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苦手な方はご注意ください。

悪戯なサイコロゲーム

作者: 真ん中 ふう

「はぁ、夏も終わりかぁ~。」

高校の屋上で、日に日に高くなりつつある空を見上げ、高宮秋は1人呟いた。

別に友達がいないわけではなく、いつも1人になりたい時は、屋上で暇を潰すのが、秋の習慣だった。

だか、そんな習慣も、そろそろ終わりを迎えようとしている。

3年生の秋は、夏の大会で部活を引退。

卒業までの間の暇な時間をもて余していた。

秋は屋上の手すりに腕を乗せ、運動場を見下ろした。

たくさんの部活が始まっている。

その中で、秋が在籍していた陸上部も、活気に満ちていた。

「あいつら、頑張ってんな。」

秋がエースとして活躍した、走り高跳びに自然と目が行く。

ちょうど、次期エースとして期待されている、今年の春に入部したばかりの、天野修司が走り出した。

そして、右足で踏み切り、高く跳び上がり、軽々とバーを越えていった。

「相変わらず、よく跳ぶなぁ」

そんな秋の声が屋上から聞こえるわけもないのに、修司が屋上の方を向いた。

「ん?見えんのかな?」

秋は修司に軽く手を振ってみた。

しかし、修司はすぐにまた練習に戻った。

「そんなわけないか。」

秋と修司は挨拶以外で話をする事はない。

同じ競技の先輩後輩として、お互いの存在は知っているが、特に話をしたことはなかった。

だからと言って、エース同士、険悪な訳でもなかった。

ただ話す機会がなく、時間が過ぎていったのだ。

秋自身、友達はいるし、男女関係なく自然と話をしたりするので、周りからは親しみやすい存在となっているが、自分から話し掛けたりする程、人懐っこくもなかった。

だが、外見の女の子のような綺麗な顔立ちや、柔らかく茶色の猫っ毛の印象から、女子人気が高い。

しかし、他人にあまり興味がなく、人に振り回されるのも、すきではない方だ。

そして修司は、もともと大人しく、無口な性格だった。

「やっぱりあいつ、でかいな。」

次の自分の番まで並んでいる修司を見て、秋は改めて思った。

同じように並んでいる前後の部員達より、修司の方が頭ひとつ分か2つ分大きかった。

「あれで1年だもんな」

目立つ修司の背中を眺めていると、また修司が振り返り、屋上を見上げた。

どうせ見えていないだろうと、今度は何もせずに見ていると、修司が軽く頭を下げて、また前を向いた。

「見えてんのか?」

(まぁいいや。)

秋は背中を屋上の手すりにもたれさせ、また高い空を見上げた。

「さぁて、どうすっかな~」

部活を引退した秋にとって、長い放課後だった。



変わりやすい10月の空。

今日は朝から曇りだったが、夕方には雨が降りだした。

「まじか。」

学校帰りに友達の家に寄っていた秋は、帰り道に雨に降られて近くの公民館の屋根の下にいた。

雨が降りだす前にと帰ったはずだったが、間に合わず、雨宿りをする結果になっていた。

もう一度友達の家に戻るには距離がある。

少し先に行けば、学校がある。

(確か、部室に置き傘があったな)

秋は、多少濡れるのを覚悟して、雨の中を走り出した。


部室に着くと、今日は練習がなかったらしく、誰もいなかった。

電気をつけ、傘を探す。

「あれ?もう置いてないのかな?」

傘を求めて、ロッカーとロッカーの隙間などを探してみる。

そして、部室の棚の所まで来ると、何かが爪先にあたった。

下を見ると、秋の爪先の前に、小さなサイコロが転がっていた。

「これ…あの時のかな?」

秋は、サイコロを拾った。

そのサイコロは去年の夏の合宿の時に、当時3年生だった先輩の1人が持ってきていたものだった。

その先輩は他の先輩部員達と、サイコロの目の数に合わせ、課題を用意して、それをクリア出来るかどうかと言うゲームをしていた。

「確か、この辺に…」

棚を見ていくと、歴代の記録表に紛れ、一冊のノートがあった。

そのノートの最後のページをめくると、そこに、サイコロの目の数に合わせた、コメントが書いてあった。

1、ゲームオーバー

2、告白

3、手を繋ぐ

4、見つめ合う

5、キス

6、ハグ

当時、先輩達が冗談で作ったゲーム。

思春期の憧れシチュエーションが詰まった内容だったが、男同士で始めたゲームは、ほとんどクリアされずに、笑い合って終わっていた。

「こんなの、よく残ってたな」

そう呟き、ノートを棚に戻そうとした時だった。

カチャ。

そんな音と共に、勢いよく部室のドアが開かれた。

「うわぁ!」

その音にびっくりして秋は声を上げ、振り返った。

「え?」

ドアを開けた方も驚いたようだったが、あまり感情のない、疑問符だった。

「あれ?天野?」

先に声を掛けたのは、秋の方だった。

ドアを開けた天野修司はナイロンパーカーのフードを下ろした。

端正な男らしい顔がはっきりと見える。

しかし、顔と髪に雫が垂れている。

「お前、今日は部活休みだろ?何してんの?ってか、濡れてんじゃん!」

「今日は自主練で、走ってました。」

低めの落ち着いた声。

秋は、修司の声を初めてちゃんと聞いた気がした。

(こいつ、こんな声だったんだ。)

「入っても良いですか?」

「当たり前だろ。オレはもう先輩じゃないんだから。」

陸上部では、後輩は、部室に先輩がいる時は、常に先輩に「入っても良いですか?」と声を掛けないといけないという、暗黙のルールがある。

修司はそれを守って、秋にお伺いを立てたのだ。

「失礼します。」と一礼して、修司は部室に入った。

(真面目な奴だな)

そんな修司に秋は半分呆れて、半分感心した。

「高宮先輩は、どうされたんですか?」

ロッカーに入っていたスポーツバックの中からタオルを出しながら、修司は聞いてきた。

(お、話し掛けてきた。)

秋は会話らしい会話をしたのは初めてだと思った。

「あ~オレは、傘を探しに来てた。」

「そうですか。」

そう言うと修司は自分の頭や顔をタオルで拭き始めた。

秋に対して興味が無さそうな素っ気ない態度。

そこにはもう、修司しか居ないと言う雰囲気だった。

秋は、急に修司の世界から追い出された気がした。

(さっきまで、ちゃんと話してたのに。)

「お前さぁ、いつもそんな感じなのか?」

秋は修司の態度に苛立ちを感じた。

修司はタオルを首に掛け、無表情なまま、秋を見た。

感情が読めないポーカーフェイス。

「怒ってんのか?まぁ確かにオレはもう、関係ない人間だけどさ。」

「あっ。いや、そんなつもりは…すみません。」

言葉とは裏腹に、表情はポーカーフェイスのまま、修司はうつむいてしまった。

(それは謝っているのか?)

いまいちよく分からない修司の反応に、秋は首を傾げた。

しかし、下を向いていると言うことは、困っているようにも見える。

「ごめん。なんか、急に無視された気がしたから。」

秋は、なぜだか、もっと修司を困らせたくなって、わざと意地悪な言い方をした。

「無視なんて、そんなこと。」

修司はうつむいたまま、小さく答えた。

(あれ?落ち込んだ?)

声に抑揚があまりない修司の言葉は、感情が分かりにくい。

「すみません…。」

またポソリと修司が答えた。

(表情と言葉があってない奴だな)

そう思うとなんだか、大型犬が飼い主に怒られて、しょげている様にも見えて、笑えてきた。

クスクスと笑いだした秋に気づいて、修司が顔を上げてこっちを見た。

「お前、ずっと真面目な顔で分かりにくいよ。」

そう言いながら、秋はケラケラと笑った。

「すみません。」

修司はまたうつむいてしまった。

「悪くもないのに、謝るな。」

秋は、うつむいたままの修司の頭を軽く叩いた。

修司は顔を上げ、秋を見た。

相変わらず、読めないポーカーフェイスをしているが、悪気はなさそうだ。

もともと、部活も真面目にやってるし、今日だって、一人で自主練をしていたぐらいだ。

(不器用な奴)

そう思うと、秋の中の悪戯心が好奇心となって、ふつふつと沸き上がってきた。

(もし、こいつに、あのゲームをしようって言ったら、どんな顔をするんだろう?)

秋は手のひらに包み込んだままのサイコロを思い出した。

修司のびっくりした顔がみたい。

このポーカーフェイスを崩してみたい。

「天野、オレとゲームをしようぜ、」

秋の悪戯心が言葉となって、放たれた。

「ゲーム?」

「そっ、。オレが今からサイコロを振る。出た目の数の指示に従う。」

「指示?…ですか?」

秋はさっき棚に戻そうとしていたノートをもう一度開いて、修司に渡した。

修司は渡されたノートをじっと見つめていた。

その間も表情は変わらない。

秋は少し緊張しながら、修司の反応を待った。

少しして、修司が顔を上げた。

「分かりました。」

そう言って修司はノートを閉じた。

逆に驚いたのは秋の方だった。

でも、言い出したのは自分。

後には引けない。

秋は、部室の中央に置いてある、テーブルの前に立ち、幾度か手の中でサイコロを遊ばせ、軽く投げた。

コロンコロン。

軽い音を立てて、サイコロは転がり、ある数字で止まった。

「5、だな」

いきなり5、キスが出てしまった。

秋は修司を見た。

修司は変わらぬポーカーフェイスで、サイコロを見つめていた。

(何を思ってるんだろう?)

なかなか、変わらない修司の表情に、秋は少し焦りを感じた。

(ここでやめたら、オレの負けじゃん!)

今度はだんだん対抗心が出てきた。

「オレがやるから。」

「オレが指示に従うんじゃないんですか?」

(余裕かよ、こいつ!)

「オレが振ったんだから、オレがする。」

秋はだんだんむきになってきた。

「ちょっと、こっちに座って。」

秋は部室の長椅子に修司を座らせて、目の前に立った。

「なんで座るんですか?」

なんだか後輩の修司の方が、落ち着いている気がして、また苛ついてきた。

「お前がでかすぎるんだよ!」

そう言うと、秋は修司の両肩に手を置いた。

そして唇を修司のおでこに落とした。

雨に濡れていたはずの修司の額は、少し温かさを感じた。

そして2.3秒して、秋の唇が離れた。

修司は秋を見上げる。

相変わらず、無表情なままだ。

(なんともないってか?)

しかし、修司の目が驚きを含み、少しだけ大きく開かれた気がした。

(少しはびっくりしてんのか)

その目に満足して、秋は悪戯っ子なような顔になり、修司に言った。

「今日はこのくらいにしといてやる。」



二人が部室を出る頃には、雨は止んでいた。

秋は「じゃあ、またな。気を付けて帰れよ。」と言って、先に歩きだした。

その後ろ姿に、修司は「お疲れ様です。」と言って、秋が進む方とは反対方向に歩きだした。

雨が止んで間もない濡れた道には、所々水溜まりが出来ていた。

(なんで急にあんなこと言い出したんだろう?)

修司はさっきの秋の言動の意味を考えていた。

秋は修司の態度に怒っていたかと思うと、笑いだし、そして、ゲームをしようと言ってきた。

しかも、額とは言え、キスされてしまった。

(やっぱり、怒っていたのかな?)

