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一方そのころ……とっても気楽な元勇者のノルン様♪


「リゼル! リゼル!」

「は、はぁーい! なんですかぁ!?」


 麗らかな朝陽の中、リゼルが炊事場からパタパタとやって来た。

 

「見ててくれ」

「?」

「ほ、ほら、ゴッ君……!」


 ノルンが恐る恐る、ギャングベアの幼体:ゴッ君へ林檎の切れ端を差し出すと、

 

「グゥ!」


 ゴッ君は愛らしい唸りを上げて、林檎へ齧りついた。

 

「あの……え?」

「食べたんだ、ゴッ君が俺の手から、林檎を! 昨日までは駄目だったのだが、今日は遂に!!」

「あ、ああ、なるほど……それはおめでとうございます?」


 リゼルは微妙な笑みを浮かべているが、ノルンは全く気にしない。

 ゴッ君が懐いてくれた。手から林檎を食べてくれた。

 

 強大な邪竜を倒した時よりも胸が大きく高鳴り、興奮が抑えきれないノルンだった。

 

「ゴッ君も朝ご飯にしよーおいでー」

「グゥ―!」

「あー……」


 ゴッ君はノルンのあげた林檎を放り捨て、一目散にリゼルへ駆けだしてゆく。

 そして彼女の足へもふもふした身体をスリスリし始める。

 

(やはり真っ先に懐くのは父親代わりよりも母親代わりか……)


 修業時代、妹弟子のロトも、自分ではなく剣聖リディに心を開いていたと思い出す。 


 こうして元勇者で、今は山林管理人のノルンの穏やかな一日が始まった。


 今日の朝食はハムエッグに、田舎風パン、そしてふんだんに色とりどり野菜が使われたサラダボウル。特に今日のサラダボウルにはたっぷり土の香りを含んだオオナガ人参が使われている。


「そのお野菜、ケイさんや作業場の皆さんに頂いたんですよ。そちらのオニオンドレッシングをかけて……って!?」

「ん?」


 振り返ったリゼルは不思議そうにみつめている。

 ノルンはポリポリ軽快な音を立てながら、人参スティックを、何もかけずに飲み込む。


「あ、あの、ドレッシングいらないんですか……?」

「これだけでも十分に美味いと思うが?」

「は、はぁ……まぁ、ノルン様が良いなら良いのですけど」

「うん……良いぞ、味は濃いし、まるで土のような芳醇な香り……さすがはケイが栽培したオオナガ人参だ! 最高だ!」

「ふふ、ノルン様ってお食事を本当に美味しそうに召し上がりますよね?」


 リゼルは心の底から楽しそうな笑顔をみせた。

 こんな百点満点の笑顔が朝から見られたのだから、今日はきっといい一日なるはず。


「ああ、食事はなんでも美味いさ! だからまずは素材自体の味を十分に楽しみたいんだ。本当に久々の感覚だからな……」

「久々の感覚?」

「勇者の頃は聖剣の加護のおかげで食事が不要だった。加えて、食事をしたとしてもまともな味が感じられなかったんだ」


 別に他人にいう必要のないことだと、ずっと黙ってた事実。

しかし何故か、リゼルには知っていて欲しいと思い、敢えて伝えた。


「そうだったんですか……そうとは知らず、前に宴席を開いたりなんかしてすみません……」


 リゼルは申し訳なさそうにそう言った。宴席とは、彼女が邪竜から助け出され、そのお礼にとかつてノルン達へ向けて開いたゾゴック村での宴席のことだろう。


「気にするな。あの時は皆、君の無事を、そして平穏を手にした日を喜んでいた。そんな皆の楽しげな空気が感じるだけで、満足だった。皆が喜んでいるのが嬉しかった」

「……ノルン様は本当に素晴らしい勇者様だったんですね……それがなんで……」


 この話題になるとリゼルは顔を曇らせてしまう。ありがたいことだが、あまり暗い顔をするリゼルは見たくはない。


「しかしだ、今はこうして食べ物の味を感じることができる。美味しくいただくことができる。だからして、だな……もしよければ、これからも美味いものを出してくれるとありがたい」


