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平凡なる皇帝  作者: 三国司
番外編

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みんなと一緒(小話詰め合わせ)

時系列はバラバラですが、だいたい全部ハルが十四歳の頃の話です。


【アナリアと一緒】


「ハル様、髪を伸ばしましょうね」


 寝室でハルの髪を櫛で梳きながらアナリアが言う。


「今だって短くはないし、伸ばすとお手入れが大変だよ」

「手入れをするのは私や侍女たちですから大丈夫ですよ」


 花の油を手に数滴垂らして塗り広げると、アナリアはそれをハルの髪に撫で付けた。


「私も竜騎士になる前は、実家でこうやって侍女に身の回りの世話をさせていました。他人は、美しい私のために働いて当然だと思っていたんです」


 突然そんな事を言いながら、アナリアはハルの後ろでくすりと笑った。


「そんな私が今はハル様のお世話を喜んでやっているのですから、自分でも驚くような変化です」

「嫌じゃない?」

「もちろんです。侍女たちから仕事を奪ってまでやっているので」


 アナリアは唇の端を持ち上げながら言う。ハルは、侍女のマキナがこの前「アナリア様やクロナギ様がおられると私たちの仕事がなくなってしまいますね」と苦笑いしていた事を思い出した。


「はい、終わりましたよ」

「ありがとう」

「ハル様の髪は暖かくて綺麗な色ですね」


 ふとアナリアが零した言葉に、ハルは少し驚いた。瞳の色はよく褒められるが、フレアによく似た薄茶色の髪を褒められたのは初めてではないだろうか。


「ありがと、アナリア」

「いいえ。おやすみなさい、ハル様」


 ハルをベッドに入れると、アナリアはフレアのように柔らかくほほ笑んで、ハルのおでこにキスをした。

 アナリアはいつの間にこんなに優しい表情を浮かべるようになったのだろうと思いながら、寝室を出て行く彼女を見送る。


「おやすみ、アナリア。また明日」




【オルガと一緒】


「あ……」


 廊下の角を曲がったところで、ハルはその先にいた二人の人物に目を留め、立ち止まった。


「どうされました?」


 後ろにいたクロナギが角を曲がった先を覗き込もうとするので、ハルは慌ててクロナギの体を押して来た道を戻る。


「な、なんでもないよ。部屋に戻ろう」

「総長のところに行かれるのでは?」

「後にする」


 怪訝な顔をするクロナギを連れて、ハルは顔を赤くしながら自分の部屋に戻った。


 それから数分後、ハルが部屋で本を読んでいると、扉が開いてオルガが中に入って来た。オルガはいつもノックをせずに唐突に部屋に入ってくるので、今日もクロナギに軽く睨みつけられている。

 一方、ハルはオルガを見て僅かに頬を赤らめると、彼と目を合わせないよう、読んでいた本に慌てて視線を落とした。


「おい、ハル」


 しかしオルガはずんずんとこちらに歩いて来て、ハルの隣でソファーに座った。


「な、なに?」

「ほらよ、実家にあったから持ってきてやったぞ」


 挙動不審な動きでオルガを見上げるハルに、オルガは一冊の本を渡す。


「初代の本。読みたかったんだろ?」

「え、あ、そう、そうだった。ありがと」


 ハルはそわそわしながら本を受け取った。これは初代皇帝がドラニアスに現れてから皇帝になるまでの物語が書かれた伝記で、以前、オルガの前で読みたいと話していたものだった。

 ハルは読んでいた本を閉じて膝に置き、その上に伝記を置くと、うつむいたまま目を泳がせる。


「何だよ? 変だぞ、お前」


 落ち着きのないハルの様子にオルガも気づいて、顔を覗き込もうとする。


「なんでもない……なんでもなひ(い)ったら!」


 ずっと下を向いていたら、ボールを持つみたいに片手でムニッと頬を掴まれ、上を向かされた。

 オルガと目が合うと、ハルはますます顔を赤くさせる。


 実はさっき、オルガとアナリアが廊下でキスしているのを目撃してしまったのだ。

 アナリアは壁に背をつけ、オルガはアナリアに合わせて少し背を丸めていた。二人が情熱的に唇を合わせている姿は刺激の強い光景だったので、ハルのまぶたに焼きついてしまってなかなか消えてくれそうにない。

