表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

迷子になりました。

 取り急ぎ、城から脱出することで合意した勇者と下級魔族だが、すぐに障壁にぶち当たった。

 あれから、二人は延々と城の地下を彷徨い続けている。既に、体感時間で二時間近くも歩きっぱなしだ。

「あの……」

 後ろを歩くウィルが不安そうに声をかける。佐和子は内心、ギクリとした。

「疑うわけじゃないんですけど、本当にこちらの道で合っているんでしょうか?」

――ううう、耳が痛い。

 ウィルの不安通り、今現在、二人は絶賛迷子中である。

 佐和子は引きつった笑みを浮かべながら、何とか、誤魔化そうとした。

「ま、まっさかー。ここは、仮にも私の職場よ? 職場で迷うなんて、そんなことあるはずないじゃない」

「でも、さっきから同じ場所を歩いているような……」

「気のせいよ。同じような景色が続くから、そんな気がするだけよ」

「いえ、気のせいじゃないです。さっき、壁に印を付けましたから。ここは、さっきも通った場所です」

 ウィルの指さす壁に、白墨で小さな×が付けられていた。佐和子は観念する。

「……ごめんなさい。迷ってしまいました」

 がっくりと項垂れる佐和子に対し、ウィルは慌ててフォローする。

「気にしないでください! こんなに広いんだもの。迷うのも無理ないですよ」

 一生懸命気を遣い、励まそうとするウィルに対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

――情けない。あんなに偉そうなことを言ったくせに。

 年下のウィルの方が、よほどしっかりしている。

 ウィルの言った通り、城の地下は広い。アリの巣のように広がり続け、今では、誰も正確には把握できていないと聞く。一説によれば、小さな国の敷地面接に匹敵するほどの広さがあると言われている。だから、城で働いている魔族達も、自分達が関わる場所しか知らない場合がほとんどだ。

――でも、それだけじゃあ、ないのよね。

 佐和子は溜息を吐いた。

 自分の言葉で佐和子を傷付けてしまったと思ったのか、ウィルは心配そうに佐和子の顔を覗き込んだ。

「本当に気にしないでください。すぐに気付かなかった、私も悪いんです」

「ううん。元はと言えば、私がむちゃくちゃに走って来ちゃったから」

 今、自分達がどこを歩いているのか、さっぱり分からない。

 ウィルは元気づけるように明るい声で言った。

「大丈夫です。私、これでも、迷路は得意なんですよ! さすがに、こんなに広いのは初めてだけど」

「ありがとう、ウィル……でも、広いだけじゃないのよね」

 佐和子は溜息を吐いた。ウィルは小首をかしげる。

「だけじゃない?」

「この城はね、ただの城じゃないの。まあ、魔王の城なんだから、それは当たり前なんだけど。簡単に言えば、この城は、城自体が生きているのよ」

「生きている?」

 ウィルは怪訝そうに眉をひそめた。

「どういう意味ですか?」

「この城は、城自体が巨大な一体の魔物なのよ」

 ウィルはキョトンとした。

「魔物? この城が?」

「そう。意思があるのかどうかは、誰にも分からないみたいだけど。この城はれっきとした生き物なの」

「まさか」

 ウィルは、にわかには信じられないようだった。無理もない。

「そのまさかなのよね。ちょっと、そこら辺の壁に触ってみて」

「壁?」

 ウィルは促されるままに、壁に手を当てた。無機質な石の感触。しかし、しばらく触れていると、壁の奥から鼓動のような振動が掌に伝わってきた。

ウィルは驚いて壁から手を離す。

「い、今、壁から」

「ね? 分かったでしょ」

 ウィルは怯えた顔で佐和子を見上げた。

「じゃあ私達は、今、魔物の体の中に……?」

「そういうことになるわね。その証拠に、至る所から、液体が滴っているでしょう?」

 佐和子は天井から滴る水を指さした。雨が染み込むはずもないのに、至る所が湿っている。

「あれは、この城の体液」

「体液⁉」

 ウィルの白い肌に鳥肌が立つ。

「別に触れても害があるわけじゃないけど。でも、中にはこういう部屋もある」

 佐和子は近くにある部屋の一つを指さした。ウィルは恐る恐る、部屋の中を覗く。次の瞬間、ウィルは思わずヒッと小さな悲鳴を上げた。

 部屋の中からは酸っぱい悪臭が漂ってきた。その中に、混じって肉の腐ったような腐臭も。

 部屋の中は、粘着質の糸が壁や天井から張り巡らされ、至る所がベチョベチョに湿っている。それらの糸に絡めとられるようにして、溶けかけた魔族の死体が絡みついていた。

「こ、これは」

 ウィルは思わずよろめいた。

「部屋の中には入っちゃダメよ。危ないからね」

「なんなんですか、この部屋」

「こういう部屋が至る所にあるの。部屋の中に消化液を溜めて、迷い込んだ生き物を溶かして、城の養分にするのよ。食虫植物みたいにね。今は酸っぱい匂いしかしないけど、生き物を誘いこむ時は、甘い匂いがするらしいわ。その香りには幻覚性があるから、ふらふらーっと誘いこまれてしまうのよ」

