異世界転移
一瞬にして、晴れた屋外でシャッタースピードを1/10にして撮影した写真のようになった視界は、しかし少しずつ速度をあげていく。
1/100、1/200、1/300、1/400、1/500・・・
ついにはいつも通りの明るさに視界が戻った。
しかしそこは、さっきまで居た境内ではなかった。
目の前にあったのは大きな湖だった。
そこには底が見える程に透明な、綺麗な水が溜まっていた。
水面が、太陽の光を反射して輝いている。
そして、湖の中心から天へと伸びる一本の樹の幹。
いくら上を見上げてもその終わりは見えず、まるで天を貫いている様に見える。
見上げることを諦めて視線を地上に落とすと、周りを森に囲まれている事に気が付いた。
つまりここは、森に囲まれた湖ということ。
そんなファンタジックな場所に、自分が今立っているという事にようやく気付かされた。
・・・白い光に包まれ、気付けばそこにはファンタジックな光景・・・
はっ!もしや!
「これが所謂、異世界転移か!!」
橘は叫んだ。
思わず叫んでしまった。
周りには誰もいない。
この上無い解放感が彼を襲う。
それを彼は、拒むどころか正面から受け入れる。
解放感に浸る。
今まで、こんなにも清々しい瞬間などあっただろうか。
都会に、都心にそんな場所などあったろうか。
否!
やはり、こんな場所は初めてだ!
あぁ、清々しいぞ、実に清々しい!
彼を邪魔するものは何もなかった。
とは、いかなかった。
「うるさい、ちょっと黙って」
そう言ったのは、さっきまで同じところに居た、彼女だった。
「げっ、いたのかよ・・・」
「悪い?」
あからさまに顔を歪めた橘を、美紗は鋭く睨んだ。
「いやまぁ、異世界転移・転生モノで女の子と一緒に異世界に連れてこられるっていうシチュエーションなら幾つもあるけどさ・・・」
「ノゲとか問題児とか?」
「そうそう。まぁ、異世界から元カノが会いに来るっていう珍しいパターンはあるけど」
「ヤンデレ悪魔っ娘ユキちゃんのこと?」
「さもそれがタイトルみたいな口振りで言うな、それ只のキャラの特徴と名前じゃねーか。って、え、知ってんの?」
「うん、知ってる」
「なんで?」
「見つけたから」
「いやまぁそうなんだけどな・・・ネット小説、読んでたんだな」
「まぁ、多少は」
「好きなジャンルは?」
「異世界モノ」
「さっきからノリが良いと思ってはいたが、お前もしかしなくてもテンション上がってんだろ」
「そんなことない」
「にやけながら言われても説得力ねーよ!」
「そんな事より、異世界に飛ばされるときに落下しなかったということはつまりチュートリアルシーンは望めないという事になる。リゼロや異世スマの様に、まずは町に出なくちゃ」
「このすばは?」
「あれは転生前にチュートリアルがあったから例外」
「さいですか」
「さぁ、青い髪の少年とギガスシダー目指してレッツゴー!」
「アンダーワールドじゃねぇよ!」
「ノリノリじゃねぇか」と言い損ねた橘は心の中でそう叫び、歩き始めた彼女の後ろについて行く。
彼は、彼女の事を心配していた。
なぜなら、彼女の様子が中学の頃とはずいぶん様子が違うからだ。
基本的に物静かだったし、こんなにテンションが高いことなんて無かった。
それに旭日はアニメが嫌いだった筈だ。
いや、中1のときに一度だけ、あいつが友達から漫画を借りていたところを見た気がする。
もしかして隠してたのか?
じゃあ一体何故?
