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■第3話 黒と紅


 闇夜の月が照らす、荒廃した法廷内にはすでに人影はおらず、その戦場にはアリッサを含めた三人を残すだけとなった。そこに足を踏み入れることが出来る者はおそらく、神か、悪魔か。


 そんな異次元の空間で、黒と紅を具現化した姿の二人は対照的に対峙する。


 『……』


 闇夜に溶け込む黒の竜――ジノの姿をした獣は、そびえ立つ紅蓮の砦を前に警戒する素振りを見せた。先ほどの奇襲で仕留めることが出来なかった相手に対し、本能が警告しているのだろう。こいつは危険だ、と。


 一瞬の交錯で力の拮抗を悟った獣は、その()()に対して静かに佇む。


 『……』


 そうして、呼吸をする獣のように上下に身体を揺らす視線の先には、もう一人の竜。


 「――どうした?来ないのか?」


 闇夜に輝く紅蓮の竜――ティファニールは、決して揺らぐことの無い強固な壁として立ち塞がる。己の全力を出せる相手に巡り会えた事に歓喜の念を隠しきれず、思わず口元が緩んでしまっていた。


 「いつまでもそれでは――私は、倒せないぞ」


 そんなティファニールが不敵に笑う。月夜においても、なお輝きを放つその紅蓮の砦は、難攻不落の城。絶対防御の壁だ。


 貫くのは容易なことではない。


 『……』


 だが、その言葉に挑発されたのか、ジノはゆっくりと腰を落とした。


 「――そうだ、それでいい」


 構えは先ほどと同じ。前傾姿勢となったジノは再びトン、と大地を蹴る。


 『――ッ――!』


 神速の突進はティファニールの心臓を目掛けて一直線に走る。遅れた衝撃でまたも大地がえぐれる。それは先ほどよりも重い衝撃。剣で防げたときとは違う、重い一撃だった。その証拠に、ジノが飛び立った場所は比べ物にならないほど深く、大きく削られている。


 そして、その不可視の刺突は一瞬にしてティファニールに届いた。――が、


 『―――ッ!?』


 ジノが驚愕の反応を示す。


 「――なかなか良い一撃だ。だが――」


 届いたと思われた切っ先は、その壁によって阻まれた。


 矛と盾がガリガリと火花を散らす、その渾身の一撃の先――槍の切っ先がティファニールの目前で進行を妨げられていた。力で押そうにもまるで動く気配のない不動の壁がそこにはあった。


 「――それでは、まだ足りないぞ」


 堅い、なんて言葉では済まされない。唯一絶対の堅牢。それはいかなるものでも通さない。まさに、神が与えた決して貫かれることのない、無敵の盾だ。


 『……ぁ、ァァァァァァーーーーーッッッ!!!』


 ジノが槍を引いて、突き入れる。何度も、何度も、何度も――焦燥感に駆られた雄叫びを上げながら、突き入れる。その度に火花を散らすが、盾は何事も無かったかのように受け流し続ける。


 『グルァァァーーッッッ!! ガァァァァァァーーーーーッッッ!!!』


 常人ならば肉片すら残らないはずの幾千にも及ぶ無数の刺突を、そのことごとくを、ひとつも漏らすことなく弾き飛ばす。そんな盾が貫かれることを、誰が想像出来るだろうか。


 それを貫くものがあるとすれば、それはまさに――神の一撃か。


 『――――ァァァーーッッ、ガッ、――――ッッッ!!』


 ジノは反動で身体をよろめかせる。構わず人間離れしたその動きで攻撃の手を休めない。――が、そんな攻防も無限に続くわけではなかった。


 『――――ッ』


 ピタッ、とジノの動きが止まる――呼吸を乱したその連撃は、ついぞ盾を破ることなく終わりを迎える。


 『――ッ、――ッ』


 静かな呼吸が、荒々しく肩で息をする呼吸へと変わった。腕をだらんと垂れさせ、ティファニールを睨みつける。全てを受けきったティファニールは、そんなジノの前に姿勢を崩すことなく立ちはだかっていた。


 「――それで終わりか?」


 『―――ッ!?』


 文字通りの不動。その場から一歩も動かすことが出来なかったその異常性に、獣の本能が飛び退かせた。距離を取ったジノに対し、ティファニールは距離を詰めることも無く次の一手を待つ。


