第10話:タンガクの町(1)
ふと、辺りを見渡すと、そこは大都市キサルイの南門だった。
自称「三の神」は、ここに至るまでの記憶を失っている自分に気づいたが、
もう、その重要さを理解することも出来なくなっていた。
「キサルイ……ここから……西へ……」
途中、魔物に襲われ、返り討ちにした際、
手に入れた魔石を懐におさめているが、それすら覚えていない。
「……ヤトカイの……町……に……」
キサルイの南門を横目に見て、さらに西に向け走り出す。
「シェリルに……シェリルに……会わな……けれ……ば……」
◇ ◆ ◇
次に、自称「三の神」が自己を認識したのは、甘い匂いのする店の前。
何故か、気分は晴れやかだった。
ただ、何か「しこり」のようなものが胸に残っている。
入口の戸を開け、かすかに残った記憶のかけらに従って、
理由すら忘れた己の目的を、その場にいる女性に告げる。
「シェリルに会いたい!」
ここが全く関係のない町の、全く関係のない店であれば、
只々不審に思われるだけの言動。
「はい、いらっしゃーい……て、シェリルに会いたいって?
シェリルって、シェリル様のことかな?」
だが、これは神の奇跡か、
はたまた単純に、甘い匂いに引き寄せられただけなのか、
無意識のまま辿り着いたのは、偶然にもヤトカイの町のマリエの店だった。
「わしはシェリルに会いたいのじゃ!」
店に入ってきて、いきなり店の常連に会わせて欲しいと願う人物に、
マリエの母親マイカは、スッと腰を落として目線を合わせる。
「んー、ダメダメ。女の子が自分のこと『わし』なんて言っちゃあ。
いい? 『わたし』、『わたし』よ。言ってごらん」
「あたし! あたし、シェリルに会いたいのじゃ!」
「なんかまだおかしいわねぇ……まぁ、いいか。
あなた、お名前は?」
「あたしは……『三の……』?」
そこで首をかしげる自称「三の神」だった者。
マイカから見れば、十歳にもならない可愛い金髪幼女の姿。
「サンノちゃんね」
そう呼ばれて何故かしっくり来た。
「そう、あたしはサンノ!」
神から降りただけでなく、神であった記憶も失くした元「三の神」
呼称から「神」を失くした「サンノ」という名前は絶妙でさえあった。
そして自分をサンノと認識したとき、
胸に残っていた「三の神」の存在は、この世から綺麗に消え失せた。
ここに居るのは、ただシェリルに会いたいだけの幼女だった。
「あなたの言うシェリルっていう人がシェリル様のことなら、
今日は来ないと思うよ。私の娘と旅行に行っているからね。
でも待っていれば、ソラちゃんがあんみつを取りに来るから、
それまで待っていられるかな」
「あんみつ食べたい!」
「はい、注文ありがと。お金は持ってる?」
「お金……? お金ない」
「そっか……どうしよっかな」
「あっ、これがある!」
「魔石かあ、こんな小さい子がなんでって思うけど。
ま、いっか。じゃあ、それを三つもらおうかな」
「あんみつ!」
ヤトカイの町は、周囲を壁に囲まれ警備も厚く、正門前には門番もいる。
そこに、不審な幼女が如何にして立ち入ることができたのかは……謎である。
◇ ◆ ◇
「あれ、サンノちゃんがいない……」
サンノが座っていた席には、あんみつを平らげた器だけが残っていた。
お代は先にもらっちゃったから、それはいいのだけど――と、マイカ。
そこに、入口の戸が開き、新しい客が来店した。
「いらっしゃーい……って、あっ、ブラウンちゃん」
◇ ◆ ◇
茶猫姿のソラが、マリエの店の戸を開けると、笑顔のマイカに迎えられた。
「予約していた今日の分のあんみつ、取りに来たわ」
旅の間も、おやつにあんみつは欠かせない。
男性陣は遠慮したので女性の分だけ。
主と自分と、紫紺の戦乙女四人、留守番のシロとクロ。合計――八人前。
空間転移と収納空間を持つソラだからこそ、出来る芸当である。
「はいはーい。もう、ほとんど出来ているから、ちょっと待っててね。
それよりも、ブラウンちゃん」
「ん、どうしたの?」
呼ばれた小さな茶猫は、トコトコと空中を歩くようにして、マイカに近づく。
他の客も、この小さな着ぐるみ姿は見慣れたもので、
軽く会釈をしたり、「こんにちは」と声がかかったりで、驚く者などいない。
