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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

変な人に拾われたはなし

【コミカライズ!】婚約破棄をされました、変な人に拾われました。



「シーラ・リシュタイン、やっぱり俺はお前のような怖い女とは結婚したくない!婚約は破棄させてもらう!」


ここはアイゼルバルト王国の最北端、一年の半分は雪に覆われる冬の地方ミルフォーゼ。

北の国境を守るミルフォーゼ騎士団の大隊が魔物討伐遠征に一区切りつけて帰って来た際の慰労パーティで、シーラは婚約者のロベルト・ウェンブルクに婚約破棄を突き付けられていた。



今日のシーラはロベルトとこの慰労パーティもとい無礼講に来ていたが、先ほどまで彼はシーラをほっぽって仲間と酒を飲んでいた。

飲みながら日ごろから溜めてきたシーラへの愚痴を吐き出していて、そこで同じく酔った仲間に煽られて彼は決断してしまったようだ。


まあ、既に準備されていた婚約解消の同意書を懐から引っ張り出してきたから、酔った勢いで決断したのは時と場所だけだったということだ。




強い騎士だった父が魔物に殺されて、残された母と数人の従者たちしかいない小さなリシュタイン子爵家の一人娘、シーラがこの婚約を決めたのはつい一年前くらいのことだった。

リシュタイン家は父が生きていた頃は活気があり評判も良い家だったが、大黒柱を失ってからはゆっくりと萎びるように衰退しつつあった。

父が残してくれたお金は難病を患っていた祖母にほとんど使ってしまっていて、金銭面でも困窮しつつあった。

そんな時にウェンブルク公爵家の嫡男、ロベルトとの婚約の話が降って湧いてきた。

なんでも、蜂蜜を煮込んだような豊かな色の髪と白くて滑らかな肌、長いまつげに縁どられた翡翠色の瞳の美しいシーラに一目惚れしたとかで先方から熱烈に求婚されたのだ。

シーラの家としても、娘が身分も評判も資産も申し分ない公爵家に嫁げるということで、とんとん拍子に話が決まった。


ミルフォーゼ騎士団の上級官として戦いに出るロベルトの姿が、同じく隊を率いていた亡き父を彷彿とさせない事も無かったのでので、シーラ自身もロベルトと結婚してもいっかと思っていた。




「お前は可憐な女だと思って婚約したのに、とんだ詐欺にあった気分だ。魔物を真っ二つにしたのみならず、そのぶちまけられた内臓を見てもきゃあとも言わないような怖い女、部下ならまだしも妻としてはやっぱり可愛がれる気がしない!

俺が血みどろの戦地から帰ってきた時に、家で出迎えてくれるのはやっぱり守ってあげたくなるような可愛い妻がいいんだ!」


酔って顔を赤くし、ふらつきながら叫ぶロベルトから顔を逸らして、シーラはハアと小さくため息をついた。


一目惚れされるような美しい容姿を持ちながら、女じゃないと言われたシーラ。

シーラは強かった父の血を必要以上に引いていた。

それに加えて息子ができたら強く育てるんだと意気込んでいた父に、男ではなかったがまあいいかといろいろ仕込まれた所為で、婚約者の前で手刀で魔物の頭をカチ割ったこともある女の子になってしまった。

