とある使用人の平凡だった日々(4)
はぁ? と私がもう一度心の中で呟くと同時に、ベルは目を見開いてハルの方を振り返った。
「何を言っているんだ」
「とぼけても無駄ですよ。〝地下にいる何者か〟の声を聞いたけど、あれは確かにドラゴンのものだった」
「……地下から聞こえてくる声は大奥様の声だ」
「違う。ジジリアの人は騙せるかもしれないけど、私はドラゴンの声を何度も聞いた事があるから分かる。あれは子竜の声だった」
ハルは不思議な色の瞳をベルに向け、じっと相手を見つめた。するとベルは僅かにひるむ。
ハルのあの目はちょっと卑怯だ。私も彼女に真っ直ぐ見つめられると、心の底まで見透かされているような気持ちになるから。
ベルはやがて顔をしかめて言った。
「……何故知っている」
私はさらに目を見開く。
(認めた?)
地下室にドラゴンがいるなんて、そんな突拍子もない事を……。
ベルが認めても私はまだ信じられなかった。だけど、勝手に肩が震えてくる。ドラゴンなんていう恐ろしい化け物が本当に地下室にいるなら、私は今まで何も知らずにその上を歩いていたの?
「どこでその情報を知った?」
ベルは荷車を離すと、怖い顔をして尋問するようにハルに近寄った。
だけどハルはやっぱり度胸があって、自分の目の前に立ち塞がるベルに怖気づく事なく、彼を見上げて胸を張り、自慢するように言う。
「私の仲間に、情報を集めるのが得意な竜人がいるんだよ」
「竜人だと……? そうは見えないが、まさかお前も竜人なのか?」
ベルは顔をひきつらせて言った。だけど私も今、ベルと同じ顔をしているはず。
ハルが竜人!?
「私は人間と竜人の混血なの。だからあまり竜人っぽく見えないのかも。だけどドラニアスから来たのは本当だよ。私はドラニアスから連れ去られたドラゴンの卵や赤ちゃんを追ってここに来たの」
ハルは少し幼さの残る少女らしい声で、しっかりと話をする。
「最近ドラニアスで捕まえた密猟者を尋問したらね、とある人物からドラゴンを捕まえてくるよう依頼されたんだって白状したの。それで次はジジリアにいたその人物を捕まえたんだけど、彼も違う人物から依頼されたんだって言うんだよ。どうやらドラゴンを欲しがっている黒幕は、間に何人か人を挟んで自分が大元の依頼者だって分からなくしようとしたみたい。きっとドラニアスに行かせた密猟者たちの事は使い捨ての駒のように考えていて、高確率で竜騎士に捕まってしまうって事も分かっていたんだろうね。だから彼らが捕まっても、竜騎士が自分まで辿り着けないようにした。大元の依頼者はとても手慣れてる。たぶん今までに何十回とドラニアスに密猟者を送ったんだと思うし、実際黒幕が同じと思われる密猟者はこれまでにも捕まってる」
ハルはのほほんとした平和な子だと思っていたのに、密猟者だとか黒幕だとか、穏やかでない事をすらすらと喋っている。
「でもこれまでは黒幕まで辿り着けなかったんだけど、今回はちゃんと辿り着けた」
ハルはそこでお屋敷を見上げ、続けた。
「黒幕は、ここのドルシェル男爵だった」
私は息をのみ、声を出さないように両手で口を覆った。
ベルの顔色は変わらないけど、僅かに眉間のしわが深くなったような気もする。
ご領主様がドラゴンを欲しがっていたという話は聞いた事がないけど、珍しいものを集めるのがお好きだから、全く信じられないというわけでもない。
(だけどハルがドラニアスから来たっていうのは信じ難いわ。竜人との混血だったなんて……)
竜人って、もっと眼光鋭く恐ろしい雰囲気をしていて体も大きいと思っていた。
ハルは続ける。
「ベルさんはドラゴンのお世話をしているんだね?」
「……そうだ」
「私を地下室に連れて行ってくれる?」
「行ってどうする?」
「もちろんドラゴンを自由にするんだよ」
「そんな恐ろしい事できるか。ドラゴンは俺には懐いているが、外に出したら他の人間を襲うかもしれない。そんな事になったらドラゴンを殺さざるを得なくなる」
そう言ったベルの声には、ドラゴンに対する情のようなものが滲んでいるように思えた。ベルはドラゴンが人間を襲う事も、ドラゴンが殺処分される事も危惧しているみたい。
ベルは動物好きには見えない外見をしているのに意外だ。
ハルも私と同じような事を思ったみたいで、こう尋ねている。
「あなたにドラゴンが懐いてる? じゃああなたはドラゴンたちのお世話はちゃんとやってくれているんだね」
「ドラゴンに何かあれば俺が男爵に叱責されるし、最悪殺されるからな。だがそれを抜きにしても……俺は今では、あいつらに酷い事はできない」
「今では?」
ベルは静かに息を吐いて、神の前で罪を告白する罪人のように喋り始めた。
「俺は半年ほど前、ドラゴンを捕まえにドラニアスに入った。成功報酬に釣られたんだ。街でぶらついていた俺に声をかけてきた依頼主はドルシェル男爵じゃなかったが、後になって大元の依頼者は男爵だと知った」
当時の事を思い出したのか、ベルは表情をこわばらせつつこう続ける。