 再び、静寂の時間が戦場に流れた。


 『――ッ』


 これまでの攻防で自らの劣勢を悟ったジノは、その場に佇んだままティファニールを見やる。


 「――っと、言ったものの」


 すると、そのティファニールから笑みが消えた。


 「私からも仕掛けたいところだが、速度では到底敵わんだろうからな。解いた瞬間に串刺しだ。それに、どのみちこいつを展開している間は一歩も動けん」


 その圧倒的な攻撃力であらゆる敵を捻じ伏せてきたティファニールにとって、この事態は生まれて初めての経験だった。自らが防御に全力を注がなければならない相手――そんな者は今までいなかったのだから当然の反応とも言える。


 「解けば、即殺。防げば、お互い打つ手なし――どうしたものかな」


 そこで、冷静に対処していたティファニールにも焦りの表情が垣間見えた。相手に気取られないようにしてきたその姿勢にも、ようやくひびが入る。


 力の総量は互いに同じ。このまま三日三晩、戦い続けることも可能だろう。だが、ここは――敵地の中心。中枢部である。


 「――あまり長くはこうしてはいられない、か」


 想定以上の事態に、ティファニールの頬を一筋の雫が伝う。


 『――――』


 ジノはその一瞬を、見逃さない。ようやく見せたその焦りの気配に、獣の嗅覚が反応する。


 

 気配が――――変わった。



 「―――ッ!?」


 ティファニールの背筋に悪寒が走る。


 全身をざわっとした感覚が駆け巡る。彼女はその感覚に身を震わせた。戦場の高揚とも、恋慕の興奮とも違うその感覚は、彼女が感じた初めての感情――恐怖に他ならない。


 「――ッ」


 本能が感じた恐怖は、自覚の無い彼女の手を振るわせた。


 『――――』


 その静止の間に、ジノは静かに呼吸を整えた。自身が纏っていた黒い炎を、構えた魔槍へと移していく。力の奔流――可視化された黒い炎の全てが魔槍へと注がれ、それが形となって現れる。


 纏った炎が、細身だった刃先から柄にかけて西洋のランスのようにその形状を変化させていた。


 『――――』


 ジノがゆっくりと腰を落とす。


 全身全霊の突貫。捨て身の一撃。相手を貫くことしか考えていない、その形状に。その禍々しいまでの魔力の奔流に、彼女の本能が反応する。


 全身の神経が雄叫びを上げる――逃げろ、と。


 「――よもや、これほどとはな」


 鋭い視線を向けた先――その一撃を受けてはならない、と本能が告げる。だが、ティファニールはそこから動かない。恐怖に身震いする身体と、その()()()に震える激情を抑えながら。


 ――彼女は思ってしまったのだ。


 どちらが強いのか――と。


 「――――」


 ティファニールが目を瞑り集中する。彼女の紅蓮の炎がそれに反応するようにぶわっと燃え上がった。炎は螺旋となって彼女の身に纏われていく。そして、かざしたその手の先――螺旋に包まれた紅蓮の砦がその姿を変えた。


 花を模した形状。その等身大の盾が構えられる。


 「――さぁ、来い」


 『――――』


 一撃に全てを懸けた二人が、今――ぶつかろうとしていた。


 ◇


 そんな二人が相対する戦場――その舞台袖である瓦礫の山の陰に、身を隠している者達がいた。

 

 「――ふむ、これはどうやら分が悪いようですねぇ」


 ランバルドだ。この状況を表す言葉としては的確ではあるが、その心情に全く動揺の色は見えない。さらに言えば、その声色は焦るどころか余裕すら感じさせる。


 「ここは素直に退散するといたしましょうか――教皇様」


 冷静に状況を観察しているその脇には、あの教皇と呼ばれた少女の姿もあった。


 「……」


 少女はあれだけの惨状だったにもかかわらず、何事も無かったかのようにその戦場を見つめている。


 「――いけませんよ、教皇様。()()()()()()()はわかりますがね」


 ふと、ランバルドがそんなことを言う。視線の見えない少女の微かな表情の変化に気付いていたようだ。――遊び。この戦場を表す言葉としてここまで不適切なものがあるだろうか。