その時の魔物は単体だったし決して強い種類のものでもなかったが、それでも男性が思い描く可憐な女の子からは程遠い。

それに加えて顔を赤らめたり恥ずかしがったりあまりしないところも、ロベルトのお気に召さなかったのだろう。




婚約して一年弱。

今日、シーラは公衆の面前で大きくバツをつけられた。

まだ結婚はしていないが、これから誰が婚約破棄されたような中古の不用品を貰ってくれると言うのだろう。


…やはり私は生涯独身のようです。

母には止められていましたが父から受け継いだこの力を活かすためにも、これを機に騎士団に入るとしましょうか。

ずっとお誘いいただいていましたしね。


特に抵抗する気も起きず、シーラは無言で婚約解消の同意書にさらさらとサインをした。




と。




「フン。丁度よかった、うちでお前を雇ってやろう」



突然声が降ってきた。

花束が目の前に現れた。

突き出されて、反射的に受け取ってしまう。

それはスイセンの花束だった。

シーラは花は特に好きではないけど、好きな花を聞かれたらスイセンと答えるようにしていた。

偶然かもしれないが、その花束はシーラが好きだと公言している花で溢れていた。



目の前にいるのは何度か見たことがあって、少しだけ話したことがある男性だった。

彼はブルーナー伯爵家のテオドール。

ブルーナー伯爵家と言えば先代の当主が騎士として魔物と戦って戦死しているから、シーラとそう歳も変わらない若い彼が当主の家だ。





「これが契約書だ」


「はあ」

渡された紙を受け取って見てみると、それは雇用契約書ではなく婚姻届だった。

裏返して見てみても、逆さにして読んでみても、シャンデリアに透かして見ても婚姻届だった。


目の前にいるテオドールを窺うように見てみる。

冷たい雪のように白い肌と、月の出ていない夜のような漆黒の髪と目の綺麗な人だ。

婚姻届など何も知らないと言ったような、涼しい顔をしている。



騎士団に所属する彼の噂は聞いている。

彼は、この雪の降り積もる白銀の地を守るミルフォーゼ騎士団の中で意外にも数の少ない、氷と雪の魔法を使うソーサラーだ。

寒さに強いこのあたりの魔物に決定打を与えられる魔法かと言えばその強さはないが、環境を味方につけ仲間の援護をさせたら騎士団屈指のソーサラーだと言われている。

そういえば女の子達は彼のことを絶対零度の貴公子と呼んで、あの冷たいところがいいのだときゃあきゃあ言っていたな、ということも思い出した。




シーラはふむと一呼吸おいて、なんとなく、そして思うままに選択してみることにした。












事の顛末をシーラから聞いた母は突然の話だったにもかかわらず、本当にいい人に出会った時は迷わないものなのよと喜んでいた。

その後に父と出会った時の話も掘り出してきて、延々とシーラに聞かせてくれた。

使用人たちも、ブルーナー家は申し分なく良い家ですよと嬉しそうだった。


それから少ししてシーラが家を出る当日、母はいそいそゴソゴソとタンスの奥から引っ張り出した自らが若い時に着ていた一張羅を持たせてくれた。

着る機会はないだろうと思ったが、断わるのも申し訳ないので持っていくことにした。

シーラ自身荷物も少なかったし、母の流行遅れの嵩張るドレスを詰め込んでもトランク二つで事足りた。





夕方、テオドールが迎えのソリの足が付いた馬車を出してくれていたので、シーラはそれに乗り込んでブルーナー家へ向かう。


ブルーナー家の屋敷の大きな門に到着して、もこもこと厚着のシーラは玄関まで雪道をサクサク歩く。

その後ろからは出迎えてくれたブルーナー家の従者が、シーラのトランクを持って後を付いて来てくれた。

ふと横に目をやると、ずっと奥まで真っ白が続いている。広い庭だ。

屋敷もとても大きかった。

雪を被った白い屋根も壁も、分厚くて上質なものだと一目でわかる。

室内は温かそうだ。



ドアノッカーを手に、扉をトントンと叩く。


扉を叩き終わる前に、テオドールが勢いよく扉を開けてくれた。


「遅い。俺を待たせるとはいい度胸だ」


別に遅れたわけでもないのに、なぜかそんな喧嘩腰のセリフを嫁入りしたての妻に開口一番吐きかけた。

が、ドアを開けた瞬間に一瞬だけ覗いた嬉しそうな彼の顔が印象的で、シーラは不思議と不快な気分にはならなかった。



「テオドール様、これからよろしくお願いします」

シーラは玄関でぺこりとお辞儀をした。


それを見たテオドールは何か別のことを言いたそうに息を吸ったが、


「……フン、精々俺に尽くすがいい」

結局そう言い残してそのままバッと踵を返して行ってしまった。


シーラはぽつねんと取り残される。


…ふむ。私はやはり従者として雇われたのでしょうか。



パーティの時のあの紙は確かに婚姻届だったと思ったのだが、もしかしてシーラは詐欺にでもあったのだろうか。





「旦那様が嬉しそうで何よりです…!」

後ろで扉を閉め、二つのトランクを運んでくれていた従者がシーラの後ろで何故か感極まった声で呟いた。


今なんと?とシーラはバッと後ろを振り向く。

ですから…と説明を始める従者に聞いてみる。


「あれで…嬉しそうなのでしょうか?」


「ええ。旦那様は嬉しすぎるとああして照れ隠しをするのですよ。

あのポンコツの旦那様がウジウジウジウジ片思いなさっている間に、シーラ様がサクッと婚約されてしまったので、もう旦那様は一生妻を貰わないだろうと私どもは覚悟しておりましたが、本当に良かった」


白髪の従者は孫の話を語るかのように、嬉しそうに目を細めている。

反対に、シーラは驚いて目を剥いた。片思いですか、と聞き返す。

その通りです、と従者はなぜか胸を張った。


「私、テオドール様とはあまり話した事も無かったのです。片思いされるようなことは特に何も…」


「ええ、それはですね。

先代、テオドール様のご両親と貴方のお父様は騎士団の中でも仲が良かったのですけれどもね、昔貴方のお父様がまだ幼かったテオドール様に会った時、冗談だったのか半分は本気だったのか、テオドール様になら娘をあげてもいいというようなことを仰ったんですね。

そこでそれを本気にした幼いテオドール様はそこから貴方のことを意識し始めて、大きくなられても他の女性には全く興味がないようで。でもああいうウジウジウジウジした性格ですから貴方にパーティで話しかけたりデートにお誘いしたりなどもできず、人様に取られてしまってから後悔して、そして最後に幸運にも貴方が婚約破棄をされたのでようやく勇気を出したというわけなんです。

本当に旦那様はヘタレですので、私どもはハラハラハラハラしておりました」


確かに深く埋まった思い出を掘り起こしてみると、幼い頃のシーラは黒髪黒目の男の子に何度か遊んでもらった記憶がある。



…ともかく。結婚は、しているようですね。

それにしても、ふむ。

彼は氷の化身のような美しい貴公子と女の子たちに言わしめる容姿を持っているのに、この手のことにはあまり慣れていないのでしょうか。

まあ男女のことに関しては私もひたすら素人なのでリードはしてあげられませんが…


そう思ってシーラが残念そうに目を細めていると。




「さあ、シーラ様。結婚式は春になってからですが、貴方はもうこの家の主人です。どうぞ私どものことは顎で使ってくださいね。それではお部屋までご案内いたします」


従者は嬉しそうにトランクを抱えて先に立って歩きだした。




案内されたシーラの部屋はよく暖められてあった。

くすんだ紅色のふわふわの絨毯が敷き詰められており、どっしりとして艶やかな木のテーブルやセンスの良いクローゼット、それからよく手入れされた暖炉もあった。

高価なだけではなく、ちゃんと良いものを揃えた居心地がよさそうな部屋だ。

上着を脱ぎ、トランクから室内着を取り出し身に着ける。この寒い地方特有の、柔らかくて厚めの室内着だ。

待機していた侍女が背中のリボンを締めるのを手伝ってくれながら言う。


「旦那様は気持ち悪いぐらいソワソワして待ってますよ。うふふ。私、旦那様の幸せそうな顔が見られてよかったです。あの方はトンチンカンなりに頑張ってましたから。念願叶って私は自分のことのように嬉しいんですよね」


