10
自分の寿命は人間と同じなのか、それとも竜人と同じなのか、あるいはちょうどその間くらいなのか。それはハル自身にも、クロナギたちにも分からない。
だからクロナギたちは『前例』を探そうとしたのだろう。ハルと同じ混血の子どもがいくつまで生きたのか、その情報を集めれば、ハルの寿命も予想がつくから。
ここにはいないレオルザークやラルネシオ、ジンやグオタオ、それに八賢竜たちもこの件には関わっているに違いない。
いつかの会議でアナリアが感情的になったというのも、ハルの寿命について話をしていたのだなと今分かった。
ハルの寿命が人間と同じだったらと考えて、会議の最中に感傷的になってしまったのかもしれない。
ハルの気持ちとしては、寿命が決まっているなら人間と同じく短かったとしてもそれを受け入れるしかないと思っている。
八十まで生きられるとすれば、あと六十六年も寿命は残っているし、すでにフレアもエドモンドも亡くなっているので、二人に会えると考えれば死に対する恐怖もあまりない。
けれど、それは自分だけの事を考えた場合だ。
クロナギたちの事を思うと、ハルは長く生きたいと思った。だって皆を残して行く事はできない。
自分が死んだ後、クロナギやアナリア、レオルザークがどんなふうに悲しむかを想像しただけで胸が痛くなる。
ラッチとヤマト、コルグは泣くだろうし、オルガはしばらく陽気さを失い、ソルはいつも以上に表情をなくすだろう。
八賢竜たちはさすがにハルが見送る側になるかもしれないが、ここにいるサザもシーザも、それにラルネシオもジンもグオタオも、侍女たちや多くの竜騎士、国民たちも、きっとハルの早すぎる死を嘆く事になる。
そう考えると、ハルまで泣きそうになった。
皆のためになるべく長く生きたいと思う。竜人たちは強いし体も丈夫だが、皇帝を失った時にはすごく弱ってしまうのだとハルは知っている。
その弱さを知っているから、大切な竜人たちを置いて行くより、自分の方が長く生きて皆を見送る方がずっとマシだと思う。
「それで……どうだったの? 混血の竜人はいたの?」
ハルは恐る恐るクロナギに尋ねた。
「それが、まだ我々もヤマトからの報告を聞いていないのです。ちょうど話を聞こうと思った時にハル様が起きてこられたので」
そう言ってからヤマトの方を向いて促す。
「ヤマト、報告を」
ヤマトが話し出す前に、アナリアがハルの隣に座って肩を抱いてきた。不安がるハルを支えているようだが、本当はアナリアの方が怖がっているのだろう。
サザやオルガ、ソルの様子は一見普段と変わらないが、サザの息子のシーザは緊張気味に唇を引き結んでいて、開けっ放しの扉から話を聞いていたコルグは表情を凍らせたまま瞬きもしない。コルグはハルと同じく、ハルの寿命について考えた事がなかったのだろう。
ただしコルグはハルとは反対に、『ハルの寿命は竜人と同じ』だと当たり前に思っていたようだ。だから人間と同じという可能性があると知ってショックを受けている。
「この空気の中ではものすごく言い辛いのですが……」
ヤマトはおずおずと口を開いた。
「最初に言っておきますが、調査はまだ途中です。この数日でドラニアスの国中を調べる事はできませんでしたから、今日はここまでの成果を一旦報告しに来ただけです」
「うん」
「それで、まずは結果から言うと、ハル様と同じような混血の竜人を見つける事はできませんでした」
良くも悪くもはっきりとした答えが出なかった事に、ハルの隣でアナリアが詰めていた息を吐いた。
「ハル様に説明しておくと、今回、俺はクロツキさんからの情報を元に混血の竜人を探しに行っていたんです」
「クロツキの?」
突然クロナギの父親の名前が出てきたので、ハルは首を傾げた。
ヤマトは続けて説明する。
「はい。クロツキさんも昔、混血の子どもの情報を集めておられたらしいので」
「どうしてクロツキが?」
