とある使用人の平凡だった日々(1)
書籍の二巻が10/15(日)に発売されるので、感謝と宣伝を兼ねた更新です。
楽しんでいただけますように。
ハルが皇帝になってから二年ほど経った時の話で、他人視点です。
(ハルの結婚式や子ども話のリクエストいただいてるのですが、それを書いたら本当に完結という気がするので、もう少々お待ち下さい)
毎日毎日つまらないなって思ってた。
平和なのは有り難いけど、私の住むこの土地――ジジリアの一地方――は、楽しい物や事が何もなさ過ぎる。
ご領主様のお屋敷で働ける事も幸せだけど、仕事仲間に格好良い男の子がいるわけでもなく出会いもない。うちのご領主様――ドルシェル男爵はもう七十歳を越えているし、その一人息子のカルロ様も五十歳近いので全く憧れの対象にはならない。そして孫のリゼル様は若いけど女の子だ。
この屋敷を訪れる貴族のお客さんの中には若くて格好良い男の人もいるけど、私みたいな使用人に目を留める事はなくて、流行りの恋愛小説みたいな恋が始まる事はない。現実って厳しい。
今日も新しく雇った使用人を二人、使用人頭のクアナさんから紹介されたけど、特に興味を掻き立てられない普通の女の子たちだった。
「ハルです。よろしくお願いします!」
「アリサです。よろしくお願いします……」
新しく使用人となった二人は、それぞれハル、アリサと名乗った。ハルの方はのほほんとした笑顔で明るい声を出し、やる気を見せていたけど、アリサの方はちらっとハルの方を見たりしてそわそわしている。新しい職場に緊張しているのかもしれない。
「ハルとアリサね。よろしく。私はオリビアよ。クアナさんは忙しいから、私が二人の教育を任されたの。二人はここに来る前は、アスター伯爵のところで働いていたのよね?」
私はわくわくしながら続けた。
「アスター伯爵もそのご子息のアルフォンス様も、前に一度この屋敷に来た事があるんだけど、アルフォンス様ってとても格好良いわよね! 初めて見た時、思わず見惚れちゃったわ!」
「あー……アルフォンス様」
ハルは何故か遠い目をして呟いた。
「あんな人がおられるお屋敷で働いていたなんて羨ましいわ。どうして伯爵家の使用人を辞めてうちなんかに来たの?」
「辞めたくなかったんですけど、伯爵家は使用人を少し減らす事にしたらしくて。それで私とアリサが辞める事になったんです。でもここを紹介してもらえて助かりました」
「こっちは人手が足りないからよかったわ。うちはあまり使用人が長続きしないのよね」
「長続きしない? どうしてです?」
ハルは小首をかしげてこちらをじっと見た。この子、小動物みたいな顔をしてる。とびきり美形というわけじゃないんだけど、何だか愛嬌があるというか。つい構いたくなるような感じ。
私は肩をすくめて言う。
「ご領主様が厳しいお方だから。使えない使用人はすぐに辞めさせられるのよ」
「ふぅん、そうなんですか」
あまり危機感を感じていなさそうな顔をしてハルは言う。なんとなく鈍臭そうだしハルもすぐに辞めさせられる事になるんじゃないかと思うけど、本人はのんきだ。
一方、アリサはまだ緊張している様子で何も喋らない。ハルも心配して声をかけている。
「アリサ、大丈夫?」
「はい、ハルさ……! じゃない、あの、うん、大丈夫」
アリサのこめかみには汗が光っている。全然大丈夫じゃなさそうだ。
アリサの方が年上だろうし背も高いのに、意外とハルの方がしっかりしてるのかもしれない。
「二人っていくつなの?」
「え、歳? 歳はえっと……」
「私は十六歳、アリサは二十三歳だよ」
言いよどむアリサの代わりに答えたのはハルだ。
二人ともだいたい予想通りの歳だった。アリサは私と同年代だろうと思ってたし、ハルはまだ十代だろうと予想してた。
私は二人を伴なって、とりあえず屋敷を案内する事にした。
「じゃあ洗濯場や調理場を案内するからついて来て」
「はーい」
「はい」
ハルは平和な声を出して、アリサはこわばった顔のまま私の後をついて来た。使えない使用人はいらないんだけど、大丈夫かな、この二人。
それから三日も経つと、二人の性格もだんだんと分かってきた。とはいえ、ハルもアリサも初日から大きく印象が変わる事はなかったけど。
ハルはやっぱりどこかのほほんとしていて、見てると気が抜ける。けど仕事は普通にできるし使える。伯爵のお屋敷で使用人をやっていたんだから当たり前だけど、掃除や洗濯に慣れてるみたい。素直で私の言う事もよく聞くし、いい子だ。
アリサは未だにちょっと緊張しているというか、何かを警戒している。いつも周囲をきょろきょろと見回しているし、ハルの動向を必要以上に気にしているように思える。
ハル曰く、血の繋がりはないけどアリサはハルの姉のような存在らしいので、ハルの事を過剰に心配しているらしい。確かにハルが重い物を持っていたりすると慌てて手伝ったりしている。
「心配症で困ってるんです」とハルは苦笑いしてたけど、アリサはほんとにシスコン気味だ。
そしてアリサは仕事はハルよりもできない。掃除洗濯はできるけど、若干雑なところがあるのでもう少し丁寧さがほしいところだ。その辺指導してるけどなかなか大雑把な性格は直らないらしい。
「だけどアリサは体力があるわよね。力もあるし」
「何です、いきなり」
大量の洗濯物が入ったかごを簡単に持ち上げたアリサを見て言うと、アリサは不思議そうにこちらを見返してきた。
