03
「ちょっと、いい加減にしましょうよモモエ、さん」
キコは渦中の人物に見つかったら面倒なことになりそうだと予見して、少し焦りつつリードを引っ張る。
普段なら素直に従ってくれる賢い犬が、全くそこを動こうとしないのだった。
「……どうしたんですか?あの人たちの服に、生肉でもくっ付いてるって言うんですか?」
「ワン!!!」
モモエは、一声叫んでキコを怯ませ、緩んだ手の隙を見て一気に目の前の螺旋階段を駆け上った。
「ちょっと……!!」
キコが慌てながらも平静を取り戻し、自慢の運動神経で走り出すよりも早く、犬は4階にたどり着き
ピンクコートの女に向かって威嚇した。
「っキャ、ちょ、ちょっと何なのこの犬…!!!」
女は、逃げるように晴から離れて階段の手すりに身を委ね、じりじりと後ずさる。
そして、勢いよく吠えだしたモモエに完全に怯えた様子を見せて
――――足を滑らせた。
8cmは有ろうかというピンヒールのブーツを履いているのだから、その後態勢は整えられない。
あっという間の出来事だった。
晴が人間離れしたスピードで数段駆け降りて手すりを片手で掴み、
後ろ向けに倒れゆく女の背中を、下から長い足で蹴り出した。
女は顔面を床にたたきつける形で前に倒れ、何とか転落は免れたが、今度は晴の手首がその勢いで反ってしまい、
後頭部頭を打ち付けながらグニャリとした人形の様に、
ガン、ガン、ガン、と音を立てながら螺旋階段を転がり回る。
キコは足を伸ばして、その体を受け止めた。
急な段差ではないので、晴は階段の途中で、仰向けに寝そべる形で失神している。
いや、もしかしたら死んでいるのかも………
見下ろして眺めていた女の絶叫が世界を割くように響いたが、不思議とマンションの部屋から出てくる人物はいなかった。
クリスマスの晩餐で、外食する家庭が多いのかもしれないとキコは想像するが、今はそれどころではない。
「……どうします?
取り敢えず、救急車…ですかね。」
キコは上の階からじっと見詰めたままの女を仰ぎ見て声を掛ける。
女はギョッとしてマンションの廊下に身を隠したかと思うと、どこかへ走り去ってしまった。
「モモエさん。」
キコは、この騒動の発端となった人物、もとい犬を呼び寄せる。
モモエは申し訳ないとでも思っているのか、耳を垂らして随分しょげ返った様子でキコの元へ降りてくると、弱弱しく一声鳴いた。
「一体全体、何がしたかったんですかあなたは。これ、どうしましょうか。」
キコは溜息を吐いてモモエの頭に手を置くと、足元の人物を見下ろした。
昔のドラマで何度も見たことがあるお決まりのパターンに乗っ取るように、強打した晴の後頭部から鈍く光る血がどくどくと流れ出て、階段の隙間から地面へ糸を垂らしている。
「まあ、取り敢えず救急車ですね。
携帯は……」
キコは遠慮なく晴のコートのポケットへ手を突っ込む。
財布に、定期、家の鍵が出てきたが携帯電話は見当たらない。
「厄介ですね。」