「食虫植物……」

 糸に絡まった死体を見て、ウィルはブルッと肩を震わせた。

「どうして、魔族はこんな危険な城の中で暮らしているんですか?」

 その疑問はごもっともだ。

「自分達にも危険だけど、その分、外敵からも身を守りやすいとか、色々理由はあるわ。でも、一番の理由は、心地良いから。この城の中は、魔族にとっては、不思議と居心地が良いの。落ち着くのよ。お母さんの胎内にいるような気持ちっていうのかしらね。危険な場所なはずなのに、なぜか落ち着くの」

 この理由は、本当だ。

 魔族にとって、この城の中は、不気味なほど居心地がいい。

 そして、不思議と、と誤魔化したが、本当は、居心地のいい理由も、佐和子はちゃんと知っている。

――でも、人間のウィルには、言うべきじゃないわよね。

 だって、それは、魔族にとって決して口外してはならない秘密だから。決して、他の種族に知られてはいけないことだから。

「そういうものなんですか」

 疑うことを知らないウィルは、素直に納得した。

「恋愛と同じよ。恋人としてNGな相手のはずなのに、一緒にいるとなぜか居心地が良くて、ダラダラ付き合いを続けてしまうみたいな、そんな感じ」

「へえ……」

 ウィルの顔色が少し曇った。

――あれ? 何かまずいこと言ったかな?

 ウィルが少しムッとしているような気がする。

 佐和子は話を戻した。

「この城は生きている。生き物だから、絶えず体が変化するの。細胞分裂みたいなものかしらね。私達は、城の増殖と言っているわ。毎日、少しずつ広くなっている。だから、しょっちゅう部屋の場所や、道が変わっていたりするの。マップなんて作っても、何の意味もない。特に地下は完全に迷路よ。長年、城で暮らしている古株の魔族でも、油断したら迷うことがあるって言うわ」

 別に迷った言い訳をしているわけではない――と自分に言い聞かせてみる。

「サイボウブンレツって、なんですか? 何かの呪文ですか?」

話を聞いていたウィルが首を傾げた。

――そうだった。うっかりしてたわ。

 転生したこの世界は、前の世界よりも文明が進んでいない。科学も化学も発達しておらず、その代わりに、魔法やそれに類する力が人々の生活を支えている。

――電気も水道もないのよね。

 だから、灯りは松明の火や、貴重な油に細い火をともして使う。上下水道もないため、水は川や泉から汲んでくるか、井戸を使う。

 医学も原始的で、薬草などを使った治療が主な方法だ。それでも効かない場合は、諦めるか、まじないに頼るという始末である。当然、人体の仕組みについても、ほとんど研究されていない。細胞レベルの話であれば、なおさらだ。

――でも、化学や科学が全くないわけではないみたいなのよね。

 時折、位の高い人間が、何の気まぐれか、国境付近に来ることがある。そういう連中が魔族に捕まり、城に運ばれてきたことがあった。そいつらは、貴族の人間で、かなり知的レベルが高く、化学や科学に近い知識を多少なりとも習得していた。とは言っても、前世を思い出す前のザインには、彼らが何を言っていたのか、当然、分からなかった。

――人によって、知識レベルにムラがある。

 位の高い人間はより多くの知識を習得しているようだが、一般人のほとんどは、十分な教育を受けていないように見えた。

 佐和子はウィルに尋ねた。

「ねえ、ウィル。あなた、学校は行っていたの?」

 学校自体は、この世界にもある。しかし、ウィルは、とんでもないとばかりに首を横に振った。

「まさか。村に学校はありませんし、そもそも、学校は大金持ちか貴族の子女しか通えません」

「じゃあ、あなたは、どうやって勉強したの?」

「一般の子供は、ほとんどの子が、村にある教会や年長者の家で、物書きや礼儀作法を学びます」

「物書きと礼儀作法か。それ以外は?」

 ウィルはキョトンとした。

「それ以外とは? 畑仕事とか、布の織り方とかですか?」

「そういうことじゃなくて、例えば政治とか、経済とか」

 ウィルは怪訝そうに首をかしげる。

「それは、王族や貴族の仕事です。どうして、私達がそれを学ぶんです?」

 今度は佐和子が目を丸くする。

「じゃあ、あなた達は、自分の暮らしている国が、どんな風に運営されているか、全然知らないの?」

 それの何がおかしいの? そう言わんばかりに、ウィルは怪訝な顔をした。

 どうも、この世界の人間社会は、前世の記憶を持つ佐和子からすれば、どこか歪だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