マイカは他の客に聞かれないように、小声でソラに話す。
「さっきまで、ここにいたんだけど、
シェリル様の知り合いにサンノっていう子供は……いる?」
「さっきまで、ここにいた……?」
「そう、六歳とか、そこらへんの年齢で、マリエよりも頭ひとつ小さい。
金髪に青い目、服はちょっと汚れていたけど、可愛い顔をした女の子。
自分のこと、サンノって」
――サンノ……ねぇ。
ソラの記憶にない名前。
「シェリル様に会いたいって店に来てね、
ソラちゃんがもうすぐ来るからって話をして、
あんみつを食べて待ってもらってたんだけど、今見たらいなくなっちゃってね」
御主人様は一部で有名だから、
こちらが知らなくても、相手が知っている場合は多いのだけど……。
ただ、その相手が幼い子供だというのが引っかかる。
――でも、いま出来ることはないよね。
名前だけは憶えておいて、
あとは御主人様とシロとクロに話をしておこう――と、即断する。
「そう……。そのサンノって子は知らないけど、話は頭に入れておくわ。
シェリル様にも伝えておく。ありがと」
その後は、マイカから今日のおやつを受け取って、ダンジョンに一度戻るソラ。
シロとクロに二人前のあんみつを渡したあと、さっそくその話をする。
「それらしいのを見かけたら、念のため連絡をちょうだい」
「わかりましたわ」「ん、わかった」
全ての用事を早めに済ませたのは、主が首を長くして待っているからである。
残念ながら、ソラの帰りではなく――あんみつを。
◇ ◆ ◇
ヤトカイの町領主一行は、女性陣だけのあんみつ休憩を挟んで、
山の谷間、うっそうとした木々が生い茂る、日中でも薄暗い峠道を進んでいた。
午後に雨は止んだが、この辺はそれなりに降ったのか、足元がぬかるんでいる。
馬車の窓から顔を出したライルの側近レックスが、外を歩くシオリを呼ぶ。
「この峠を越えると、タンガクの町が見えてくるはずです」
「わかりました。それにしても――
盗賊が現れるという噂のせいですか……人の往来がありませんね」
「そうですね。皆さんも十分に警戒をお願いします」
「はい、お任せください」
そして――
「シオリ……。いやな気配がする」
道が下り坂になったころ、
勘の鋭いノルンが、前方を睨みながら小さな声で仲間に告げる。
シオリが、真っ先に御者に声をかけ馬車を止め、
続けて探査魔法で周辺を調べる……が、めぼしいものの気配はない。
どうやら探査範囲外らしい。
だが、ノルンが感じたというのなら間違いは無いはず――と、
シオリは馬車の中にいるライルたちに状況を知らせる。
「ノルンが何かを感じました。それなりの相手のようです」
赤毛の少女の勘の良さは、他の人間と比べて格が違う、次元が違う。
危機察知能力についても例外ではない。
特に、対象の脅威度が高い場合、その効果が如実に現れる。
それは、魔物ハンターとして十分な域にあるアカネの索敵能力や、
シオリの探査魔法の効果を軽く上回るほど。
したがって――
ノルンが最初に気付いたのなら、その脅威は推して知るべし、である。
ライルとレックス、そしてマリエの顔に緊張が走る。
だが、同乗しているシェリルは「敵? 敵かな?」と不謹慎にも笑顔を見せ、
膝の上のソラは、主を諫めることなくシオリに気安く答える。
「ただの盗賊なんでしょ。
アタシが言うのもなんだけど、ノルンがいれば問題ないんじゃない?」
「だとは思いますけど……、一応、ここを動いたりしないでください。
マリエはライル様の側から離れないように、お願いね。
シェリル様とソラさんも――これは私達の仕事ですので」
「それは心得ているわ。ただ、ノルンが苦戦するような相手だと、
御主人様の『戦いたがり』は止められないけど」
ソラの言葉を受けて、シェリルが笑顔で一言。
「任せて!」
「いや、今は任せませんから」
シオリはやれやれという顔をしてから、すぐに表情を引き締める。
「まずは、私とアカネで様子を見てきます」
◇ ◆ ◇
その頃、サンノは――
何かに導かれるように、シェリルのダンジョンに向かっていた。
ちなみに、どうやってヤトカイの町から出たのかも謎である。
◇ ◆ ◇
街道が曲がる場所の手前、大きな木の幹に身を隠しているシオリとアカネ。
ノルンが感じた脅威は、この先、街道の中央で姿を見せていた。