修司は秋に、無視したと勘違いされた仕返しをされたのかもしれないと思った。

(高宮先輩、3年生だし、断るのもな)

真面目な修司は、つい部活の感覚で、秋の提案したゲームを断らなかった。

目の前の信号が赤になり、修司は足を止めた。

ふと足元を見ると、水溜まりに自分の顔が映っていた。

さっき秋にキスをされた、額に目が行く。

修司は陸上部らしい、黒の短髪なので、額が見えている。

(おでこで良かった。)

秋のキスは一瞬の出来事だった。

その後の秋の悪戯っ子のような顔を思い出して、修司はクスッと笑った。

(部活の時とは全然違うな。)

部活の時の、バーに向かい立った秋の姿は、いつも真剣で落ち着いた雰囲気だった。

そして、走り出し、片足で踏み込み、体が宙を舞う瞬間は、誰よりも綺麗な弧を描く。

完璧な跳び方を目の当たりにすると、自分とは違う世界の人間にも思えていた。

だから、修司は秋に対して、特に緊張していた。

そんな人から急に話しかけられて、もともと大人しい修司は上手く会話できず、黙り込んでしまっていた。

(今日はって言ってたけど、またあのゲームをするつもりなのかな?)

そんな事を考えていると、信号が青になり、修司はまた雨に濡れた道を歩き出した。

(今度はどんな事を仕掛けてくるかな?)

そんな事を考えながら修司は、秋の悪戯っ子のような顔を思い出していた。



「いねぇーな。」

次の日は綺麗な秋晴れだった。

いつものように屋上から、陸上部の練習を眺めていた秋だったが、そこに、修司の姿が無いことに気付いた。

(あいつ、どうしたんだろう?)

修司が休むなんて、珍しい。

「まさか、昨日のあれがショックだったとか?…」

秋は昨日の部室で修司の額にキスをしたことを思い返した。

真面目な修司には、キツイ冗談だったのだろうかと秋は心配になった。


「高宮先輩❗️」

秋が運動場に来て、陸上部の練習を見ていると、女子陸上部のキャプテン、橘ゆかが声を掛けてきた。

「お。」

秋はゆかに軽く手を上げて、答えた。

するとゆかは、嬉しそうに走り寄ってきた。

「先輩、どうしたんですか?見に来るなんて、珍しいですね。」

「あ~、引退すると結構暇でさ。」

「先輩、高跳びで大学の推薦、決まってますもんね。」

「まぁね。」

(どこからその情報を仕入れてくるんだ?)

秋は笑いながらも、女子の情報収集能力はバカに出来ないと思った。

「あのさ、天野って今日休んでんの?」

「え?、あぁ、修司ですか?なんか、熱があるとかで学校休んでるみたいで。」

「熱?」

「はい。なんか、昨日雨の中を一人で走ってるとこを、吹奏楽の子が見掛けたって言ってました。それが原因ですかね?」

「あ~、そうかもな。」

そう言って秋はゆかに、「用事を思い出したから帰るわ。」と言って、運動場を後にした。

(オレのせいだよな…。)

秋は昨日、修司が部室に入ってきた時の事を思い出していた。

(ナイロンパーカーは着てたけど、あれだけじゃ、体が冷えるよな。)

それに、頭も顔も雨に濡れていた。

なのに、ゲームをしようなんて、引き留めてしまった。

(治ったら、謝ろう。)

秋はそう心に決めた。


それから3日間、秋は放課後になると、屋上から修司の姿を探すようになった。

そして4日目、修司はいつもの走り高跳びの練習場所に現れた。

(良かった。元気になったんだな。)

修司は休んでいたことを忘れさせるぐらい、高く跳んでみせた。

(もう、大丈夫そうだな。)

秋は久しぶりに修司の跳ぶ姿を、しばらく眺めていた。

すると、屋上の扉が開く音がして、クラスメイトで友達の渡辺が顔を出した。

「やっぱり、ここにいた。先生が呼んでるぞ❗。」

「え?」

「すぐに職員室こいってさ。」

「わかった。すぐ行く。」

秋は修司の跳ぶ姿を横目に見ながら、屋上を後にした。


職員室に行くと、担任の若宮が待っていた。

若宮は50代半ばのベテラン教師だ。

「高宮、いくら推薦が決まってるからって、ちょっと気を抜きすぎじゃないか?」

そう言って若宮は、秋の数学と英語のテストを出した。

どちらも、50点にも満たない点数だった。

「こんな状態が続いたら、推薦も危ないぞ。」

秋はもともと、成績はあまりよい方ではなかった。

それでも、赤点は取らないように、友達に教えてもらったりして、なんとかやり過ごしていた。

しかし今は、友達も自分達の進路で頭が一杯の時期で、秋も推薦が決まっていたこともあり、周りに頼るわけにもいかなかった。

「もう部活も引退したんだし、ちょっと、補習を受けてみないか?」

若宮の言う通り、推薦が取り消されたら困る。

秋は仕方なく、補習を受けることにした。

今日の放課後は、修司に、雨の日の事を謝りに行きたかったが、仕方がない。

若宮は秋に補習用の、数学と英語のプリントを渡した。

「今の時間なら、教室も静かだし、出来たら持ってきなさい。」

「はい。」

秋がプリントを受け取って、職員室を出ようとすると、若宮が言った。

「まぁ、かたち上の補習だ。お前も赤点じゃないからな。ただ、他のみんなは、受験に向けて頑張ってる。今の時期に成績を落とすことがあったら、周りに示しがつかないしな。」

若宮はベテランだけあって、いつも周りとのバランスを考えてくれる。

推薦が決まっている秋だけが特別にならないように、気を配ってくれていた。

「はい。」

「だかほんとに、赤点ギリギリじゃあ、困るぞ。ちゃんと勉強しろよ。」

若宮は最後に、釘を刺すことも忘れなかった。


秋の席は、運動場がよくみえる、窓際だった。

もともと、外を見るのが好きな秋には、特等席だ。

教室で一人で机に座っていると、外の声がよく聞こえる。

秋の耳に、部活に励んでいる後輩たちの声や、下校中に盛り上がっている、生徒達の元気な声も聞こえてくる。

そして、開け放した窓からは、季節の変わり目を届ける心地よい風が吹いている。

(気持ちいいな)

秋は目を閉じて、外の声を聞き、風を感じていた。

少しして、誰かが秋を呼んでいる声がした。

「…ぱい。…んぱい。」

(ん?誰だ?)

秋は声の方に顔を上げた。

「高宮先輩。」

「…天野…?」

「先輩。寝てましたよ。」

そう言われて、はっと気付いた。

秋はいつの間にか、眠ってしまっていた。

しかし、寝ていたことより、目の前に天野修司が立っていることに、驚いた。

「なんで、ここに?お前、練習は?」

「もう終わりました。」

修司は相変わらず、ポーカーフェイスで答えた。

「そうか…もう6時半か。」

外も少し暗くなっていた。

風も少し冷たくなっている。

「先輩が、練習を見に来てたって、橘キャプテンが。」

「え?…あぁ、雨の次の日にな。」

秋は窓を閉めながら答えた。

「お前、体調は大丈夫なのか?まぁ、練習見てる限り、大丈夫そうだったけど。」

「見てたんですか?」

修司の抑揚のない声と、まっすぐすぎる言葉は、秋を責めているように感じた。

風邪をひかせたのは、自分が原因かも知れないと思っている今の秋には、少し堪えた。

「悪かったよ。勝手に見て。」

修司は怒っているかもしれないと思うと、秋は修司が見れず、早くこの場所から逃げたいと思った。

早く、言わなければいけなかった事を言って、早く帰りたいと。

「あの日も、オレがゲームしようなんて言ったから、帰るの遅くなったし、…風邪ひかせて、…ごめん。」

「え?」

「じゃあな。」

そう言って、立ち去ろうとした秋の腕を、修司がしっかりと掴んだ。

掴まれた事に驚いて、秋は思わず修司を見た。

修司はまっすぐな目で、秋を見ていた。

「あの…すみません。」

「なんだよ。」

秋は修司から目をそらした。

まっすぐ過ぎる修司の目をまともに見れなかった。

何を思っているのか読めない修司の目を見るのが、怖かった。

「あの、…オレ…」

「だから、なんだよ!」

修司がなかなか続きを話さないので、秋は落ち着かなくて、大きな声を出してしまった。

大きな声で怒鳴られて、修司は掴んでいた、秋の腕を離した。

その隙に、秋は一人で教室を出ていってしまった。


(また、怒らせてしまった。)

修司は自分の部屋で一人、考えていた。

秋はなぜ、修司が風邪をひいたことを、謝ったのか。

そして、なぜ怒ったのかと。

修司には、秋に謝られる理由も、怒らせてしまった訳も分からなかった。

コンコン。

修司の部屋をノックする音がした。

「お兄ちゃん、お風呂空いたよ。」

部屋に入ってきたのは、小学6年生の妹、亜紀だった。

「おう。」

ベットの上で考え事をしていた修司は、起き上がった。

「あれ?勉強してなかったの?珍しいね。いつも机にむかってるのに。あ~もしかして、考え事してた?」

亜紀は、ニヤニヤしながら、修司に顔を寄せてきた。

「なんだよ。その顔。」

「いや~別に~。」

「お前が気にするような事じゃないよ。」

そう言って亜紀の頭をクシャクシャと撫でた。

「もう!それ止めてよ。髪が絡まる!」

乱れた髪を手で直しながら、亜紀は怒った。

亜紀が小さい頃は、頭を撫でてやると喜んでいた。

しかし、最近の亜紀は、ませてきて、髪型や服装に拘るようになった。

気に入った服を買ってもらった日は、修司に見せにきたり、髪を切ったら、感想を求めたり、すっかり女の子になってきたなと感じる。

「難しいな。女の子は。」

「何それ?。お兄ちゃんの方が難しいよ。何考えてるか分かんないし。教えてくれないし。」

「お前に言う事じゃないって言ったろ?。」

「でも気になるの!いつも何にも言わないんだから。心配してるの!」

亜紀はすねて、口を尖らせた。

(最近、怒られてばっかりだな。)

「悪かったよ。」

<悪かったよ。勝手に見て。>

ふと、秋の言葉を思い出した。

悪かったよ。と言った秋はうつむいて、修司の方を見なかった。

<お前、もう体調は大丈夫なのか?。まぁ、練習見てる限り、大丈夫そうだったけど。>

(オレの事、心配して、練習を見てくれてた?)