「エドモンド様に頼まれたようです。というのも、ちょうどその時エドモンド様はフレア様と出会われ結婚を考えておられた時だったので、自分たちの間に子どもができたらと想像して、やはり寿命の事などを心配されたのではないでしょうか。最終的にエドモンド様とフレア様は結婚はされませんでしたが、一時期、エドモンド様はかなり前向きにフレア様との将来を考えられておられたようなので、その時に自分の近しい臣下だったクロツキさんに相談されたのです」
その時はまだヤマトは竜騎士ではなかったらしい。
「でも、エドモンド様は自分とフレア様との間の寿命の違いという問題にも行き当たり、結局すぐに混血の子に関する調査は中断させたようです。けれどその短い間に調べた情報を、クロツキさんに今回教えてもらったんです。クロツキさんは当時、現地まで行ってしっかり調べたわけではなかったので、今回俺が直接調査に向かいました」
ハルは黙ってヤマトの続きを待った。
「クロツキさんからの情報は、西のコモテラという小さな村に、かつて混血の竜人がいたらしいというものでした。それで俺はそこに行ってきたんですけど……」
「どうだったんだよ?」
オルガがせっつく。
「混血の竜人は確かにいたらしいんですけど、かなり昔の話で、彼がいくつまで生きたのか、はっきりとした情報は掴めませんでした。彼の両親である竜人と人間の恋物語が、昔話のように語り継がれているだけで。混血の子どもがいたのは確かだが寿命は分からないという、コモテラでの情報はそれだけです」
「調べたのはコモテラだけか?」
サザが静かに口を挟んだ。ヤマトは首を横に振る。
「いいえ、他も回って調査をしました。そもそも混血の竜人がいるという噂すらなかなか見つけられなくてかなり難航しましたが、人間の血が〝十六分の一〟入っているという老人を探し当てる事はできました。その老人は普通の竜人と同じように年を取っていて、人間の血が〝八分の一〟入っている父親も、〝四分の一〟入っている祖父も竜人と同じく長命だったという情報は得られましたが、ハル様と同じ〝二分の一〟の混血だった曽祖父がいくつまで生きたかは分からないそうです」
ヤマトが今回調べた結果は、今話した事で全てだという。
「二分の一の混血の寿命に関する情報がせめて一つは欲しいので、まだ調査は続けるつもりです。できれば十人……いや五人分くらいの情報を集めたいんですけどね。ある程度数がないと、確証が持てないですし」
五人が五人とも人間と同じ年のとり方、あるいは竜人と同じ年のとり方をしていれば、ハルもそうなると予想できるという事だろう。
「混血の竜人か。私の領内にはいないと思うが……他の者にも訊いておくよ。私の耳にまで入ってきていないだけかもしれない」
シーザが顎に手を当てながら話すと、父親のサザも隣で静かに言った。
「私も長く生きているが、今まで混血の者には会った事がないな。いるという噂を聞いた事すらない」
「そもそもドラニアス国内に人間がいませんからね。人間がいなければ、彼らと竜人が結ばれる事もなく、混血の子も生まれない」
クロナギがサザに続いて言った。
現在はほとんど他国との交流をしていないので、ドラニアスに来る人間といえば、緑金の希少な宝石である〝皇帝の石〟やドラゴンを狙う不法入国者くらいだろう。
「うーん、まぁ、諦めずに調べてみますよ。どこかにひっそりと暮らしているかもしれませんし」
「うちでも部下たちに調査をさせよう。レオルザークやジン、ラルネシオとグオタオにもそれぞれの管轄地で大々的に調査をさせればいい。国民たちの中にも陛下の寿命を気にしている者は多くいるし、調査を内密にする必要はない」
ヤマトとサザが順番に言う。
大事になりそうだなとハルは思ったが、そうしてしまった方が、国民たちからも混血に関する情報が上がって来やすいのだろう。