 ノルンは胸に緩やかな熱を感じつつ、時折言葉詰まらせながらそう告げた。

 こうなって初めて、自分は本心を押し殺して、過酷な宿命に我慢していたのだと思った。

 だけどもう耐えることも、我慢する必要だってない。

だって今の彼は……黒の勇者バンシィではなく、ヨーツンヘイムの山林管理人のノルンなのだから。


「ありがとうございます。でしたら、たいしたものは作れませんけどこれからも頑張りますね!」


 リゼルは笑っているのがよく似合う。

 彼女の存在があってこそ、今の自分がある。

楽しく、気楽な時間を過ごせるのは、いつも隣でリゼルが笑ってくれているから……そう思えてならないノルンだった。


⚫️⚫️⚫️



「では行ってくる」

「行ってらっしゃい! お仕事頑張ってくださいね」

「グゥ!」


 リゼルとゴッ君の見送りを受けて、ノルンは山小屋を出てゆく。


「あ、ノルン様! お塩が切れそうなので、帰りに買ってきていただけませんか?」

「塩だな。心得た! ゴッ君、君のおやつも何か買ってくるからなっ! 待っていてくれ!」

「だってさ。良かったね、ゴッ君?」

「グゥ!」


 ノルンは強い名残惜しさを覚えつつ、背を向けて歩き出す。

今日は月末の、税徴収の日。

 ノルンは頭へ叩き込んだヨーツンヘイムの地形を参照し、最短ルートを構築して、進んでゆく。


「ボル、もっとこっちだぁ!」

「カァー!」


 通り道にあるガルスの製材所は今日も忙しそうだった。

 ノルンとカフカス商会の目論見は大成功し、ヨーツンヘイムで大量に余っていた薪や、矢の材料にする枝は飛ぶように売れているとのこと。


(忙しそうだから挨拶は帰りにしよう。ボルとオッゴの集中力を切らさないためにも……)


 そう思って立ち去ろうとしたその時、雌の飛龍のボルが首を上げた。


「カァ!?」


 ノルンの匂いを嗅ぎ取ったボルは、咥えた木箱を離してしまう。


「ガァー!」


 木箱が地面へ落ちる直前、雄の飛龍のオッゴが顎で再キャッチ。


「あっぶねぇ……サンキュウ、オッゴ!」

「ガァ!」

「なんだよ、ボルのやつ……って、ははーん、なるほど」


 事なきを得るが、ボルはそんな様子になどまるで気づかず、まっすぐとノルンのところへ駆け寄る。

そして長くてざらついた舌を伸ばし、ノルンをベロベロと舐め始めた。


「カァ! カァ! カァ!」

「こ、こら、ボル! 真面目に仕事をしろ!! 皆怪我をするところだったんだぞ!?」

「カァー! カァー!」

「ガオォォォーン!!」


 その時、ボルの背後に現れたオッゴが、珍しく稲妻のような唸りをあげた。

それを浴びたボルはビクンと鎌首を起こして、ノルンから舌を離す。


「ガァー! ガァー! ガァー!!(いくら勇者様の匂いを感じたからって、仕事を放棄しちゃダメだよ! ガルスさんたちだって怪我するところだったんだぞ!)

「カァー……カァー……クゥ……(ごめんオッゴ君。反省してます……)」

「ガァー、ガァ……(分かれば良いんだよ。それにその……)」

「クゥ?(なぁに?)」

「ガガァー!?(勇者様はカッコよくて当たり前だけど、俺だってカッコいいだろ!?)」

「ククゥー、クゥー(そだね。オッゴ君もかっこいいよ! さっきフォローしてくれたし! ありがと! 大好きっ!)」

「ガァー!ガガァー!(ボルちゃん、俺も大好きだよっ!)」


 そうして二匹の雌雄の飛龍は首を絡め合って、互いに舌を絡め始めた。


「また始まりやがったよ。真っ昼間から、しかも仕事中に……」

「ボル、オッゴ、そういうことは役目を終えた後だ。今は真面目に仕事をしろ」


 相手が飛龍なので強く言えないガルスの代わりに、ノルンが勇者の気配を発して注意を促す。

 ボルとオッゴはビクン! と首を伸ばして、のっそりのっそり作業場へと戻ってゆくのだった。


「た、助かったぜ、ノルン」

「構わん。盛況なようだな」


 ノルンが作業に勤しむ人々を見渡すと、ガルスは満面の笑みを浮かべた。


「お陰様で。こっちがびっくりするくらいさ。しかし、なんだ……これはノルンの功績だろ? 本当に1Gゴールドも分け前なくて良いのかい?」

「俺はただ発案し、カフカス商会へ口を聞いただけだ。原生林の木々が守られ、皆が苦しまずに納税をしてくれればそれで良い」

「なんていうか、前任とはエライ差だよ、全く……」


 この取引が始まって以降、ガルスを始め、営林・製材の各業者とは良好な関係が築けていた。

 前任から引きずっていた溝はすでに解消されていて、目論見通りである。


「それではこれで。頑張ってくれ」

「おい、ノルン!」

「なんだ?」

「今夜、どうよ? これまでの詫びや礼してぇし、みんなもそう言っている」


 ガルスは杯で何かを飲むジェスチャーをしてみせた。


「分かった。では今夜、山小屋で」

「おっし来た! そいじゃよろしく頼むぜ!」

「ああ、待っている」


 ノルンはわずかに胸を震わせながらガルスの製材所を後にする。


 今夜は久々の酒を親しくなれたガルスたちと酌み交わす――楽しみで仕方がなかった。


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