<オレがゲームしようなんて、言ったから、帰るのが遅くなったし、…風邪引かせて…ごめん。>

修司は次々と秋の言葉を思い返した。

(先輩は勘違いをしていたのか。風邪をひいた原因が、自分だって。普段はもっと強気な人なのに、あんな些細な時間の事を気にして。)

そして、修司自身が秋の事を何も分かっていなかった。

ほんとの秋は、繊細な心を持っていたのだ。

普段の部活の時の印象や、ちょっとした会話の時の態度だけで、秋という人格を決めつけて見ていた自分に気付いた。

「どうしたの?お兄ちゃん?」

亜紀に声を掛けられ、修司は我に返った。

「いや、なんでもない。風呂の準備するから、お前はもう寝ろよ。」

「…ねぇ、お兄ちゃん、何か困った事があったら、いつでも言ってよ。兄妹なんだから。」

亜紀は少し心配そうな顔をした。

「ありがとう。大丈夫だよ。」

そう言って修司は、亜紀の頭に軽くポンと手をおいた。

髪を乱さないように軽く。

「わかった。」

亜紀は、何も教えてくれない修司に対して、少し不満そうな顔をしていたが、そのまま自分の部屋に戻って行った。

修司はため息をついて、ベットに座った。

(まったく、あんな大胆なゲームをさせる癖に…。)

秋との雨の日のゲームが甦る。

(あんな意地悪な顔をするくせに。)

悪戯っ子のような顔の秋が思い浮かぶ。

(なのに、オレみたいなほとんど喋った事もない後輩を気に掛けて。)

<何考えてるか分かんないし。教えてくれないし。>

先程の、亜紀の言葉を思い出す。

<お前、ずっと、真面目な顔で分かりにくいよ。>

今度は秋の言葉が頭をよぎった。

「先輩だって、分かりにくいよ。」

修司は目を閉じ、いろんな表情をする秋を思い浮かべた。

その時々で印象が違う。

「難しいな、先輩は…。」

まだ自分には見せていない、知らない秋の顔があるかも知れない。

(先輩はほんとはどんな人なんだろう?)

笑ったり、怒ったり、真剣な顔したり。

「怒らせた事、謝らないとな。」

まずは、そこだと思った。

また秋と話せるようにならないといけないと。

ほんの些細な事でもいい、前みたいに挨拶だけでもいい、秋が気楽に声を掛けてくれるようにならないと、と。


朝、登校中、秋は眠い目を擦りながら、歩いていた。

昨日は修司に情けない顔を見せて、しかも余裕なく怒ってしまった。

その事を後悔して、昨日の夜はなかなか眠れなかった。

(なんか最近、あいつ絡みばっかだな。)

そんな親しくもない、後輩の事を気にしてばっかりで、自分らしくないと感じる。

(まぁ、自分がまいた種だけどな。)

あの雨の日に、あんなゲームで修司を試そうとした自分にも後悔した。

「は~。」

秋はため息をついた。

(仕方ねぇじゃん。気になっちゃたんだから。どんな顔するのかって。)

あの時の自分に言い訳する。

そして、額にキスをした時の、修司の少しびっくりしたような目を思い出した。

(謝った方が良いよな。やっぱ。あんな冗談。)

昨日は、その事を謝れなかった。

(なんか、おれ、謝ってばっかだな。)

そんな事を考えながら歩いていると、ふいに、誰かに腕を掴まれた。

(え?)

顔をあげると、修司が秋の腕を掴んでいた。

「すみません。何回か声、掛けたんですけど、気付いてもらえなくてつい…。」

そう言って修司は秋の腕を離した。

「あ、いや、ごめん。ちょっと考え事してて。」

秋は驚きながらも、普通にしなければと、思った。

昨日のように、情けない姿を見せなくない。

「あの…昨日はすみませんでした!」

「えっ?。」

修司は綺麗に腰を折って、謝ってきた。

体育会系らしく、はっきりとした声で。

秋は驚きと、戸惑いが隠せない。

そんな二人の姿を横目に何人かの生徒が、通り過ぎていく。

中には、友達同士で、こそこそ話しながら通っていく。

修司は頭を下げたまま、動かない。

「天野、ちょっとこっち。」

今度は秋が修司の腕を掴んで、歩き出した。


学校の目の前だったので、秋は、誰もいないであろう、部室に入った。

ちょっと目立ちすぎて、人の目から逃げたかった。

それに、真面目な修司が普通の生徒と同じ時間に登校しているのだから、朝練がなく誰もいないのは、確実だった。

「あのさ、急にどうした?。なんで謝るんだよ。」

動揺している自分を抑えながら、なるべくゆっくり話した。

「昨日、先輩勘違いしてて。」

「勘違い?何を?」

「オレが風邪をひいたのは、先輩とゲームしてたからじゃないです。あの日はもともと、体がだるくて…走ったら、治ると思って…。」

「は?」

修司は何を言っているんだろう?

秋は、落ち着きを取り戻し、今度は目の前の修司が何を言っているのか、頭の中を整理しようと思った。

「えっと、お前は、もともと、体調が悪いのに、雨の中を走ってたのか?」

「…はい。」

「それをオレは知らず、雨に濡れたお前を引き留めたから風邪をひかせたと思って、謝った。」

「はい。」

「でも、本当は最初から風邪だった。」

「はい。」

「オレが勘違いして、謝ってきた事を、悪いと思って、お前は謝ったのか?」

「…はい。すみません。先輩は悪くないです。」

少しの沈黙が流れた。

(走ったら治るってなんだ?オレは悪くないって、気にするとこはそこなのかよ。キスのことより、オレが勘違いして、謝ったことが、こいつの中で重要なのか?)

秋は修司との考えの違いに、戸惑う。

(いや、そう言うことじゃなくてさ。謝りたいのはオレなんだよ。)

秋はひとつ咳払いをして言った。

「とりあえず、昨日はごめん。怒ったりして。」

「昨日、オレの事、心配して練習見てくれてたんですよね?」

「え?あ、まぁそうかな。」

「オレ、その事に気付かなくて…何て言うか…。」

(そうだ。こいつ、不器用だったっけ?)

言いたい事が、なかなか出てこない修司を見て、秋はその事を思い出した。

あの雨の日も、修司と話をしていて、不器用なやつだと感じていた。

秋はその事をすっかり忘れていた。

修司のポーカーフェイスだけを見て、不安になっていた。

「良いよ、もう。オレ、お前が不器用な事、忘れてたわ。」

きっと修司はまっすぐに物事を捉える。

(ひとつ、ひとつの事にちゃんと向き合えるやつなんだ。)

秋はそう理解した。

「お前いっつも真面目な顔で、何考えてるか分からなかったけど、ただ、まっすぐなだけなんだよな。」

その秋の言葉に修司は、初めてびっくりした顔を見せた。

こんなハッキリと感情を出したのを見たのは、初めてだった。

(なんだ。こんな顔出来んじゃん。あんなゲームで試さなくても。)

「オレも、お前に謝りたかったんだ。ゲームなんかで、試すような事してごめんな。ただ、お前のびっくりした顔を見てみたかったんだ。今ぐらいの顔を。」

そう言って秋は、悪戯っ子のような顔で笑った。

「先輩。ゲームしましょう!。」

突然、修司が秋の両腕を掴んで言った。

「オレ、先輩ともっと話したい。」

修司のまっすぐな目と言葉。

今度は秋が驚いた。

そして思った。

(もっと分かってやりたいな。こいつの事。)

そう思う気持ちと、今度はまた秋の中のイタズラ心がむくむくと顔を出した。

そして、秋はニヤリと笑って言った。

「じゃあ、今度はお前が振りな。これでおあいこ。」

「はい。」

修司は部室の棚にポツンと置いてあった、サイコロを取り出した。

そして、机の上に転がした。

サイコロは勢いよく転がり、テーブルの端ギリギリで止まった。

出た目は6.ハグ。

(さぁ、どうする?結構、ハードル高いぜ。)

秋は修司が困っているであろう顔を見た。

「あの、よく見えないんですけど、何が出てます?」

「は?」

修司は目を細めてサイコロを見ている。

(え?まさか…)

「お前さぁ、もしかして、目悪いのか?」

「はい。よく見えてなくて。」

「あの日も?見えてなかったのか?サイコロの目。…え?まさか見せたノートも何が書いてあったのか見えてなかったのか?」

「はい。あまり。」

秋は驚きすぎて、ポカーンと口を開けてしまった。

「え?じゃあ、なんで、断らなかったんだよ。あん時。」

「だって、先輩じゃないですか。断れませんよ、」

(おい、おい、おい、どこまで真面目なんだよ)

「ぶはははっ」

秋は思わず笑いだした。

「そんなに笑わなくても。」

修司は笑われ過ぎて、恥ずかしくなったのか、下を向いてしまった。

「ごめん。ごめん。」

そう言いながらも、秋は笑っていた。

なんだか、久しぶりに笑った気がした。

今日までのモヤモヤが一気に晴れたようだ。

「よくそんなんで、ゲームしましょうなんて言えたな、お前。」

秋は笑いすぎて出てきた涙をぬぐいなから言った。

修司はまだ下を向いたままだ。

(デカイ体つきしてんのに、よく下向くやつだな。)

秋は棚のノートを見せて言った。

「お前が出したのは6。6はハグだ。」

「ハグ?」

「そう。ちなみにオレが出したのは5。キスだよ。」

「え?」

「このサイコロゲームは去年の3年生が、冗談で作ったやつなんだよ。だから、気にするな。さぁ、教室に行こうぜ。」

そう言って、秋が後ろを向いた時だった。

ふわっと何か暖かい物に一瞬で包まれた。

ドクン、ドクン。

秋の背中に修司の鼓動が伝わる。

そして、修司の両方の腕が秋の胸の辺りで交差して、しっかりと抱き締められた。

背の高い修司の体のなかに、秋はすっぽり収まっていた。

「…天野?…。」

「これで、おあいこ。ですよね。」

修司にそう囁かれて、秋は「そうだな。」と呟いた。

(こいつの体、暖かいな。)

修司の体温は制服越しでも、心地よく感じた。

今まで、分からなかった修司の事が秋には、少しずつ見え始めていた。



部活が終わり、修司は急いで帰り支度をしていた。

「修司、今日も急いでんな?」

同じ陸上部の1年生、小島が最近の修司の珍しい姿を見て、声を掛けてきた。

「うん。」

返事をしながらも、修司は手元を休めない。

そして、準備が出来ると、「お先です。」と他の部員達に一礼をして、部室を出ていった。

そんな修司が向かった先は、3年生の教室。

ガラン。

教室のドアを開けると、机にむかって座っている秋がこっちを見た。

いつもの自分の席に座り、窓を開け、柔らかい猫っ毛を風に揺らしながら、秋は「お疲れ」と言って、修司に笑顔を向けた。

その笑顔を見て、修司はホッとする。

(今日も間に合った。)

最近の修司の習慣は、部活が終わると、秋が補習をしている教室に来て、秋が終わるまで待って、一緒に帰るのだ。

特に約束をしているわけではないので、修司はいつも焦りながら、教室に向かう。

「お前今日、跳躍の時、ちょっと体勢崩してたな。」

秋は慣れた手つきで、修司に手招きし、自分の前の席に座らせながら、言った。

修司はその手招きに従い、秋の前の席に横向きに座った。

二人は机を挟んで、向かい合う。

「靴紐が緩くなってて…後で結び直しました。」

「あぶねぇーなー。気を付けろよ。怪我するぞ。」

秋は修司の頭にコツンとげんこつを落とした。

「すみません。」

げんこつを落とされた頭を押さえながら、修司は言った。

「だから、悪くもないのに、謝るな。」

秋はそう言いながらも、手元のプリントを進めている。

「はい。」

修司はそう言って、黙った。

秋の補習のプリントがあまり進んでいないのを見て、話さない方が良いと思ったのだ。

最近の秋は、沈黙が流れても、気にしなくなった。

修司は秋が自分の不器用な部分を分かってくれてから、落ち着いて秋と話せるようになったと感じていた。

そして、修司が願った通り、秋から気軽に接してもらえるようになった事が嬉しかった。

「最近暗くなるの、早くなったな。」

そう言いながら、秋は手元を休めずプリントに向かいながら、話しかけてきた。

「そうですね。…寒くないですか?」

「あぁ、ちょっと、」

秋が開けっぱなしの窓からの風に少し身を震わせたので、修司は立ち上がって、窓を閉めた。

窓の外は薄暗い。

「もうそろそろ、部活も早く終わるよな。」

秋はプリントを進めながら、言った。

「そうですね。」

「オレも次のテストで補習から解放されたらまた、放課後暇になるし。」

「…そうですか。」

修司はその秋の言葉に寂しさを感じた。

(もう、ここに来ても、先輩はいないのか。)

最近の秋は、この教室から修司達の部活を眺めながら、補習を受けていた。

その姿を、修司は運動場から見ていた。

トレードマークの茶色の猫っ毛が、秋だと教えてくれる。

そして、部活が終わると、秋の姿を確認して、急いで教室に向かっていた。

(もう、一緒にいられないのかな?)