「けれどドラニアスを隅々まで調べても、ハル様の他に混血の竜人が本当に存在するのかしら。私やサザ将軍もそうだけど、会議では八賢竜たちも全く何の情報も持っていなかったのよ。今まで混血の竜人を見た事がないと言っていたわ」
アナリアが暗い声で言う。
「竜人は人間を下に見ている部分もあるし、たとえ人間と知り合っても恋愛関係にはなりにくいんじゃないかしら。エドモンド様とフレア様はかなり特異なケースだったのよ。フレア様は美しく魅力的な人間だったし、エドモンド様は人間に全く悪い感情を持っていない竜人だったから」
「話を聞けば聞くほど、ドラニアスにはハル以外に混血の竜人なんていねぇような気がしてきたな」
オルガが腕を組んで呟いた。
「ねぇ、じゃあ人間の国を調べてみたら?」
思いついた事をそのまま口に出してみたが、オルガにこう返されてしまった。
「人間の国でも、混血がいる可能性はドラニアスと同じくらい低いだろ。人間の国へ行く竜人は少ねぇんだから」
「でも、竜人の職人さんの中には新しい物や技術を求めて外国へ行く人も多いって、ラルネシオも言ってたよ。それにシーザが買ってきてくれたケーキのお店の菓子職人さんも、ジジリアへ行ってたみたいだし」
ハルは少し身を乗り出して続けた。
「それにさ、外国へ出ていく竜人の職人さんは人間の文化を学ぼうとしてるんだから人間と接触する機会も多いはずだし、そもそも人間の文化に興味があるって事は人間に対して悪い感情は持ってないはずでしょ。だから人間と恋に落ちる可能性も高いよ」
「確かにな。『ドラニアスに来る人間』と『人間の国へ行く竜人』、どちらも数は少ないが、後者の方が現地の者と友好な関係を築きやすいかもしれない」
サザは自分の顎髭を触りながら言う。するとヤマトが困ったような声を出した。
「でも人間の国なんて、何も手がかりがない状態でどこをどう調べるんです? 人間の国はいくつもあるし、広いんですよ。調べるのは骨が折れます。人目のあるところではドラゴンに乗ったりできないので移動にも時間がかかりますし」
「闇雲に調べても駄目だろうな。だから手がかりはドラニアス内から探せばいい」
そこで口を挟んだのはクロナギだった。
「国外へ出て結婚した、あるいは出て行ったまま帰らない竜人の情報を集め、その足跡を追うんだ。人間との間に子をもうけている竜人もいるかもしれない」
「そうだな」
サザが頷き、続ける。
「最初の予定通り『国内にいる混血の竜人』を調査する他に、『国外へ出て行って戻らない竜人』の情報も集めよう。人間の国に永住しようとする竜人はかなり変わり者だろうが、いないとは言い切れない」
ドラゴンが本能で皇帝の存在を感じ取り、ドラニアスから離れようとしないのと同じように、竜人も皇帝の存在を大切にしているので、皇帝から離れた国で一生を過ごそうとする者は少ないかもしれない。
けれど竜人はドラゴンとは違うので、本能だけに支配される事もない。人間の文化に魅力を感じる者もいるだろうし、人間に恋をすれば、一緒にその国に留まる事を選ぶ者もいるだろう。
「うん。じゃあ、そんな感じで引き続き調査をお願いします」
重い空気にのまれて、ハルも思わず真面目な口調で喋る。
「あの……大丈夫だよ。もし私の寿命が人間と同じだったとしても、頑張って百歳くらいまで生きるから。ね? 皆、元気出してよ」
「お前はのんきだな」
皆を励まし始めたハルに、オルガが言った。
別にのんきなつもりはないのだが、ハルが前向きでいないと、クロナギたちは悪い方へ想像を働かせてどんどん暗くなってしまいそうだと思ったのだ。
皆――特にクロナギとアナリアは心配症なので、きっといつも最悪の状況ばかりを考えてしまうだろうから。
「ねぇ、オルガ。もし私の寿命が人間と同じだって判明したら、アナリアの事を慰めて励ましてあげてね。私も慰めるけど、クロナギとレオルザークで手一杯だと思うから。それに昨日の様子を見てたらコルグとヤマトも駄目そうだし」
