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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第五章 混血と婚約者と平凡なる皇帝と

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「ニヤニヤし過ぎよ」


 アナリアがハルの後ろに立つクロナギを見て言う。

 ハルがクロナギに「結婚しよう」と伝えた翌日、クロナギは思ったよりも早く正気に戻っていた。

 下手をすれば数日固まったままなのではと心配したが、昨日の夜には氷が溶けたように動き出し、ハルに「昼間のあれは俺の夢ではなかったですよね?」と確認を取ったのち、やっと喜びに顔を紅潮させたのだ。


 そして一晩のうちにじっくりと事実を噛み締めたのか、今日は朝からずっと表情を緩めている。

 誰も面白い事を言ったわけではないのに急に静かに笑い出したりするので、オルガやソルにも「気味が悪い」などと言われたりするのだが、本人は全く気にしていない様子だ。


 昼食を食べながら、ハルは後ろを振り返ってクロナギを見てみた。

 表情が緩み切っている。

 そしてハルと目が合うと、さらにとろけるような笑顔を向けてくる。

 今のクロナギは自分に自信を取り戻しているので、こちらから目をそらさない限り、視線は合ったままだ。クロナギから目をそらす事はない。

 

「どうかされましたか?」

「や、別にどうも……」

「そうですか」


 なんて事ない会話の間も、クロナギはずっとほほ笑みを浮かべている。表情を引き締めるための顔の筋肉が壊れてしまったみたいだ。

 クロナギを婚約者に選んで欲しがっていたアナリアでさえも、今のクロナギの状態には片眉を上げて冷めた視線を送っている。


「フフ……」


 また笑い出したクロナギに、アナリアもオルガもソルも『駄目だこいつは』というような顔をする。

 しかしハルはクロナギが幸せそうな顔をしているので満足だった。垂れ流されている甘い空気は少し抑えてほしいが、クロナギが嬉しいとハルも嬉しいから。



 その日は、ハルがクロナギを婚約者に決めたという話を聞きつけて部屋に次々と人がやってきた。

 レオルザークとサイファン、そしてジン、ラルネシオ、グオタオ、サザの四将軍、八賢竜たち、あとは元紫もとヴィネストの竜騎士で今は八賢竜の下で文官をしているサタケなどだ。

 ほとんどの場合は「おめでとう」と声をかけられたが、レオルザークはクロナギに「無理に決断を迫ったのではないだろうな」と詰め寄ってサイファンに止められていた。

 ハルが自分の意思で選んだのだとレオルザークも納得すると、八賢竜たちが持ってきた酒が開けられ、勝手に酒宴が始まった。椅子が足りないと言って、サタケがどこからか椅子を運んでくる。


「え、ここで?」


 自分の部屋で宴会が始まってしまってハルはちょっと困ったが、皆が楽しそうなので今日は許す事にした。「追い出しますか?」というアナリアの言葉にも「ううん」と首を横に振る。

 結婚をするのはまだ何年か先になるのだが、ハルが婚約者を決めただけでも、皆にとってはめでたい事になるようだ。

 なかでも、遅れて禁城へやって来たクロツキとナギサは特に喜んでいて、


「これでハルは僕らの娘になるんだね」

「よくやったわね、クロナギ」


 と言いながら、部屋に入ってきた途端にクロツキは感慨深げにハルを抱きしめ、ナギサは息子を褒めていた。


「そうか、もしテオが選ばれていれば、私が義理の父親になっていたのか」

「そういう事だな。クロナギが選ばれるだろうとは思っていたが、その点は少し残念だ」


 婚約者候補を息子に持つジンとサザが酒を酌み交わしながらそんなことを喋っている。

 