「依頼内容は『ドラニアスへ行ってドラゴンの子どもか卵を取ってきてほしい』というものだった。結果を言うと、俺は無事に飛竜の巣から卵を一つ盗み、ジジリアに持ち帰る事に成功した。だが、言うのは簡単だが実際は大変だった。行き帰りの道中も、ドラニアスに着いてからも、いつも死と隣り合わせだったからな。あの旅の事はあまり思い出したくない。俺と同じく金に釣られて一緒にドラニアスまで行った仲間は三人いたんだが、全員飛竜の親に殺されてしまった。だが、そのおかげでというか……飛竜の親の注意が仲間に向いているうちに、俺は卵を盗む事ができた」
私は息を殺してベルの話を聞いた。
「卵はちょうど孵化前で、俺が盗んだ時には殻に少しヒビが入っていた。依頼主は生きたドラゴンを手に入れたいらしかったから、俺はドラニアスを出た後、海を渡る間も小舟の上で大切に卵を抱えて温めた。卵がちゃんと孵らなければ、成功報酬を減らされてしまうからだ。だが、無事に海を越えた後は、卵を冷やさないようにと気を遣わなくてもよくなった。ラマーンは暑いからな」
ラマーンは砂漠の国だ。私はジジリアから出た事がないから砂漠がどれほど暑いのか知らないけど、ベルはそれを経験したのだ。
ラマーンを通って海を越え、ドラニアスに入り、ドラゴンの卵を取ってまた海を渡り、ラマーンを通って帰ってきたなんて、ベルがとんでもなくすごい人に思えてきた。やった事は悪い事だけど、そのたくましさに少し憧れてしまうと言うか……。
ベルは続ける。
「そしてジジリアに入ったところで卵は孵化した。殻を破ってドラゴンの赤ん坊が出てきたんだ。そしてその赤ん坊は、俺の事を親だと勘違いしたようだった。もしくは親じゃないと分かっていたが、近くに親がいないから俺の事を頼ってきただけかもしれない。とにかく子竜は俺に懐いた」
「可愛いよねぇ、ドラゴンの赤ちゃんって」
ハルが頬を緩めて笑うと、ベルもつられてほんの少し笑った。ベルの笑顔は意外と可愛い。
「そうだな、とても……可愛かった。俺は子どもの頃に親に捨てられてからまともな仕事にもつけず、友だちも作れないままこんな歳になっちまった。だがその子竜は俺の事を蔑んだり、疑ったりしない。俺がやった肉をうまそうに食って、寝る時は俺にくっついて眠る。親から引き離した張本人なのに、あいつは俺の事を信頼してるんだ」
どうやらベルは子竜に情を持ってしまったようだ。
「だが、そうこうしている内に故郷の街に着いて、子竜をどうしようかと迷っているうちに依頼人に見つかっちまった。本当ならそこで俺は子竜と離されるはずだったんだが、俺が離れると子竜が暴れるもんで、依頼人は仕方なく子竜と俺を一緒に連れて次の依頼人に引き渡した。それからさらに二人、人を介して、最終的にドルシェル男爵と面会する事になったが、ドルシェル男爵も仕方なく俺を世話係として子竜の側に置く事にした」
ベルはハルへ視線を向けて真剣な顔で続ける。
「お前はドラゴンをドラニアスへつれて帰ろうとしているんだよな? あいつを本当の親のところへ戻してくれるのか?」
「うん、そのつもりだよ。ドラゴンは賢いから、きっといなくなった我が子の事を覚えてる。子竜の方も、会えば自分の親だと気づくはず。前例があるんだけど、どうやらドラゴンは匂いで自分たちが親子かどうか分かるみたい」
「そうなのか……。なら、あいつもちゃんと本当の親の愛情を受けられるんだな。今からでも遅くないんだな?」
「遅くないよ。地下室への鍵を開けてくれる?」
ハルの問いに、ベルが深く頷いて「着いてこい」と答えた時だった。
「――オリビアさん」
突然背後から声をかけられて私は飛び上がった。
「ひゃあ!」
「……ん? あれ? オリビアさん! 今の話聞いてたの?」
悲鳴をあげた私に気づいて、ハルがこちらを振り返る。
私も後ろを振り返ると、そこに立っていたのはアリサだった。全然近づいてくる足音が聞こえなかった。
そういえばアリサの姿はずっと見えなかったけど、ハルたちをこっそり見ている私を、さらにこっそり監視していたのだろうか?
「わ、私……」
思わず逃げようとするけど、アリサにがっしりと腕を掴まれてしまった。女の人とは思えないくらい力が強い。
「痛い!」
「アリサ、手加減してあげて」
「あ、すみません。つい、いつもの調子で……」
ハルが言うと、アリサは素直に言う事を聞いた。っていうか丁寧語になってるし。この二人の関係ってどうなってるの?
「オリビアさん、ごめんなさい。でも逃げないでくださいね」
アリサはそう言って、私の腕を優しく掴み直した。解放してはくれないらしい。
ベルも厳しい顔をして言う。
「仕方がない。そいつも一緒に連れて行こう。男爵に告げ口されないように見張ってないと」
「私は『そいつ』じゃありません、オリビアです。それに地下に行くなんて嫌よ! 恐ろしいドラゴンがいるっていうのに! ドラゴンはベルには懐いてるかもしれないけど、私はきっと食べられちゃうわ」
「心配しなくても大丈夫だよ。ドラゴンは人間をほとんど襲わないし食べないから」
ハルは平和な笑顔で言う。
「ほとんどって……」
そこは絶対って言ってほしいと思いながら、私はベルとハル、アリサと共に地下へ降りる事になったのだった。
 