 知り合いの二人がキスをしているなんて変な気分だ。


(あんな廊下でしなくても……)


 ハルは心の中で呟いた。オルガはこれから仕事に出るところ、そしてアナリアはもう休憩に入ったところで、つまり二人とも仕事中ではないのでどこで何をしようといいのだが、キスをするならもう少し人の通らない場所を選んで欲しいと思う。

 

 オルガは自分から目を逸らして赤い顔をしているハルを不思議そうに見ていたが、やがてその原因に気づいたらしく、ニヤリと意地悪く笑って顔を近づけてきた。


「お前、見ただろ」

「見てない!」

「『見ただろ』とだけ言われてすぐに『見てない』って返す奴は、絶対に見てんだよ。こっち来る時、廊下にクロナギとハルの匂いが残ってると思ったんだよな」


 竜人は嗅覚もいいのだろう。あの廊下にハルがいたのはバレているようだ。

 ハルは開き直って、相手を責めた。


「オルガが、あんなところでしてるから」

「仕方ねぇだろ。あそこでたまたまアナと擦れ違ったんだ。それにキスしたいと思った時に、いつもひと気のないところにいるわけじゃねぇし」

「じゃあそういう時は我慢してよ。禁城の風紀が乱れちゃう」

「あれくらいで乱れるわけねぇだろ。まぁ、ハルには刺激が強かったかもしれねぇけどな」


 むにむにと頬を揉まれながら言われる。

 部屋にはクロナギもいたので、ハルが先程目撃したものが何だったのかに気づいて、オルガに対して呆れたような目を向けたのだった。




【ソルと一緒】


 今日はソルをお供に禁城の敷地内を散歩している。護衛がソルだけというのは珍しいが、クロナギたちはそれぞれ用事があるらしい。けれど十五分もすれば戻ってくるとも言っていたので、ソルと二人きりなのも短い時間だけだろう。

 ソルはお喋りではないので、ハルは黙々と足を進めて、やがて大きな池の前までやって来た。

 しかし池に近寄って水面を眺めていると、後ろからつんと服の襟首を引っ張られる。


「何?」


 ハルは半分首を捻って後ろを見た。ソルが襟首を軽く掴んでいるのでしっかり後ろを向けない。


「……」


 ソルは黙ってこちらを見下ろしてくるだけなので、ハルはソルの手に逆らうように池の間際に近づこうとした。

 ――が、またしてもつんと襟首を引っ張られたので再び足を止める。


「落ちるぞ」

「落ちないよ」


 いくら鈍くさいハルでも、目の前にはっきり見えている池に落ちたりはしない。もう少し前へと足を踏み出そうとするが、ソルは手を離してくれない。

 池にぎりぎりまで近づきたいハルと近づけさせないソルとで地味な争いを繰り広げていると、池に映った影を見てか、それとも声を聞いてか、広い池に散らばっていた魚たちがぞろぞろとこちらに泳いで来た。

 

「あ、来た来た。鯉だ」


 全部で五十匹はいるだろうか。大きな魚なので集団で近づいてこられると結構な迫力だ。一番多いのは黒色の鯉だが、他にも朱色や白、金色の鯉もいる。

 鯉が集まってきたのを見ると、ハルは手に持っていたパンを小さく千切った。今日の散歩の目的はこの鯉たちに餌をあげる事なのだ。


「落ちないように気をつけるから」


 ハルが振り返って見上げると、ソルは少し前に進むのを許してくれた。そこでハルは池の間際まで近づき、ソルに襟首を持たれたままだったが、鯉にパンをあげる事ができた。

 しかし――


「え? わ、うわわ」


 パンを千切っていくつか落とした途端、鯉たちがバシャバシャと水飛沫を上げながら必死で餌を求めて口を開き出したので、ハルはその迫力に圧倒されて、思わず二、三歩後退した。


「毎日餌あげてるんだよね?」

「そのはずだ」


 一ヶ月くらい何も口にしていなかったかのような必死っぷりだ。いや、本人たちは別に必死ではないのかもしれないが、ハルにはものすごい勢いで餌を求めているように見えてしまう。

