13
「シーザ、元気だった?」
「はい陛下。またお会いできて嬉しいです」
ハルの私室を訪れたシーザは、にっこりほほ笑んでそう言った。
青の将軍サザの息子であり、婚約者候補の一人であるシーザと会うのは二度目なので、ハルもあまり緊張せずにいられる。
「けれど、陛下はあまりお元気そうではありませんね」
「そ、そんな事ないよ。元気だよ」
「それならいいのですが」
ハルはシーザに気づかれぬよう、ちらりと横目でクロナギを見た。彼の状態は相変わらずである。
別にげっそりと痩せたりやつれたりしているわけではないのだが、心は傷ついているはず。だからあまり深く物事を考えないように、無意識にぼうっとしてしまっているのかもしれない。
さっきも机の角に腰をぶつけていたのだが、痛みすら感じていない様子で無反応だったので、オルガに「ゾンビだな」などと言われていた。
そしてクロナギがあんな様子である限り、ハルもクロナギを気にせずにはいられない。クロナギが元気でなければハルも元気にはなれないのだ。
しかし今はシーザが来てくれているし、暗い顔をしているわけにもいかない。ハルは笑顔を作ってシーザの手を取り、椅子に座らせた。
「お茶と一緒に干し柿を食べようよ。栗の入った羊羹もあるんだよ。八賢竜のおじいちゃんに貰った」
「ありがとうございます」
シーザは自分の手を引っ張るハルに苦笑しながらテーブルについた。
干し柿と栗羊羹を食べると、今度はシーザがハルを誘って庭を散策する事になった。
まだドラニアスに来て日が浅いハルより、サザと一緒に小さい頃から禁城を訪れていたシーザの方が城の事には詳しく、広い庭園を案内してくれた。
今の時期、花は咲いていないが、赤や黄色に紅葉した木々が目を楽しませてくれる。
一足早く地面に落ちてしまった枯れ葉を踏みながら、ハルはシーザと並んで歩いた。
「寒くはありませんか?」
「平気だよ」
シーザに返事をしながら、そっと後ろを振り返る。クロナギとオルガが護衛としてついて来てくれているのだが、ハルがシーザと気兼ねなく話せるように距離を置いてくれている。
しかし、少し離れたところでオルガは普通に立っているが、クロナギは肩を落として少しうつむき気味に、とぼとぼとハルたちの後をついて来ていた。気のせいか、暗い影を背中にしょっているように見える。
今はもう目は虚ろではないが、代わりに表情は悲しげだ。
そして時折こっちを見ては、ぎゅっと眉根を寄せて傷ついたような顔をし、またうつむくのだ。
「気になりますか? 先ほどからよく後ろを振り返られていますが」
気づけば、シーザは足を止めてハルを見下ろしていた。
「あ、ごめんなさい」
シーザとの会話に集中しなければと思っていたのに、とハルは謝る。
気分を悪くさせてしまっただろうかと心配したが、シーザは優しく問いかけてくれた。
「何故、彼を選ばなかったのですか?」
ハルは一度シーザを見上げてから視線をそらし、説明をした。
自分の寿命は人間と同じで短いかもしれないし、混血だから竜人がかからないような病気であっさり死んでしまうかもしれないから、そうすればクロナギは主人と伴侶を同時に失う事になると。
「もちろんシーザと結婚しても私が死ねばシーザに悲しい思いをさせてしまうんだけど、でもクロナギほど絶望はしないでしょ?」
シーザは遠くにいるクロナギを見てから、ハルに向き直って頷いた。
「ハル様を想う気持ちでは、今のところ私は彼に負けているでしょうからね」
苦笑いしながら言う。
「ハル様のお気持ちは分かります。ハル様にとっても彼はとても大切だから、傷つけたくないのですね。距離を置く事で彼を守ろうとなさっているのでしょう。エドモンド様とフレア様が別れを決められたのと同じですね」
ハルの目の前を、一枚の赤い葉がひらひらと舞い落ちてくる。ハルはその葉が地面に落ちるまで目で追った。
しばらくの沈黙の後でシーザは続ける。
「ハル様、一度想像してみてください。私を夫に選び、私と共に人生を歩んでいく、という光景を。あなたの隣に立っているのはクロナギではなく私です」
「……うん」
言われた通りにハルは想像する。シーザと結婚したらどうなるか。
今までのようにクロナギはハルの一番近くにはいてくれない。そこにいるのはシーザだから、クロナギは護衛に徹して一歩引いたところにいる。
表情は……ハルの想像では、クロナギは全ての感情を押し殺したような顔をしている。ハルが声をかければほほ笑んでくれるけど、それは作られた笑顔だ。本当はクロナギはきっと、悲しんでいる。
こんな状態で、何年も、何十年も、クロナギはハルの側にいないといけないのだろうか。
ハルとシーザが仲良くしているところなんて見たくないだろうが、きっとクロナギはハルを守るという使命を捨てる事はできないだろう。だから自分が辛くても、側に居続けてくれる。
ハルの、ただの護衛として。
「なんか……」
ハルはへにゃりと眉を下げて、泣きそうな顔をした。
「想像したら悲しくなった……。クロナギが可哀想だよ」
クロナギにとって可哀想な事は、いつ死ぬか分からない自分と一緒になる事だとハルは思っていた。
けれどハルが他の人と一緒になった場合も、クロナギにとっては辛いのだ。
いや、もしかしたら後者の方がより辛いのかもしれない。
もしハルが伴侶としてクロナギを選んだら、たとえハルが早く死んでしまったとしても、クロナギには思い出が残る。ハルと結婚して、お互いを大事に想い合って過ごしてきた幸せな思い出が。
