05
「はい。しこたま出てます。」
キコは正直に告げる。
内心、確かに本人の言う通り今更救急車を呼んでもどうにもならないと思っていた。
だと言って前述の様に見殺しにする気はないが、話を無視することも出来そうになかった。
心の隅で、逃げ出した女がどこかに連絡してくれることを願っている。
「やっぱり?でも触って確認する勇気無いよ、
もうザックリ割れてる感覚あるもん。」
「痛みは無いんですか」
思いの外饒舌に喋る晴に、キコは興味本位で尋ねる。
「うん、麻痺してて痛覚どころの話じゃないよ。
……もう死ぬんだよこれ、だって三途の川の向こうのお花畑にいるお母さん見えたもん」
晴は意気消沈しながらそんなことを言っているが、まるで冗談のような口調に困惑する。
キコの隣で控えていたモモエは細い声で鳴き、まるで謝っているように聞こえた。
「ああ。気にすることないよ、僕が自分で判断して手を、じゃなくて足を出したのが原因なんだから。」
晴が言うと、モモエは晴の瞳に自らを映すように鼻先を近づけ、ハッハ、と息を吐く。
「――え?そんな風に思ったら駄目だよ。」
震える手を伸ばし、犬の頭を撫でながら、まるで会話しているかの如く答える晴。
「…どうしたんですか?とうとう脳味噌に影響出てきました?」
キコは訝し気に聞いた。
「えっと……ところで君は、このワンコの飼い主なの?」
質問に答えず、誤魔化すように晴が僅かに頭を動かして顔を伺おうとするのを制してキコは言う。
「そうです。でも正確には、私が世話になっている家の犬、ですけど。」
「なるほどね。」
晴は目を細め、何かを考える表情をしてから、目を閉じた。
とうとう死んだか、とキコは身構える。
しかし、再び瞼は上がり、スッと冷たい印象の顔になって晴は言った。
「じゃあ、そのご家族に迷惑を掛けるわけにはいかないよね。」
「はい。」
「そう思うなら、僕に幾ら出せる?」
「お金ですか?」
――死にかけの人間に金を握らせれば生き返るとでもいうのだろうか。
「そんなのじゃなくて。もっと、青春において大切なものを貰ってもいい?」
「はあ。……まあ、私には御覧の通り、この先そんなモノ訪れそうにないですから、どうぞ。」
まるで一休さんに出てくるトンチのような意味不明な質問に対し、キコは真面目に答えた。
それを聞き終える間もなく、晴はすぐさま両手でキコの顔を挟み、唇を重ねる。
一瞬で仰向けの晴に覆いかぶさる体勢になり、キコはその驚異的な力が未だ晴に残されていたことに驚くとともに、
自分の身に何が起こっているのかに気付いて、懸命に腕を突っぱねるが、両頬を捕らえた掌はそれを許そうとはしなかった。
口の中から何かを探るようにしていた晴が漸くキコを開放した時、
その顔は先ほどまでの青白い半死人とは違い、まるで健康な人間のような血色に戻っていた。
「今までの人生で、こんな怪我をしたのは生まれて初めてだよ。」
晴は上半身を自力で起こし、取り繕う様に笑うと、触るのが恐いと言っていた後頭部へ手をかけ、
まだ乾いていない血液に不快感を表しながらも「うん」と頷いた。
「何なんですか。」
キコは唖然として聞いた。
「魔法が使えるんですか。」
「うん、多分。」
晴は無表情で答える。
「これは、他の人には誰にも言ってない秘密だけど……
きっと、魔法学校が僕に入学案内を届けるの忘れちゃったんだよ。」