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ヨミの背にクロナギと二人乗りしながら――ラッチもいるので、正確には三人乗りだが――ハルは眼下に広がる景色を眺めていた。
禁城があるのは帝都、そしてパレードを行う場所も帝都なので移動距離は短く、ドラゴンたちもあまり高いところは飛んでいない。
下にはずっと帝都の街並みが続いている。禁城に近いところでは、白い壁に黒い瓦屋根の貴族の大豪邸と広い庭が目立っていたが、だんだんと一般的な家々が並んでいる様子も見られるようになってきた。木造のものもあるようだが、灰色や茶色のレンガで作られている家の方が多いようだ。
全体的に地味な色の家々だが、狭い庭には木や花が植えられていたり、窓にはおしゃれな木の格子がついていたりする。
街の中心部にはパレードの始まりを待つ人々が集まっていて、空にまで賑やかなざわめきが聞こえてきていた。この日のために簡易的な屋台もたくさん出ていたりして、場所によっては満足に歩く事もできないほど人が密集している。
パレードで使う大きな通りでは、すでに黄の竜騎士たちが交通整理や警備を行っているようだ。
地上にいる人たちはあまりハルには気づいていないようだった。ハルがドラニアスに来てから、禁城に近いこの辺りの空にはよく野生のドラゴンが飛んでいるので、ドラゴンの影に気づいてもいちいち空を見上げないのかもしれない。
「お祭りみたいでわくわくするね」
地上の熱気に当てられて、ハルも声を弾ませた。クロナギと微妙な感じになっている事も忘れて、思わず振り返って笑う。
沈んだ顔をしていたクロナギも、一瞬目を見開いてから安心したようにほほ笑んだ。
「実際、お祭りですから。皆、近くでハル様のお姿をひと目見られるのを楽しみにしているのです」
「じゃあ、パレードの時はちゃんと表情を引き締めてなきゃ」
普段のようにぼーっとして、いつの間にか口が半開きになっていないようにしなければいけない。
「あそこが中央の要塞です。パレードはあの要塞から始めて、あそこに戻ってきます。降りますね」
クロナギがヨミを操って、要塞の門を越えた敷地内に到着する。そこではすでにレオルザークやサイファンがいて、他の黄の竜騎士たちと最終調整をしているところだった。
レオルザークはいつもより少し派手なマントを身に着けているし、黄の竜騎士たちもクロナギたちと同じように軍服に飾緒をつけたりして着飾っている。
また、レオルザークたちの近くにはパレードに出るらしいドラゴンたちも並んでいたが、こちらもヨミたちと同じく豪華な竜装をつけてパレード仕様になっていた。
「レオルザーク、サイファン!」
クロナギにヨミから降ろしてもらうと、ハルは二人に駆け寄った。会うのは即位式の日以来で、別に何ヶ月も離れていたわけではない。
しかしなんとなく久しぶりに会ったような感覚なので、ハルはまず手前にいたサイファンに挨拶代わりに抱きついた。
サイファンは笑って言う。
「お元気そうで何よりです、陛下」
そしてサイファンとの抱擁が終われば、今度はレオルザークだ。レオルザークは少し緊張気味に体を硬直させていたけれど、片腕を回してハルの抱擁には応えてくれた。エドモンドよりも小さく弱いハルに対しての力加減にはまだ自信がないらしく、恐る恐るといった手つきだったが。
「お変わりありませんか?」
ハルが離れると、レオルザークはそっとハルを見下ろして言った。
「うん、元気だよ」
婚約者の事で色々あったけれど、今はパレードを前に興奮しているのか、もやもやした気持ちも一時的にどこかへ行ってしまった。
レオルザークは頷くと、自分の懐中時計を見て時間を確認する。
「パレードまであと少しです。陛下は竜車に乗って待機していただけますか?」
「分かった。ラッチも一緒に乗せていい?」
「ええ、特別に」
竜車に乗る前に、レオルザークの金褐色のドラゴンに近づいて鼻先を撫でておく。レオルザークのドラゴンは、飛竜の中では大きい方で筋肉質に見える。そして主人と同じく少々目つきが悪く、黙っていると顔がすごく怖いのだが、ハルに撫でられると牙を見せて笑った。
そしてレオルザークのドラゴンの隣を通り過ぎると、ハルは黄色いドラゴン六頭が引く豪華な車に乗り込んだ。屋根がなく、華やかな装飾が施された竜車だ。
この竜車を引くのは、ヨミたち紫のドラゴンや、レオルザークのドラゴンではないようだ。彼らはいざという時に自由に動けるようにしておく必要があるのかもしれない。
