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■第1話 白髪白眼


 ――暗い。


 灰色の壁に灰色の檻。その景色は全てが白と黒に染められている。それ以外は何もない世界。かろうじて壁の隙間から差し込む月夜の明かりが、青年の顔をわずかに照らす。


 「……」


 俯いた青年の表情は空虚なまま。何も求めず、何も感じず、何も見ていない。自我を持っているかも怪しい。そんな意思の無い虚ろな視線で無機質な石畳をただ眺めていた。


 やがて、石造りの牢屋に足音がカツン、カツンと鳴り響く。重厚な鉄の擦れる音。それが一歩、また一歩と青年へと近づいてくる。しかして、その足は青年の前で止まり、男は手に持ったランタンをゆっくりと掲げた。


 「――――立て」


 「……」


 甲冑を身に着けた一人の兵士。円形のリングに複数の鍵。見るからに看守然とした中年の男が面倒くさそうに青年を見下ろしながら、その名を呼んだ。


 「ジノ。――ジノ=クロニクル」


 「……」


 ジノ=クロニクル。そう呼ばれた青年はその声に素直に従い、ゆっくりと腰を上げた。固い鉄格子を開け檻の外で彼を睨む看守の目に映るのは、ボロボロの衣服に両手足の自由を奪う拘束具。


 その姿はまるで罪を犯した囚人のようだった。


 「――出ろ」


 ずりずりと足を引きずりながら、言われたとおりに石畳の上を歩く。前へ進むごとに足元から灯りに照らされていく。ランタンの灯火が照らすのは、白髪白眼の青年。それは()()()()()()者の証。


 「【大罪人】ジノ=クロニクル。これより――異端審問会へ拘引する」


 ――罪人の証を持つ者の姿だった。


 ◇


 足の拘束具を外されたジノは看守の後ろについた。鎖で繋がれた手錠がぎりぎりと音を立てると、その音に反応した他の囚人が血相を変えて檻へとしがみ付く。


 「お、おいっ!俺も出してくれよっ!?」


 男は目を血走らせ、狂気に満ちた表情を浮かべた。やせ細った腕で檻をがちゃがちゃと揺らす。栄養が明らかに足りていない身体で必死に懇願する姿は、酷く醜悪に見えた。


 「静かにしろっ!!」


 その耳障りな音に腹を立てた看守は男が掴む檻を思い切り蹴り上げる。


 「ひぃぃぃぃっ!?」


 ガシャンっ!と大きな音を上げた威嚇は男を恐怖させるには十分だった。


 「死にたくない、死にたくない……」


 脱兎のごとく檻から離れた男は牢屋の隅まで駆けていき、座り込んだまま頭を抱える。


 「――ふんっ」


 その様子を見ていた看守は口元を歪め、鼻息を荒く吐いた。だが、一部始終を見ていたはずのジノは全く微動だにしない。


 「……」


 「――歩け」


 看守は罪人に向ける簡素な言葉で命令を下す。見下した視線がジノに向けられるが、彼はそんなことを全く気に留めていなかった。ただ、虚ろに従うだけの傀儡となったまま後ろをついて来る。


 「……」


 「――チッ」


 反応の無いジノに対しての、吐き捨てるような舌打ち。それもそのはず。罪人に対して優位に立てることを日々の心労のはけ口としているこの看守にとって、懇願も、命乞いも、恐怖すらもないこの青年の反応はつまらない以外何者でもなかったからだ。


 「この――【異端者】が」


 【異端者】という言葉には異常という意味も込められているが、看守のいうそれは文字通りの異端。つまり、本来犯してはならない罪を犯した者に向けられる、人の道から外れてしまったことへの蔑称だ。


 「……」


 だが、どんなに侮蔑されようとも、やはりジノからの反応は無い。


 「――チッ」


 再び舌打ちをした看守とジノの二人はランタンの灯火が照らす螺旋状の階段を上り始めた。動きの遅さから手錠を何度も引っ張るたびに、看守に苛立ちが募っていく。


 「――しっかり歩けっ!!」


 強めに引いた鎖の反動でジノの軽い身体が揺らいだ。そのせいでおぼつかない足元はふらふらとよろけ、前へと倒れこんでしまう。


 「……」


 だが、それでもジノの表情は変わらない。感覚も失くしてしまったかのようなその反応も看守にとっては苛立ちを募らせる要素でしかなく、いつまでも動こうとしないジノに対して声を荒げて命令する。