修司は小さくため息をついた。

「だからさ、今度、お前の靴見に行こうぜ。」

「え?」

思いもよらなかった秋の言葉に、修司は驚いて、振り返った。

「シューズだよ。靴紐が緩いんだろ?履き込み過ぎなんだよ。そろそろ、新しいのに変えろ。」

そう言って秋は顔を上げた。

「はい。…付き合ってくれるんですか?」

「まぁ、いつもオレの補習に付き合わせてるし、それくらいはな。」

秋は少し照れているのか、視線を外した。

「ありがとうございます。」

修司は秋が自分の事を気にしてくれていたことが嬉しかった。

そして、まだ秋との時間を過ごせることも。

「オレの補習がなくなったら、だけどな、」

秋はまた、悪戯っ子のような顔で笑った。

「頑張って下さい。」

「おう。」

そう言って秋は、すこしの間黙って、またプリントを進めてた。

その姿を修司も黙って見つめていた。

背の高い修司には、机に向かう秋を見下ろす形になる。

秋が時々、持っているシャーペンの上の部分を使って、前髪を横に流す仕草をする。

下を向くと、前髪が落ちて来て、手元を見る時に、邪魔になるようだ。

その仕草を見ていると、修司も秋の髪の毛に目が行く。

(柔らかそうな髪だな。)

そう思うと同時に修司は、秋の頭の上に手を置いた。

「え?」

秋が驚いた顔で修司を見たので、修司は慌てて手を引っ込めた。

「なんだよ?」

「あ、いえ、…。」

修司は、秋から目線を外した。

自分でもよく分からない内に出た行動だった。

そして、そんな修司をじっと見てくる秋に対して、照れくさいような気持ちになった。

「なんなんだよ、もう。」

そう秋はぶつぶつ言いながら、目線を手元に戻した。

修司はほっとした。

そして、思った。

(なんか、…可愛かったな。)


テストも無事に終わり、秋は補習から解放された。

(今日はあいつの靴、見に行ってやらないとな。)

部活が終わるまでの間、秋は屋上で過ごすことにした。

秋は屋上の手すりにもたれて、おもいっきり伸びをした。

「あ~気持ちいい!」

補習とテストから解放されて、とても気分が良かった。

「うわぁ~。」

運動場の方からそんな、感嘆の声と拍手の音が聞こえた。

秋はその声と音がする方を見た。

そこには、マットの上から立ち上がった修司がいた。

その周りで、他の部員達が拍手を送っていた。

「新記録、出したな。」

秋にはすぐ分かった。

秋も、新記録を出せた時、同じようにみんなから拍手を送ってもらった。

屋上から聞こえるわけもないが、秋も他の部員達のように、拍手をした。

すると、修司が秋の方を見て、小さく手を振ってきた。

そして、軽く頭を下げると、監督の元に走っていった。

「見えてるのか?」

半信半疑で秋は呟いた。


少しすると、部活が終わり、片付けが始まった。

「そろそろかな」

秋は屋上を降りようと、階段に出た。

すると、下の方から誰かが階段を急ぎ足で駆け上がってくる音がした。

(人が来るなんて、珍しいな)

屋上には、ほとんど誰も来ない。

来ても、秋がいることを知っている、友達の渡辺ぐらいだ。

その駆け上がってくる音を聴きながら、秋も下に向かって降りていくと、途中で音の主と出会った。

「あれ?天野。」

秋は息を切らしながら、階段を上ってくる修司に気付いた。

そして、その秋の声に修司も気付き、足を止めた。

「お前、片付けは?」

「はい。新記録出たんで、今日は、片付け、免除、らしくて。」

修司は息を整えながら言った。

「へぇ~オレの時にはそんな制度、なかったけどな。」

秋は修司の横をとおりながら、皮肉を言った。

「見て、くれてましたよね。」

修司は秋の後ろをついて、階段を降りながら聞いた。

「見たというか、周りに誉められてるお前を見たと言うか…?あれ?お前、目が悪いのに、屋上にいたオレが見えてたのか?」

秋はさっき、修司が屋上を見て手を振った事を思い出し、振り返って聞いた。

「え?、あぁ、オレ遠視なんで、遠くは何となく見えます。」

そう言われて、秋は修司と親しくなる前の屋上での事を思い出した。

あの時修司は、今日と同じように、運動場から秋を見ていた気がした。

「もしかして、あん時もオレだって分かってて、見てたのか?」

「あの時?」

「いや、いい、何でもない。」

秋はまた階段を降り始めた。

(やば。自意識過剰だ。)

秋は修司が覚えていない出来事を自分だけがしっかりと覚えていることに、少しの寂しさを感じた。

(なんだろう?この感じ…。)

「先輩?」

修司に言われて、ふっと我に返った。

「何でもねぇよ。今日は新記録のお祝いに、靴、買ってやるよ」

「え?いや、そんな、自分で買います。」

「いいから、いいから。」

秋は階段の残り2段をジャンプで降りて、修司をからかうように、廊下を走り出した。

「先輩!」

そんな秋に、置いていかれないように、修司も廊下を走った。


学校を出ると、二人は電車に乗った。

秋が4駅向こうの街のシューズショップに行こうと言い出したのだ。

秋達の最寄り駅から45分程、電車に揺られる事になる。

最初は同じ高校の生徒も乗っていたが、残り1駅になる頃には、同じ制服の生徒はいなくなっていた。

秋と修司は電車の中で、他愛のない会話をしながら、過ごしていた。

「いつも、こんな遠くに買いに行くんですか?」

「いや、今日は時間があるしな~と思ってさ。それに、オレ今日は開放的なんだよ。」

秋は電車の中で、軽く伸びをした。

「テストも補習も終わったからさ。」

「あ~、分かります。」

「だろ?」

そんな会話をしていると、目的の駅に着いた。

秋は改札を抜けると、人通りが少ない路地に入った。

修司は秋について歩いた。

歩いて5分程で、古びたシューズショップに着いた。

そこには、いろんな種類のスニーカーや運動靴が並べられていた。

「ここ、スニーカーの激安ショップ。」

そう言われて値札を見ると、どれもこれも、500円程で買える。

「へぇ~。」

「運動部だとさ、どんなにいい靴買っても、すぐ、履き潰れるだろ?だから、安くて良いから、たくさんもってる方が楽なんだよな。」

そんな事を話していると、店の奥から茶色のニット帽を被った老人が出て来た。

「なあに言ってんだ、秋。どれもこれも、ワシが手作りした一点ものだぞ。」

そう言うと老人は秋の頭を軽く小突いた。

「痛ったいな。何すんだよ、源さん。」

秋は頭を押さえながら、老人に言った。

「人の作ったものを、安物扱いするな。」

「実際、めっちゃ安いじゃん!」

「バカたれ、これはワシが引退して作ったから安くしとるだけじゃ。お前だって、ワシの靴にしてから、調子がいいと言っておっただろうが。」

そんな二人のやり取りを、修司はポカーンと見ていた。

「おや?、お前の友達か?誰かを連れて来るなんて、珍しいな。」

源さんが、修司を見て言った。

「あぁ、こいつ、オレの後輩。うちの高校のエース。」

修司は、源さんに軽く頭を下げて挨拶した。

「しっかりしとるのう。お前とは大違いじゃな。」

「うるさいな。」

「まぁ、気に入ったのがあれば持っていけ。秋、お金はここに置いといてくれ。」

「はいはい、」

そう言って源さんはまた、店の奥に消えていった。

「誰なんですか?」

「源さん。この店の店主。」

「手作りって言ってましたけど…。」

修司は信じられなくて、靴をまじまじと見た。

「なんか、昔は靴職人だったらしいけど、今は引退して、趣味でスニーカーとか作ってるらしい。」

「すごいですね。」

「で、気に入ったやつ、有りそうか?。」

そう言われて、修司は改めて、靴を選び出した。


結局、安かった事もあって、修司の選んだ靴を、秋が買った。

「ありがとうございます。大切に使います。」

「そんな大層なもんでもねぇよ。500円だし。」

実際、シューズショップには、500~3000円程度のものまであった。

しかし、修司は秋に気を使ったのか、500円を選んだ。

「あっ!でも。今日の靴で新記録出たんだったな。今履いてる靴の方が良かったかな?」

秋は申し訳なさそうな顔をした。

「先輩、オレ…」

「ん?」

修司が何か言いたそうにしている。

秋は、修司の言葉を待った。

「オレ、ほんとに嬉しいです。新記録出せた事も、こうやって、先輩にお祝いしてもらえるのも。先輩が買ってくれたこの靴で、明日から練習出来ることも。全部先輩だから、嬉しいんです。」

そう言って、まっすぐな目で見てくる修司に、秋の心臓はドクンと跳ねた。

(なんだ、この感じ。なんか、オレ、嬉しいかも。)

秋の気分は高まった。

修司が喜んでくれていることが、秋にとっても嬉しかった。

(オレ、今日はほんとに浮かれてんな。)

なぜか分からないけど、今日は放課後が楽しみで、いつもは一人で行くシューズショップにも、修司を連れていっても良いかと思えた。

(きっと、補習から解放されたせいだ。)

秋は浮かれついでに、もうひとつの秘密を修司に教えたくなった。

「お前、今日時間大丈夫か?。」

「え?あ、はい。」

「オレ、もうひとつ行きたいとこあるんだけど。」

秋はそう言って、歩き出した。


「お~、やっぱ気持ちいい!」

目的地に着くと、秋は両手を広げて、体をいっぱいに開いた。

目の前には、さっき靴を買ったシューズショップのある街が夕日に照らされて、キラキラと光っている。

秋と修司は、幾つかの階段を登り、ある丘の上に来ていた。

そこから、街全体が見渡せそうだ。

「やっぱ、この景色、最高だわ。」

「ほんとですね。」

修司は秋の横に立ち、同じ景色を眺めた。

「オレさぁ、この景色、めっちゃ好きなんだよ。大会前とかここに来たりしてさ、なんか、ご利益ありそうじゃん?この景色。」

(あぁ、やっぱりオレ、浮かれてる。こんなことベラベラ喋って。)

そう思うのに、気分は高まったまま、なかなか収まらなかった。

他に人が居ないことを良いことに、秋は「あー!」と叫んでみた。

秋の声は、街のなかに吸い込まれて消えていく。

「なんかオレ、ガキっぽいな。」

そう言って振り返った瞬間、勢いがつきすぎて、足元がぐらついた。

「危ない!」

秋の体は、後ろに倒れかけた。

その秋の体を戻すように、修司が秋の腕を自分の方へ力強く引き寄せた。

秋は引き寄せられた勢いのまま、修司の腕に抱き止められた。

「あ、わりぃ。」

秋は修司の腕の中で、咄嗟に謝った。

だが、修司は秋を抱き締めたまま、動かない。

修司の鼓動が大きく聞こえる。

その音も、心地よく感じる。

(やっぱりオレ、今日は、変だ。)

