2歳~3歳
僕には兄がいる。
三つ年上で、ジョンといった。
まさに遊びたい盛りといった感じで、赤茶けた天パの頭を手ではたくとパラパラと砂が落ちることを毎日注意されている。
そんな兄だった。
ある日、僕はリビングのテーブル席に着いていた。
お祖母ちゃんが2人分の野菜スープとパンを置くと、僕の横に座る。
この世界には電気が無い。
太陽が昇れば朝だし、沈めば夜となる。
だから午前中が仕事のピークとなるように朝は皆バタバタしている。
手間のかかる子供の朝ごはんは大人達が出払った後、兄さんと2人で食べるはずだった。
「ジョンったら、まだ寝てるのかしら?」
まだ来ない兄を気にしてお祖母ちゃんが席を立とうとした時、扉が勢いよく開くと
「勇者、登場」
肌着をマントのようにして薪を剣のように振りかざした兄さんが飛び出てきた。
「ジョン、またそんなことして」
お祖母ちゃんは疲れたように言い、僕はあまりにも突拍子の無い行動に笑ってしまった。
「だって、ラカスは喜んでるじゃん」
「ジョン。あなたはお兄ちゃんなんだから、弟のお手本にならないといけないのよ」
取り付く島も無いお祖母ちゃんに兄さんは唇を尖らせて不満を示す。
「男の子がそんな顔をしない」
咎められた兄さんはパッと口を締め、マントを取ると
「ごめんなさい」
しっかりと頭を下げて謝った。
その態度にお祖母ちゃんは眉を下げて軽くため息をつくと、兄さんの下げた頭を撫でるようにして持ち上げ屈んで目と目を合わせた。
「あなたはやれば出来るんだから、弟の前でそんな姿をみせたら駄目。持ってる物を貸しなさい、そして朝ご飯を食べてしまいなさい。ちゃんと弟の面倒はみれるわよね、ジョンは立派なお兄ちゃんなんだから」
お祖母ちゃんは優しく言うと肌着と薪を受け取って元の場所に戻しに部屋を出て行く。
兄さんはそれを見送ると、ジャンプをして僕の横に座る。
「どうだった。ラカスは格好良かったと思うだろ」
ニカッと笑いかけられた。
僕がコクンと頷くと、満足そうにしてスプーンを手にした。
「さぁ、食べようぜ」
「うん」
僕はこの兄さんが好きだった。
明るくって、少しお調子者で、素直といえば素直で。
元々一人っ子だったというのもあって兄弟には憧れを持っていた。
こんな形で叶うなんて思ってもみなかったけど。
そして最近1人で遊びに行っても良いという許可が下りてからは友達同士の話を僕にこっそり教えてくれるようになった。
それによってこの世界のことを少し知ることが出来た。
勇者という称号が今現在も存在していることとか。
勇者になるためには地下に広がっている幾つもの迷宮を制覇しなくちゃならないとか。
正直、ホンマかいなとも思うけど、兄さんが出かけるときに迷宮には近づかないようにと言われていたから、この町にもあるのかしらん。
もう既に僕はこの世界を楽しみだしていた。
また別の夏のある日、僕は兄さんに、良いものを見せてやると手を引かれて歩いていた。
僕の住んでる家の裏手はまばらな林になっていて、根っこが絡み合い凸凹した道のりを超えると、そこは切り開かれた空間があった。
田舎にあるスポーツ公園ほどの広さは柵によって6つか7つに区切られていて、幾つかのスペースには馬が草を食んでいた。
家のすぐ近くにこんなちょっとしたふれあい牧場のようなものがあるとは全く気付いていなかった。
無意識に驚嘆の声をあげた僕に兄さんは企みが成功したと笑みを浮かべていた。
「おお、どうした?2人して」
声がして、そちらを見ると飼葉を入れた桶を持った祖父さんがいた。
「ラカスに見せてやろうと思ったんだ」
兄さんはそう応じた。
祖父さんはハッハッと笑い、それじゃ案内しようと僕たちを促した。
桶を持ったまま歩き出した祖父さんの名前はアンドイ。
多分こっちに来て一番最初に知った名前だ。
この世界には苗字というものが無かった。
