3歳~4歳(3)
はっきりと意識を取り戻した時、僕は自分の家にいた。
一週間が経っていた。
目を覚ましたと聞いて、シスターの格好をした中年の女性が容態を見に来た。
そういえば、こっちの世界は医者ではなく僧侶だったと思い出す。
僕がまだ体の細胞が活性化しやすい成長期だったのと、母さんの応急処置が完璧だったのが本当に不幸中の幸いだったと言われた。
だけど、成長期ゆえに無理に治しきると後々影響が出るかもということで渦を巻いたような傷口は完全に消さず、大人になるにつれて自然と消えるのを待つことにしたと説明された。
それと、母さんが昔冒険者だったことをシスターのおばさんから聞いた。
それどころか現役で迷宮に絡む仕事をしていた。
この世界にはギルドという組合の大元締めのようなものが7つある。
戦士、僧侶、魔法使い、狩人、鍛冶師に薬草師がまず6つ。
これらはサマルカン連邦の大迷宮があるデービス領に本部があって、他は全て支部の扱いだった。
しかしそうすると各地の領主の意向より本部の意向が優先になってしまう恐れが当然ある。
そのために存在するのが各地の領主が元締めとなった冒険者ギルドだった。
管轄は迷宮と領土内のことに限られ、人材については管轄外。
形としては迷宮の情報や野生動物の被害などは全て冒険者ギルドに集められ、そこから各ギルドに仕事が割り振られ、報酬と紹介料のやり取りがあるということらしい。
だけど、問題もある。
どこのギルド支部も人事権を持つのはギルド本部なわけだから、手にした情報を寄越せと各領主が言ったところですんなり冒険者ギルドに渡すように出来るだけの強制力が無い。
ましてや、6つのギルドを相手にするために冒険者ギルドも情報の集まる交通の要所々々に人数を集めざるをえないというのに、仕事の性質上どんなに平和な田舎だろうと人を派遣しなければならない。
この町も迷宮自体は小さいものではないけど、領の中でも中心でも他領に通じる道の近くでもないという適度に田舎という中途半端な位置にあるため、重要拠点ではないとされながらも迷宮があるのである程度の人数を派遣しなければならないという悩ましい土地だった。
そこで目をつけられたのが兄弟団という仕組みである。
元々兄弟団というのは地域サークルのようなものだった。
実際にコーラスグループや料理教室のようなものから、消防団に自警団、その地域に名産を作ろうという活動まで様々。
共通点はその地域限定のグループであることである。
冒険者ギルドはこの町のように重要ではない土地、動物被害や自然災害しかないような土地には最低限の人を送って兄弟団を作らせ、実際の管理はそれらの人に任せるようにした。
現実的にその方が地元の人同士なわけだから話がスムーズに通るし風土にも詳しい、予算も実費だけと抑えられる。
この町では母さんが丁度元冒険者であり町の外に出る仕事なので最適だと打診され、この町のもう何人かと近くの村々の数人が一緒に兄弟団に入っているそうだった。
母さん自身は僕に元冒険者ということも兄弟団ということも話したことがない。
僕以外の家族は当然知っていたそうだけど、兄さんも元冒険者というのを偶然誰かから聞いて知っていただけで兄弟団だとは知らないそうだ。
動物被害で呼ばれることが大半なので自警団の一員だと思っているらしい。
そもそもこの町の中のことは冒険者ギルドが仕切るし、外でもわざわざ兄弟団と名乗らず元冒険者だと言うそうなので知ってる人は限られるらしいけど。
元冒険者という経歴は母さんだけでなく他の無事に辞めることが出来た元冒険者の人達も自身の身をもって危険を知っているだけに、子供が変に憧れると困るという理由で本人も、聞いた大人達もあまり口にはしないそうだ。
兄さんが通うような塾も冒険者の危険さについての授業を怠ると親からクレームが入るらしい。
母さんはそうやって自分の立場を話した後、巻きなおされた包帯の上から僕の足の傷口を撫で悲しげに顔を歪めて口を開いた。
「私が潰したから、あれはもうこの世界には存在しない。けど、こうやってお前が生きているのは色んな偶然が重なっただけなんだよ。もしかしたら、死んでたかもしれないし、一生片足で生きていくことになったかもしれないんだ。もう、二度と、二度とこんな真似するんじゃないよ」
目が覚めてからまた一週間経ったくらいに、あの村の村長を含んだ大人2人と一緒に遊んでたという女の子が3人くらい来て僕の見舞いと謝罪をしていった。
どうやら本当なら迷宮が出来てすぐに冒険者ギルドに連絡を取り、潰すか管理するか決めなくてはならなかったそうだ。
潰すにしても冒険者ギルドから人を借りて迷宮内で採取をしてもらい派遣料と潰す手数料を出してもトントンにするそうだし、管理するにしても設備がきちんとされているか確認され迷宮に対する税を支払わなくてはならなかった。
村の人達はどちらも選ばなかった。
最初に興味を持って入った時にドラド石を簡単に取れたことに魔が差した。
きこり小屋で迷宮を隠し、村人達だけでこっそり管理しお金にしようと考えた。
しかし、当然ながら管理をしたこともない村人では十分な管理は出来なかった。
迷宮の全容はまだ知られていない。
まだ理由がわかっていないことの一つとして、迷宮が生まれると野生の動物が好んでそこに住み着くことがあるそうだ。
