9月 スパティフィラム
12の花の話。9月。
...はい。もう下げて大丈夫です。ご馳走様でした。
あの、ごめんなさい。消灯時間が過ぎて見回りも終わってから、もしお時間があったら私の話、聞いてもらえませんか?
分かってるんです。本当は先生に話すべきですよね。でも...。
...本当ですか?ありがとうございます。
じゃあ、待ってますね。
すみません。わざわざ時間、作っていただいて。先生にお話しする前に、一度貴女に聞いてほしかったの。
お忙しいでしょうから、早速始めますね。
ご存知の通り、私は修道女でした。
元々お世話になっていた教会で育って。生まれは、分からないんです。教会にも知っている人は居なくて。
でも、それで困ることはなかったし...私にはあの場所で、やるべきこともありましたから。
ええ。孤児院に居る子たちのお世話、です。
教会には孤児院があって...って、これもご存知でしょうけれど。
私はそこを任されていて。身寄りのない子供達が十三人居ました。
一番幼い子はまだ二歳で、大きい子は十五歳でした。十八歳になったら自立していくんです。
私が子供だった頃はまだなかったんですけれど、私もあの教会で育った身ですから、同じ孤児院の出身のようなものですよね。
だからあの子達はきょうだいみたいなものでもあったし...それに、何より。
これは先生にも警察の方にもお話しした話ですけれど、神様の声が、聞こえるんです。私には。
もう子供の頃からずっと。何かを迷ったり悩んだりしていると、決まって助けてくださっていました。
最初にそのことを話した時には驚かれてしまって、「みんなには聞こえないんだ」と逆に驚いたものです。
それでもやっぱり教会の方でしたから信じてくださって。私も、教会で育ったのだからそういうこともきっとあるって。神様はいらっしゃるんだって思っていました。
孤児院を開くからお世話を任せたいと言われた時にも、迷ったんです。
けれど、神様が...神様が、「同じような不幸な子供達を救いなさい」と仰ったから。
ですから不安でしたけどお引き受けすることにして...他の方々も手伝ってくださいましたし。
そうやってあの子達の面倒をみていて、あれが起こったんです。
孤児院を開いて数年間はすごく順調でした。何人か巣立っていった子もいて。
寂しかったけれど、みんなが一人で外の世界に出ていくのが嬉しかった。
あの日は無性に蒸し暑くて、寝苦しかったことだけ覚えています。
ベッドの中で眠れずにいたらどこかで子供の声が聞こえてきたんです。
この近くに家があったかしらなんて考えながら耳をすませていて、もしかしたらって気付いて。
それにその声が悲鳴に思えてきて...。
急いで孤児院に向かいました。そうしたら、だんだん声が大きくなりました。
院の扉を開けると玄関に兄妹が倒れていました。
十四歳と四歳の子供達です。母親は違うけれど、兄妹でした。
お兄ちゃんの方が守るみたいに妹を抱いてて...その姿で、二人とも血の中でした。
その子達の生死を確認する余裕はありませんでした。
そのまま二人を跨いで中へ入ったんです。他にも子供達がいるはずだし、まだ、悲鳴は響いていたから。
そうしたらダイニングで、刃物が光るのが見えました...。月光に照らされて妙に光っていた。
刃物の大きさも、それがなんだったのかも、誰がいたのかも分からないまま私は駆けました。その場に向かって。
とにかく子供達を守らなくちゃって。助けなくちゃって。何が何だか分からないけれど、今この子達を守れるのは私だけだと思ったんです。
でも、結局私も襲われて...。気付いたら病院のベッドの上で、私は、孤児院の子供達が全員殺されたのだと聞かされました。
そういえば、あの時も担当してくれたのは貴女でしたね。またここに戻ってくることになるなんて。
一番酷い状態だったのは、一番幼かった子供だそうです。まだ生まれてから二年しか経っていない小さな男の子でした。
彼は喉を裂かれて即死していただろうに、更に手脚を切り裂かれていたと警察の方が言っていました。
私は泣きました。
大切なきょうだい達が喪われてしまった。あの子達を守れなかった。
私は起きていた惨状に気付けたのに。守れたはずだったのに...。
小さな命が理不尽に喪われたことが悲しくて、守れなかった自分が情けなくて、先生方に心配されるほど泣き続けました。
そしてその時、神様の声が聞こえました。これは警察の方にも先生にもまだ話していません。
神様はこう仰いました。
「所詮人間のくせに、誰かを救えるだなんて思うな」
...絶望しました。信じていたものに裏切られた...いえ、突き放されたんです。
私は親の居ない不幸な子供達を救いたかった。せめて自立できるまでの間は幸せに過ごさせてあげたかった。
そして、命の危機に瀕していたあの子達を守ろうとしました。
でもそのどちらも成せなかった。
神様はそう仰ったんです。
お前は思い上がったのだ、身の程を知れ、と。
病院でのことは当然貴女も知っての通りですが、退院してからのことはきっとよく知りませんよね。
私は一度ここを出て教会に戻りました。
孤児院は閉じてしまっていたけれど、まだ自分にもできることがあるのではないかと思ったからです。
皆さん怪我の具合を心配してくださいました。首を切られるなんて可哀想に、なんて。傷が浅くて良かったと言ってくださる方もいました。
けれど神様は私を謗り続けました。
「人の身で驕ったお前の末路がこれだ」と仰いました。
「救われなかったあの子供達はお前をどう思っただろうか」と仰いました。
「人が人を救うことなど出来ない」と仰いました。
そして、こうも仰いました。
「ほら、清々しただろう?」
私はこの言葉の意味が分かりませんでした。清々した、とはどういうことでしょう。神様は何のことを言っておられるのか。
そうして神の言葉に耳を傾け続け、結局教会での仕事は何も出来ないままでいた私の元に、警察の方がやって来られたのです。
事件からちょうど二週間を数えた日のことでした。
部屋のベッドに座って、いつものように神様から責められている時だったのです。
ノックの音が聞こえたので扉を開けると、制服を着た男性が二人立っていました。
彼らは言います。「貴女だったんですね。」
なんのことだか分かりませんでした。何が、「私だった」のでしょう。
分からないまま警察署まで連れて行かれました。着替える時間を与えてもらえませんでしたから、寝間着のままでした。
小さな部屋に通されてから一人の方が言うのです。
「先日の孤児院での事件は、貴女が起こしたものだったのですね。」
そんなはずはありません。
私はあの夜眠れずにいて、悲鳴を耳にし、慌てて孤児院へ行って、事件の只中に遭遇したのです。
あの子達を守ろうとしたのです。...叶わなかったけれど。
それなのにどうしてそんなことを言われなくてはならないのか、何を根拠にそう言っているのですかと尋ねました。
耳の奥がキンキンと鳴っていて、神様の声は聞こえませんでした。
刑事さんは言います。「現場や、貴女の周囲の全てのものがそう語っているのだ」と。
一人に身体を押さえつけられました。気が付かないうちに、私は立ち上がって騒ぎ立てていたようでした。
ではこの首の傷は?あの時見た刃物の光は?私は玄関を開けたはずでは?あの子達はそこで既に倒れていたのに!
