老人は同郷者でした。
男は長い髪の隙間からにやりと笑って見せた。
「不味い。飲めたもんじゃないな」
先ほどまでの嗄れ声とは違い、しっかりとした低い声で、男はそう言って、くくくっと笑った。嫌な笑い方だった。その笑顔を見て、佐和子はゾッとする。
「あなた、人間じゃないの?」
佐和子の問いかけに対し、男は鼻で笑った。
「俺は人間だよ。れっきとした」
「とても、そうは見えないけど」
佐和子は気味悪そうに言った。
魔族の血をすすって若返る人間なんて、聞いたことがない。
「冷たいな。シミズサワコ。優しいのは、女に対してだけか?」
男の言葉に、佐和子は目を丸くした。
「どうして、私の名前を……」
「なんでだろうなあ?」
男はヒヒヒと笑った。
「助かったよ、増殖があって。ここ何年、ゴブリンですら、この辺りには来なかったからな。おかげで、お前みたいな間抜けな奴が迷い込んできた。しかも、バカの付くお人よしだ」
男の言い草に、佐和子は苛立つ。
――なんなのよ、こいつ。
得体が知れない。これ以上、関わらない方が良いかもしれない。
佐和子は立ち上がり、じりじりと男から距離を置いた。
「おい」
離れようとする佐和子を見た男は、ドスの利いた声で佐和子を呼び止める。
「……何よ」
「俺を助けてくれ」
一応、懇願の体を取っているが、その口調は命令調だった。
佐和子は少し考えた。
彼がただの老人であるなら、当然、助けるつもりでいた。しかし、今の彼は、とても普通の人間には見えない。危険な匂いがする。ウィルも一緒にいる以上、彼女を危険にさらすような不安要素は増やしたくない。
「悪いけど……」
「そう言うなよ。お前にとっても悪い話じゃない」
男はなおも上から目線だ。
「あのねえ、それが助けを乞う人の態度なの?」
「土下座でもしろって言うのか?」
「そういうことじゃなくて」
「あいにく、この足じゃ、無理な相談だな」
男はそう言い、自身の左足を服の上から軽くさすった。
「あなた、その足、どうしてそうなったの?」
「気になるか?」
「ええ、まあ」
「助けてくれるのなら、教えてやってもいい」
「いちいち交換条件を持ち出すの、やめてくれない?」
佐和子はウンザリした様子で言った。
「無償で手に入るものなんかない。前の世界でも、そうだったろ?」
男の言葉に、佐和子はハッとする。
「あなた……」
男はにやりと笑った。
「お前、日本人だろう。名前を知って、ピンと来た」
「まさか、あなたも?」
男は口元に嫌な笑みを浮かべながら頷いた。
――驚いた。
まさか、自分の他にも、この世界に転生してきている同郷者がいるなんて。しかも、同じ日本人ときてる。
「あなたの名前は?」
佐和子は尋ねた。彼の言っていることが本当なのか、まだ疑っていた。
「こちらの名前か? 前世の名前か?」
「両方」
「お前から名乗れ。お前が言えば、俺も言う」
男は抜け目ない目でそう言った。
どうでもいいが、いちいち腹の立つ言い方をする。
「私は、清水佐和子。今生の名前はザインよ」
「その様子だと、魔族の下っ端に生まれ変わったのか。貧乏くじを引いたな」
「うるさいわね。あなたの名前は?」
「前世の名前は須藤。今は、アイリという名前で通っている」
アイリ。
本人に似つかわしくない、アイドルのような可愛い名前だ。
「あなた、何歳? 本当に人間なの?」
「36歳。さっきも言ったが、人間だ」
「前世の記憶はいつからあるの?」
「お前は?」
「私は……今日」
「まだ前世を思い出したばかりか。通りで不自然だと思った」
「そんなに不自然かしら。確かに、いきなり男言葉で喋る気にはなれないけれど」
「話し方だけの問題じゃない。器に中身がかみ合ってないのさ。俺みたいに、生まれた時から前世の記憶を持っている奴と違ってな」
佐和子は驚いて目を丸くする。
「あなた、生まれた時から前世の記憶があったの?」
「まあな」
「どこの人?」
「東京だ。弁護士をしていた」
――なんと。エリート様でしたか。
通りで、癪に障るはずだ。まあ、単なる嫉妬だが。
佐和子は少し迷った末に尋ねた。
「聞いてもいい? あなたは、その、前世でどうやって」
「死んだのか?」
佐和子は息を飲んだ。
ずっと気になっていたことがある。自分がなぜ、この世界に転生してきたのか。
佐和子は、前世で良い死に方をしなかった。最後の最後で、人生に深い後悔を刻んだ。
今生での、この悲惨な境遇は、もしかすると、前世で清算しきれなかった罪に対する罰なのではないか。薄々、そんな風に思っていた。
同じような境遇の人であれば、何かしらの共通点があるのかもしれない。
「その様子だと、お前も前世ではろくな死に方をしなかったみたいだな」
アイリの言葉に、佐和子はギクリとした。
「お前もってことは」
「聞きたいか?」
佐和子は頷く。
「たいした話でもないが、気持ちの良い話でもないぞ」
「聞かせて」
アイリは佐和子の顔をしばらく見た後、やがて話し始めた。