親の世代ならそれで済むのだけど、住み着いてから生まれた子供の世代が進むにつれ親より大きかったり体内に毒を持っていたりと特殊な進化を遂げた。
僕が吐いたのはあのネズミが毒を持っていたせいだったそうだ。
だからこそ、維持をするなら管理をきちんとする義務があった。
雨が降った日や風の強い日など、ニーヴン草の臭いが薄くなった日にネズミが住み着いた可能性が高いと鬼のような顔をした母さんが言った。
そして、僕は覚えていなかったのだけど、僕がとっさに押したらしい女の子の父親に土下座のようになってまで深々と頭を下げられた。
女の子がボロボロと泣きながら、ありがとうごめんなさいと言った。
あの時は囮になった男の子が結構いたから、きこり小屋にいたのは女の子の方が多かった。
それもあって、その子が迷宮の真ん前にいたのは偶然以外の何者でもなかったと思う。
付き添いで付いてきたらしい女の子ももらい泣きしていた。
治療費やらなんやらの話は向こう持ちになるらしく、母さんが僕の傷口に障るようなお話があると村長を別室に連れて行った。
ボロボロ泣いていた女の子達は、自分に出来ることはないかと聞いてきたけど、僕も彼女達も18歳以下だったので、特に無かった。
別に格好つけたわけじゃないけど、命に別状はなかったみたいだしまた次に行ったときに遊んでよ、と言うと女の子はまたポロポロ泣き出して
「うん。絶対にまた来てね」
指きりげんまんをして帰っていった。
こっちの指きりげんまんは嘘をつくと変なでかい鳥に千回つつかれなくちゃならないらしい。
絶対に行かなくちゃな。
更にあとから聞くと、兄弟団員である母さんの判断で実費は全て向こう持ちで母さんの指示の下に処理し冒険者ギルドに報告しないで済ませたらしい。
迷宮のことを知っていたのは一部の人間でも、村ぐるみのことと判断され、村人全員に処罰が下る可能性があるからだそうだ。
「兄弟団の仕事はしたし、もう危険はないから」
母さんはケラケラと笑いながら言った。
多分、あの村に迷宮があることを知ってから考えてはいたと思う。
じゃなきゃ、僕に、言うなよと釘を刺してまで兄弟団のことを言う必要が無いからだ。
こうして一連の出来事が終わった。
新しく始まった日々に待っていたのは絶対安静の退屈な日々だった。
ずっと室内にいるのは良くないとシスターのおばちゃんが言うので祖母ちゃんが洗濯物を干している間は庭で日光浴をするのを日課としていた。
そこを以前遊んだことのある子がお母さんと一緒に通りかかった。
買い物に行く道中だそうで、ラー君の怪我が治ったらまた遊ぼうねと手を振ると、お母さんとしっかり手を繋いで行ってしまった。
「お友達?」
お母さんの方に挨拶をされた祖母ちゃんが尋ねた。
「うん。この前、一緒に遊んだんだ」
僕は答えながら、小さくなっていく母子を目で追っていた。
しっかり手を繋いだまま笑いながら何かを話し、話してはまた笑った。
僕は目を覚ました日のことが頭を過ぎった。
まだ夜明け前だった。
僕は毎朝と同じように目を覚ました。
見慣れた景色はまだ青みがかっていて、こんな時間に目を覚ますなんて珍しいなと上半身を起こすと、足に痛みが走り、めくった布団の下にあったむき出しの右足と巻かれた包帯で何があったか思い出した。
そのままバタンとベッドに倒れると、両手を突っ張って伸びをする。
左手が妙に重かった。
見ると、しっかり握られた誰かの腕がプランとぶら下がっていた。
それを追っていくと、床に座って上半身をベッドに突っ伏したまま毛布を掛けられた母さんが眠っていた。
髪の毛はざんばらに顔に掛かり、こっちを向いている半開きになった口から涎が垂れ、せっかくの顔立ちが台無しだった。
妊娠してるのに、と思いながら母さんが何故そうしているのかが解ったので、せめてと、右手で髪を撫で付け袖で涎を拭うと、呻き声がして母さんが薄目を開けた。
目が合うと、ギュッと痛いくらいに、一体化してしまうんじゃないかってくらいに抱きしめられた。
「よかった。ラカス、よかった。ほんとーによかった。ラカスが目を覚まさなかったと思ったら、お母さんもう」
母さんは泣いていた。
泣いている姿を見たのは初めてだった。
いつも自信があって、口角を釣り上げてケラケラ笑っていた。
抱きしめられた後頭部と耳を涙と嗚咽が打つ。
「ごめんね。怖かったよね、怖かったよね。ごめんね、お母さんのせいだよね」
僕も気が付けば泣いていた。
ネズミに噛まれた時は怖かった。
地が止まらなくてズボンが染まっていく光景は超怖かった。
眠くなった時は死んじゃうのかと思った。
「もう大丈夫だからね、もう絶対にラカスを離さないからね」
あの時の母さんは、痛々しいまでにお母さんだった。
強引で勝手で絶対的で無条件で不平等にお母さんだった。
もし、僕の怪我が治ったら、一緒に買い物に行ける機会はあるんだろうか。
「私が潰したから、あれはもうこの世界には存在しない。けど、こうやってお前が生きているのは色んな偶然が重なっただけなんだよ。もしかしたら、死んでたかもしれないし、一生片足で生きていくことになったかもしれないんだ。もう、二度と、二度とこんな真似するんじゃないよ」
「ごめんなさい。お母さん」
ごめん。母さん。
母さんの鼻を啜る音が聞こえた気がした。
ベタな振りとオチって難しいですね。
エラーで書いたのが全部消えると、何かがごそっと削られます。
みなさんもコマメな保存を。