変な人だが、テオドールは使用人たちにすこぶる愛されているらしい。

やれポンコツだトンチンカンだとボロクソ言う使用人達の眼差しからは彼に対する愛情が感じられる。

なんだか少しほっこりした。






「失礼します」

侍女に導かれ、シーラはテオドールの部屋にお邪魔する。


彼の部屋はシーラの部屋より少し大きく、そして負けず劣らずとても居心地の良い温かい空間だった。

大きめの窓には外の白い世界が美しく切り取られている。

この地方独特の魔法と技術で作られたガラスは結露を生まないし、保温性も高い。


「上もあるぞ」

窓の外を見ていたシーラの視線に気が付いたのか、テオドールが天井を指さした。

温かみのある丈夫な梁の先には大きな斜めになった天窓があって、積もった雪が見えていた。

なるほど、温かい室内から顔の上に降るような雪を見るのは楽しそうだ。


「さすが、いいおうちですね」


雪深い地域で家に籠ることも多いこのあたり一帯の貴族たちは、家に一番お金をかける。

ブルーナー家も例外ではなく、潤沢な資産の多くを家に充てているのだろう。




「寝ころんで月と雪が見たくば、夜もここに来ることを許してやってもいい…ソファは2人で寝ても余裕がある大きなものを買ったからな…」

その新品でふかふかのソファの上で、テオドールの背中がもぞもぞと動いた。

侍女は平和だなあとでも言いたげに嬉しそうに微笑んで、シーラを一人残し扉を閉める。




「となり、いいでしょうか」


シーラは思い切って部屋の中に歩みを進め、右の壁にある大きな暖炉と対面になっているソファの上にいるテオドールの隣を指さした。


テオドールが意を決したようにシーラの顔を見上げ、しかしシーラと目が合った瞬間ぎゅんっと目を逸らした。


「勝手にしろ」

そしてシーラの方を見ないまま、肌触りの良いブランケットを押し付けるように手渡してくれた。


彼の雪のように白い肌が少し桃色に染まって見える。

雪を解かす春のような色だ。


シーラはテオドールとほど良い距離を開けて座り、彼の方に体ごと向く。

「あの、やはり聞いておきたいと思うのですが」





息を大きく吸う。

「私のどこが好きなんですか」




「はっはあああ!

俺が、いつ、お前のことを好きなどと言った!」


テオドールが、物凄い勢いで振り返って叫んだ。

間違って人間に噛みついてしまってもおかしくないほど動揺している。


「だって婚約破棄された私を、ほぼバツイチのようなものなのに貰ってくれました」


白髪の従者の話してくれた片思いの話を聞いたことは、何となく伏せておいた。


「じゅ、従者が欲しかったんだ。ほら、お前は強いだろう?」


テオドールはソファの前にある重厚なテーブルから、ほとんど苦し紛れにお茶の入ったティーカップを手に取った。

長いまつげを震わせるようにしながらカップに口をつけたり離したりしているテオドールを見ていたら、ふわりと湧き上がるようなときめき、もといちょっとした興奮がシーラの中でせり上がってきた。


テオドールは人を刺すような美男子で、女の子達をかどわかして意のままに操っていても全然おかしくない見た目をしているのに、実際にはシーラにどこが好きか聞かれただけで慌てふためいている。

その様子を見るのはなんだか堪らない。


普通の令嬢なら『氷の貴公子だと思って結婚したのに、イメージと違う、詐欺にあった気分だ』と言うかもしれないが、シーラは何故か面白くて堪らないなと思ったのだ。




「でもあれは雇用契約書ではなく婚姻届でしたよね」


「あ、あれは、間違えたんだ!護衛の契約書と婚姻届をどうやら間違えたらしい」


「私はちゃんと確認しましたよ。確認したうえで、貴方に好きだと言ってもらえるのなら良いかなと思ってサインしました」


どうしても違うと言って譲らないテオドールに、シーラはハッキリと言ってみた。

ハッキリ言ってやったらどうなるのだろう。


「か、勘違いにも程がある。う、自惚れるな!」


真っ赤で、少し涙目になった。

よく分からないけど、嬉しいのだろうか。

やはりちょっと面白い。


「そうだったのですか。あの時頂いたのは婚姻届だったので、貴方が私を好いて伴侶に選んでくれたのかと思いましたが、貴方のうっかり間違いだったのですね。私は思い違いをしていたようです」


「まあ………仕方ないだろう。たとえうっかりしていたとしても俺もあの契約書にサインしたんだ。

お前のことは、その、一生養ってやる…」


シーラがこれ以上追求しない姿勢を見せるとテオドールは少し呼吸を整えたようで、そう言ってからシーラにお茶を強引に勧めてくれた。

ショウガがたっぷり入った上質なお茶で、シーラが今まで飲んできたお茶の中で一番おいしかった。




暖炉の火がぱちぱちと小さな音を立てて燃えている。

シーラはブランケットに包まりながら、テオドールとぽつりぽつりとお互いについて話をした。

今まで会った事のあるどの男性とも違うおかしなテオドールの隣は案外心地よくて、夕食を摂りに食堂へ降りていくのは億劫だなと思っていたらテオドールも同じ考えだったのか、夕食をここで摂ろうと言い出した。

