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勇者は仕事選びを間違えていました。

 あまりのショックに、佐和子は呆然とする。一体、何がどうしてこうなったのか、さっぱり分からない。

――だって、私はさっきまで会社の屋上にいたのよ?

 そう。そして、その屋上から落ちたのだ。そこまで考えて、はたと気付いた。

――私、もしかして生まれ変わったの?

 そう自覚すると、この体の幼少期からの記憶が、少しずつ思い出されてきた。おそらく、ついさっきまでは、前世の記憶を思い出したショックで、今生の記憶が一時的に飛んでいたのだろう。

――そうだ。私の名前はザイン。このゲス野郎共の仲間で、下級魔族の男。そして、ここは……魔王の城の地下。

 佐和子は気を失いそうになった。なんて気の滅入る事実を思い出してしまったのだろう。いっそのこと、頭を打ったショックで全て忘れてしまえればよかったのに。

 つまり、整理すると、佐和子もといザインは、この魔王の城に仕える下っ端魔族で、後ろで涙目になっている少女は、無謀にも魔王の城に乗り込んできた、自称勇者の、人間の女の子。彼女は下っ端魔族である我々にあっさり捕まり、モブであるザイン達に手籠めにされようとしている。

――なんて無謀な。

 佐和子は後ろでガタガタ震えている少女をチラリと見た。こんな、いかにも弱そうな少女が乗り込んでくるなんて。確かに、ある意味、勇者と言える。

 佐和子は深く息を吐き、腹をくくって仲間達の方へ向き直った。前世の記憶を思い出した以上、この状況を見過ごすことはできない。

「なあ、皆。こんなこと、やめようぜ」

 できるだけ明るい声で男達に呼びかける。少女を押さえつけていた男が眉を寄せる。

「何言ってんだ、お前」

「いや、だから、こんな意味のないことはやめようって」

「お前、頭、どうかしちまったんじゃねえのか? 意味なんか、どうでもいいんだよ。ただの暇つぶしなんだから」

 男達がそうだそうだ、と声を上げる。

 佐和子の中の女が、怒りで沸騰しそうになる。

――落ち着け。ここで、こいつらを怒らせるのはマズイ。

 数では圧倒的に不利。そうでなくても、このザインという男は、それほど強くない。

 佐和子はできるだけ気丈に振る舞い、顔に引きつった笑顔を張り付けた。

「さっき、外を見張ってた時、ゴブリン達が見回りに来てたぜ」

 男達の顔色がサッと変わった。

 ゴブリンは城の地下を定期的に見回っている。そして、何か異常があった場合は、すぐに上に報告される。

「勝手に、侵入者に手を付けるような真似をしたら、マズいんじゃないか。上の耳に入ったら」

 男達が明らかに動揺している。

――今だ。

 動揺している男達の隙を突き、佐和子は背後で動けなくなっている少女の手を取って、強引に走り出した。後ろから男達の怒号と、追ってくる足音が聞こえてくる。佐和子は少女の手を掴んだまま、遮二無二走り続けた。

 どこをどうやって逃げたのか分からないが、いつの間にか、背後から男達の足音が消えていた。佐和子は薄暗い通路の壁に背を預け、息を切らしながら座り込んだ。

――た、助かった。

 どうやら、逃げ切れたようだ。

 安堵した途端、額からドッと汗が噴いてきた。体が軟体動物のように弛緩する。背中に堅い壁を感じながら、深く息を吐いた。

「あの……痛いです」

 困惑したような声に、佐和子は顔を上げる。見上げると、佐和子に手を掴まれたままの少女が、困ったような顔で立っていた。佐和子は慌てて少女の手を離す。

「ご、ごめんなさい‼」

「いえ……」

 少女は掴まれていた手を、もう片方の手でさする。見ると、掴まれていた箇所が、赤くなっている。

「やだ、ほんとにごめんなさい。痛かったでしょ?」

「いえ、大丈夫です。それよりも、その……ありがとうございました。助けてくれて」

 少女は軽く頭を下げた。佐和子は首を横に振った。

「お礼なんて言わないで。もう少し早く助けられていたら、あなたがあんな目に遭うこともなかったんだもの。怖かったでしょう。怪我はない?」

 そう言うと、少女は小さな肩を震わせた。大きな目から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれている。

