第五話 慟哭するマッチョ。動揺する少女。
「ふぇ?」
あまりに突拍子のない事を言われたので、クルミも素っ頓狂な返答をしてしまった。
「あ、す、すいません! ひどいことを!」
「うん?」
何の事かと言わんばかりに片眉を上げる男。
「いえその・・・手・・・」
言えない。言えるはずがない。言えば今度こそ殺される。
「手? あぁ、コレね。」
男が両腕を上げる。やはり拘束具だけあって重そうではあるが、男は軽々と持ち上げてしまった。
「いいのいいの。オレ、そういうの全然気にしないから。」
「けど」
意図せず差別的な事を言ったことを謝るつもりだったが、クルミは言い掛けた言葉を飲み込む。決して謝罪を止めた訳じゃない。ただ、『手枷隊』と普通に会話をしている事実が信じられなかった。小さい頃から言い聞かされてきた、万が一出会ってしまっても、関わってはいけない人間に。
「はーん。そーいうことね。」
少女の様子を見て男がまた眉を上げる。何かに気づいた時の癖のようだ。
「気が変わったぜ。お嬢ちゃん。」
「え?」
男の声色が急に変わる。低く、冷たく、まるで、いや、話に聞いていた『手枷隊』の想像通り。カミソリのように鋭い殺気を放つ声。身体がまた震えだす。
「選びな。ここで。」
「え、選ぶ・・・。」
選択の権利が与えられた。身か銭か、すべてを奪われるか。どんなに苛烈な選択肢を出されても、この場を生きて逃れることができるのならば。なんだってしよう。
「食べ物を寄越すか。服を寄越すか。」
「え?」
埒外の選択肢。流石にクルミも恐怖より先に質問せざるを得なかった。
「た、食べ物か、服、ですか?」
「そうだ!」
さも当然、というように声を張り上げる。風か威圧感か、ローブが大きく後ろに靡く。
「あ! そのローブとかいいね!」
「よ、ヨダレとかついてますけど!」
「知らん!!」
今更だがこの男、あれだけ怖がられておきながら、股間を葉っぱで隠した全裸のマッチョであった。クルミが勢いに圧され、ぽかん、としていると、男が眉毛だけでなく、口を、まるで顔全体を八の字に曲げて、涙と鼻水とヨダレを垂れ流し、おいおいと喚きだした。
「オレにはもう何もねぇんだ! パーティも追われた! そン時に服も一緒に盗られた! 銭だって無ぇ! 銭がなきゃぁ飯が喰えねぇ! 飯が喰えなきゃ力が出ねぇ! オレだって何も年端のいかない女の子に金はせびらねぇさ! だからせめて、食いモンをくれればこの場は見逃してやる!」
自分の身の丈よりも大きな男が泣き出す。無論クルミには初めての体験だった。そして筋骨隆々の赤子の慟哭は、まだ続く。
「大戦が終わってからずっとこの調子だ! やっとこさパーティに入ったら、後ろ指さされ、やれ穀潰しだと罵られ! オレは精神までマッチョじゃねぇんだ! それ考えると無理やり追われたのは良かったかもしれないね! とはいえ、とはいえだよ! なにも身包み全部持っていく必要はないんじゃないかな! もはや追い剥ぎだよ! 」
「それを今貴方もしようとしてるんです!」
思わずクルミも語気を強めて返す。
それはもはや萎縮や困惑を超えた、理解し難い恐怖だった。初めこそ、あの体躯から醸し出される雰囲気や、何より重く垂れ下がる手枷を見て、命の危険を感じていたが、殺気を出したと思いきや、大声で泣き散らす。そんな情緒不安定さが酷く恐ろしく感じた。
さながら蛇に睨まれた蛙。
そんな状況に男は気が付いたのか、限界まで下がった八の字眉毛を動かさないまま、嬉々として笑い出した。
「ははははは! どうだ怖いだろぉ! あまり自分から言いたかぁねェが、そうともオレは『手枷隊』でねぇ! どうだいお嬢ちゃん! お前を人形でにも石像にでもしてやろうか!! なりたくなかったら、大人しく飯でも服でも寄越ぉーーーーーん!!!」
間抜けな声を伸ばしながら、全裸のマッチョが地面に倒れこむ。
「うるっさいよ!!!アルフ!!!」
一喝。しゃがれているが、よく通る声がこだまする。
「ばあさん・・・!」
さながら蛇に睨まれた蛙。
先ほどまで同情か恫喝か、どちらにせよ荒々しくモノを強奪しようとしていた青年とはまるで違う、去勢された犬のような物悲しさを感じさせた。
「調子に乗るんじゃないよ。阿呆が。」
トサカ頭の後頭部を殴り抜いたフライパンを肩に背負って、老婆は地べたに這いつくばる巨漢から、目を丸くして震えている小さな魔術師へと視線を移した。
「怖かったろう?・・・悪いヤツじゃないんだがね。これは真性のアホなのさ。」
「あ、あの・・・」
「ふん。」
目の前の少女が何を言おうとしたかを察したのか、老婆が不適に、しかし優しく微笑んだ。同じくクルミもその笑みに何故か安心して、その想いを口にするのを止めた。そして続く老婆の言葉を聞く。
「あたしが、クレアだよ。まぁ名前どおり、この『クレアズ・ギルド』のマスターさね。」