第一話:悪魔さんとプロローグ
よろしくお願いします。
少年期の終わりは。
掠れた声で囁く老夫の言葉。
今際に渡された古びた丸笛。
「いつか、君にも素敵な悪魔が訪れることだろう……」
白き布を被せられた彼の謎掛けに、あの時の僕は応えられなかった――――。
✞
美味しいオムレツを作るコツは。
油の量をケチらないことだ。
よく熱したフライパンにたっぷりのオリーブオイルをかけて、適度に馴染んだらかき混ぜた玉子を投入する。
すると黄色い波がフライパン上で踊り、鉄板につかずにふわふわの黄色になる。そこから僕は素早く箸を取り出し全体をほぐして半熟に整える。
さらにそれを一箇所に集中させてフライパンを傾けて……。
「よっ――……っと」
「おおー綺麗な放物線を描いたのう」
僕の料理風景を眺めて少女が感心した声をあげた。
黒のドレスに黒のマント、中二病真っ盛りみたいな見た目の少女だった。
背の高さは150cmほど、艶のある黒髪はセミショート、ぷっくらと膨らんだ頬は子供らしさを残して、見ればみるほど普通の少女みたいだった。
まあ、悪魔なんだけどな。
――――メフィスト・ヨハン・フェレス3世。
通称"メフィスト3世"。
幾人もの召喚士、魔法使いを唆し、契約を結び、魂を蒐集してきた堕落と欲望の悪魔。
天界の叛逆者、この世で最も美しいものを見せる悪魔。
稀代の貴族、地獄のエリートであるメフィストフェレスの三代目――それが彼女だった。
「さらにここからもう一回転」
「おおーー。まるで天地をひっくり返すコペルニクス的料理術」
パチパチパチ、と小さな手のひらで賛辞を送ってくる。
その純真さ、可愛さからは悪魔には到底見えない。
「なーなーヤモリー、あれもやっておくれよ」
「分かってる、ケチャップでイラストだろ」
「逆十字な! 逆にしたらぶっ殺すからな!」
だが、悪魔だった。
物騒なことを言いつつも、メフィストは大喜びでケチャップを冷蔵庫から持ってくる。
くそう、微笑ましいな。
天使みたいな笑顔でこちらに向かってくる様子を見ると改めてそう思えてくる。
でも、悪魔だった。
地獄の公爵の一人にして、邪悪の化身だった。
「さて、と」
僕はお皿にキャベツとミニトマトを乗せて、その上からオムレツを据える。
ケチャップで逆十字を書いて、完成だ。
お食事用の丸いテーブルのもとへ運ぶと、後ろからメフィストがご飯とお味噌汁を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「そういう契約だからなっ!」
どういう契約だよ。
そうツッコミたかったが、えへん、と胸をそらす様子は可愛かった。
おそらく学園中を探しても、悪魔を召喚した生徒なんて、僕くらいのものだろう。
「さっそく食べようぞっ、食事はあったかいうちに食べるのが一番だ」
「そうだね」
「ほれ、コップを持てい、牛の乳を注いでやるわ」
と言って牛乳をトクトクトク……と注いでくれる。
いやー、それにしても言わないでもお手伝いしてくれるようになって。
すっかりお利口さんだ。
出会った直後の彼女は違った。
もっと、こう、……死んだ魚の目をしていた。
ボサボサの髪がデフォルトの、ダウナー系に全振りしたような中学生だったはずだ。
「いただきまーす!」
「いただきます」
それが今やこんな元気いっぱいに。
僕が何をしたというのだろう。
やったことといえば、一日三食のご飯と、お風呂とベッドの提供くらいだ。
それだけで数週間もしないうちにメフィストは変わった。
その瞳はキラキラと輝きだし、その髪はキューティクルの光るように生まれ変わったのだ。
「悪魔が……天使の輪っかを髪に浮かべるのはダメな気がするなぁ」
「何か言ったか!?」
「なんにも、ほら口元にお米ついてる」
僕が指摘するとメフィストは「ホントだ」と気づいた表情をしてぺろりと食べてしまった。
そして笑顔だ。
食べ盛りの彼女を見ていると、僕も家族がいることの幸せを実感する。
学生の身分に似合わない自炊テクも、振る舞う相手がいないと張り合いがない。
「ヤモリは今日は部活はないのか?」
「今週、テスト週間なんだ。歴史学に、魔法学に語学に薬学……部活はないから早く帰れるよ」
「じゃあ、遊ぼう! ヒャクメが面白い幽霊船を見つけたんだ!」
「また仲間と変なもの見つけて……」
呆れる僕は勉強するからダメだよ、メフィストに言う。
「遊びも程々にするんだよ。妖怪大戦争が起きたらケガじゃすまないし」
「大丈夫さ! いざとなったらヤモリが助けてくれるから!」
全幅の信頼を寄せてくる笑顔。
……。
……やれやれ、本当なら助けられるのは契約者である僕なんだけどな。
一ヶ月前、僕は祖父の残した召喚術で彼女を呼び出した。
悪魔が我が家に来たことで、まさか僕の人生が豊かになるとは思わなかった。
かつての僕の生活は酷く、荒んでいた。
放っておけば本当に地獄に落ちていただろう。
まさかこんな楽しい日々がくるなんて。
一ヶ月前の僕は知らずにいたのだった――。