02
キコは学校から出された冬休みの宿題を終え、夕方になったのを確認して、曾祖母の愛犬
"モモエ"の散歩の準備をした。
夕食は佐伯さんが"鍋に放り込んで煮込むだけ"と用意してくれたものがあり、特に手伝うことも無い。
「モモエの散歩、行ってきますね」
キコが編み物中の曾祖母に告げると、彼女は金色の編み棒を止めて
「行ってらっしゃい」と微笑んだ。
モモエとの散歩は、キコが屋敷に住まうことになった中一の夏からずっと彼女の仕事になっている。
以前は佐伯さんが担っていたが、その間に夕食の準備ができるからと無理やりキコが奪ったのだ。
居候として何か役に立てる事を探さないとと思っていたキコにはうってつけの手伝いだったし、
散歩をすることは好きだった。
小学校の頃、今と違う容姿をしていた彼女はとある事件に巻き込まれ、
外出もままならない立場に置かれていた。
登校も両親どちらかによる車での送り迎え、近所の店に行くのでさえも止められることがあり、それ故に、気楽に外出できるようになった今は出来るだけ歩いていたいという願望が強い。
「今日もちょっと長距離コースでいきますから。」
「はい、気を付けてね。」
曾祖母が答える。
始めの方こそ心配していたが、今やキコを普通の14歳として認めてくれている曾祖母がキコは好きだった。
モモエも言葉の意味を理解しているのか、ヤッター!とでも言いたげに喜んで尻尾をふりまわしている。
キコとモモエの長距離コースは往復で1時間。
モモエは中型犬だが散歩好きで、30分では満足しない。
その点も、散歩係がキコに任命された一因だった。
「流石に、この辺りにはカップルもいませんね。」
渋谷の大通りとも、住宅地とも少し離れた道を二人と一匹は歩いていた。
静かな冬の夕方、クリスマスにこんな人気のない裏通りを通る人間はおらず、苦手な喧騒から離れて
キコはほっとしていた。
しかし、自分たちの足音しか聞こえない状況の中、路地に面した薄暗いマンションから喧嘩をしているような声が聞こえてきて、その穏やかな感情は一気に吹き飛んだ。
「うるっさいなあ!!ほんと、君とは一緒にいたくないんだって!!!」
「そんなのオカシイ!せっかくのクリスマスでしょ!」
「何度もいってるけど、クリスマスがそんなに大事なら別の奴のとこいってよ!!」
今にも崩落しそうなマンションの螺旋階段に登ろうとしている人間を、女性が引き留めようと必死に縋りついている。
「……痴話喧嘩ってやつですか。…クリスマスってめんどくさいですね。」
キコはモモエに呟いて、先を急ごうと足を進めた。
しかし、モモエはそこを動こうとはせず、見ず知らずの二人のやり取りを真剣に見上げている。
「犬なのにデバガメですか。モモエさん、いきますよ。」
赤いリードを優しく引っ張ろうとするが、もうちょっと待ってくれ、と言う瞳で振り返られてキコも仕方なくそこで静止する。
喧嘩をする二人の声は妙に甲高く響いて、よくやるなあ…とキコは呆れて頬に手をあて溜息を吐いた。
「だーかーら、僕は家に帰って休みたいから!!」
「あたしも、あたしも一緒に休む!!」
「やだよ!バイトで疲れてんだもん!」
ピンクのコートを着た女にくっ付かれながらも、暗い螺旋階段をやっとこさ登り切った長身の人物が、
マンションの頼りなげな電灯に照らされその容姿をあらわにした。
まず目についたのはその頭髪が自然界の人間のそれとはかけ離れた色をしていることだった。
「…私の学校にもいるんですよねえ、あんなバカみたいな色した頭のが。」
キコはモモエに言う。
どういう感情であんな頭をのっけて生きているんだか。
確か一年上の学年で、名前は…………
「晴!!!ねえ、晴ってば!!!!」
「あー、そう、晴です。」
学校の朝礼で、全国模試における優秀な成績を取ったとかで表彰され、壇上にヘラッヘラした顔で登場した人物の顔と名前を思い浮かべた。
「って、え?」
漫画やドラマのような展開だと、キコは驚愕する。
そう、目の前で喧騒を繰り広げている二人組の片割れは、まさにキコの学校の先輩
美野和 晴だった。
「へー、偶然ってあるんですね。」
それよりも、晴がバイトをしているらしいことにキコはショックを受けた。
中学三年生で、バイト?しかも、それでいて模試で優秀な成績を収められるとは……
「さ、そろそろ」
キコはモモエを再び促した。
この後の展開に興味は全く無い。