 「――さっさと立てっ!!」


 「……」


 無言のまま立ち上がるとジノは俯きながらその場を動こうとしない。何か命令されることを待っているのだろうか。意思の感じられない表情からは何を考えているのか本当にわからない。


 痺れを切らした看守はとうとう苛立ちが頂点に達してしまう。


 「あぁっ!この屑がっ!!!」


 看守が剣を抜く。怒りに身を任せたそれは、あまりにも酷い愚行。その剣を振り下ろせば確実にジノは死ぬだろう。だが、そんな理性はこの看守には働いていない。


 感情の昂ぶりを抑えられないその手は容赦なく振り下ろされる――かに見えた。


 「――そこまで、ですよ」


 段上からの声に、振りかぶったところで看守の動きが止まる。剣を降ろしながら振り向くと、その声の主に驚愕の表情を見せた。


 「ラ、ランバルド枢機卿っ!?なぜ、このようなところにっ!?」


 その愚行を制止したのは、落ち着いた雰囲気の初老の男だった。聖職者の装束に身を包んだその佇まいは、男が只者ではないことを物語っている。目の前で行われようとしていることに対しても穏やかな反応を示す。


 ランバルドと呼ばれた男は看守の様子も意に介さず、穏やかな表情を向けた。


 「開始時刻を過ぎても姿を現さなかったのでね。こうして私が出向いたのだよ」


 行動だけ見れば優しい人物という印象のその行為。口調は穏やかで表情も柔らかいこの男だが、()()()()()()()


 「も、申し訳ありませんっ!こ、こいつがもっと早く歩いていればこのような――っ!!」


 その理由は――すぐに判明する。


 「――言い訳は聞いていませんよ」


 「ひ――っ!?」


 その抑揚のない声に恐怖を感じた看守は思わず息を呑む。その目はどこも見ていない。感情の篭もらない冷徹な瞳は輝きを失い、ただ虚空を見ていた。看守の目にはその姿がとても歪で、ひどく不気味に映っている。


 「――っ、ぁ」


 うっすらと開けた瞳に見据えられた看守は、金縛りにあったかのように息をするのも忘れてカチカチと口を震わせ続けていた。


 「おや、どうしたのですか?そんなに震えて」


 本人に自覚は無いのだろう。こちらからは全く底が見えない、深淵を覗くような感覚を相手に与えていることを。喜怒哀楽。善と悪の区別。そういった感情の動きが男からは感じられない。


 何も見えない。それが恐怖となることをランバルドは知らないのだ。


 「ぁ、あ……っ」


 看守はまだ思考が追いついていないらしく、口をパクパクさせて声をひり出すのみ。


 「困りましたねぇ、これ以上教皇様を待たせるわけにもいかないのですが――」


 ランバルドはその様子にわざとらしく困ったような表情を浮かべる。その仕草ひとつひとつが胡散臭く、そのどれもが歪な芝居を見ているかのようだった。


 「そうだっ、あとは私がお連れしましょう」


 はっとした表情を浮かべたランバルドは、ふと何かを思いついた子供のように大げさな仕草で看守から鎖を取り上げる。親切心――いや、この男にそんな感情があるはずがない。であれば――


 「は、そ、そんなっ、わ、わざわざ枢機卿の、お手を煩わせるわけにはっ!」


 そこでようやく看守にも言葉が戻ってきた。あわあわとしながら、取り上げられた鎖とランバルドを交互に見やる。だが、そんなことをランバルドは歯牙にもかけない。


 「いえいえ、気にしないでください。せっかくここまで出向いたのですから戻るのも変わらないでしょう」


 そう言いながらランバルドは気味の悪い笑顔を浮かべる。その顔を見た看守は言葉に詰まり、蛇に睨まれたカエルのようにその場に硬直した。


 「はっ、では、お、お願い、いた、します……」

 