けれどハルがクロナギを選ばなかったら、ハルが早く死んだとしても長く生きたとしても、クロナギには悲しい思い出ばかり残るかもしれない。自分は選ばれなかったという思いは、おそらく一生クロナギについて回るだろう。
「クロナギの幸せってなんだろう。クロナギを選ばない方が、結果的にはクロナギのためになると思ったのに……」
ハルが呟くと、シーザはまた苦笑して言った。
「分かっていましたが、そんなにクロナギクロナギと言われると少し嫉妬します。彼は幸せ者ですね」
「あ、また……。ごめん」
シーザとの未来を想像しろと言われたのに、クロナギの事ばかり考えてしまった。
「いいんです。ハル様は私が予想した通りの事を想像してくださったようですから」
にこっと目を細めて続ける。
「ハル様、エドモンド様と同じ事は繰り返さないでください。寿命に違いがあったとしても、最期の時までずっと側にいる事が、二人にとっての幸せなのではないでしょうか」
「シーザ……」
「ハル様を彼に譲るつもりではなかったのですが、ハル様の幸せを考えるとこういう結論になってしまいました。私は、私の敬愛する皇帝陛下に幸せでいてもらいたいのです」
ハルは緑金の瞳を少しだけ潤ませたまま、シーザを見上げた。
「シーザって、すごくいい人だね」
「伴侶にはなれないのなら、せめてハル様にとっては常に『いい人』でいますよ」
そう言って口角を上げて笑い、ふとクロナギの方を見て言う。
「そろそろ彼を呼びましょうか。私はもう屋敷に戻らなくてはなりませんので、お二人で話をなさってください」
「うん、ありがとうシーザ。気持ちが固まったかも」
「では……」
そう言って去っていくのかと思ったのに、シーザはいきなりハルの事を抱きしめた。少しびっくりしつつ、ハルがシーザの温もりと匂いに包まれていると――、
「何をしている……!」
いつの間にかクロナギが側にいて、信じられないというように瞠目しながらシーザをハルから引き離していた。
少し遅れてやってきたオルガは、シーザではなくクロナギの肩に手を置く。クロナギの方が冷静さを欠いていそうに見えたのだろう。
「別れの抱擁です」
シーザはクロナギにしれっとそう言って笑った。そこでやっとハルは、シーザはクロナギを呼ぶためにこんな事をしたのだと気づく。声をかけるより早いと思ったのだろうか。
「それでは私はこれで」
今度こそ去っていくシーザにハルはもう一度「ありがと」と言いながら手を振った。
「……何だったのですか?」
シーザの姿が見えなくなると、クロナギは戸惑いながらハルを見た。しかし目が合った瞬間にハッとして、辛そうにハルの視線から顔を背ける。
自分がシーザを選んだら、クロナギはずっとこんな調子でいるのかもしれない。もう二度と心からの笑顔を向けてもらえないかも。
ハルは立っているクロナギの手首を握り、こちらに注意を向けるようにそっと引っ張った。
クロナギは今はあまりハルとは向き合いたくなさそうだったが、黙ってひざまずく。
「あのね、昨日や一昨日も婚約者候補の人たちと会ったけど、しっくり来る人はいなかったよ」
「そうですか」
突然そんなふうに話をしても、クロナギは淡々と相槌を打った。少し安堵したような様子ではあるが、他が駄目だったからといって自分が選ばれるわけでもないと思っているのか、嬉しそうでもない。
「たぶん残りの人たちに会っても同じだと思う。誰が隣に立っても違和感があったし、何か違うって思っちゃうんだよ。さっき、シーザに抱きしめられた時もそう思った。別に不快だったわけじゃないけど、温もりとか匂いとかが、クロナギとは違うから」
そこでクロナギは顔を上げると、探るようにハルを見つめた。ハルが何を言おうとしているのか、よく分かっていない様子で。
なので、ハルは率直に言った。
「やっぱり、私はクロナギがいい」
秋の澄んだ空気の中で、ハルの声は凛と響いた。
「私が人間と同じ寿命だったりして先に死ぬ事になったら申し訳ないけど、でももし結婚するなら、クロナギじゃなきゃ嫌だと思った。迷ったけど、私もクロナギも幸せになるためには、それが一番いい方法なのかなと思う」
クロナギは限界まで目を見開いてハルを見た。
ハルはクロナギの瞳に映る自分を見ながら、はっきりと言う。
「クロナギ、ずっと私の側にいて。――きっと幸せにするから、私が大人になったら結婚しよう」
堂々と逆プロポーズができたのは、クロナギが喜んでくれると思ったからだ。
しかし実際は、クロナギは目を見開いたままで固まってしまった。ハルがクロナギのプロポーズを断った時と同じように。
「……クロナギ?」
目の前で手を振ってみても、反応がない。
ハルは首を傾げてしばらくクロナギを見ていたが、一向に動く気配がないので、困って隣りにいたオルガを見上げた。
「大丈夫だよね?」
「お前がいきなり結婚しようとか言うから」
オルガはクロナギではなくハルを見て呆れたような顔をした。
「私が悪いの?」
「そうだな。でもまぁ、よく言った」
オルガはハルの頭を力強く撫でてから、固まったままのクロナギを担ぎ上げた。
「寒ぃし、部屋に戻ろうぜ。アナたちにもハルとクロナギの婚約の報告をしてやらねぇと。喜ぶぞ」
「うん!」
アナリアたちが喜ぶ顔を想像すると、ハルまで嬉しくなる。
クロナギの反応も見たいけれど、落ち着いて喜びを表現してくれるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。