強く降り出した雪に溶けるように暗くなった外を見ながら、温かい光で溢れるテオドールの部屋で夕食を摂った。


こうしてゆっくりと、シーラのブルーナー家での初日が過ぎていった。








「ドレスだ!大安売りだったからな」


ある日、シーラは大量のドレスに埋もれていた。

雪の地域らしくこってりとした綺麗な色の新品のドレスがたくさん。

この前採寸のおばさんたちが、いきなりシーラのところに押しかけてきたのはこの為だったらしい。

どう考えても大安売りでこんな上質なオーダーメイドのドレスが売られている訳はないが、追及するのは止めてテオドールに心を込めてお礼だけ言っておいた。



「菓子だ!女は皆しょっぱいものが好きだからな」


またある日は目の前にたくさんのしょっぱいもの、干し肉や乾燥キノコなどの珍味が並べられていた。

シーラが甘いものは好きではなく、しょっぱいものが好きだと言ったのを覚えていてくれたらしい。

女の子は普通甘いものが好きなんですよと言及するのはやめて、二人でそれをつまみながらソファに寝転がって月と雪を見た。



「花だ!その辺で拾ってきただけだ」


そしてあくる日は、大きなスイセンの花束を渡された。

シーラは一面真っ白な外を見る。

いくらスイセンが寒い季節の花だと言っても、捨て猫のようにその辺で拾えるものだろうかと首を傾げたが、質問はしないことにした。

その花は自分の部屋の枕元に飾った。

香りもいい、上質な花だった。

シーラには今までは好きな花などなかったが、今はスイセンが少しだけ好きになった。



「忙しいと聞きましたが、結構早く帰ってこられるんですね。遠征もないのでしょうか?」

「疲れたから早く帰ってきただけだ。遠征もない」


この日もテオドールは早く帰って来た。

結婚してシーラがブルーナーの家に来てから、彼は早く帰れる日もそうでない日も早く帰ってくる。

魔物は昼夜問わず国境を越えようとしてくるので夜勤の仕事も遠征もあるのだが、上級の役職に就いている彼は職権を乱用して夜勤も遠征も全力で他の人に押し付けているらしかった。


帰ったテオドールと二人で夕食を摂って、彼の部屋の居心地の良い大きなソファで二人並んで読書をしたりチェスをしたり、ハーブティーを飲んだりダラダラ話したりするのが、いつの間にか常になった。

テオドールは休む、疲れたと言いながら帰ってくる割に、眠たいと言うシーラにコーヒーを勧めてきたりする。

そうしてコーヒーを飲んで、二人で夜更かしする事は多々あった。





「私、貴方に何か贈り物をしたいです」


今日、朝からテオドールの部屋に訪ねていたシーラはそうテオドールに話しかけていた。


ちなみに、『お前に仕事などない。家にいて好きなことでもしているがいい!』と言われたシーラは多くの貴族の夫人同様働いていない。

自宅警備をしている。

家のお金は自由にできるものの、それはテオドールが命を懸けて国を守っているからこそ貰えるお金なので、贈り物を買う為にはもちろん使わない。

シーラが貧乏ながらもコツコツ貯めてきたお金で何か買ってあげたいと思っている。


「フン、俺の機嫌を取ろうなどと。何か企んでいるのか?」


綺麗な顔を少し歪ませたテオドールからは、想定内の答えが返ってきた。


「いりませんか?」


「いらないとは言っていない」




「では、一緒に買い物に行きましょう」


今日はテオドールの休みの日だ。

窓から見える外は雪がちらついているが、悪天候はこの地域の人間ならば誰でも慣れている。


「なっ!俺と買い物に行きたいのか」


テオドールが思ったよりも驚いていた。

そういえば、いつも何だかんだ誘ったり提案したりしてくれるのはテオドールばかりだった。

彼はシーラに誘われたのが初めてでびっくりしたのだろう。


「はい、そうですよ」


「……いいだろう、お前は荷物持ちにしてやる」


シーラが頷いて『では服を着替えてきます』と踵を返したその視界の端に、赤く染まった嬉しそうな顔を押さえるテオドールが見えた。


シーラもちょっぴり嬉しくなる。

テオドールの部屋のドアをパタリとゆっくり閉めてから、すすすっと自室へ戻る。


…何を着ましょうか、何を履きましょうか、髪型はどうしましょうか。



この北の街の貴族は天候のせいであまりドレスは着ない。ハイヒールも履かない。

ドレスとハイヒールの出番があるのは貴族主催のパーティだけだ。

少し悩んでシーラは赤いベロアのワンピースを選び、厚くて保温性の高い布地のポンチョ風の上着をその上に着た。足元は温かいタイツと温かいブーツだ。

髪はまとめ上げ、少し化粧もしてもらった。

とても良いと侍女のお墨付きももらった。


『旦那様はさっきからソワソワソワソワ。本当にポンコツですね』と一階に物を取りに行っていた侍女が、シーラの部屋に戻ってきて教えてくれた。

嬉しさが隠せない様子のテオドールは既に玄関でソワソワ待っているらしい。








街はとても賑わっている。

ここは北の寒い地域ではあるが、王国一畜産業が盛んな場所でもあった。

寒い地域を好む陸クジラという家畜がこの地域の経済を支えているのだ。

なんでも食べる雑食で勝手に大きく成長し、たくさんの肉も油も、上等な毛と皮も、軽くて丈夫な骨も提供してくれるこの家畜は金になる。

依って人も金もこの北の街に集まるし、その人や家畜の肉を食べたい魔物も集まる。魔物の侵略を止めるために、国は精鋭の騎士も資金もミルフォーゼ騎士団に惜しみなく投入してくれる。