そう思いながら、秋は修司を見上げた。

今日は修司の表情がいつもより、優しく見える。

そして修司も少し体を開き、秋を見つめた。

目が合うと、秋の鼓動は高鳴った。

体が温かくなる。

(だって、こいつに…触りたい…。)

突然の欲望に秋の体が動き出す。

秋はゆっくりと修司の首に腕を回した。

「オレ、今日はほんとに浮かれてて…。」

そう言いながら、今度はゆっくりと修司の唇に近づいた。

「だから、今日は…ん。」

秋が全てを言いきる前に、修司の唇が強く秋の唇に落ちてきた。

その唇を秋は受け止めながら、思った。

(きっと、補習も終わって、開放的になってるんだ。きっと、)



どのくらいの時間がたっただろう。

修司は真っ暗になった丘の上でひとり、街の景色を眺めていた。

夕日が輝く頃に、この場所で秋の事を抱き締めた。

それは、偶然の出来事だったが、秋を腕の中に包み込んだ時、とてつもなく、切なく、苦しくなった。

(なんだろう?この感じ…。なんか、息が止まりそうだ。)

修司の胸は、ドクン、ドクンと高鳴り、呼吸するのが追い付かないのではないかと思った。

しかし、腕の中の秋の事が愛おしくてたまらなかった。

(ずっとこのままでいたい。)

修司は秋を抱き締めた腕に力を入れた。

すると、秋が見上げてきた。

だから、腕の力を少し抜いた。

そうすれば、秋の顔がしっかりと見える。

修司は秋を見つめ返した。

秋の頬に触れようとした時、秋の両腕が修司の首にゆっくりと回されるのが分かった。

そして、秋が言った。

「オレ、ほんとに今日は浮かれてて…。」

(そんなの知ってる。)

今日の秋は、いつもより機嫌が良く、テンションが高いと、修司は感じていた。

そんな秋も、かわいいと思った。

修司は秋のいろんな表情を見たいと思っていた。

秋は感情表現が豊かで、仲良くなるまでは、よく掴めない人だと感じていたが、今では会うたびにくるくる変わる表情に釘付けになっている。

その秋の顔が段々近づいてくる。

「だから、今日は…。」

お互いの息がかかる程の距離に来たとき、修司は愛おしさに我慢出来なくなり、秋の言葉を遮って、唇を強く塞いだ。

秋の唇も、修司を受け止めてくれた。

そして、秋の唇が少しでも離れようとすると、修司はすぐ追いかけてまた唇を重ねた。

その度、秋も応えてくれた。

何度かそれを繰り返していると、秋の腕が修司の腕まで下がってきた。

(もう、これ以上はダメなのかな?)

修司はもっと秋の唇の感触を感じていたかったが、秋の腕が下がったことで、それが秋の合図だと思った。

しつこくして、嫌われたくなくて、修司は名残惜しそうに唇を離した。

「今日のオレは、いつものオレじゃないかも知れない。」

秋が静かに呟く。

「どうしてですか?」

「こんな恥ずかしいこと、してる。」

秋は下を向いた。

(先輩、後悔してる?)

修司は不安になった。

「きっと、補習から解放されて、お前が新記録出して、靴をプレゼントしたら、喜んでくれて、たがら、オレは、一気にいろいろあって、だから…。」

秋の動揺が、言葉になって少しずつ、紡がれる。

言いたいことが、まとまらず、秋は困っている。

こんな秋を見たのは初めてだ。

(困らせてしまった。)

修司は自分の衝動的な思いと行動が、秋を戸惑わせていると感じた。

「すみません。」

「…うん。オレも、ごめん。」

だが、秋は顔を上げない。

「でも、明日からも、お前と話したり、笑ったり…したい…。」

修司の腕に置いた秋の手に力が入る。

その思いは、修司も同じだった。

秋は修司とのキスを後悔しているかも知れない。

それでも、秋が自分から離れていくのは嫌だった。

「分かりました。」

修司がそう言うと、秋は顔を上げた。

「…ごめん…オレまだ…いろいろと分からなくて…。」

そう言う秋が泣くのではないかと思った。

だから修司は、精一杯笑顔で言った。

「大丈夫です。」

そして、秋の頭を優しく撫でた。

すると、秋は少しホッとしたような顔をした。

「ガキ扱いすんなよ。」

そう言った秋は、頑張っていつもの自分になろうとしているように思えた。

(これ以上、無理をさせてはいけない。)

そう感じた修司は、いつもの秋に戻るために、今日は自分が一緒に居てはいけないと思った。

「先輩、先に帰ってて下さい。」

そう言うと秋は、申し訳なさそうな顔をしたが、秋自身もひとりになりたかったのだろう、「うん。」と頷いた。


今日の秋はいろんな事が一気に起きて、混乱していたが、それは修司もおなじだった。

ただ、秋と違ったのは、修司は自分の気持ちに気付いた。

(オレは先輩が好きだ。)

そうでなければ、今日の自分の衝動的な行動の説明がつかない。

いや、今日だけだはない。

修司は秋に対して時々、気持ちが先走り、行動に出てしまうことがあったと感じていた。

今までは、その行動の意味を深く考えたことがなかった。

だが、今日は考えなくてはいけなかった。

そして、自分の気持ちが分かると、晴れやかな気持ちになった。

今までの、よく分からなかった感情の意味が明確に修司の中に入ってくる。

(先輩はオレと今まで通り、話がしたいと言ってくれた。それだけでいい。)

「よし!」

気持ちの整理をつけ、修司は思い出の丘を後にした。



制服のブレザーの下に、セーターを着ることが、当たり前になった11月。

秋達3年生は、最後の文化祭の準備を進めていた。

「はぁ、疲れた。」

大きな段ボールを運んでいた秋は、ため息をついた。

「あと、3往復はするぞ。」

一緒に段ボールを運んでいた渡辺が、うんざりして言った。

「ちょっと休憩。」

秋は、運んできた段ボールをクラスの机の上に置いて、ひとり、教室を後にした。

「ちゃんと戻ってこいよ~。」

そう言う渡辺に背中を向けたまま、秋は返事のつもりで手を振った。


今の季節、寒いこともあって、秋は屋上に出ない。

でも、ひとりになりたい時は、屋上へ続く階段の最上段にある、踊り場で時間を過ごす。

踊り場の隅に座り、壁に体を預ける。

ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出し耳につけ、持っていたスマホから音楽をかける。

人に振り回されるのが苦手な秋にとって、スマホは連絡をやり取りするものではなく、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、娯楽を楽しむ物になっている。

かけていた音楽が3曲目に入る頃、修司がやって来た。

「遅くなりました。」

そう言って、秋の隣に腰を降ろした。

「別に遅くねぇよ。オレもさっき来たとこ。」

秋は片耳のイヤホンを取り、修司に渡した。

それを修司は耳につけた。

「これ、昨日言ってた新曲ですか?」

「そう。やっぱ気に入ったわ。」

そんな会話を挟みながら、二人は同じ音楽を聴く。

秋が修司に、靴をプレゼントした日、二人はお互い衝動的にキスをした。

そんな自分にも修司にも驚きつつも、その瞬間を心地よいと感じ、受け入れた。

しかし同時に、少しの恐れが秋を襲った。

心地よさと戸惑いが共存する感情に秋は動揺した。

自分が分からなくなった秋は、いつもの自分じゃないかも知れないと言って、その時の想いから逃げた。

そしてきっかけを作ったのは自分だと分かりながら修司に、いつもの二人で居たいと、わがままを言った。

そんな秋を修司は、何も言わず許してくれた。

一人の帰り道、秋は「いつもの自分」に戻ろうと、自分自身に言い聞かせた。

修司とのキスを無かったことにする訳じゃない。

あれは、いつもの冗談の延長線上だと、サイコロを振って額にキスしたり、抱き締められたりしたことと、同じだと、自分を必死で納得させた。

だから次の日、練習している修司の元に行き、「新しい靴はどうだ?」と普通の会話が出来た。

そして修司も「跳躍が楽になりました。」といつも通り、後輩として返事をした。

二人は「いつもの二人」を取り戻せたのだ。

あれから2週間、二人はいつも通り、部活終わりに屋上で話して、一緒に帰ると言う日々を過ごしていた。

だが、文化祭の準備が始まり、お互いの時間が合わなくなった。

秋は準備に疲れて、修司のスマホにLINEし、「良い曲、見つけた。」と他愛のない、メッセージを送った。

普段から誰とも連絡を取らない秋には、珍しい行動だが、二人に違和感はなかった。

そしてその時から、二人は屋上の階段の踊り場で、会うようになった。

それが、当たり前の様に。

「そういえば、お前のクラス、文化祭で何するんだっけ?」

曲を聴きながら秋が訪ねてくる。

「お化け屋敷です。」

「ド定番だな。」

「なんか、女子たちが乗り気で。」

「ゾンビメイクだっけ?そんなんが女子の間で流行ってるからだろ。」

そんな話をしていると、修司のスマホが鳴った。

修司は制服のポケットからスマホを出し、画面をみている。

(誰からだろう?)

二人で居る時に、お互いのスマホが鳴るのは今までなかった。

覗けば見える距離だが、修司に悪い気がして、秋は手元の自分のスマホに目を向けた。

少しして、修司は軽いため息をついた。

「すみません。オレ、そろそろ戻ります。」

そう言って修司は立ち上がった。

「あ、じゃあ、オレも戻るわ。」

二人は一緒に屋上の階段を下りた。

そして、それぞれの教室がある棟に向かう渡り廊下で別れた。

少し歩いてから、秋は振り返った。

修司の後ろ姿が見える。

(あのまま、どっかに行っちゃうのかな…。)

ふと、そんな不安が秋を襲った。

さっきも、誰からの連絡だったとか、どんな内容だったとか、言われなかった事が、秋の中で不安となって広がっていく。

秋は、ポケットに突っ込んでいた手を強く握りしめた。

(オレに報告する義務なんて無いのに…。オレが、そう望んだのに…。)

秋は自分の中で、何かが形を作ろうとしているのを、必死で押さえ込んだ。



文化祭が始まると、修司のクラスの出し物、お化け屋敷は盛況だった。

教室の前では、少しずつ列が出来始めていた。

修司は背が高くて目立つと言う理由で、教室の入り口で、呼び込み役になっていた。

もちろん他の生徒と交代で行うが、もともと大人しく無口な修司には、なかなかの苦行になった。

だが真面目な性格が功を奏して、それなりに呼び込みは成功していた。

そして列が出来る頃には、修司の仕事は呼び込みから、出口の通路の誘導に代わっていた。

出口では、お化け屋敷から飛び出してくる生徒が居るので、通行人とぶつかるのを防ぐため、廊下に出過ぎない様に声掛けが必要だったからだ。

なぜ、飛び出してくるのかと言うと、お化け屋敷の最後、ゾンビメイクを施した生徒が左右から突然現れると言う演出が、そうさせているのだ。

(先輩、来るかな?)