「相手の数は八。人間みたいっす」
「私が見るわ」
アカネが首を引っ込めて、代わりにシオリが幹の陰から首を出す。
彼女の【能力感知】は相手を目視する必要がある。
「うそ……」
「どうしたっすか?」
「あいつら……人間じゃない。それに、生きてもいない。
オークゾンビ……こんな所にいるはずがないわ」
オークゾンビとは――オークが生ける屍になった魔物。
基となるオークはEランク上位の魔物。ちょっと強い程度でしかないザコ敵。
見た目は豚のような鼻を持つ猿人と言う表現が近い。
人と同じくらいの背丈に、屈強な肉体。簡単な武器を扱う程度の知能を持つ。
そのオークがゾンビ化したことで、身体能力の僅かな低下と引き換えに、
防御力と生命力(ゾンビに生命力というのは違和感があるが)の、
大幅な上昇を手にしている。
したがって、通常のオークゾンビはDランクの魔物。
「そっすね……。ゾンビ系はダンジョンか、闇に満ちた土地じゃないと……」
いまシオリがオークゾンビと判断した魔物は、
服と防具を身に付け、片手に剣を持ち、顔の下半分を布で隠している。
アカネが人間と見間違ったのも無理はない。
だが、通常のオークゾンビに、そこまで装備を整えられるほど知能はないはず。
その理由も、シオリは見抜いていた。
「それだけじゃない……一体が隊長級よ。ランクは……おそらくA。
他の七体は兵士級、Cランク。
全部を相手にするのは、私とアカネだけじゃ、まず無理ね」
魔物には、このように能力が大きく突出した特別種がいる場合がある。
また、その種族が集団行動をとる習性がある場合、
優秀な魔物が、下位の魔物を指揮する行動を取るようになる。
シオリが説明に使った、隊長級、兵士級はそれを表している。
「やっぱり……ノルンの勘が働いただけはあるっすね」
シオリとアカネ、お互いに真剣な顔で頷きあう。
そしてオークゾンビに気づかれないように、静かにその場を後にする。
◇ ◆ ◇
その頃、サンノは――
お腹がくちくなって、おねむだった。
◇ ◆ ◇
馬車まで戻ったシオリとアカネは、ノルンと三人で作戦会議を始める。
「気になるのは、道の真ん中で堂々と姿を見せていた事。
姿は人間に似せていたけど、あれで盗賊というのは無理があるわね。
何か別の意図があって、あそこにいるのかもしれない。
知性もありそうだし……もしかして誰かの使い魔なのかも」
「町が雇った盗賊対策かもしれないっすね」
「でも、Aランクの魔物なんて、町の近くに立たせて良い魔物じゃないわ。
それに一番気がかりなのは、ノルンが悪い予感がしてるってこと」
「そっすね……そうなると、友好的な魔物と考えるのは難しいっすねぇ」
「大丈夫、わたしが行くよ。これまでみんなに任せちゃったからね。
もし魔物と話ができるようなら、念のため事情を訊いてみる。
あんまり良い話は聞けないと思うけど……。二人は馬車のまわりを護ってて」
「ノルン。もし……戦うことになるのなら、
あたしにもやらせてほしいっす。隊長級は無理っすけど、
兵士級のほうを……ちょっと試したいことがあるっす」
そう言ってアカネは、腰から下げた細長い袋から、
派手な装飾がされている短剣を取り出す。
「この聖なる短剣、ゾンビ系にどんな効果があるのか、
一度、試してみたかったんすけど、いい機会がなかったっす」
これがアカネの切り札。
形状は短剣だが、神聖系の強力な加護が付された「聖剣」である。
その能力の一例をあげれば――
持っているだけで、呪いなどの闇魔法に対して、
ほぼ完璧な耐性を使用者およびその周辺に与えるほど。
「わかった。アカネ、一緒に行こう。
シオリ、それでいいよね。今回はあなたが馬車の警護に残って」
「えぇ、それでいきましょ。ノルン、アカネ、頼んだわよ」
シオリに見送られて、
ノルンとアカネは街道の先に向かって駆けだしていった。
第10話、お読みいただき、ありがとうございます。
次回は「タンガクの町(2)」
Aランクの騎士級オークゾンビ率いる魔物集団と、
正面切って対峙するノルンとアカネ。その結果は……です。
なお、次週の更新はお休みさせていただきます。
従いまして、次回更新は3月7日の予定になります。
よろしくお願いいたします。