第一話 ふわり、ふわり、特別な日。
街のどこかでニワトリが鳴いてから、しばらく経つが、今日は珍しくそれよりも早く起きていた。
「お父さん、お母さん、行ってまいります!」
にこやかに見送られながら、勢いよく家を飛び出した女の子。優しい風になびく、栗色の髪が陽光に照らされて、きらきらと光る。
本日の空は雲ひとつ無い快晴で、新たな旅路の門出を祝うにはちょうど良い。
少女は小柄な身体をぴょんぴょん跳ねさせながら進む。たん、たん、と石畳を踏む音が小気味よい。靴だって、この日に合わせて新しいものを選んで買ったのだ。もう、かかとの擦り減りを気にすることもない。
ひとつ心配があるなら、今の服装が膝下まである焦茶色(自分の髪色に近いのを選んだ)のロング・ブーツと、これまた膝下まで丈のある黒いローブなので、昼頃になると暑くなりそうだ、ということくらいだった。
見慣れた服屋や八百屋も、なんだかいつもと違って見える。学校へ行く時に、いつも通っているパン屋でさえも、初めて見つけたお店のように新鮮に見えた。
それくらい、彼女にとって特別な日なのだ。
溢れるワクワクが、鼻歌となってメロディを奏でる。
ふと、ふわり、と小麦の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。そういえば丁度、朝一番の焼き上がりが終わるくらいの時間だ。
「クーちゃん!」
店の奥から、ちょび髭を蓄えた壮年の男が出てきた。手に持った籠には、溢れんばかりのパンが詰められている。そしてパンと同じほどに、ふっくらふくよかな顔を緩ませていた。
「ザムおじさん! おはようございます!」
「あい。おはよう。朝からご機嫌だねぇ! いいことがあったのかい?」
「そうなの! でも、良い事はきっと、これから起きるのよ!」
「ふむ? これから?」
「いえ、これからも、ね!」
「どういうことだい?」
「ふふ。」
頬をぷくりと膨らませ、イタズラに微笑む。
「だって・・・」
少し上がっていた息を整えつつ、少女はそう答えた。
そして整え終えた息を深く吸い、少女はこう続ける。
「今日から、ギルドに入るんだもの!!」
朝の日差しに負けないくらい、めいっぱいの笑顔。
ザムもそれにつられて、にこりと笑った。
「おお、それはめでたい!」
「ありがと!」
「でも、行く前からそんなに飛び跳ねてると、せっかくのおめかしが崩れちゃうよ?」
「確かにそうね!身嗜みはしっかりとしないと!」
そう言うと、真っ直ぐ切り揃えられた前髪をおもむろに直し始めた。しかし自分の姿を写せる物がないので、どうなっているのかわからない。
「クルミちゃん、これ、よかったら。」
「おばさん!」
とても良いタイミングだ。
クルミは手鏡を貰うと、すぐさま髪が崩れてないかを確認した。
「よし。クーちゃん。お祝いだ。特別にこれもあげよう!」
「何かしら?」
ザムが赤らんだ鼻と頬をふくらませ、目尻を垂らす。元々のえびす顔が更に蕩けるものだから、クルミもついつい笑ってしまった。
「じゃーん!」
「わぁっ! ミルクのパン!」
ヤギのミルククリームをたっぷり入れて、ふんわりと焼き上げた自慢のパン。クルミは学校に通っている時、毎日おやつにこれを買っていたほどだ。学校の帰りにも一日のご褒美として食べていたので、夕飯が食べられずお母さんに注意をされていた。
「ありがとう! ザムおじさん! おばさん、手鏡は返すわ!」
「ん。ますます可愛くなったわね。」
「そうかなぁ?」
クルミがへにゃりと顔を溶かす。
「じゃあ、おじさん、おばさん、そろそろ行くわね!」
パンを何個か袋に入れて貰い、落とさないように優しく抱える。
「うふふ、いってらっしゃい。」
「ただ、はしゃぎすぎて怪我をしないようにね。」
「大丈夫よ! 少しの怪我なら『治癒』で完ぺきに治せるもの!」
そう言って、にっこりとはにかむ。
クルミ・マーガレッタ。魔術学校を卒業したばかりの見習い魔術師である。かねてより憧れであった、冒険者ギルドへと入団するとこになった。まだ十四歳の少女には、親元を離れる不安は勿論あるのだが、魔術師として人の役に立てることが、それ以上に嬉しくて仕方がないのだ。。
焼きたてのミルクパンを一口かじる。はふ、と甘い湯気が口から溢れ、彼女の動きに沿って弧を描いて消える。
この先も、きっと、きっと、楽しいことが待っている。
拙作、穀潰しクエスト。第一話を読んで下さり有難うございます。
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