「やはり婚約者はもう少しゆっくり決めた方がいいのではないか? 陛下はまだ子どもだ。数年後に心変わりする事もあるだろう」

「そんな事を言っていたらいつまで経っても決められませんよ。大人になってから決めても、心変わりする事はあるのですから」


 眉間に皺を寄せてぶつぶつ言っているレオルザークにサイファンが酌をし、「いいから飲んでください」と酔わせてしまおうとしている。


 酒に強い竜人たちは飲むペースも早いので、侍女たちが次々に酒とつまみを運んできても、あっという間に空になってしまう。まだ昼間なのにいいのだろうか。

 皆はハルの婚約を祝っているというより、婚約を理由に酒を飲みに来ている気がする。

 飲んでいないのは皆を呆れた目で見ているアナリアくらいで、酒に弱いソルはもうすでに顔を赤くしていた。

 

「私は飲めないのに……」


 祝われる立場でありながら酔う事ができないという状況に多少の理不尽を感じながら、ハルはちびちびと桃ジュースを飲んだ。

 クロナギも酒をつがれるままに少し飲んでいるが、時々ハルを見てとろとろの笑顔を見せるのは、酔っ払っているからではないだろう。

 たぶんこれからずっと、ハルはクロナギのこんな顔を見る事になる。冷静で忠実な臣下とは違う、婚約者としてのクロナギの顔を。




「私もう寝るね」


 酒宴は夜中まで続いて、大人たちは飲むペースこそ落としたものの、まだまだ元気な様子で機嫌よく酔っ払っている。

 ただしクロツキはどれだけ飲んでも全く普段通りで変化がなく、反対にソルは酔いつぶれてピクリとも動かなくなっていた。

 部屋が酒臭いから明日はバルコニーの扉を開け放って換気しなくちゃ、と思いながらハルが立ち上がったところで、隣に座っていたクロツキに引き寄せられ、抱擁される。


「おやすみ、ハル」

「うー、お酒の匂いがする。おやすみ」


 慣れない酒の匂いにハルは鼻に皺を寄せた。

 クロツキから解放されてふと隣を見れば、今度はナギサが両手を広げていたので、彼女の首に腕を回して抱きつく。


「おやすみなさい、ハル」

「おやすみ、ナギサ」


 さて、では寝室へ、と思ったところで、次はナギサの隣にいたラルネシオが腕を広げていた。仕方がない、とハルはラルネシオにも抱きついておやすみの挨拶をする。

 そうすると今度はその後ろでグオタオが笑って両手を広げていた。

 ……いつの間にか皆と抱擁しておやすみを言うという流れができてしまっている。

 グオタオの後でサザにも同じように挨拶をすると、その隣のジンにもしないわけにはいかなくなる。ハルがジンに抱きつくと、ジンも片手をハルの背中に回して「おやすみ」と返してくれた。


 四将軍が終わると今度は八賢竜が腕を広げて待ち構えていたので、八人と順番に抱擁し、その流れでサタケ、サイファンとも挨拶を済ます。ついでにオルガとソファーで寝ているソルとラッチも抱きしめておいた。

 こうなったら全員と抱擁してやると、アナリアや侍女たち、そしてレオルザークともおやすみの挨拶をする。皆のいる前で抱きつかれるのは恥ずかしいらしく、レオルザークは顔をしかめていた。

 残るはクロナギだ、と思ったところで、


「酒臭い大人たちは放っておいてもいいんですよ。匂いが移ります」


 と言いながら、クロナギがハルの背に手を添えてきた。


「さぁ、もうお休みになってください。今日は酔っ払いたちに付き合ってお疲れになったでしょう」


 うながされて、クロナギと一緒に寝室に入る。サイドテーブルに置いてある燭台の蝋燭に火をつけると、クロナギは寝室の扉を閉めた。隣の部屋の話し声も、扉が閉ざされれば小さくなった。

 ベッドに座り、寝巻きの上に羽織っていたカーディガンを脱ぐと、クロナギが畳んで片付けてくれる。最近そういう事は侍女たちに任せていたので、クロナギに世話をされると旅していた時を思い出してちょっと懐かしく、そして嬉しくなる。