そんなわけで街はびっくりするほど大きいし、王都に負けないくらい洒落ている。



街に着いた馬車から降りる時、テオドールが手を貸してくれた。

そして傘を開いて差し掛けてくれた。

二人でその大きな傘の下に入る。




ちらちら舞う雪を見ながら、シーラは先ず雑貨屋に行こうと提案した。

シーラお気に入りの雑貨屋には、彼が好きそうな物もあるだろう。

テオドールは頷いてくれた。


しかし。

テオドールはシーラと目を合わせてくれていない。

屋敷の玄関で合流した後からだ。

合流して馬車で揺られている時はもう既に、シーラの顔をしっかり見てくれていなかった。


最近は彼もたくさん話してくれるし、シーラも彼のおかしな物言いにも慣れてきたのに、今日はシーラが初めて家に来た日のように目を逸らしてくる。


それは何となく気に食わない。

たまのお出掛けだというのに。

折角化粧もしたし、髪だって上げているのに。





シーラは少し考えて、ささやかなお仕置きでもしてやろうと思った。




「手、お前、俺の手を握っているぞ!?傘と間違えているのか?」


何食わぬ感じを装ってすっとテオドールの手を握ったら、ビクッとされた。

そして頭の上から動揺した声が降ってくる。


上を向いたら、テオドールと目が合った。

テオドールは無駄に顔がいいので、それがちょっと色っぽく上気しているのを見たら流石にドキドキしたが、シーラは平静を装って言ってやった。


「間違えてませんよ」


「じゃあ何故握る!」


「手を繋ぎたかったから、ではだめですか?」


「そ、そんな身勝手な理由で俺を緊張させて楽しいのか!」


…ちょっと、楽しいです。

と思いながらシーラは小さく笑う。


「じゃあ…手が冷たいのです」


「冷え性のせいにすればなんでも許されると思っているのか。したたかな女だ」


「はい、したたかです」

シーラは返事をする。

そしてテオドールの手をこじ開けるようにして指を絡めてやった。

ちょっと勇気が要ったが、冷え性のせいにしておけばいいのだ。


「や、やめろ、指を絡めるな。俺を殺す気か!」


「なぜ指を絡めると死ぬのです?」


「知らん、自分で考えろ!」


「考えてもわかりません教えてください」


「ろくに考えずに即答えを聞くな」


「…じゃあ、嬉しいからですか?」


「嬉しいわけがないだろう!」


まあ、予想してはいた答えだ。

それならばとシーラは用意していた答えを返してやる。


「じゃあ離しますね」





……




ジャッジャッジャッジャッ


除雪された綺麗なレンガの道を、二人は無言で歩いている。

道の両脇に並ぶたくさんのお店。

どれも大きなガラスの向こうに商品を並べ、客を誘う楽しい雰囲気を醸し出している。


ジャッジャッジャッジャッ


暫くして、


「手持ち無沙汰だ」


とテオドールが言い出した。


「なんですか?」


「右手が手持ち無沙汰だ。何か持たせろ」


「はい」

シーラは片手に持っていたカバンを彼の手に持たせてやった。


「荷物持ちはお前だ。俺に荷物を持たせるな」


カバンは突き返された。


「荷物以外、何を持ちたいと言うのでしょうか」


「荷物以外と言ったら荷物以外だ」


テオドールがシーラの顔をキッと見て、ずいっと手を差し出してきた。


…ぽん。

とシーラは思わず自分の手をテオドールの手に乗せてしまった。

これが精いっぱいだと言わんばかりの顔を見せられて、準備していたからかいの言葉を投げてやる余裕もないまま、引き寄せられるようにシーラは手を差し出してしまった。




「フン、これで我慢してやる」


安心したようにも、満足したようにも見えるテオドールの横顔が不覚にも少し可愛かった。



「あったかいですね、手」


シーラは少し嬉しく思ってしまったことを隠すかのように口を動かす。

確かにテオドールの手は、ひんやりとした細い見た目に反して温かい。

彼は後衛のソーサラーだが、やはり戦場で働けば嫌でも鍛えられて筋肉もあるから温かいのだろう。


「お前の手は冷たい」


仕方ないから次もあっためてやってもいい、とテオドールは小さな声で付け足した。

シーラがそれに何も言わなかったので、テオドールが慌ててかき消すように再度口を開く。


「お前は手が冷たすぎて雪女みたいだな」


「はい、私雪女なんです」


シーラは『雪女なんてこの世にいませんよ』と真面目に大人げないことを言っても面白くないと思い、頷いた。


「雪女って好きな人を凍らせて殺すらしいですよ」


「フン、氷を操る俺を凍えさせようなんて100年早い」


「あれ?貴方は雪女の好きな人は自分だと思っているのでしょうか。思い違いかもしれませんよ。もし違っていたらとっても恥ずかしいですね」


下から彼の顔を覗き込んでにやりと笑ってやった。

思いがけずいつかの報復ができた。



「なっ…」


恥ずかしい、しまった、恥ずかしいの文字が赤い顔に書かれているテオドールは乱暴に会話を終わらせて、シーラが何か言ってもしばらく返事をしてくれなかった。

でも、手はずっと握っていてくれている。



シーラがテオドールを嫌っていないと彼が信じていたことは、少し癪だったが嫌な気はしなかった。



こっそり横を見上げるとテオドールはマフラーに顔を埋めていて、鼻の頭を寒さのためにピンクにしていた。

彼の長いまつげが少し湿っていて、綺麗だった。





そうこうしながら到着した雑貨屋では、贈り物を選ぶのに結構時間がかかってしまった。

テオドールはあまり物欲が無いようで、これはどうだあれはどうだと聞いてもあまり決定的な返事をしてくれなかったからだ。

悩んだシーラは落ち着いたデザインのスキットルを選んだ。

遠征に行く時騎士は皆度数の高い酒を持っていく。その酒を入れる携帯用のボトルだ。

既にいくつか持っているだろうが、テオドールが好きなデザインだと言ったのでそれにした。



「そうだ、手袋も買いたいです。手袋屋さんものぞいていいでしょうか」