藻搔いているうち不意に耳鳴りが消え、神様の声が聞こえました。
「“私”は暴かれた」
...その後はまた、病院のベッドの上でした。
ごめんなさい。話しすぎでしょうか?もう夜も深いですし、ご迷惑では...。
ええ。私は平気です。どうせ眠れませんから。
...ベッドの上で目を覚ますともう刑事さん達は居なくて、代わりに先生と貴女が居ましたね。
あの時の貴女の表情...あの時、何を思っていたのですか?いいえ、答えなくて大丈夫ですよ。
少しだけ食事をいただいてから、先生と二人でお話をしました。内容は多分、皆さんにも伝わっているのでしょうけれど。
先生はいろいろなことを聞き、いろいろなことを話しました。過去のことも今のことも、少しだけ未来の話も。
「君には多重人格の気があるのだろう。」と言われました。
あの子達を、殺した...時の記憶は今の私にはなくて、悲鳴を聞いて駆けつけた記憶は、勝手に改竄したものだろうと。
実際、朝になって人が来るまで事件は発覚しませんでしたし、人が来た時私はただ血溜まりの中に倒れていたそうですね。刃物を傍らに。
先生によると首の傷は、自責の念から自害を試みた結果か被害者を装う為のものかどちらか、ですって。傷の角度もそうとれるものみたいですよ。
一番幼い子供が酷い状態だったのは、幼いが故に一番私にストレスをかけていたからではないかと。
だから煩かった泣き声を搔き消すために喉を裂いて、暴れ回って困らせていた手脚を切りつけたのではないかと...。
勿論、大変だと思うことはたくさんありました。
子供達が眠ってくれないことも多かったですし、言うことを聞いてくれないことだってありました。
けれどそんな。だからといって殺してしまおうだなんて...。
先生のお話はまるで他人事のようで、自分の話をされている気がしませんでした。
だって私はあの子達を愛していたんですから。
神様の声ですか?それは...もう、聞こえないんです。
先生はそれも幻聴だと言っていました。
迷ったり悩んだりした時に聞こえるのは自問自答していたから。あの子達が死んだ時に謗られたのは私が自分を責めたから。
犯人だと言われた時「暴かれた」と仰ったのは...そのままの意味、でしょうね。
神様なんて、いなかったんです。
あれは私の心の声だった。もう一人の私の声だった。
私が信じて、縋って、何度も助けてもらったはずの神様は、最初からいなかったんです。いなかった...。
「世話をしていた孤児院の子供達を惨殺した二重人格の殺人シスター」は刑を留保されて、取材がたくさん押し寄せているんですよね?他の看護師さんから聞きました。
それをすべて病院の方で絶ってくださっているとか...。ご迷惑をおかけしてすみません。
センセーショナルでおもしろいんでしょうね。その中で私が、亡くなった...殺してしまった子供達がどんな思いかなんて、世間は気にも留めないのでしょう。
...守りたかった。救いたかった。あの子達に幸せになってほしかった。
それは本心だったはずなのに。
私の、本心だったはずなんです。
殺したのは“私”じゃないはずなんです。
神様はもう助けてくれません。最初からいなかったんです、当然ですよね。
ねぇ...心の中が、塗り潰されていくようなんです。
私が、私の知らない私に殺されていくんです。それが怖くて、貴女に聞いてほしかった。
入院したばかりの時、拘束措置を解くよう掛け合ってくださったのが貴女だって、知ったから。
ねぇ、消えていくんです。消えていくんです。愛していたあの子達の笑顔を、忘れていくんです。
今夜この後もし眠ってしまったら、次に目覚めた私はどんな私なのでしょうか。そう思うと眠れないんです。
誰も助けてはくださらない。警察も、先生も、貴女も、神様も。
神様は、助けてくださらない。
「“私”の心はどこへ、消えていくんでしょうか。」
スパティフィラム 花言葉「上品な淑女」「清らかな心」
(https://hananokotoba.com/spathiphyllum/ より引用)