朝の一コマ
「おはよございます、ごしゅじんさま」
開けられた扉の正面。寝巻き姿でベッドの上、グダグダと寝転がっているシーラと違い、アイロンのかかっているピシッとした執事服を着た幼い少年が、天使のような微笑みを浮かべ、ふわふわの髪を揺らせながらとてとてと歩いてくる。
「ごはんにいたしますか?お風呂に入られますか?それとも、ぼく?」
もじもじしだした少年の額を、ぺちっとはたく。
あうっ、と反射で声をあげた子供は、はたかれた額を抑えて上目遣いで見上げてくる。
「とつぜんなんですかあ」
「ご飯もお風呂もあなたも必要ありません。今日は一日中寝ていますから、部屋に入ってこないでください」
「だあめ!ですよ。ちゃんとお食事はとってください!めっ!」
天使のようなその容姿に、多くのものが魅せられるであろう仕草と声に、しかしシーラは、思った。
このクソガキ、シバク。
手元のまくらで殴りかかるよりも先に、不覚にも少年に懐に潜り込まれ、抱きつかれる。
「ぼうりょくは反対です!」
にやりと口元を歪め、少年は胸に顔をうずめてきた。
「エロガキ!離れなさい!」
「にゃあー!!!」
渾身の力で頭をひんむいてやると、おかしな鳴き声を上げてやっと離れた。
「もおっ!てれやさんめっ!」
「誰がテレるものですか!キレているんです!」
ふへへー、と頬を緩めてしまらない笑みを浮かべ、またも腕を伸ばし抱きついてこようとするので、頭をガシッとつかんで防ぐ。
あうあうと身をよじっているが、それを必死にペイっと床にぶん投げた。
が、少年は身軽にストンと着地する。
「では、おしょくじをもってまいりますね。きょうはおじょうさまのだいすきなベーコンエッグですよー」
「だから!いらないと言って…待ちなさい!!」
そう言って、少年はそそくさと部屋から出て行く。
はああと重たい息をつき、女はばたりとベッドの上に倒れこんだ。
全く、どうしてこんなことになってしまったのか。
ふと視線を下げる。
「ちっっっっっっ!」
盛大な舌打ちが反射的にこぼれた。
胸元に、先ほどまではなかった赤い跡がつけられている。
どんだけエロいんだ!と心の中で罵り、昨晩つけられた赤い跡だらけの裸の肌に、心地よく馴染むシーツの海に今一度くるまり、目を閉じた。
そもそもの間違いは、あれを見つけてしまったことだった。
シーラの仕事の関係で、不正を行っていた貴族の元へ証拠と一緒に参上したおり、屋敷の奥の奥に監禁されていた感情の抜け落ちた、幼い少年を発見した。奴隷として扱われていた少年は孤児だったらしく、貴族の処遇検討や裁判等に時間がかかり、やむなく一時的に保護したら懐かれた。
根本的に面倒見のいいシーラは、言葉もまともに話せなかったのを教えてやったり、人間としての生き方を教えてやった。少年は物覚えが良く、すくすくとシーラの与える知識を吸収し、自分から学ぶ姿勢を見せ、またよく笑うようになった。麗しい容姿と少年本来の素直な性格から、シーラの屋敷の使用人たちから大変すかれるようになった。これなら、どこへやっても立派にやっていけるだろう、なんて、娘を嫁にやる父親に気持ちに浸っていたのもつかの間、少年はシーラの屋敷で働きたいと言い出した。
そんなものは必要ないと、シーラ一人反論した。そう、一人。シーラはその職業ゆえに、とてつもなく多忙である。そのため、職務中は隙なくきっちりしているのだが、その反動のように、屋敷ではダラダラ過ごしている。そんな不摂生なシーラを使用人達が心配するのは当然であった。が、シーラは少しも態度を改めない。
そこで、少年がなぜがシーラ専属の執事に任命された。
正直に言えば、舐めていた。
あの子供は、只者ではなかった。
少年のリズムに振り回され、屋敷にいてもシーラは三食きっちりご飯を食べるようになったし、寝坊もしなくなった。幼い弟たちと遊んでやる時間もできた。
使用人たちはたいそう少年執事を褒めた。
ああ、そうさ。あれは私にとってもいい働きをしてくれている。屋敷でグータラするだけの生活が一変し、仕事始めの体の切り替えがそれまでと違い、とても楽なものになったし、兄弟や屋敷のものたちとも触れ合える充実した時間を過ごせるようになった。
それだけならよかったのだ。ただ、あれのやりかたは、ほんとうに、どうしようもないほど、節操がない!!!
どこの執事が、自分の使える主人のベッドに潜り込んできたり、食事を手づから食べさせりするんだ!あまつさえ、着替えまでさせようと脱がしにかかってくる。…恐ろしすぎる。気がつかぬ間にまっ裸。これではおちおち寝てなどいられない。
これまでのやつの悪行を思い返し、自信を抱きしめてブルブル震えていると、扉の外から例の少年の声が聞こえた。
「おじょーさまぁ。そろそろ出来上がりますので、ベッドから出てくださいな。それとも、お手伝いしましょうか?」
「いらん!!ってこら!ドアを開けるな馬鹿者!」
「あー!!おじょうさま、まだお着替えしてないじゃないですかあ!もうっ!もうっ!そんなにぼくに脱がせたいんですかあ?」
「うるさいわっ!ひっこめ!」
少年に向かって投げつけたまくらは、バフっと音を立てて扉にぶつかって落ちた。
落ちたまくらをいまいましげに睨んでいると、少年はドアから顔を少しだけ出して微笑んだ。
「きょうの焼き加減は、おじょうさまの大好きなはんじゅくです!ぼくね、きょうのは自信作です!早く食べていただきたいから、冷めないうちにお越しください。まってます。」
嬉しそうなヘラヘラ顔に、気がそがれた。
「ああ」
「はい」
「わかった」
「はい。それでは、ぼくは向こうで…」
「ルルム、ありがとう」
ドアが、バタンと閉まる。
あの、天使のような少年に絆されてしまっているのは使用人たちだけではないことに、イライラする。
こんなはずではなかったのだ。
なかったけれど、あの嬉しそうな笑顔でいてくれるなら、こんなでもいいかと思ってしまう私は。
「つくづく、あれに甘い」
はあと一つため息をついて、シーラは好物の並べられているだろう食事を求め、ベッドから出るのだった。