この地方の必需品である手袋だが、シーラはずっと買い替えるのを先延ばしにしてきたのでボロボロの物しか持っていない。

シーラは目指したい手袋屋の方にテオドールを引っ張る。


「だめだ、贅沢を言うな」


「贅沢でしょうか」


「お前の手などずっと冷え性でいればいい」


ふむ。

シーラは首を傾げ、一つの仮定に思い当たった。


「あの…冷え性が治っても手は繋げますよ」


「フン、そういう意味で言ったんじゃない」


いや、どうやらそういう意味だったらしい。

それからテオドールは、冷え性どうのと言うこともなく大人しく手袋屋までついてきて、これがいいあれがいいと温かい手袋を選ぶのを手伝ってくれた。

最終的に、ふかふかの手袋と上質な皮の手袋、分厚くてしっかりした大きな手袋を買ってくれた。

本当は一つで十分だったが、いつのまにか五つくらい追加されていたので、シーラはいくつかこっそり棚に戻した。


手袋屋を出て、漬物屋と乾物屋、それと燻製屋に寄って家に帰った。

これで、しばらく分の夜更かしの肴も調達できた。







「その、今晩は冷えるだろう。仕方なくお前を湯たんぽがわりにしてやる」


ある急激に冷え込んだ晩のこと。

テオドールの部屋で母に手紙を書いていたシーラに向けて、彼はおもむろに言った。


ソファをポンポンと叩いてここに座れと促してくる。

シーラが便箋数枚と羽ペンを抱えてそこに腰掛けると、モフッと大きなブランケットを被ったテオドールに後ろから覆い被さられた。

今日は特別に寒いですねとシーラが震えていたから、あっためてくれようとしているのだろうか。

テオドールは細身だが、こうして後ろから抱えるように被さられると彼はシーラより俄然大きいのだと実感する。


「私、雪女なので湯たんぽにはなれないかもしれませんけど」


「いつまでそんなことを言っている」

そう言ってテオドールはそのまま、読んでいた本を開き始めた。


いい匂いもするしフワフワするし温かいし安心するしで、シーラは少し脈が速くなってきたというのに、テオドールは全く平気そうだ。

いつも狼狽えているのに、今日はさっさと本を読み始めている。

シーラとこんなに近いというのに、彼はドキリの一つも感じないのだろうか。


シーラが何故自分ばかりが緊張しているのだろうと不服に思っていると、テオドールが眺めている本がさっきから1ページたりとも捲られていないことに気が付いた。


なるほど、テオドールも読書どころではないらしかった。





「あの」

そうだ、と思ったシーラはゆっくり口を開く。


「…私、貴方のことは結構好きだと思うのですが、貴方は私のことどう思っているのでしょう?」


今日のテオドールはいつもより少しだけ積極的なので、シーラも少し対抗して攻めてみることにした。

やられっぱなしは少しだけ気に食わないので。


そしてついでに、ちょっとだけ、彼の声と言葉で答えを聞いてみたかったというのもある。




「…」


沈黙が返ってきた。





「答えてやる義理はない…」


暫くしてテオドールの震えた声はブランケットに埋まった顔から聞こえてきた。

ブランケットで隠し切れていない耳が赤い。


全く。でも答える義理くらいはある筈だろうとシーラは思う。


「私の事は好きではありませんか?」


「随分と直接的な物言いをする。お前それでも淑女の端くれか」


モゴモゴとブランケットから声が聞こえてきた。

少し怒っているようにも聞こえる。


「直接的な言い方しかできなくて申し訳ありません。ならばもう好きとも何とも言わないようにしますね」


「好きだと言うなと俺がいつ言った。お前は特別に、俺に毎日言うのを許してやる」


「…ふーん」


「なんだ、何が不満なんだ」


テオドールの黒くてきれいな髪がイヤイヤをするようにブランケットの上で動く。


シーラは不満である。

テオドールは甘い言葉は口が裂けても言えないような人なんだと百歩譲って諦めるとして、それを棚に上げて自分は毎日好きだと言ってもらいたいとのたまうなんて、不公平である。



「メレヘーゲルのところの奥様は旦那さんにそんなに好きとは言わないけど、旦那さんには毎晩愛してると言ってもらえているらしいです。

愛妻家で素敵な旦那様はいいですよね」


「フン。他人を羨んでばかりとは浅はかな奴だな」


そんなことを言われた。


シーラは思いっきり膨れた。

ブランケットに顔を伏せたまま話しかけてくるテオドールを無視し、彼の頭をげんこつでグリグリと攻撃して、便箋と羽ペンをかき集めるようにして抱えてさっさと自室に帰って来た。




ベッドにボフンと横たわる。


暫く静かにしていたら、冷静になってきた。



…ふむ。

好きだと言ってもらえなくてむくれるなんて、まるで恋をしている女の子のようなことをしてしまいました…




シーラは明かりを消し、布団を被ったが暫く寝付けなかった。

それに私は全然羨んでなんかないですし、と思いながら小窓から見える雪をひたすらボーっと見ていたら、小さな音がした。

シーラの部屋のドアが開いたことが分かった。


強盗かと飛び起きそうになったが、寝ているか?と小さく問う声に思い留まり、そのまま目を薄く開けてその影の動向を観察することにする。


影はシーラのベッドのフチに腰掛け、ソワソワと枕元で何か言いたそうにしては口を噤み、を繰り返していた。

ここで動いて寝たフリなのがバレたら、この人は昼夜問わずもう何も言ってくれなくなるだろうと思ったので、シーラは全力で寝たフリをした。


シーラが寝ていると思っていても言葉にするのに勇気がいるのか、それを聞けるまでに結構時間がかかった。

散々逡巡してようやく、謝罪と共に感謝していると囁かれた。

好きだと言うのは、いくら相手が寝ていてもどうしてもできなかったようだ。




まあいいでしょう、とシーラは考える。

感謝の言葉が彼から聞けるのも相当珍しいので、この珍しさとシーラが彼に好意を伝えてしまった気恥ずかしさとを相殺してチャラにしてあげよう、とシーラは思ったのであった。