 パクパクと口を開いている鯉たちのために、ハルも必死でパンを千切って与えた。


 と、鯉の集団の端の方をふと見れば、白色の鯉が一匹、パンが落ちてくる真ん中の方へ行く事もせずにうろうろと泳いでいるのに気づく。

 その鱗の白い色と、少し眠たそうな目をしているところ、そして皆が必死になっているというのに端の方でマイペースにしているところが、何となくソルと重なって見えた。

 白い鯉はお腹は減っているようだが、のんびりと集団に近づいては弾き飛ばされている。


「あの鯉、ソルみたい」


 指をさしてハルが言うと、ソルは不服そうな顔をした。


「あの子まだごはん食べられてないよ」


 ハルは残り少なくなったパンを持って白い鯉の方に近づいた。ソルはずっとハルの襟を掴んでいるので、ハルが動くと一緒についてくる。


「えい!」


 ハルは白い鯉に向かってパンを千切って投げたが、池に落ちた瞬間に他の鯉に取られてしまう。


「ああ、それはソルのなのに。ほら、ソル! 頑張って!」


 白い鯉をソルと呼びながら、ハルはパンを投げ続けた。しかしいつも大きな黒い鯉が邪魔をして全部食べてしまう。あの鯉はまるでオルガのようだ。

 そして結局パンを全部投げ終えても、白い鯉はパンを食べられなかった。

 ハルはがっかりして言う。


「オルガが全部食べちゃうから……。パンをもう一つもらって来なきゃ。ソルに食べさせるまではやめられない。調理場に行こう、ソル」


 竜人の方のソルに声をかけて、ハルは城の方へと身を翻した。

 ソルは複雑そうな顔をしながらも、大人しくその後をついて行ったのだった。




【ヤマトと一緒】


 今はジジリアの山奥に住んでいる混血のアリサが、再びドラニアスに遊びに来るらしい。

 ヤマトからそう知らされてハルは明るく言った。


「またアリサに会えるんだね。よかったね、ヤマト!」

「よかった……よかったんでしょうか?」

 

 迷うように言うヤマトに、ハルは小首をかしげた。


「ヤマトはアリサが来るの嬉しくない?」

「嬉しくない事はないですよ。でも、なんか変に意識しそうですし、どんな顔して会えばいいか……」

「今まで通り、普通で大丈夫だよ」

「でも、アリサはまた俺とドラニアスを回りたいって言ってるんです。やっぱりこっちに越してくるつもりらしいんで、家を探したいからついて来てほしいって」

「ついて行ってあげればいいじゃん」


 膝の上に乗っているラッチを撫でながら言うと、ヤマトは僅かに頬を赤らめた。


「いや、でも、緊張しますし……。ハル様も一緒に来てくれないですか? そうすればハル様効果で緊張せずにアリサとも会える気がする」

「私にそんな効果ある?」


 のんきなオーラでも出ているのだろうか、と思いつつハルは続けた。


「私はいいけど……クロナギが駄目だって」


 後ろを振り向くと、クロナギが呆れた目でヤマトを見下ろしながら首を横に振っていたのだ。

 ヤマトはクロナギの冷めた視線には気づかぬまま、もじもじと下を向いて言う。


「まぁそうですよね。ハル様を街に連れて行くとなると騒ぎになりますし。……えー、でもじゃあどうしようかな」

「行きたくないの? それならアリサにそう言って断ればいいんじゃない?」

「いや行きたくないわけではないんですけど」

「どっち」


 今までモテない人生を歩んできたせいか、アリサの話になるとヤマトは途端に優柔不断で駄目な感じになる。後ろでずっと話を聞いているアナリアもイライラし始めている。


「アリサの事、ちょっとでも可愛いなと思ってるんだったら行くべきだよ」

「そ、そうですよね。じゃあ……頑張ってきます。昼飯とかどうしようかな。女の子は何が好きなんだろう。ハル様は麺料理が好きですよね?」

「ヤマト、一つ言っておくけど……」


 ハルはそう前置きしてから忠告する。


「アリサの前であまり私の名前出しちゃ駄目だよ。ハル様を一緒に連れてくるつもりだったとか、ハル様がこれ好きだからとか」


 そんな事ばかり言われたら、アリサは興ざめしてしまうだろう。

 けれどヤマトは不思議そうに返してくる。


「どうしてです?」

「どうしてもだよ」


 普段はむしろ鋭い方のヤマトなのに、今は恐ろしく鈍感になっている。

 