橘の頭の疑問符は消えそうになかった。
分からないのなら質問すれば良い、彼はそう考え旭日に話し掛けようとしたが、その時ふと新たな疑問が浮かんだ。
「なぁ、森には入んないのか?」
さっきからずっと池の周りを歩いているだけの彼女に、彼はその訳を聞いた。
「は?あんたバカなの?」
いきなりなじられた。
「えぇ、酷いなぁ」
「キモい」
「えぇ」
「あんた、社会科で一番好きな科目は?」
「地理だ」
「私も」
「・・・っでなんだよ」
「分かんないの?」
「うん、ギブ」
「はぁ。あのさ、これが湖ならさ、川がある確率が高いよね?」
「えっ?あぁ、そうだな。って、あっ、なるほどな」
「そう、川さえあればそれに沿ってあるけば多分町に出られる」
「なるほどなー」
確かにそうすれば確実に町にたどり着ける。
しかし、面倒くさい。
対岸が見えないほどの広さを持つこの湖を一周するには一体どれほど時間が掛かるのか、考えただけでその場に座り込みたくなる。
いっそ湖から出てきた女神様に金の斧貰って木こりしてたい・・・
そんな気の抜けたことを考えつつ彼は湖の方を見遣った。
大きな湖の中心にそびえる一本の木。
湖の周りは森。
何処かで見た事があるような・・・。
アニメだったような・・・、テレビか?それともパソコンか?
パソコンだった気がするんだよなぁ。
でも、パソコンでアニメなんて見たかなぁ。
あっ、いや、そうか、ゲームのチュートリアルか。
そうだ、あれはIVO のストーリー説明のときだ。
あの時は確か、祈りを捧げると女神ウルズが出て来て・・・。
ってこれ、まさか湖じゃなくて泉?ウルズの泉か?!
女神ならこの状況を変えてくれる筈・・・!
しかし、一体どうすれば会える?
IVOでは大人数で祈りを捧げていたが、一人、二人では到底できない。
もぐって探せ・・・ないよな、女神だもんな。
ん~万策尽きた!つか考えんの面倒くさい!
よし、旭日に聞こう。
彼は、いつの間にか遅くなっていた歩くスピードを速め、彼女の横に並んだ。
「なぁ旭日」
「ん?」
「泉と言えば?」
「ウルズ」
「・・・」
即答かよ。
彼は心の中でそう突っ込むと、わざとらしく呆れ顔を見せた。
「・・・なによ、その不満げな顔は」
「すまん、聞いた俺がバカだった」
「ちょっと、それどういう事?」
怒りが含まれた彼女の発言を流しつつ、どうすればウルズに会えるかを考える橘だった。
「あ、ねぇ」
「何だよ」
「金の斧銀の斧は?」
「あぁ、斧を池に落とすやつだっけ。でも鉄の斧が無いけど、どうすんの?」
「代わりになるものを投げましょう」
「というと?」
「あんたのスマホ」
「え、やだよ」
「我が儘言わないでよ」
「お前のを投げろよ」
「私、学校帰りだからスマホ持ってない」
「え、そんなに校則厳しいの?」
「ううん、学校に忘れてきた」
「ドジったのかよ!」
「だから、ね、お願い」
「上目遣いでも却下」
「チッ」
「威嚇しても揺るがねーよ」
「全く。いい?男の子っていうのはね、女の子のお願いを聞くものなんだよ?受け入れるのもなんだよ?」
「無茶振りは別だ」
「けち、しみったれ」
「それ一緒」
「そんなのだから私にフラれるんだよ」
「てめぇ、なに上から目線から言ってんだよ何様だよ」
「美紗様よ」
「うわ、地味に言い難い」
「略して『みさま』よ」
「誰だよ!」
「ググると『めがみさま』というドラマがヒットするわ」
「うわぁ、スゲーどーでも良い」
「それで、結局どうするの?」
「え?あぁ、急に話を戻すなよ」
「ネタ切れ」
「さいで」
「で、もしかして泉の女神様に会いたいの?」
「おぉ、よく分かったな」
「さっきのあんたの質問で何となく」
「どれのこと?」
「『泉と言えば?』って」
「なるほど」
「じゃあこの湖は・・・」
「あぁ、多分ウルズの泉だ。そしてこの世界は・・・」
二人は同時に辺りを見回した。
どこまでも続く森。
広がる地面の芝。
綺麗な泉。
水面下で泳ぐ生物。
泉の中心から生える一本の根。
そう、ここは・・・
二人は、同時に言い放った。
「中つ国」