「いや、細いのに腕力あるなと思って」
「そ、そうですか……?」
アリサは何故か目を泳がせて動揺する。変な子。
ハルは笑って言った。
「そう、アリサは力持ちだよね。ところでオリビアさん、これ、いつもの場所に干せばいいですか?」
「ええ、私も一緒に行くわ。ハルはすぐ迷うからね」
「すみません」
ハルは方向音痴らしく、屋敷を歩かせると途端に迷ってしまうのだ。一人で掃除に行かせても指定した場所とは全然違う場所にいたりするし、いつの間にかどこかに消えていたりする。
「そうだ! 言い忘れてたけど、屋敷の中で迷っても地下には行っちゃ駄目よ」
「地下? このお屋敷には地下室があるんですか?」
「そうよ。だけど私たちは勝手に入れないの。入れるのはご領主様と、あとはもう一人――」
私がそう言いかけたところで、ちょうどその〝もう一人〟が門を越えて屋敷に近づいて来るのが見えた。
いかにもチンピラといった容貌の目付きの悪い男だ。短い焦げ茶の髪は少しボサッとしていて無精髭を生やしており、服装もだらしない。歳は三十くらいだろうか。
彼は今日も二輪の小さな荷車を引いている。そしてその荷車には木箱がいくつか乗っていた。
「あの人は?」
貴族の屋敷に似つかわしくない男が敷地内に入って来たのを見て、ハルも彼が気になったらしく、そう尋ねてきた。
一方、洗濯かごを抱えたままのアリサは、まるで護衛みたいにハルの前に立つ。ほんとシスコン。
「あの男はご領主様に雇われて、とある仕事をしているの。不審者じゃないわよ、一応」
「とある仕事って?」
「地下室の掃除と……あとは大奥様のお世話よ。私はそう聞いてる」
「男の人が大奥様のお世話? それにご領主様の奥様はもう亡くなってるんじゃないんですか?」
ハルの疑問に答えるため、私は私が知っている情報を話した。
「大奥様は世間的には十年ほど前に亡くなったという事になっているけど、実は生きていらっしゃるらしいの。それも地下室で」
「どうして地下にこもっておられるんですか?」
ハルは子どもみたいに純粋な目をして尋ねてきた。この子の目は不思議な色合いで、とても綺麗だ。
「ご領主様が言うには、大奥様は十年ほど前に精神を病んでしまわれたみたい。原因は分からないけど、何かに取り憑かれたみたいに暴れたり叫んだりするようになってしまったんですって。それでそんな状態の大奥様を表に出しておくわけにはいかないという事になって、仕方なく地下に閉じ込めて、周りには大奥様は亡くなったと説明されたらしいわ」
「大奥様の状態はそんなに酷いんですか?」
「ええ、私がここで働くようになった時にはもうすでに地下におられたから一度も姿は見た事ないんだけど、昔、叫び声のようなものは聞いた事があるの。自分の事を獣だと思いこんでいるらしくて、高齢の女性とは思えない恐ろしい声だった」
「それであの男の人がその大奥様のお世話を……」
「男の人じゃないと危険だっていう事もあるし、侍女はもちろん私たち使用人も誰もやりたがらないから、ご領主様は言い方は悪いけどお金で釣って人を雇ったのよ。それがあの人ってわけ。まともな人は嫌がるから、ああいうチンピラみたいな人しか雇えなかったのね。半年ほど前までは違う男の人が来てたけど、いつの間にか彼に変わってたわ。名前は意外と可愛くて、ベルっていうのよ確か。似合わないでしょ」
私がそう言ってくすくす笑った時、その笑い声が耳に届いたのか、ベルがギロリとこちらを睨んで荷車を引いたまま近寄ってきた。
私は「ひっ」と顔を青ざめさせて、前に立っていたアリサの後ろに隠れる。
「おい、お前。今、俺の名前を笑ってただろう」
ベルは普段は誰とも口を利かずに地下室に入り、黙々と仕事をしているので、こうやって声を聞くのも初めてだ。見た目通り、低い声をしている。
怖くて何も言えなくなってしまった私に代わって、ハルが口を開く。
「ごめんなさい」
一言だけだけど、ハルは私の代わりに真摯に謝った。言い訳もされずにそれだけ言われてはベルもそれ以上何も言えないのか、舌打ちして私たちから離れ、地下室に向かうため屋敷の裏口に回った。
「ああ、怖かった」
「名前の事、からかっちゃ駄目ですよ。素敵な名前なのに」
「う、うん……」
年下のハルに叱られて、私はバツの悪い思いをした。まぁ確かに名前は本人がつけたわけじゃないし、からかっちゃ可哀想かも。
それにしてもハルは意外と肝が座ってる。ベルは体も大きいし目つきも悪いのに、彼に間近で睨まれても全然ひるんでる様子がなかったし。ただ危機意識が薄くて鈍感なだけっていう可能性も高いけど。
私はまだ心臓がバクバクしているのに、ハルはあっけらかんとした様子でベルの後ろ姿を指差した。
「あの荷車に乗っている木箱、何が入ってるんですか? まるで血が滲んでるみたいに少し汚れてますけど」
「大奥様の食事よ。さっきも言った通り、大奥様は自分の事を獣だと思い込んでいるらしいから、動物の生肉を食べるらしいの。うー、おぞましい話よ」
「木箱はいくつかあったけど、あんなにたくさん食べるんですか?」
「さぁ? 全部に肉が入ってるわけじゃないんじゃない? 掃除道具とか着替えとかも入ってるだろうし」
「そうなんですか」
ハルは金と緑が混じった不思議な瞳で、ベルの姿が見えなくなるまで彼の事を観察していたのだった。