そんな温かい嘘のような平和な夜を何度も過ごして、

今。


シーラは叩き起こされたように引き戻され、全身の毛が逆立つような感覚に襲われていた。





この世界には魔物がいる。

人や家畜の肉を食べ、騎士団が日夜戦い、父の命も奪った魔物がいる。

ここ最近、シーラはそのことを完全に忘れていた。




「しゃしゃりでるな!お前は俺の後ろにいろ!」


一面の銀世界で、相対する黒い魔物達に向かって行こうとするシーラに向けて、テオドールが叫んだ。





それは隣の町からの帰り道、ミルフォーゼ内にある国境近くの峠に差し掛かった時だった。


異変は外から聞こえてきた音から始まった。

深い雪に高速で棒を刺すような無数の音が聞こえる。

それと同時に御者の叫び声が聞こえた。


その音に何事かと確認する時間も与えられず、馬車は爆ぜるように壊された。

シーラよりも先に反応したテオドールがシーラを頭から抱えて、すんでのところで馬車から飛び出したので二人の体は馬車のように潰されることはなかった。


雪の中に転がって、しかしすぐに体勢を整える。

視界に広がる真っ白な雪の世界には、どす黒い怪物が蠢いている。

球体の胴体に裂けた口が付いていて、蜘蛛のように不気味な足が付いた魔物。

ソリのような馬車を引いてくれていた大きなバッファローのような見た目の雪イノシシが二頭、群がったその魔物たちに頭から骨ごと齧られていた。

はね飛ばされた御者が傍で腰を抜かして、今にも失神しそうな青ざめた顔をしている。


シーラは周りを確認する。

魔物は上位種ではないし、数も数えることができる程度。

誇り高い騎士団に所属しているテオドールがここにいる限り、現れた魔物に対処せずにみんなで一緒に背を向けて逃げることはできない。

ここで目を離せば、騎士団の監視を掻い潜ったこの魔物たちが街に降りて人を喰うか、家畜を食い荒らすことになる。



…ならば私は彼と共に戦いましょう。


テオドールに買って貰った手袋が汚れるのを避けるため外してポケットに入れた。

ブーツも雪をしっかり捉えられる良いものだ。滑ることはない。

シーラは構える。

雪は深いが、テオドールの魔法があれば地面の上で戦うのと変わりなく戦えるはずだ。






「俺がこいつらを押さえておく。お前は騎士団に協力を要請してこい」


同じく臨戦態勢のテオドールの目は魔物を見据えたままで、前に出ていこうとするシーラの手を強い力で引っ張った。


「騎士団は御者さんに呼びに行ってもらいましょう。私もここに残ります。貴方は強いですが、肉弾戦に持ち込まれたら危ないでしょう」


「接近戦は確かに俺の得意分野ではないが、お前のような雑魚はいない方がましだ」


「雑魚かどうかは私の戦いを見てから決めてください。私は前で戦います。貴方のところには一匹たりとも行かせませんから後衛に集中してください」


「お前は群れる魔物の怖さを知らない。お願いだから俺より前に出ないでくれ」


再度前に一歩踏み出したシーラを引き止めたテオドールに懇願された。

しかし、シーラは前に出る気しかない。


「あんなに強かった父も魔物に殺されました。怖さは知っています。でも大丈夫、私が前に出るのは適材適所です。二人で戦った方が二人とも生き残れる可能性は高くなります」


確かにシーラが魔物と戦った経験はテオドールに比べたら無いも同然だ。

しかし、前衛がいてこそ本領を発揮するテオドールには、前で戦えるシーラが必要なはずだ。

シーラには自信があった。

蒼い顔をした御者とテオドールを残して自分が騎士団に救援を求めに行くより、御者に助けを呼びに行かせて自分が残った方が遥かに勝算があると。



「俺にとってはお前が無事であることが一番大事だ」


「……もしも私だけ無事な事態になったら私は未亡人になりますから、誰かの愛人にでもなってしまうかもしれませんよ」


「それは」


テオドールがフルリと震えた。


「…誰の、誰の愛人になるつもりなんだ」


「まだわかりませんけど」


「そいつ、ぶち殺してやる」


テオドールが絶対零度のソーサラーだと呼ばれている理由を垣間見た気がした。

低い声で呟く彼は一面に広がる雪よりも、おぞましい魔物を前にした時の悪寒よりも冷たかった。



「その意気です。ぶち殺すためにはここを二人で生き抜かなくてはなりません。そのために私が前で魔物をぶち殺しますから、貴方は私を援護してください。お願いします」


…絶対に、大丈夫です。


女らしくないと言われることもあったが、大好きだった父が残してくれたこの力。

父からもらったこの強さは譲れないものを守る時、こういう時の為にあるのだ。


白い息をすうと吐いたシーラの前に、固まった雪の床ができる。

テオドールの魔法だ。

これでシーラは雪に足を取られることなく戦える。


御者の前にも道ができた。

テオドールの魔力が続くところまでしか走りやすい道はないだろうが、行けと檄を飛ばされた御者は尻でも叩かれたかのように騎士団を呼びに走り出した。




「フン、援護は任されてやる。それで、帰ったら、ご、ご褒美に…キスでもしてやろう」


テオドールが掠れた声でそう言った。

シーラは微笑む。


「ちゃんと、寝てない時にお願いしますね」


「…うん?」


「いえ、なんでもありません。さあ、集中してさっさと倒して帰りましょう」


雪イノシシの肉だけでは満足できない魔物達が、他の獲物を探すため動き始める。

何体かはまだ雪イノシシの血を啜っていたが、他の何体かはシーラとテオドールの方へザクザクと近づいてくる。


シーラは固まった雪を蹴り、跳び上がった。

丁度欲しかったところに雪山のような高い踏み台ができたので、それを利用し身を反転させる。

宙を舞うシーラの蜜色の髪が、白い雪の光を反射した。