昨日は秋に行けたら行くと言われた。

少し消極的な言い方に修司は引っ掛かりを感じていた。

(何かあったのかな?)

そんなことを考えていると突然、ガランと出口の引戸が開き、男女ペアの二人が飛び出してきた。

「うわっ!。」

「びっくりした~」

最初に男子生徒が出てきて、その後ろから男子生徒の肩に飛び付きながら、女子生徒が出てきた。

「廊下なんで気を付けて下さい。」

修司が両手で、二人をかばいながら、廊下の人波に自然と誘導していく。

「面白かったよ!」

「すごい良かった!」

そう言いながら、二人は楽しそうな雰囲気のまま、人波に紛れていった。

「すごい並んでんな。」

そんな言葉と共に、笑顔の秋が現れた。

「オレらも入ろうぜ。」

そして、秋の横には友達の渡辺がいた。

今日の秋は昨日より元気そうで修司はほっとした。

「高宮先輩!」

そう声を掛けてきたのは、女子陸上部のキャプテン、橘ゆかだった。

ゆかはもう一人の友達と来ていた。

「先輩達もお化け屋敷ですか?」

ゆかが、興味津々で聞いてくる。

「え?あ、いや…。」

「良かったら、私達と入りませんか?」

その言葉に修司はドキッとした。

「ここのお化け屋敷、男女のペアで入るんだよね?」

そう言われ、修司は「そう…ですね…。」と小さく答えた。

「そうなんだ。じゃあ、ちょうどいいじゃん。」

渡辺が賛成したことで、秋達はお化け屋敷の列に並ぶ事になってしまった。

チラチラと秋達を見ていると、ゆかが秋とペアを組み、渡辺とゆかの友達がペアを組んでいた。

(やっぱり。)

ゆかはもともと、秋に対して、積極的なところがあると、修司は感じていた。

それが何を意味するものなのかは、分からなかったが、目の前で秋に近付いて話しているゆかを見るのは、あまり気持ちの良いものではなかった。

また秋も、笑顔で話しているのが、修司には引っ掛かった。

秋は誰に対しても気軽に会話することが出来る。

それが良いとこだと修司は思っている。

しかし今の修司には良いことと思えなかった。

修司は仲良く話す二人を見て、ため息をつき、目線を廊下の窓に移した。

(早く終わらないかな。)

そして、秋達の順番になり、秋とゆかはお化け屋敷へと入っていった。

中へは、1組ずつ入るので、次に出てくるのは秋達だと分かる。

外に居ると、中で驚きの叫びをあげる、ゆかの声が時折した。

正味2~3分の内容だが、待っていると長く感じる。

修司は出口の引戸を見て、中からゾンビ役の生徒達の人を驚かす声がしたので、もう出てくると思い、ほっとした。

もうこれで、仲の良い二人を見なくてすむ。

そう思い掛けた時、ガラガラと引戸を秋が開けた。

出てきた秋達の姿を見て、修司は言葉を失った。

秋の腕に橘ゆかが、腕をしっかりと絡ませ、くっつくように出てきたのだ。

「終わったぞ。」

「めっちゃ、びっくりした~最後の何~。」

「怖がり過ぎだろ。」

そんな会話を修司の前で楽しそうに繰り広げた。

(嫌だ。)

修司の心が訴えてくる。

体は心の訴えに、しっかりと反応した。

「…?どうしたの?修司?」

ゆかに不思議そうに声を掛けられ、修司は自分の行動に気が付いた。

修司はゆかの両肩を掴んで、秋からゆかの体を引き剥がしていた。

「…すみません。…立ち止まると危ないので、このまま行ってください。」

上手く嘘をつけない修司は、機嫌の悪い顔のまま、二人を廊下へと誘導した。


(疲れた。)

初めての文化祭、初めての呼び込み、そして秋とゆかの仲の良い姿を見て、修司は心身共にそう感じた。

午後3時を回り、修司は何度目かの休憩時間に入った。

友達に他のクラスを一緒に回ろうと誘われたが、修司は一人になりたくて、その誘いを断り、部室に向かった。

今日は文化祭だから、部活はないし、誰も居ないはずだった。

修司は部室のドアノブに手を掛けたまま、捻ることなく、止まってしまった。

部室の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきたからだ。

(橘キャプテン?)

先程、ゆかに対して、マイナスの感情を抱いていた自分がまだ、心の隅に残っていた。

ゆかの声に修司の体が緊張して、動きが止まる。

すると、今度はゆかとは違う聞き馴染みのある声が聞こえた。

「大学になったら、忙しくなるだろうし。」

(先輩!)

それは、秋の声だった。

修司はますます、動きを取れなくなった。

その代わり、耳はしっかりと二人の声を拾ってくれた。

「それは、分かってます。私も来年、先輩の大学を受験します。」

「そっか」

「先輩。分かってますよね。もう。」

「何が?」

「私、先輩が好きです。」

(え?)

ゆかの告白に、修司の鼓動はうるさい程、鳴り続けた。

ドクン。ドクン。ドクン。

「…ありがとう。」

(先輩!。)

秋の言葉を聞いたとたん、それがスイッチの様に、修司の体の緊張が突然解除された。

ガチャン。

そんな音を立てて、修司の止まっていた手は、部室のドアを開けてしまった。

「修司!」

ゆかが驚いて振り返る。

修司はゆかと目が合った。

その事で我に返ったゆかは、修司の横を通り抜けて、部室を出ていってしまった。

告白を聞かれたと思い、焦ったのだろう。

残されたのは、部室の入り口に立つ修司と、奥に立っている秋だけになった。

「すみません。さっきの、聞こえて。」

修司は動揺を隠せなかった。

もしかしたら、声も少し震えていたかもしれない。

「…うん。そうか。…とりあえず、中に入れよ。」

今の修司は、秋の声に反応するだけの機械のようだった。

歩みを進めると、自然とドアノブから手が離れ、主人を失ったドアは、勝手に閉まった。

「ちょっと疲れて、寝転びたくて、でも、屋上は寒いだろ?だから部室で寝てたら、橘が来てさ。」

そう言って秋は苦笑した。

その秋の態度に修司は苛ついた。

「ありがとうってどういう意味ですか?」

「え?あ~告白ってさ、結構勇気いるじゃん?断るにしても、その気持ちを伝えてくれた事に、ありがとうだろ?」

「その気もないのに、お礼を言うんですか?一瞬でも気を持たせてしまうのに。」

修司の疲れた心は、何も考えずに感情のまま言葉を作り、同じく疲れた体は、作り出された言葉を放つだけの機械になった。

そんな修司を秋は驚きの表情で見ている。

「先輩は誰とでも仲良くするから、相手が勘違いするんじゃないですか?先輩、鈍感すぎますよ!それとも相手の反応を分かってて、やってるんですか?相手に気を持たせるのが、そんなに楽しいですか?」

修司の感情が作り出す言葉が体を使って秋に投げつけられる。

修司の思考は停止し、自分でも言葉が止められなかった。

腹が立つ。

秋にも自分にも。

(もう限界だ!分かった顔してるのも、分かってくれない先輩にも!)

「天野?なんで怒るんだよ。」

(何も分かってない!分かろうとしない!)

秋への怒りが修司を動かした。

修司は秋の肩を掴んで、後ろのロッカーに体を押し付けた。

そして秋をロッカーに押さえ付けたまま、強引にキスをした。

分からないなら、体に直接訴える。

修司の想いを秋に伝える手段が他に思い浮かばない。

「ん!」

突然唇を塞がれた秋は、両手で修司の体を引き離そうとした。

だが、体の大きな修司の力はとても強く、抵抗する秋の両手を掴み、ロッカーに押し付け、体で秋を押さえ込む。

少しすると、秋が観念したように、体の力を抜いた。

目を閉じ、修司の乱暴な唇の動きに合わせるように秋も唇で応えてくる。

そんな秋のどっちつかずな態度に修司は段々、悲しくなってきた。

あの丘で、修司の想いから逃げた秋が、修司が求めれば応じる。

(分からない。先輩の気持ちが…。)

そして、唇を離した。

修司は秋の額に、自分の額を合わせた。

しかし、秋の目を見ないで、下を向いたまま呟いた。

「オレ、先輩が好きです。でも…疲れました。」

好きだと言う想いを押さえ込んで、普通の後輩として接してきた日々。

それは秋の事を思っての事だったが、まだ心はそこまで大人には成りきれなかった。

そして心のどこかで、秋がいつか修司の事を好きだといってくれるのではないかと言う期待があった。

でなければ、あの丘の上でのキスはなかったはずだと、どこかで思っていた。

そんな子供っぽい考えが修司を支えたいた。

修司はゆっくりと体を離すと、秋に背を向けて、部室のドアを開けた。



秋は部室に一人取り残された。

放心状態のまま、ずるずると床に座り込む。

心臓がドクン、ドクン、ドクンと早打ちする。

秋はあんなに怒った修司を初めて見た。

焦った秋には、修司を止める言葉が見つからず、下手な質問になってしまった。

「なんで、怒るだよ。」

その言葉は更に修司を怒らせた。

修司の怒りは荒っぽいキスとなって秋に襲いかかってきた。

そんなキスに戸惑いながらも秋は、修司とちゃんと話をしなければと思い、体を引き剥がそうとしたが、修司の本気の力には敵わなかった。

痛い程のキスを受けながら秋は修司の強い想いを感じていた。

秋を求める強くて不器用な修司に対して、体の力を抜いて、修司を受け止めた。

それは、頭を通さず、直接秋の体に伝わった指令。

しかし、きちんと考えきれていない咄嗟の反応は、逆に修司を困らせていた。

その事に気付いたのは、修司の告白を受けた後だった。

「オレ、先輩が好きです。でも…疲れました。」

秋の頭の中で修司の言葉が響く。

(オレ、ほんとに鈍感じゃん。)