「でも、ハル様の話をする以外にアリサと何を話せばいいんですか? 俺はハル様の事ならいくらでも喋れますけど、他に話題なんてないですよ。竜騎士仲間と話す時も、一番盛り上がるのはハル様の話題ですし」

「アリサは竜騎士じゃないから」


 突っ込みながら、駄目だこれはとハルはため息をついた。

 きっとアリサは途中で怒って帰ってしまうだろう――。


 しかしその予想は外れ、ハルが思っていた以上にヤマトに惚れていたらしいアリサは、ヤマトの『ハル話』にめげる事なく、むしろ笑顔で話に乗り、ヤマトから「ハル様の良さが分かるなんてあの子はいい子だ」という信頼をしっかり勝ち得て、一旦ジジリアに戻っていったのだった。

 どうやら本当にアリサがドラニアスに引っ越してくる日も近そうだ。




【レオルザークと一緒】


「見て! こんなにたくさん溜まったよ」


 廊下を歩いていたレオルザークを捕まえると、ハルはその手を取って自分の寝室まで引っ張って来て言った。

 レオルザークに見せたのは、透明な瓶に入った小さな白い貝殻たちだ。


「本当ですね」

「可愛いでしょ」


 この白い貝殻は全てレオルザークが海で拾ってきてくれたものだ。岩場ばかりのドラニアスの海では砂浜にピンクの可愛い貝殻が落ちているという事はないらしく、あるのは黒や茶色の貝殻ばかりらしい。

 だから白い貝殻というのもそれなりに珍しいのだ。茶色が少し入ったものもあるけれど、中には真っ白で光沢のある綺麗なものもある。


「ね、今度海に行く時は私も連れて行って。前に『十分な数の護衛を連れて行くならいい』って言ったよね?」

「……そうですね」


 レオルザークはハルを海に連れて行く事には乗り気でないようだったが、渋々頷いた。


「やった! 約束ね。えっと……約束、約束」


 ハルはレオルザークの手を持ち上げ、その骨ばった太い小指に自分の小指を絡ませた。


「指を結んで、約束のしるし。嘘をついたら、この指ちょん切るぞ」


 決まった節回しで歌うと、レオルザークが珍しくちょっと笑った。


「あれ? 間違ってた? ドラニアスではこうやって約束するんでしょ?」

「合ってますよ」

「ならどうして笑ったの?」

「笑っていません」


 誤魔化すように咳をすると、レオルザークは顔を背けた。


「嘘だ。笑ったよ。どうして笑ったの?」

「笑ってません」


 可愛くて笑ったのだとは、レオルザークは言えなかった。




【サイファンと一緒】


「サイファンはレオルザークと幼なじみなんだよね?」


 テーブルに座って勉強を教えてもらいながら、その合間にハルはサイファンに尋ねた。


「ええ、そうです。レオルザークから聞いたのですか?」

「うん、子どもの頃から友だちだったって」


 ハルがそう言うと、サイファンは小さく笑い声を漏らした。


「そうですね。けれどレオルザークには借りばかりあります。私は体が細い事もあって戦闘能力もあまり無く、その頃はまだ魔術も使えず周りの女の子よりも弱かったので、同級生からかわれたりする事も多かったのですが、その度レオルザークが助けてくれたのですよ」

「へー! そうなんだ」


 ハルはペンを置いて瞳を瞬かせた。


「レオルザークは優しいね! 今も優しいもんね」

「レオルザークを優しいと言うのは陛下くらいですよ」


 サイファンは愉快そうに笑って言った。

 しかし次には少し真面目な顔をして、ハルの髪を撫でる。


「レオルザークが優しいレオルザークに戻ってよかったです。一時期は瞳から光が消えて、半分屍のようになっていましたからね」

「父さまが死んだ後の事? じゃあ今は元気になってよかったね」

「陛下のおかげですよ。私は何もできなかった。私がどんなに励ましたって駄目なのですから」

「そんな事ないよ」


 サイファンがちょっとだけ寂しげな目をしたので、ハルは思わずそう返していた。


「レオルザークはね、困った事があるとサイファンを探すんだよ。サイファンを頼りにしてるの。この間だって私がふざけてレオルザークのマントにくるくる絡まってたら、レオルザークは困ってサイファンを呼んでたでしょ」

