ!(勇者様はビグのために一生懸命やってくださってるんだ! 勝手なことをやめろ!)」
「ギャァ! ギャアァ!!(うるさいどっか行け! オヤジっ!)」
「ガッ……ガガガアーッ!(なっ……確かに父親にはなったけど、俺はまだそんな歳じゃないっ!)」
飛龍同士の不毛な口喧嘩が、空中で始まった。
そんなオッゴとラングの傍では、ノルンは相変わらず、鞭を片手にビグを乗り回している。
「キャウッ! キャウッ!」
「なかなかの速度だ! さぁ、ビグ、最後の仕上げと行くぞぉっ!」
「キャッ、ハァンっ!!」
ノルンは拍車をグッと押し込んだ。
ビグは速度を維持したまま、まっすぐと飛行を続ける。
目下には大小様々な石柱が乱立する荒野が広がっている。
そこへビグを進ませる。
「キャキャウ! キャウキャウ!(あ、危ないよ、こんなとこ!)」
「危なくなんてない! 恐るな! そらぁっ!」
手綱を引き締め、ビグへ指示を送った。
ビグは速度を維持したまま、旋回し、石柱の側をすり抜けてみせる。
「キャ、キャウ!?(う、うそーっ!? 今の私がやったのぉ!?)」
「どんどん行くぞぉ!」
「キャァー!(ひぃーっ!!)」
ビグは情けない悲鳴を上げつつも、華麗に石柱の間を縫って飛ぶ。
どんなに石柱に接近しようとも、突然障害物が目の前を塞ごうとも。
ビグは忠実にノルンの指示に従って、鮮やかな飛行をしてみせる。
やはりノルンの見立てに間違いはなかった。
ビグは臆病な性格が災いして、真の実力を出せていなかっただけなのだと!
実はボルやオッゴさえも凌駕する、類稀なる飛行センスを備えていたのだと!
そして彼女の飛行能力は、飛竜への変身能力を持つ三姫士の1人【竜人闘士:デルタ】の飛竜形態にも匹敵すると!!!
「さぁ、仕上げだ!」
ノルンは鞭を翳し、ビグの背中を叩いた。
「キャ……キャウウ〜ッン!!(あっ……イイ〜っ!)」
「い、良い……? うおっ!?」
ビグは大きく翼で空を打って上昇し、荒地から再び大空へ舞い上がる。
まだまだ急上昇の時は力みすぎていて、翼を痛めかねない。
これは癖らしいので、おいおいきちんと調教しようと考えるノルンなのだった。
「キャハァ……キャハァ……」
飛行高度へ戻ったビグは、息も絶え絶えな様子だった。
張り切りすぎて疲れてしまったのだろう。
「キャウッ!?」
「よく頑張った。偉いぞ。ビグ」
ノルンはそう語りかけながら、首の鱗を優しく撫でる。
するとビグはグルグルと、心地良さそうな唸り声を上げ始めた。
「お前はきっと素晴らしい飛龍になる。俺が保証する。だからこれからも、早く飛ぶことを恐れず、伸び伸びと翼を広げるんだ。わかったな?」
「キャウンっ!」
ビグの自信ありげな声を出す。
どうやらビグはもう大丈夫らしい。
その様子が、初めてデルタを乗りこなし、彼女と心が繋がった瞬間を思い出させる。
(デルタは今でも大陸の空を守ってくれているのだろう。ありがとうデルタ。君のおかげで、俺と飛竜達はヨーツンヘイムのために空を飛べているぞ……)
そんな感慨に耽っていると、ビグがチラチラとこちらをみていることに気がついた。
「どうした?」
「キャウ……ハァ……キャウ……ハァ……!」
「これか?」
ノルンが鞭を掲げて見せると、ビグはビクンと身体を震わせる。
そして更にはぁはぁと、荒い息遣いをしてみせる。
鞭に怯えているのだろうか?
「いつまでもこんなものを持っていてすまなかったな」
ノルンが鞭をしまうと、何故かビグは深い息を吐く。
安心とはやや違う息遣いに、首を傾げてしまう。
「ギャアァァァっ!(退け、オヤジっ!)」
「ガァァァー!!」
後ろへ視線を寄せてみると、ラングがオッゴを跳ね飛ばし、物凄いスピードで接近してきてる。
(やはりラングの方が本命だったか)