今まで修司が無理をしている事に気が付かなかった。

いつも修司の優しさに甘えて、自分と向き合わなかった。

修司と一緒に居られたら、それだけで良かった。

「どうしよう…オレ…。」

そう呟いたら、自分の声が震えていることに気付いた。

「…どうしよう…。」

もう一度呟いたら、鼻の奥がツーンとした。

「…どうしたらいい…。」

3回目の呟きは、最後まで言葉にならなかった。

手が震え、目から涙が溢れた。

誰も居ない部室で、秋は声を殺して泣いた。


次の日、秋は学校を休んだ。

そのまま土日を迎え、修司と会うことはなかった。

お互いLINEもしなかった。

だがその事で、秋は気持ちを落ち着かせる事ができた。

日曜日にゆかから電話があり、文化祭の日の告白について、返事を求められた。

秋が「ごめん。」と言うと、ゆかは少しの間沈黙した。

少しして、鼻を啜るような音とともに「受験先は変えませんよ。」と冗談ぽく言われた。

それは、ゆかなりの誠意。

秋はもう一度「ごめんな。」と言って、電話を切った。

月曜日からは学校へ行き、授業を受けた。

ひとりになりたい時は、屋上の階段の踊り場で過ごした。

そこに修司が来ることはない。

そして、1週間が過ぎた。

久しぶりに秋のスマホに着信履歴を示すランプが付いていた。

確認してみると、番号はシューズショップからだった。

折り返し電話すると、源さんの元気な、しわがれた声で「新しいシューズの出来が良かった。お前にやるから、取りに来い。」と言われた。

秋は気分転換に日曜日に行くと伝えて電話を切った。


一人で電車に乗っていると、いろんな事を思い出す。

秋は心の中で「早く着け」と念じて過ごした。

長い電車の時間が終わり、シューズショップに向かうため、路地に入った。

すると、一人の女の子がキョロキョロと、周りを見渡したり、少し歩いては、止まり、さっきとは逆の方へ進み、また立ち止まったりしていた。

見た目、中学生位の背の高い、女の子だった。

背中には、小さめのデイバックをリュックの様に背負っていた。

その子は秋を見付けると、おずおずと近づいてきた。

「あの、すみません。この辺に<宝シューズショップ>てありますか?」

それは、源さんのお店の名前だった。

「あ~あるよ。」

「ほんとですか?」

女の子は両手を胸の前で合わせて、期待を込めた目で見てくる。

「オレも行くから一緒に行く?」

相手は女の子、しかも中学生かもしれないので、あえて一緒に行くのか選んでもらった。

「ありがとうございます。お願いします。」

女の子は礼儀正しくお辞儀をして、喜びの顔を秋に向けた。

「あのシューズショップに行きたいなんて、珍しいね。」

歩きながら、隣の女の子に話し掛ける。

「あの、お兄ちゃんが格好いいシューズ持ってて、どこで買ったのか聞いたらここだって言われて。…珍しいお店なんですか?」

「ん~、そうだね。あの店はネットとかには出てないし、知る人ぞ、知るって感じかな?。」

「うわぁ、楽しみ。」

お店に着くと、女の子は感嘆の声を上げた。

「すご~い、レトロ!」

女の子のその表現に秋は思わず笑ってしまった。

「レトロね~。物は言い様だな。」

「この看板とかも素敵。写真とか撮っても大丈夫かな。」

「ネットとかにあげないなら良いと思うよ。ここのお店の人、気難しいから。」

「気難しいとはなんだ、秋。一本筋が通っているだけじゃ。」

源さんは秋の頭にげんこつを落とす。

「痛っいな~。折角お客連れてきたのに。」

「お客?」

源さんは秋の後ろで、店を見て喜んでいる女の子に目をやる。

「お嬢さん、気に入ったのがあれば教えてくださいね。」

源さんは秋には見せたことのない、優しい顔で女の子に声を掛けた。

「はい!ありがとうございます。」

女の子はそう返事をすると、お店の見物を終え、シューズ選びを始めた。

「女の子には、優しいんだな。」

「お客に優しいんじゃ。」

「オレも客だよ。」

「お前は手の掛かる孫みたいなもんじゃ。それより、これをお前にやりたくてな。」

源さんはレジの置いてあるカウンターの下から、紙袋を取り出した。

「出来が良かったってやつ?」

源さんは顎で「開けてみろ」と示した。

紙袋から出したシューズは、白地にゴールドのラインの入った、シンプルな運動用のシューズだった。

「このゴールド、いいね。」

「お前の髪の色によく合うじゃろ。」

源さんは、秋から目線を外して言った。

「これ、オレの為に作ったの?」

源さんはゴホンと咳払いをしてから答えた。

「一応、大学の入学祝いじゃ。」

そう言いながら、やっぱり目線を合わせない。

それがとても源さんらしかった。

秋の心に暖かい物が込み上げてきた。

「ありがとう。」

良いものが出来たと言うのは、秋をお店に呼ぶ口実で、本当はお祝いを作ってくれていたのだ。

「大学でも跳ぶんじゃろ?もし、靴の調子が悪くなったら、持ってこい。直してやる。」

「その時はここで、また買うよ。」

そう言う秋の頭を源さんは微笑みながら、くしゃくしゃと撫でた。

「なんか、元気出てきた。ありがとう、源さん。」

「お前でも落ち込む事があるのか?。」

源さんは、からかうように言ったが、秋は静かに答えた。

「あるよ。」

そう言った秋の頭の中には、修司の顔が浮かんでいた。

(傷つけて、いなくなった。)

「何があったか分からんが、秋、今からこの先10年、同じ環境で過ごすことはもうなくなる。目まぐるしく秋を取り巻く環境は変わっていくはずだ。同じ場所で立ち止まれるのは今だけだ。今の失敗や後悔から逃げるなよ。逃げなければ、これから先の10年、お前を支えてくれる糧になるはずじゃ。」

(今しか…立ち止まれない。)

秋は心の中で源さんの言葉を繰り返してみた。

(今しか出来ない事が、ある。)

「あの~お話し中すみません。」

秋が何か掴み掛けた時、シューズを選んでいた、女の子が申し訳なさそうに、秋と源さんの横に来た。

「これを買います。」

女の子が選んだのは、黒の下地に黄色とシルバーのラインが入った、大人っぽいスニーカーだった。

女の子はお財布からお金を取り出して、源さんに渡した。

「ありがとうね。」

源さんはお金をレジにしまうと、スニーカーを紙袋に入れた。

「この靴で明日から小学校に行きますね。」

「小学校?」

秋は思わず聞き返した。

「はい。6年生です。」


よく、話を聞いてみると、女の子は一人でこの街まで来ていたと言う。

どこまで帰るのかと聞くと、秋の最寄り駅と同じだった為、二人は一緒に帰ることになった。

(小学生とはね。背が高くて中学生かと思ったな。)

それに、ハキハキとした物言いと、しっかりとした受け答えに、とても小学生には、見えなかった。

「あの、あきさんって言うんですか?名前。」

二人は電車の座席に横並びに座った。

「え?あ、うん。そうだね。男なのに珍しいでしょ?。」

秋は苦笑いをする。

女の子は源さんが「秋」と呼んでいるのを聞いていたらしい。

「そんなことないです。私と同じ名前だなって思って。」

「そうなんだ。」

「はい。」

あきという女の子は、はにかむように笑った。

「あ、でも、漢字は春夏秋冬の秋だよ。」

「もしかして、秋に生まれたとか?」

「正解。」

「私は、ええっと、」

女の子は持っていたスマホで、自分の名前の漢字を入力して、見せてくれた。

「亜紀ちゃんか、女の子らしい漢字だね。」

「秋さんの秋も格好いいです。」

「ははっ。ありがと。ところで駅に迎え、来てくれるの?」

「はい。お母さんにお願いしました。」

「なら、良かった。」

「秋さんは何歳ですか?」

「18だよ。もう高校卒業。」

「淋しいですか?」

「え?」

「さっき、お店で…。」

小学生の亜紀は、源さんと秋の会話からそう感じたようだった。

「淋しいと言うか、…後悔してるって言うか…。」

秋は、独り言になりそうな位の小さい声で答えた。

「後悔?」

「友達を怒らせちゃってね。」

独り言のような呟きを拾われて、戸惑いはしたが、秋は小学生の亜紀に合わせた答え方をした。

「秋さんが?そんな風に見えない。とっても優しいのに。」

「そんなことないよ。少なくとも、あいつには酷いこと、したんだ。」

「謝った?。」

「…まだ、…。」

「なんで?。」

小学生の亜紀からの素直すぎる質問。

それがかえって、秋の迷いだらけの心に引っ掛かりを残した。

「なんでかな?…」

そう言いながら、秋は自分に問いかける。

(あいつは、許してくれるんだろうか?オレが謝ったら、どんな顔をするんだろう?どんな態度をするだろう?)

そう考えると、不安だった。もし拒絶されたら…。

「恐いのかな?」

秋の中で一つの答えが生まれた。

謝れないでいる理由、それは修司に拒絶されるかもしれないと言う、不安。

「怖い人?」

小学生の亜紀は、秋の「恐い」を、人の性格の事だと勘違いしていた。

「違うよ。すごい優しい。」

亜紀からの思いも寄らない質問に、秋は苦笑いをしながら答えた。

「優しい人ならきっと、許してくれると思うな。」

「…そうだね。…。」

秋はあの丘で、混乱していた自分に優しく微笑んでくれた修司を思い出した。

修司は秋の気持ちを優先してくれた。

なのに自分は逃げてばかりだ。

「秋さん、怒らせたまま、卒業して良いの?」

(良いわけない。)

そして、源さんの言葉がもう一度秋の中で再生される。

<同じ場所で立ち止まれるのは、今だけだ。今の失敗や後悔から逃げるなよ。>

(逃げていたら、オレはずっと後悔する。)

「今しか出来ない事…か。」

源さんのお店で掴み掛けた何かが、秋の中に甦ってくる。

(きっと、もう遅い。でも…。)

全ての輪郭が、徐々に徐々に見えてくる。

「あの、うちのお母さんが、私に怒る時によく言うんだけど、怒る方も辛いのよって。もしかしたら、友達も辛いかも知れないよ。」

その言葉に秋は、はっとさせられた。

いつも優しい修司があんなに怒った。

(あいつは、優しいから、オレに怒った事に罪悪感を覚えたかも知れない。だめだ、そんなの。あいつは、悪くないって言ってやらないと。)

いつかの修司が言ってくれたみたいに。

<先輩は悪くないです。>

(たとえ、オレのおごりだったとしても、今しか言えない。)

秋はぎゅっと手を握りしめた。



「亜紀を駅まで迎えに行ってきて。」

母親にそう言われて、修司は最寄り駅の改札に来ていた。

日曜日の夕方は平日よりも、ごった返す。

修司は改札に向かって歩いてくる人達の中を、慎重に見ていく。

(まったく、一人で勝手に)

小学生の亜紀が一人で、電車を使って出掛けた事に、修司は呆れるやら、心配やらで少し苛立っていた。

もともと、最近の修司はあまり機嫌が良くなかった。

秋の事がずっと、頭にあるからだ。

思いがけず、気持ちをぶつけることになってしまった事への後悔、自分を止められなかった自身への苛立ち、そしてもう戻れない、秋との関係性、いろんな思いが駆け巡り、修司の心はなかなか落ち着いてくれなかった。

秋からの連絡もない。

(自業自得だ。)

そう思うのに、どうしようもなく、自分を納得させることが出来ない。

家に居ても、部活をしていても、気持ちが別の場所に行きたがる。

今日の部活でも、思いの外結果が出ないばかりか、何度も跳躍に失敗して、周りに心配されてしまった。

そんな後味の悪い部活の後に、亜紀の事を聞かされて、機嫌よく迎えに来ることなど出来なかった。

亜紀の電車の到着時間も定かではないので、人波が流れてくる度、修司は目を凝らす。

(そろそろだと思うけど。)

すると、見慣れたデイバックが見えた。

修司はため息をつきながら、亜紀を目で追った。

亜紀は人波に紛れながら、改札に向かって歩いている。

時折、横を向いて誰かと話しているようにも見える。

だが、亜紀は途中で横の誰かに手を振って別れ、改札を通った。

「あれ?お兄ちゃん!」

亜紀は修司を見つけると、嬉しそうに修司に走り寄ってきた。

「こら、心配するだろ」

喜んでいる亜紀に軽くげんこつを落として、修司は言った。

「ごめんなさい。」

亜紀は舌を出して、謝った。

そんな亜紀を見て、修司はまたため息をついた。

「お母さんが迎えに来ると思ってた。」

「ほんとは母さんだったけど、オレが丁度帰ってきたから頼まれたんだよ。」

そう言いながら、修司は駅の出口へと歩き出した。

「そうなんだ。」

亜紀も並んで歩く。

「でも、一人じゃなかったんだな。」

修司は改札から見えた亜紀の様子を思い出して言った。

「え?一人だよ。」

「でもさっき、誰かに手を振ってただろ?友達じゃないのか?」

「あぁ、秋さんの事か。」

「アキさん?」

「うん。宝シューズショップに行く途中で道に迷って、そしたら秋さんが一緒にお店まで行ってくれて、で、秋さんもここの駅だったから、一緒に帰ってきたの。」

修司は歩みを止めた。

そんな修司を不思議に思い、亜紀も止まった。

「どうしたの?お兄ちゃん?」

「アキ…?さん?」

宝シューズショップ、アキさん。

修司の中で暗号の様に、二つの名前が彷徨う。

(まさか…)

「うん。とっても綺麗な顔のお兄さんで、ふわふわした茶色の髪が素敵なの。確か高校3年生だって言ってた。」

(先輩!)