「ありがと」

「いいえ。お礼を言うのはこちらの方です」


 カーディガンを片付けたのはクロナギでハルは何もしていないのに、何を感謝する事があるのだろうとハルは首を傾げた。

 クロナギはハルの前で膝をつくと、蝋燭の灯りに顔を照らされながら、優しい目でこちらを見る。


「俺を選んでくださって、ありがとうございます」

「そんな、お礼を言われるような事じゃないよ」


 改めて感謝されると照れてしまう。


「でも、クロナギは本当によかった? 前は私が断っちゃったけど……。今でも気持ちは変わってない?」

「もちろんです」

「ならよかった」


 ホッとして言いながら、ベッドに腰掛けていた足を上げてごそごそと毛布の中に入る。


「俺は幸せ者です」

「ん? 何か言った?」


 一度頭まで被った毛布をどけて顔を出すと、クロナギは目尻を下げてほほ笑んだ。


「いいえ、なんでもありません。ところで俺はおやすみの抱擁をしてもらってないのですが……」


 クロナギが寂しそうな顔をしたのでハルが慌てて起き上がろうとすると、笑って「冗談ですよ」と付け加えられた。

 

「他の皆と同じ事をしてもらっても、あまり嬉しくはないので」

「……それって」


 抱擁以上の事をしろという事だろうか。

 クロナギは期待のこもった瞳でこっちを見ている。おやすみの抱擁をしてほしいとねだるより、たちが悪い。

 けれど、ただの従者や臣下であった頃なら決してこんな事は言わなかっただろうから、クロナギの言動の変化を見ているのは楽しくもある。


 ハルは少し考えてから起き上がると、ベッドの横でひざまずいていたクロナギの額に前髪の上からキスをした。

 ほっぺですら恥ずかしいので、ここが精一杯だ。

 しかしクロナギは主人に撫でられた犬のように、嬉しそうに目を細めた。


「これでいい? 今日は特別だからね。おやすみ」


 恥ずかしいから毎日はしないからねと釘を差しながら、ハルは再びベッドに横になる。

 自分からおでこにキスをしようと決めてした事なのに、した後でじわじわと照れが出てきて顔が赤くなってくる。

 しかしクロナギはハルの照れを知ってか知らずか、枕の上に広がっているハルの髪を一房手に取ると、


「はい、おやすみなさい。良い夢を、ハル様」


 そう言いながら毛先に口付けを落とし、甘ったるい笑顔をハルに残して部屋を出て行った。


「……」


 残されたハルはベッドに横になったままクロナギを見送ると、数秒遅れてさらに顔を赤くする。

 これから先、クロナギと一緒にいて心臓が持つか不安だ。




 婚約者にクロナギを選んでから一ヶ月、ハルはドラニアスで平穏な日々を送っていた。

 クロナギは前よりもっと優しい目でハルを見るようになったり、たまにやんわりとおでこへおやすみのキスを要求してきたりはするものの、それ以外に大きな変化はなく、基本的には臣下としての立場を守っている様子だ。

 あまり急激に関係が変わるのも怖い気がするので、クロナギの静かな変化にハルは少し安心した。

 また、フレアの改葬も無事に終了したので、クロナギと一緒に両親の墓を訪れて婚約を報告したりもした。

 