翌朝、ハルはパレードが始まるまでの空き時間を、サザの屋敷の裏庭で過ごしていた。
今はオルガに肩車をしてもらって、庭の木になっている柿に手を伸ばしている最中だ。
「ねぇ、聞いてる? オルガとソルが頼りなんだよ」
「ああ。……おい、ハル。それ裏側、鳥につつかれてるぞ。こっちの綺麗なやつ取れよ」
「これ?」
「そうだ」と言われたので、手を伸ばした先にあった赤い柿を枝から千切る。
今、ハルの側にはオルガとソル、ラッチ、そして侍女二人がついてくれている。
クロナギやアナリアは、昨晩ハルが再び眠った後もずっと起きていたらしく――何か話をしていたのか、あるいはハルの寿命の事で色々と考えてしまって眠れなかったのかもしれない――今になって休息を取っている。パレードまでには起きてくる予定だ。
ヤマトは睡眠を取ってから、つい先ほどサザの屋敷を出発した。また調査に出たのだ。
パレードが終われば他の竜騎士たちも調査に加わって、『混血の竜人』の捜索と、『外国へ出ていって戻らない竜人の情報』を集める事になるだろう。
「これ、柿って言うんだっけ?」
採った柿を見ながらハルが言う。
「知らねぇのかよ」
「ジジリアでは見かけなかったんだよ。少なくとも私が住んでた地域では」
「へぇ。今の時期ドラニアスじゃあ、あちこちで鈴なりに実が生ってるぜ」
「これ、皮を剥かないといけないよね?」
「そのまま齧れよ」
そう言われたので、取りあえず柿に歯を立ててみる。実は熟して柔らかいが、皮は硬くて口に残る。
「絶対に皮を剥いた方がおいしいよ。オルガ、ナイフ持ってない? 剥いて」
「わがままなやつだな」
「皇帝だからね」
オルガは嫌な時は嫌だと言ってくれるので、遠慮なくわがままを言える。これが他の竜人だと、ハルがとんでもないわがままを言っても叶えてくれそうだから迂闊な事は言えない。
「おい、ソル」
オルガはハルから柿を受け取ると、それをソルに放った。ソルは面倒くさそうにナイフを出して手早く皮を剥き始める。刃物の扱いには慣れてるだけあって、結構綺麗に剥いてくれた。
ハルはソルから柿を受け取って齧りながら、ラッチにも柿を取ってあげた。ラッチはパタパタと翼を動かして飛んでいるので柿の実は目の前にあるのだが、ハルに甘えて自分では取ろうとしないのだ。
しかしハルがラッチの口に柿を入れてあげても、肉食のラッチの口には合わなかったのか、二回ほど適当に噛んでからペッと地面に捨ててしまった。もったいない。
侍女二人に見守られながら三人と一匹で暇な時間をだらだらと過ごしていると、表の方からクロナギとアナリアがハルたちを呼びにやってきた。
「ハル様、ここにおられたのですか。そろそろパレードのための支度を始めましょう」
しかしそう言ったクロナギにはいつもの爽やかさがなく、寝不足なのか疲れが見える。隣りにいるアナリアも落ち込んでいるような様子で、いつもの高飛車さがない。
やはりどうやら、二人ともよく眠れなかったらしい。ハルが心配した通り、悪い方にばかり考えを膨らませてしまって夢見が悪かったのかもしれない。
二人がハルの寿命について考え始めたのは昨晩からではないはずだ。ドラニアスに来て、ハルが皇帝になってからふと気がついたのかもしれないし、それとも出会った直後からすでに頭の片隅に一つの問題としてあったのかもしれない。
けれど今まではハルに余計な不安を与えないようにと思っていたのだろう、寿命についての話をした事もなければ、気に病んでいる事をこんなふうに態度に表す事もなかった。
しかし昨晩ハルにも全てを話してしまった事で隠さなければという緊張がなくなり、『すごく心配!』という気持ちが思い切り表に出るようになってしまったようだ。
「オルガ、ソル、頑張ってあの二人を励まそうね」
「……」
やつれているクロナギとアナリアを見ながら、オルガとソルは微妙な顔をしたのだった。




