10
曾祖母が家に戻って110番ではない番号へ電話し、30分も経たない内に黒い高級車が屋敷の門柱横に停止した。
その中から飛んできたのは、慌てた様子の瀬野宮両親。
「真に……!!!!!真に、申し訳ございませんでした!!!!!!!!」
寒空の下打ち捨ててある息子に一瞥もくれず、玄関へ立つ曾祖母にダッシュで土下座した二人は
寒さによってではない蒼白な面持ちで、御影石に額を必死で擦り付けている。
「何卒、何卒ご慈悲を……!!!!!」
「慈悲は、もう数回お渡しした筈でしょうに。
貴方たちは、まだこの老婆から毟り取ろうとするつもりですか。」
老婆、というには若すぎるほどに直立した背筋を崩さず、毅然とした態度で曾祖母は答える。
対する瀬野宮夫婦の姿は最後に顔を見た数年前の話し合いからもう何十年も経ったかのような老け方をしているとキコは思った。
「とんでもないです、そんな、とんでもない…!!」
白髪を黒染めして、無暗に年齢へ抵抗しているのがバレバレの父親が、
地面に手を付いて顔を上げ、犬のような格好になりながら曾祖母へ悲壮な目を向ける。
「じゃあ、どうしろと。」
「うちの……いえ、親戚が、甥っ子が、それなりの職に就くことが内定しているんです……!!!
この事が、知られたらそれは…!!」
母親も顔を上げ、夫と同じような姿勢を取り、媚びるような声を上げた。
「――違うでしょう。」
しばしの沈黙の後、曾祖母が冷たく呟き、夫婦は肩をビクつかせる。
「お宅の二人目の息子さん。
今年24歳になって、お付き合いしている方と御婚約だとか。」
「あ、あぁ…」
二人から揃って魂が抜けたような声が口から漏れ出て、目に見えて終わった、
とでも言う様に脱力し出した。
キコはその様子を曾祖母の脇でおまけの様にくっ付いて眺めていたが、某名作漫画のボクサーの様に
真っ白になるとはこの事かと納得するほどだった。
「お目出度いことじゃありませんか。
お相手は確か、大学の同窓生だった籐宮司家のお嬢様と聞きしましたよ。」
曾祖母は続ける。
「この事が耳に入ると破談ではすまないでしょう。
それを恐れているのではないですか。」
夫婦は互いにしか理解できない秘密の合図か何かを送受し合っているのか、
土下座の姿勢に戻ったまま腕の隙間から見つめあい、漸く夫の口から
「その通りで御座います…!!!」
と苦しそうな完敗の科白が発せられた。
何処から溢れ出てくるのか皆目見当がつかない、曾祖母の財力と、並外れた情報ネットワークをどんなに掻い潜ろうとしても無駄だ、とキコは共に生活をして重々承知だったので
すぐにばれるような嘘をついて一時を凌ごうとした愚かな夫婦が余計に哀れに思えた。
「でしょうねえ。それに、お宅の甥っ子さんはもう去年就職されていますでしょう?」
「……はい……」
「それ以前に、おかしい話ではありませんか。
取り決めだと、あちらの息子さんは、島根のご親戚のお家へ転居なさっている筈ですが。」
曾祖母は、庭の方へ掌を示して言った。
「年末、ですから…親戚の集まる場に呼び寄せた次第で――
ええ、ほんの数日で帰す予定だったんです。」
「それが、まさかお宅へ来て。」
「ほんの一瞬、目を離した隙にこんな。」
夫婦が身振りを付けて、代わりばんこに釈明するのを
まるで下手糞なコントのようだとキコは感じた。
「言い訳は結構。」
曾祖母はそれ以上聞くのを拒否力すべく強く言い放ち、
たたきへ降りて、丸まる夫婦の横を通り過ぎて玄関の扉を開ける。
そこにはいつの間にか現れた曾祖母御用達のガードマン二人がストーカー瀬野宮を検査していた。
「うっわー!」
その内の一人、桐野が、瀬野宮の背中から剥がしたリュックを懐中電灯で照らしながら眺め
呆れたような、驚愕したような声を上げる。
キコも曾祖母について庭へ出て、その中身を覗き込もうとしたが、急いで塞がれた。
「お嬢様は、見ない方が宜しいかと思われます。」
キコは黙って了承する。
「死んではいないのでしょうね。」
曾祖母は瀬野宮の脈を取っている水門へ尋ね、どうやらギリギリ命に別状がないことを確認すると
未だに固まったまま動かない、もう"土下座像"という名の玄関のオブジェになってしまったかのような二人を呼び寄せた。
「この通りうちの娘も、乱暴を働いてしまった故、警察には届けません。」
「娘、さん……?」
瀬野宮の母親が静かに呟く。
ふと、今まで目にも入っていなかったであろうキコの姿を見詰め、全身を震えさせた。
「え、まさ、か…」