――かわいそうに、よっぽど怖かったのね。

 当然だ。あと少し、佐和子が飛び込むのが遅かったらと思うと、ゾッとする。

 佐和子は少女を抱きしめるようにして、小さな背中をさすった。

「もう大丈夫よ。大丈夫だからね」

 佐和子の腕の中で、少女はしばらく泣き続けた。

 やがて落ち着くと、少女は佐和子の腕から離れた。

「もう、大丈夫です。すみません、見苦しい真似をして」

 少女の目は真っ赤に腫れていた。少女の言葉に、佐和子は首を横に振った。

「見苦しいだなんて。あんな目に遭ったんだもの。泣くのも怖いのも当然よ」

 そう言うと、それまで硬かった少女の顔が、少しだけ笑顔になった。

「あなたは、魔族なのに、ちょっと変わってる」

――まあ、そりゃ、中身がOLだからね。

 佐和子は苦笑した。

 少女は乱れた衣服と髪を手で直し、改めて姿勢を正した。

「私はハモニカ村のウィリアムといいます。ウィルと呼んでください」

 ウィリアム。なんだか、男のような名前だ。ウィルは軽く服の裾をつまみ、佐和子にお辞儀した。

「私は清水佐和子よ」

 佐和子はウィルに手を差し出した。差し出された佐和子の手を、白魚のようなウィルの手がキュッと握る。

前世を思い出した今、ザインの名前を名乗る気にはなれなかった。何せ、ザインときたら、とんでもないクズ男だから。

「シミズサワコさん。珍しいお名前ですね」

 ウィルはクスッと微笑んだ。笑うと、花のように愛らしい。

「佐和子でいいわ」

「サワコさん」

 ウィルは小さな子供のように繰り返した。

「あの、サワコさん。聞いてもいいですか? どうして、魔族のあなたが、人間で勇者の私を助けてくれたんです?」

「それは……」

 中身が女だからです、なんて言えない。言ったところで、信じてもらえないだろう。

「ああいうのは、どうしても虫が好かなくて」

「魔族なのに?」

「魔族にも色んなのがいるのよ。人間にだって、色んな人がいるでしょ? それと同じよ」

 佐和子は笑ってごまかした。

「それよりも、ウィルはどうして一人でこんな所に? 一緒に来た仲間はどうしたのよ。はぐれちゃったの?」

 ウィルの表情が途端にしぼむ。

「……仲間はいません。ここには、私一人で来ました」

「一人で⁉」

 佐和子は唖然とした。

「どうして、そんな無茶を? ここがどこか分かってるの?」

 人間の敵、魔王の根城。魔族達の本拠地だ。こんな場所に人間が一人で乗り込むなんて、自殺行為以外の何物でもない。

 そもそも、どうしてこの子が勇者なんてやっているのだろう。佐和子は改めてウィルの姿を観察した。

 強い風が吹けば飛んでしまいそうな、華奢で小柄な体。きめ細かな白い肌。少し重い物を持っただけで折れてしまいそうな細い腕。

 人は見かけによらないと言うが、目の前の少女は、どう見ても勇者には見えない。いや、そもそも、冒険者に見えるかどうかも怪しい。

「ねえ、こう言っちゃなんだけど、あなた、勇者には向いてないんじゃない? 仕事は選んだ方が良いわよ」

 佐和子は心配そうに言った。余計なお世話だとは分かっているが、言わずにはおれなかった。ウィルは自嘲するように、少し笑った。

「分かってます。自分がどれだけ無茶なことをしているかは。勇者の任は、私には荷が重すぎるということも、分かってる。でも、仕方がないんです」

 ウィルは自分の服をギュッと握りしめた。何やら、事情がありそうだ。

「ねえ、もしよかったら、話してみてくれない?」

 内容によっては、力になれるかもしれない。ウィルは少しためらったが、やがて、ポツリポツリと話し始めた。


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