 ハルには皇帝として学ばなければならない事や覚えなければならない事が多くあったけれど、着実にドラニアスの生活に馴染んでいっていた。

 しかし穏やかな毎日を過ごしながらも、ハルは心の隅ではいつもヤマトの帰りを緊張しながら待っていた。


 ハルの寿命に関する調査をしているヤマトが持ち帰ってくる結果。それがどういうものかは分からないけれど、クロナギのためにも良い結果であってほしいと願った。

 クロナギもハルの婚約者となって幸せそうな顔をしつつも、寿命の事はずっと気にしているはずだ。


 けれど今日。ハルはやっと自分がいつまで生きられるのかを知る事になった。

 ヤマトが約一ヶ月ぶりに禁城に戻ってきたからだ。


 レオルザークとサイファンに呼ばれて、ハルはクロナギ、アナリア、オルガ、ソルと共に城の一階に下りた。

 即位式をやった大広間に入ると、玉座に上がる階段の下には、ジン、ラルネシオ、グオタオ、サザの四人の将軍たちが揃って立っていた。新しいヴィネストメンバーの選定のために、昨日からたまたま登城していたのだ。

 

 そして玉座の正面では、将軍たちと向かい合うようにしてヤマトと若い女性が一人立っている。


「ヤマト!」


 レオルザークから大広間に入ったら玉座に座るように言われていたのに、ヤマトの姿を見たら思わずそちらに駆け寄っていた。国外へ出て調査をしていたと聞いていたが、怪我もなく元気そうでよかった。


「おかえり!」

「ハル様! ただ今戻りました。お久しぶりです。ちょっと大きくなりました?」


 一ヶ月くらいではハルの身長は伸びないけれど、ヤマトはそう冗談を言ってハルを抱きしめた。

 ヤマトの腕の中からちらりと横を見ると、若い女性も緊張気味にこちらを見ていたので、ハルはヤマトから離れて女性に声をかけようとした。

 しかしその前にレオルザークに玉座へ座るよう言われたので、ハルは数段の階段を上ってそこに置かれている優美な椅子に座る。この場には親しい臣下だけではなくあの見知らぬ女性がいるので、レオルザークはわざわざハルを座らせたのだろう。


 ハルが玉座に着くと、ヤマトは改めてハルの正面で膝をついた。隣りにいた女性も慌てて両膝を床につけ、顔を伏せる。


「ヤマト、その人は誰?」


 待ちきれずに尋ねる。

 女性はキャラメルみたいな茶色の髪を後ろの高い位置で一つにくくっていて、今は緊張しているけれど、本来は明るく溌剌としていそうな感じだった。歳は二十代前半くらいだろうか。


「彼女はアリサです。ジジリアで俺が出会った、父親が竜人、母親が人間の混血です。……アリサ、陛下に挨拶を」


 ヤマトにうながされて、アリサという女性はおずおずと顔を上げた。ちらっと一瞬ハルを見たが、その前にいるレオルザークたちが怖いのか、また少し頭を下げた。


「顔を上げて」


 ハルは自分と同じ混血のアリサをよく見たかったのでそう言った。アリサは不安そうにヤマトを見たが、ヤマトが頷くと再び顔を上げてまっすぐにハルを見る。

 

「あの、私は……」


 ハルの緑金の瞳が珍しいのか、アリサは見入るように動きを止めてしまったので、ヤマトが「アリサ」と肘で小突いている。

 ハッとしたアリサは、改めて口を開いた。


「私はアリサです……じゃなくて、アリサ・デラフと申します。あ、あの、すみません! ジジリアの山奥で育った田舎者なので、言葉遣いがなってなくて。えっと、ドラニアスの皇帝陛下にお会いできてとても嬉しいです。思ったより可愛らしい方でホッとしました。まだ十四歳の少女皇帝だって聞いてたんですけど、そうは言ってもドラニアスの皇帝だし、何か怖い感じの子だったらどうしようかと思って、ほんと、すごく緊張して……」


 話の途中でハルが笑顔になったので――緊張しているアリサが可愛く、面白かったのだ――アリサは少し緊張が解けたのかペラペラと喋りだしたが、ヤマトに「アリサ!」と小声で注意を受けて慌てて口をつぐんでいる。

 

「ヤマト、そのお嬢さんに話してもらうのもいいが、話が逸れていきそうだ。まずはお前が説明してくれ」


 ラルネシオに言われると、ヤマトは頷いて話し出した。


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