 視線を一向に外そうとしない少女にランバルドが頭を下げた。


 「お戯れは、またの機会に」


 「……」


 その姿を見下ろす少女は、心なしかしょんぼりとしている幼い子供のように見える。


 「……」


 少女はうつむいたまま、ゆっくりと暗闇へと振り向いた。その背中に哀愁を漂わせながら、徐々にその姿を闇へと溶け込ませていく。


 ランバルドもその後ろに続いた。


 「――今度は、"本当"のアナタを見せてくださいねぇ」


 横目に見た黒の獣へとその言葉を残しながら、ランバルドは闇の中へと消えていく。


 「……」


 少女が立ち止まる。


 後ろ髪を引かれたのか、はたまた別の思惑からか。もう一度、戦場の二人を見ながら口をわずかに動かす。


 声、と呼べるものが出ていたのかはわからない。だが、ゆっくりと動かしていたその言葉は――たったの二文字。


 ――ジ、――ノ、と微かに動いていた。


 ◇


 そんな視線が送られていることなど露知らず、黒と紅は対峙する。


 『――――』


 ジノは最後の一撃のために魔槍を構える。ただ相手を貫くことのみに特化した――その、魔槍を。


 「――――」


 ティファニールも覚悟を決めた。真正面からその一撃を受けるために特化した――その、神盾を。


 一本の矛と、一枚の盾。己の持つ力の全てが注がれた唯一無二の武装。その凝縮された力の塊は、神話の時代にあった武具にも等しい。


 全身全霊の力と力のぶつかり合い。命がけの力試しはおそらく、一度ぶつかればそれで終わり。どちらかが砕けて終わりとなるだろう。


 『――――』


 ジノが合図のように腰をゆっくりと落とす。


 「――――」


 その動きにティファニールも身構え――


 『――ッ――!』


 ――――それはもはや、速いという言葉では言い表せなかった。


 大地を蹴る動作も、槍を突き立てる動作も、その一切を視認できなかった光速の突貫は、すでにティファニールの盾へと届いていた。


 自身の力を全て乗せたその衝撃が、ティファニールに遅れて伝わる。


 「な――に――ッ!?」


 その衝撃はティファニールの身体を押し出し、地面を削らせた。彼女の身体はガガガッッ! と大地をえぐりながら後退していく。その進行を静止できたのは彼女が認識したその数秒後――月下のもとでのことだった。


 「――くッ! こ、のッッ――!!」


 踏ん張る足に力が篭もる。なんとかその場で留まるのが精一杯。押し返せるはずも無く、矛と盾は火花を散らす。


 『……ガ、ァァァァァァーーーーーッッッ!!!』


 「……ぁ、ァァァァァァーーーーーッッッ!!!」


 両者の雄叫びが戦場に轟いた。


 ぶつかり合った衝撃が周囲のものを吹き飛ばす。その拮抗は大気を激しく揺るがし、大地を深くえぐる。純粋なる力と力のぶつかり合い――それはこの二人でなければ成し得ない。


 『――――ッ! ガ、ァァッ――――!!!』


 如何なるものを貫き通す、必滅の魔槍。


 「――――ッ! は、ァァッ――――!!!」


 如何なるものも拒み遮る、堅牢の神盾。


 その矛盾がこの結果である。ジノは槍を通せず、ティファニールの盾は拒み続ける――かに思われたその時。


 『――ッ!?』


 ――ピシッ、という音が鳴った。


 音が鳴ったのは――黒の魔槍。その槍に亀裂が走る。先端から枝分かれするようにピキピキと音を立てながら、それは全身へと伸びていく。黒い装甲が、魔力の塊が、ぼろぼろと剥がれ落ちていくのが見えた。


 届かない、苦悶の表情を浮かべるジノの槍は、今まさに砕けようとしていた。


 「――ッ――!」


 ――だが、それは槍だけではなかった。


 同時に――紅の神盾にもひびが入る。槍が当たる先端、盾の中心が火花をあげながら徐々に削り取られていく。紅い花弁が、魔力の残滓が、散っていく桜のように宙を舞う。


 これまで拒み続けたティファニールの堅牢の壁も、ついに限界を迎えようとしていた。


 「――くッ!」


 ティファニールの顔に、初めて苦悶の表情が浮かぶ。


 『……ガ、ァァァァァァーーーーーッッッ!!!』


 そして、ジノが雄叫びを上げると同時に――――両者の武装は霧散し、二人を光が包んでいった。


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