「え?お兄ちゃん!どこ行くの?」

「母さんを呼べ!」

修司は走り出していた。

秋がすぐそこにいる。

そう思うと、居ても立っても居られなくなった。

修司は亜紀が出てきた改札とは反対側の改札へ走った。

改札口に着くと、周りを見渡す。

しかし、秋の姿は見えない。

修司は駅を出て、学校までの道を走り出した。

反対の出口からは、この学校に行く道しかない。

歩いている人はまばらだ。

だが、秋の姿が見えない。

(なんで、ちゃんと確認しなかったんだろう)

亜紀が手を振った時、相手を見ていなかった自分に腹が立つ。

行き交う人波に、亜紀を見つける事しか気が行かなかった。

(すぐ、そこに居たのに!)

段々と学校が近づいて来る。

歩いている人は居なくなった。

修司は息を整えながら、走るのを止めた。

(何やってんだ…オレ)

一人きりの道で、冷静さを取り戻す。

上がった息が整うまで、待った。

最後に大きく息を吐いた。

(帰ろう。)

修司は来た道を戻るため、振り返った。

その時目の前に、白の生地にゴールドのラインが入った靴を履いた、誰かの足元が見えた。

ゆっくりと視線をあげる。

「先輩…。」

そこには、高宮秋が立っていた。

「天野…。」

秋は驚いて、こっちを見ている。

手には宝シューズショップの紙袋を持っていた。

「あ、あの、さっきはうちの妹がすみませんでした。」

修司は咄嗟に亜紀の話を出した。

「妹?…亜紀ちゃんが?」

「はい。さっき、亜紀から、あ、いや、妹から聞いて…。」

同じ名前なので音にすると、どっちの事を言っているのか、ややこしくなると思い、修司は言い直した。

(なに言ってんだ、オレ。)

しかし、秋の事を名前で呼んだことなんて無いことに、すぐ気付いて、修司はまた視線を下げた。

「亜紀ちゃんはどうしたんだよ。」

「母さんに電話掛けるように言いました。」

下げた視線の先に、秋の真新しい靴がある。

修司は無意識にその靴を見ていたのだろう。

その視線に気付いて、今度は秋が口を開いた。

「これ、源さんからの入学祝い。…取りに行ってたんだ。」

秋は修司に見せるように、右足を軽く上げた。

「早く馴染ませたくて、さっき、駅で履き替えてた。」

そう言って秋は足を下ろした。

先に行っていたはずの秋が、後から現れた理由が分かった。

「そうですか…。」

うまく話せている自信はないが、何となく会話は続いている。

修司は必死で言葉を探す。

「似合ってます。」

「サンキュ。」

11月の冷たい風が二人をかすめて行く。

秋は少し身を震わせ、言った。

「ちょっと部室に寄って行かないか?」


部室の前に来ると、秋はポケットから鍵を取り出した。

「この前、鍵を借りてそのままになってて。今日帰りに返そうと思って、持っててさ。」

この前とは、文化祭のあの日の事だとすぐ分かった。

部室の鍵は3本あるので、鍵が一つ無くても、部活に支障はなかった。

そして今日の様な休みの日は、部活のある顧問だけが学校にいる。

その事を秋は知っていて、今日返そうとしていたのだ。

部室に入ると、さっきまで生徒が居たであろう空気感がまだ残っていた。

秋は部室の机に持っていた紙袋を置き、棚へと移動した。

修司は秋の行動の意味が分からず、秋の動きを見ていた。

秋は振り返ると、手のひらを開いた。

そこには、小さなサイコロがあった。

秋はサイコロをつまみ上げ、机に置いた。

「よし。」

秋が小さく呟いた。

「最初はさ、好奇心だったんだ。」

秋は修司をまっすぐ見て言った。

「え?」

修司は反射で言葉を返す。

「ゲームでお前を試そうとした日。」

「はい。」

その日の事は後日、秋が謝ってきた。

修司ももちろん覚えていた。

「だから、次の日お前が休んだって聞いて、焦った。あのゲームが原因かなって。」

「あれは…風邪で…。」

「分かってる。…風邪って聞いた後、今度はオレが原因で風邪を引いたのかなって思った。」

「違います。」

「それも分かってる。」

(先輩?)

過去にあった、お互い誤解だったと分かった時の話を秋はなぜ今するのか、修司には分からなかった。

「でも、その時はオレが風邪をひかせたんだって思ってたから、お前の一言が結構きつくて…。」

「オレ、何か言いました?」

修司は不安になって、思わず聞いてしまった。

「補習してる時に、教室に来ただろ?オレいつの間にか寝てて、目が覚めたら、お前が目の前にいた。」

そう言われて、修司は思い出した。

その日は、教室で補習をしている秋の姿が運動場から見えていて、修司は部活終わりに秋に会いに行った。

「体は大丈夫そうだなって言ったら、見てたんですかって言われて、なんか怒られてる気になって、ショックで、でも、ごめんって言えなくて、逆にオレが怒っちゃって。」

「すみません。」

「悪くもないのに、謝るな。」

秋はそう言って、小さく笑った。

そして、続ける。

「その事を謝るぞって思ってた日に、今度は逆にお前に謝られて、こいつは不器用なんだって改めて感じた。そう思ったら、お前の事をもっと知りたくなった。分かってやりたくなった。」

修司の心は、鼓動を強くした。

「サイコロを振って、ハグが出た時、まさかほんとにするなんて思ってなかったから、いきなり抱き締められて、ビックリしたけど、これは、お互い様にするためのハグなんだって思った。だから、その後も普通でいられた。」

「はい。」

だが、修司には違った。

あの時、秋が修司の不器用さを認めてくれて、本当の自分でいることを受け入れてくれたと感じ、嬉しくて、切なくて、初めて秋を意識した瞬間だった。

「それからは、普通にお前と居るのが楽しくて、いつの間にか、お前と居るのが当たり前になってた。」

「はい。」

さらに秋は続けた。

「あの丘で、転びそうになったオレを抱き止めてくれた時に、オレ、またお前を試したくなったんだと思う。」

「…試す?」

修司の鼓動が落ち着きを取り戻していく。

秋はあの丘での出来事も、ゲームだったと言うのだろうかと不安がよぎる。

「うん。」

秋は頷いた。

「お前がオレを受け入れてくれるのか、知りたくなったんだ。」

「なんで…?」

修司から自然と言葉が紡がれた。

知りたい?なぜ、そんな事を?と。

「もし、お前が受け入れてくれたら、オレはどうなるんだろうって、知りたくなったんだと思う。」

「オレの気持ちも、先輩の気持ちも、試したかった?」

「…たぶん。」

「試してみて、後悔したんですか?だから、いつも通りでいたいって?」

言いながら、修司の胸は締め付けられた。

(なんで、こんなこと、確認しないといけないんだ。)

秋はわざわざ、自分に後悔していると伝えたかったのかと、悲しくなる。

もう、後悔ならとっくにしてる。

文化祭の日に、秋を好きでいることに、疲れたと言ってしまったのだから…。

「いつも通りで居ることが、正解だと思ったんだ。」

結局、自分は秋に振り回されていただけなのか?

ゲームの続きをしていただけなのか?

「怖くなって…。」

秋が呟く。

「お前が受け入れてくれた時、オレ、怖くなったんだ。」

修司は力なく、顔をあげだ。

秋は変わらず、修司を見つめていた。

「お前がオレをずっと好きでいてくれる自信がなくて…いつか、お前が後悔するんじゃないかとか、考えて、怖くて、不安で…どうしようもなかった。だから、友達でいる方が、ずっと一緒に居られると思ったんだ。」

「…え?…。」

今秋は何て言ったんだろう?

修司は聞こえてきた秋の言葉に自信がなくて、秋の言葉を繰り返してみる。

「ずっと好きでいてくれる自信…?」

「うん。」

修司の呟きに秋が返事をする。

答え合わせをするように。

そして秋は、一度息を吐いた。

そして、改めて修司を見て言った。

「オレ、お前が好きなんだ。」

秋の告白に、修司は目を大きく開いた。

驚きが隠せず、言葉も出ず、自分の表情もコントロール出来ない。

「お前が文化祭の日に怒った時、初めて気付いた。…いや、…気付いてたのに、自信が持てなくて…でも、お前と離れる勇気も持てなかった…。だから…。」

修司は秋の腕を引っ張り、自身の胸のなかに導いた。

そしてぎゅっと、強く抱き締めた。

「ごめん…お前は何も悪くないのに…オレ…。」

抱き締めた秋の体が、声が、震えている。

修司は秋の震えを止めたくて、秋に安心して欲しくて、心の底から絞るように言った。

「オレだって、離れたくない。」

修司は続けた。

「秋が…好きなんだ。」

修司の告白に答えるように、秋の腕が修司の背中を抱き締め返す。

抱き締め返す秋の腕もまだ、震えている。

(大丈夫。安心して。)

そう伝えたくて、秋の目を見て言いたくて、体を少し離した。

そして、秋の顎をすくいあげ、瞳を見た瞬間、愛おしさに理性が押さえきれなくなった。

修司は欲しいがままに、秋の唇を奪った。

秋の体が修司の強引さに負けて、キスをしたまま、後ろに下がれば、修司の体も秋を追いかけて、さらにキスが深くなる。

修司は夢中でキスをしながら、秋を壁まで追い詰め、耐えきれなくなった秋が壁伝いにしゃがめば、修司もしゃがんで、秋の唇を求め続ける。

「…ん…はぁ…ん。」

時折、秋の口から甘い吐息が漏れる。

それを聞きながら、修司は唇を繋げたまま、「好き」と呟き、すぐにまた、秋の唇を味わい続けた。

夕方の部室で、二人だけの吐息が混じり合う。

そして、いつしか秋の震えも止まっていた。

「修司。」

キスの合間にそう囁かれて、修司は唇を離した。

お互いのおでこを合わせて、見つめ合う。

そして、微笑み合う。

やっと、ひとつになれた。

やっと、本当の秋を手に入れたと実感出来た。

「修司…。」

「ん?」

「好きだよ。」

「オレも」

「ずっと、一緒にいて。」

「うん。」

「修司。」

「なに?」

「キスして」

二人は今までの離れていた時間を取り戻すように、甘く囁き合い、とろけるようなキスを繰り返した。


窓からの優しい夕焼けが、秋の置いたサイコロを照らしていた。

サイコロの目は、2、告白。

もう、ゲームなんかじゃない。

二人の意思で、これからの道が決まる…。


おわり。
































































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