その代わり家長の名前、うちの場合祖父さんになる、が苗字の代役を果たしていた。
だから僕の場合、アンドイの孫のラカスとなる。
逆に一番最後まで名前が分からなかったのが意外にも祖母ちゃんだった。
年齢もあり顔見知りが多いせいで、あらあら久しぶりで話が始まってしまうし、お祖母ちゃんお義母さんお母さんで済んでしまうからだ。
ちなみにメアリーという。
祖父さんは一番手前にいた馬の前に立つと、餌箱に飼葉を掴んで入れた。
するとスペースの真ん中あたりで座っていた馬がのっそりと立ち上がった。
「でっけ」
兄さんは口を衝いたように良い、僕も言葉にならない声を出していた。
馬は、多分体高で既に2m以上あるように見えた。
「こいつはバン種といって、地面を平らにしたり木を倒したりするんだよ」
祖父さんはもう兄さんには言ったことがあるようで、僕に向けて分かるように説明してくれた。
要は開墾や開拓に使うんだろう。
北海道にいる一トンを越す馬の競馬があるそうだけど、あれも元々は開拓用につくられた馬だったっけ。
「いいなジョン。絶対にラカスから目を離したらいかんぞ」
踏まれたら死んじまうからな、と祖父さんは兄さんに戒めるように言った。
目の前にある馬の足は大人一抱えぐらいはありそうだった。
これが上から降ってくることを考えると、結果は容易に導き出せそうだ。
兄さんの僕の手を握る力が心持ち強くなった気がする。
次にもう一種類のサラ種が紹介されたが、こっちは知ってる馬のサイズで遠距離を走るための馬らしい。
ひとしきり祖父さんの説明を終え、邪魔をしないなら好きなだけ見ていても良いと言われた。
その時、兄さんが口を開いた。
「あのさ、祖父ちゃん、俺、塾に行きたいんだけど」
伺うようにする兄さんに、祖父さんは桶を置くと随分と後退した頭をペロリと撫でて腰を伸ばすと、腰に付けられていた物入れから出したタバコのようなものを咥え、これまたジッポのような物で火を点け紫煙をあげながら少し考えていた。
「そりゃ、構わんが、婆さんとお母さんはなんと言っとった」
「祖父ちゃんが良いって言ったら良いって。だからさぁ~、お願い」
「ジョンは戦士希望だったか。そうすると誰のところに行くつもりだ?」
「グリーン先生のとこ」
「グリーンか。あの先生はまだ若過ぎだろう。ガストン先生のところならなぁ」
「でも友達は皆グリーン先生の方が良いって。学校で教わることも教えてくれるんだって」
祖父さんと兄さんが話をしている間、僕は取り残されていた。
塾とか、戦士希望とか学校とか言われてもさっぱり分からん。
帰りしな兄さんに聞けば良いやとなんとなく祖父さんを見てた。
面影からするとまぁ若い頃はそれなりにモテただろうなと思った。
クルクルとよく動く瞳に形良く収まった鼻、茶目っ気の見える口元、金色だった頭髪も大分白くなり残念な量になったが人好きのするような顔だった。
同じように若い頃はクール美人だっただろう祖母ちゃんと遊び心に溢れていただろう祖父さんはどうやって付き合うことになったのか考えると、ちょっと面白かった。
「まぁお前がそんなにも行きたいというなら、祖父ちゃんはお前の好きにして構わないと言ったと婆さんに伝えなさい」
結論が出たのか祖父さんがそう言うと、兄さんはヤッタと飛び上がって喜んでいた。
そして僕はもう少し馬を見ていたかったのに、早く祖母ちゃんに許可を得たことを言いたい兄さんに急かされて帰ることになってしまった。
帰り道兄さんに塾のことを聞いた。
「学校に行く前に色々教えてくれるんだよ」
興奮冷めやらぬ兄さんは短く答えた。
「学校って何?」
「7歳になったら皆行くところ」
「兄ちゃん、戦士になるの?」
「あったりまえだろ。勇者になるには戦士になんなくっちゃならないだろ」
だろ、と言われても僕にはさっぱり分からなかった。
追記。
2m → 体高が既に2m に修正。