その間をテオドールの鋭い氷の魔法が飛び、向かってくる魔物達を牽制する。

彼の魔法は魔物達の足場の雪も操り、奴らの蜘蛛のような足の自由を奪う。


そして跳び上がったシーラの真下には、突然口に雪を大量に詰め込まれて彼女に齧りつくことができない魔物がいた。

その一瞬の隙があれば十分だ。

シーラはその頭蓋に思いっきり踵を落としてやった。


足元で、魔物の脆い骨が割れる音がする。










テオドールの怒涛の支援魔法に導かれるように戦うシーラが魔物を叩き割っていく。

だがやはり、群れる魔物は二人では潰しきれないか…と荒く息をしながら魔物達から距離を取ったところで、騎士団の小隊が到着した。


思ったより早い。

御者がいい仕事をしたのかもしくは、たまたま見回りの小隊が近くを通りかかったのだろう。





そこから決着が着くのは早かった。


到着した騎士団とテオドールにより魔物が残らず討伐され、事後処理が騎士団によってサクサク進められていた。


その小隊にはテオドールと親し気に話している者もいて、シーラも挨拶された。

「うんうん、よろしくねえ」とそのテオドールの同僚にのんびり手を差し出される。

「いつもお世話になっています」とシーラが握手しようとすると、何故かテオドールの手が割り込んできて彼と握手していた。

「んー、なんで僕はテオドールと握手してるの?まあいいか」

テオドールの同僚は特に気に留めなかったようだ。



テオドールは他の騎士たちとも言葉を交わし、処理を少し手伝ったりしていた。

仕事をしている時のテオドールはこんな感じなのだろうか。

少し新鮮である。








それから丸一日経った。


シーラは定位置であるテオドールの部屋のソファの左側に座って、ブルーナー家に来てからずっと良くしてくれている従者たちへのささやかな贈り物を一つずつ袋に入れていた。


テオドールはいつもと同じようにシーラの隣で本を読んでいる。

あれはシーラが薦めた本だ。

分厚くて文字ばかりだが、テオドールはサラサラサラサラとページを捲っている。

ちょっと異常に読むのが早い気もする。



黙々と作業を続け、シーラは小さな贈り物を全て袋に入れ終わった。



横を見る。

テオドールの黒い瞳は本に落とされている。

ふ、とシーラの視線に気付いたその瞳が上げられる。


「終わったか?」



その質問には答えず、ふむとシーラは考えた。


この人は良くも悪くも何事もなかったかのような表情をしている。

色々忘れたフリをして、自分だけ冷静になろうとしているのだろうか。

こちらは一日待ったのに。




「今回私は頑張ったと思うのですが、褒めてはいただけないのでしょうか」



少し間を開けて。



「…ちょっと活躍したからと言って調子に乗るな。

だがまあ、今回は褒めてやらんこともない」


警戒するように、テオドールはおずおずと手を差し出してきた。

ヨシヨシではなくヨシ…と頭を滑るように撫でられた。


「もっと褒めてください」


「人使いが荒いな。それよりお前を褒めてやった俺を褒めて欲しいくらいだ」


そう言って手を引っ込めてしまったテオドールに、シーラは目を細くする。

じっとりとした視線を送ってやる。




「そういえば、ご褒美もまだですね」


「ごほ…!」


何も飲んでいないのに、テオドールがむせる。

何かが突き刺さったかのように、顔がぼんっと桃色になった。


「まさか、自分で言ったのに忘れてしまったのでしょうか」


「…」


「キスはいつしていただけるのでしょう」


シーラの顔は恥ずかしくても照れていても、赤くなったりしないのだ。

だから今、テオドールにはシーラが平然超然泰然としているように見えているだろう。



「か、考えていたところだ!」


「しないのならそれでもいいのです。私は全く困りませんから」


「…」


「では私は皆さんに贈り物を配ってくることにしましょう」


テオドールが黙ったままなので、シーラはソファに散らばった小袋を集め始める。




「…待て、動くな」


掠れた声がして、腕を優しく掴まれた。

顔を上げる。

テオドールの顔がすぐ目の前にあった。

ちょっとだけ予想はしていたのに、シーラは思わず目を瞑ってしまう。

両親以外で、こんなに近くに人の顔があった事なんて今までなかったから。



ふわっといい匂いがして。

鼻の頭に、少し湿った柔らかいものが当たる。









短い時間だけ、テオドールの顔が物凄く近くにあった。

肌が綺麗だった。

切れ長の目も綺麗だった。

唇が触れたのは鼻の頭だけだったのに、シーラの心臓は思っていたよりもバクバクしている。

自分の脈の音がびっくりするくらいうるさい。








サッと離れたテオドールは真っ赤で、もう既にブランケットに顔を埋めてしまっていた。



なんだかんだ、彼も少しは嬉しいとか思ってくれているだろうか。

そうだったらシーラも少しだけ嬉しい。




暫くシーラがそれを見つめ続けていたら、テオドールがブランケットから少しだけ顔を見せた。

細められた彼の目とシーラの目が合う。


「フ、フン。

…次はもっとうまくやる」






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[良い点] このお話、ほんっと好き。可愛すぎる。大好き。
[良い点] なんという可愛いツンデレヘタレ! ものすごっくニヤニヤさせられました!
[良い点] ヒーローがぐぅかわ過ぎてたまらん気持ちにさせられました。 しかし結婚からキスまでこんだけかかるとなると、 先は長そうですね(笑) ポンコツ主に仕えるお家の方々の苦労(笑)が忍ばれます。 …
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