「ありましたね、そんな事が。しかしそれは頼りにされているのでしょうか……」


 サイファンが遠い目をしたので、ハルは自信を持って再度言う。


「頼りにされてるんだよ!」

「そうですか。まぁ、陛下がそうおっしゃるのなら」


 苦笑しながらも、サイファンは少し嬉しそうにしたのだった。

 

 


【クロナギと一緒】


「あの崖のところ?」

「そうです。降りますよ」


 ハルはクロナギと一緒にヨミに二人乗りして、ドラニアスの西にある海岸に来ていた。

 切り立った崖の上に降り立つと、夕日に照らされた海が温かい赤色に染まっている様子が一望できる。

 今日はクロナギと夕日が水平線に沈むのを見に来たのだ。


「ここに座る? 下に敷く布を持ってくればよかったね。お尻が痛くなりそう」


 固い岩の地面を指差してハルが言うが、クロナギは「わざと持ってこなかったんです」と言いながら、地面にあぐらをかいて座った。

 そうして爽やかにほほ笑むと、


「さぁ、どうぞ」


 ぽんぽんと自分の脚を叩いてハルを見上げる。

 

「そこに座るの?」

「そうです」


 クロナギはハルの婚約者になってからというもの、行動が少し大胆だ。

 ハルは少し迷ったが、ぎこちない動きでクロナギの脚の上に腰を落とした。きっと顔は赤くなっているだろうけど、今なら夕日のせいにできる。

 クロナギの体に寄りかからないように隙間を開けてちょこんと座っていたら、その隙間を埋めるように、クロナギが後ろからハルの体を抱きしめた。


 途端に、ハルの心臓はドキドキと大きな音を立てて鳴り始める。熱くなった血液が全身に回って、顔もさらに赤くなった。

 例えば、ヨミに乗っている時にクロナギに後ろから抱きしめられる事だってあるけれど、それはハルが落ちないようにそうしているだけなので、変に意識する事はない。

 けれど今は緊張する。別にくっついている必要はないのにくっついている、というこの状況は。


「ヨミ、もう少しこっちへ」


 クロナギは片腕をハルのお腹に回したままでヨミを呼ぶと、もう片方の腕をヨミの体に取り付けていた鞄に伸ばす。

 そしてそこから紺色の布を引っ張り出すと、それを羽織って自分の体を包むと同時に、ハルの体も包み込んだ。

 温かいけれど、やっぱりこうやってくっついているのは恥ずかしい。夕日が沈むまで心臓が持たないかもしれない。


「今はあんまり寒くないから、この布、下に敷くっていうのはどう? そうしたら二人並んで座れるし、このままだとクロナギは脚が痛くなっちゃうよ」


 そう提案してみたが、


「俺は寒いですし、脚は痛くなりそうもないのでこのままでいましょう」


 と返されてしまった。このくらいの気温ではクロナギは絶対に寒いと思っていないはずなのに。

 クロナギと一緒に温かな布に包まれていると安心もするけれど、恥ずかしくて居心地が悪くもある。しかしクロナギは自分の腕の中でもぞもぞと動くハルを離そうとはせず、ただこう言った。


「ハル様、慣れです」


 抱っこが苦手な猫を慣れさせている飼い主みたいな口調だ。

 ハルが微妙な顔をしていると、クロナギはくすりと笑う。

 

「不快だと言うなら離しますが、ただ恥ずかしいだけだというなら、もう少しこのままでいましょう」

「うん……分かった」


 クロナギとくっつくのが嫌だというわけではないので、ハルは大人しくクロナギを椅子代わりに体を預ける事にした。

 やがてクロナギの体温に馴染んできたところで、海に夕日が落ちていく。


「もう日が沈むね」

「ええ」

「綺麗だね」

「そうですね」


 なんて事ない会話をしながら、ハルとクロナギは燃えるような赤い夕日を眺めたのだった。

 

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