 なんとかひり出した最後の言葉はそんな言葉だった。


 「えぇ、あなたは()()()()です」


 手に持った鎖をランバルドが引くと、繋がれていたジノは再び歩み始める。


 「あ、それから――」


 しかし、数段上ったところでランバルドがおもむろに振り向いた。


 「ど、どうされました?」


 「あんな風に無闇に剣を振り回すものではありませんよ」


 目を細めて、そんなことを言う。


 「あ――そ、そうですねっ!申し――」


 どうやら注意をされただけのようだ、と安心した看守は頭を下げた。ゆっくりと視界からランバルドの姿が消えかけたその時、看守の目の前を()()が通り過ぎた。


 ヒュッ、という軽い風圧が看守の頬をなぞる。


 「わけ――は?」


 地面には見覚えのある()()。一瞬の出来事に間抜けな声を漏らしてしまった看守の耳元がどんどんと熱を持っていく。そして、その視線の先。ぽたぽたと落ちる雫の溜まり場には、切り落とされたそれが転がっていた。


 「――こんなふうになってしまいますからねぇ」


 「あ、あがぁぁぁぁぁっ――!!!?」


 看守はその激痛に耳を押さえてうずくまる。ランバルドの視線には当然、感情は篭もっていない。


 「痛いでしょう、苦しいでしょう。()()()()()そうなってしまうのも当然です」


 無慈悲な声がかけられる。ランバルドにとってそれは児戯にも等しい。人の感情が理解できないランバルドだからこそ出来る狂気じみた行為。


 生まれ持っての【狂人】ランバルド――それが彼の本質だった。


 「ですから今度からは――」


 「あ、ぁぁ……あぐぁ……っ」


 ランバルドは痛みにのた打ち回る看守を見てため息をつく。


 「――ふむ」


 それ以上は何もない、とすっかり興味を失くしたランバルドはジノへ向き直った。


 「……」


 ジノの目には何も映っていない。感情の起伏なんてものは元より無かった。目の前で行われた惨状にも反応を示さないジノは、ただ呆然と立ち尽くす。


 「反応――なし、ですか」


 罪人となったその日から一切の反応を見せなくなったジノに、いかなる拷問や見世物は意味を成さない。彼が()()()()()はそれほどまでに大きい存在だった。


 「まぁ、良いでしょう」


 ジノの感情をどうしても見たいランバルドは、今日まで様々なことを試した。男を嬲り、女を辱め、助けを求める者達を散々貶めてきた。だが、ついぞその声を聞くことは叶わなかった。


 ――それも、ついに終わりを迎える。


 「どうすれば、アナタの声を聞けるのでしょうねぇ」


 歩き始めたランバルドは螺旋階段を上りながら、そうつぶやいた。やがて、ランタンの灯火が必要なくなるほどに明るくなった通路に出ると、そのまま巨大な扉の前で歩みを止める。


 ランバルドの姿を確認した兵士がその巨大な扉をゆっくりと開けた。

 

「さぁ、ようこそ――【異端審問会】へっ!!」


 ランバルドが声を張り上げる。その大げさな演技の先には円形に分かれた法廷。階段状に連なった席には黒のローブを着た顔の見えない者達が腰をかけている。


 その中心である円形の証言台へとジノを連れて行く。


 そして、ランバルドは大きく手を広げ皆に向き直り、口を開いた。


 「我らの神と帝都のために」


 『我らの神と帝都のために』


 それは呪詛とも言えるほどに重い響きを持つ言葉だった。ランバルドが神に捧げるように手を広げその言葉を告げる。それに習い法廷に座る皆が同じように繰り返す。


 「忌まわしき竜の者達に正義の鉄槌を」


 『忌まわしき竜の者達に正義の鉄槌を』


 組んでいた手をそのまま天に掲げ、祈りを捧げる神父のように自らが信仰する神へと感謝の念を表す。ただひとつ気になるのはその姿はとても胡散臭く、ひどく歪に見えることだろうか。それほどにこの場の空気は歪んでいる。


 「我らが主神――アイオリオスの名のもとに」


 『我らが主神――アイオリオスの名のもとに』


 儀式とも呼べるその言葉を読み終えた一同は、一様にしてジノへと向く。視線は隠れて見えていないがその憎悪の念は隠しきれるものではない。その場にいる誰もがジノが裁かれることを望んでいた。


 ――ただ、一人を除いては。


 ランバルドが去り際に耳元で囁いた。


 「一方的に死刑にされないでくださいねぇ」


 【異端審問会】によって裁かれる――その運命はすぐそこまで迫っていた。



ここまで読んでいただきありがとうございました。


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