竜車を引く六頭のドラゴンたちは、ハルの事が気になるのかきょろきょろ後ろを向くので、竜騎士たちが顔の横を押して前を向かせている。
「陛下」
きらびやかな竜車をガジガジとかじり始めたラッチをハルが必死で止めていると、サイファンがやって来てこちらを見上げた。
ハルはラッチを抱っこして拘束しながらサイファンに質問する。
「ねぇ、クロナギたちは一緒に乗らないの?」
「ええ、その車に乗れるのは皇帝一族とその伴侶だけです。エドモンド様やフレア様がいらっしゃったなら、ハル様と一緒に乗っていただけたのですが……」
「そっか……」
「ですが、レオルザークもクロナギたちも、この車を囲むように側につきますのでご安心を。私と侍女たちはここで陛下がお戻りになるのをお待ちしております」
「うん」
サイファンが離れると、やがてレオルザークが自分のドラゴンに乗ってのしのしとこちらへ歩いてきた。
「陛下。予定より少し早いですが、準備も整ったのでそろそろ出発します」
「分かった」
びしっと背筋を伸ばして緊張気味に返事をする。
要塞の門が開くと、まずは一番前にいた鼓笛隊が演奏をしながら徒歩で進み、その後をドラゴンに乗った黄の竜騎士たちがゆっくり追う。
「動かします。最初は少し振動がありますよ」
ハルの竜車の御者台に座っていた赤髪の竜騎士が、こちらを振り返って言った。
「うん、お願い。えっと……」
「あ、黄のトウマです。申し遅れました」
赤い髪をツンツン立てている竜騎士は、ニッと陽気に笑って言う。そうしてドラゴンたちに合図を出すと、竜車を出発させた。
オルガとソルは右斜め前と左斜め前、クロナギとアナリアは右と左、レオルザークは真後ろの配置につき、ハルの乗る竜車をぐるりと囲んで進む。
そしてハルたちの後ろには、また大勢の黄の竜騎士たちが続いている。
要塞の門を出ると、そこではすでにたくさんの人たちがハルの登場を待っていた。
わぁ、っと上がる歓声がハルに温かくぶつかってくる。まるで彼らの熱気で風が吹いているみたいだ。ラッチが興奮して竜車から身を乗り出している。
「ハル様!」
「皇帝陛下!」
この中央地区に住むほとんどの人がこれから進む道沿いに集まっているのではないだろうか。群衆の中には、老いも若きも男も女も、保護者に連れられた赤ん坊も、それにペットの犬までいる。
「こんなにたくさん……」
皆、自分のために集まってくれたのかと思うと嬉しくなった。全員が熱心にこっちを見ているので、照れ臭くもある。
だけど恥ずかしくても下を向いてはいられないので、ハルは頬を赤らめながら皆に手を振り返した。
しかし沿道の右側にいる人たちばかりに手を振っていると、左側にいる人たちに手を振れないままその場を通り過ぎてしまうので、
「陛下!」
「ハル様ー!」
と、左側の人たちから「こっちも!」というように声が上がる。結果、ハルは左右をキョロキョロと見ながら、どちらにも手を振らなければならなくなった。顔がもう一つ欲しいくらいだ。
「ハル様、ほどほどで大丈夫ですよ。疲れるでしょう」
歓声の中、クロナギが声をかけてくるが、ハルは首を横に振った。
「ううん、みんなの顔を見たいから」
ハルはクロナギやアナリアたち、自分に近い人たちを幸せにするために皇帝になった。
顔も見た事がないドラニアスの国民全員のために皇帝になると決意するのは無理だったし、クロナギたちが幸せに生活できるようにと行動すれば、それが結果的に末端の国民たちをも幸せにする事になると、ルカが言ってくれたからだ。
けれど今はその時の気持ちとは少し違う。
だって今は、ドラニアスの国民たちもこんなに近くにいるのだ。
一人一人の顔を見る事ができるし、彼らの服や体型を見れば生活の様子をうかがい知る事ができる。
比較的裕福そうな家族連れもいれば、田舎の山から今日のために出てきてくれたのか、大きな荷物を背負って地味な作業着を着ているお爺さんと子どももいる。
けれど皆が嬉しそうな顔をして、こちらに手を振ってくれているのだ。
何だか涙が出てきそうになった。胸にこみ上げる、この温かい感情は何だろう。
ここにいる皆を愛おしいと思うし、幸せにしたいと思う。
ここにいる人たちは、クロナギたち親しい人以外の『その他大勢』ではない。一人一人が大切なドラニアスの国民だし、ハルにとって大切な、愛しい竜人たちだ。
「ありがとう!」
歓声の中で自分の声が届くかは分からないけれど、ハルは何度もそう言いながら、集まった群衆に手を振った。
沿道に詰めかけた群衆は途中で途切れる事はなく、パレードは順調に進んでいった。
左右に平等に顔を向けなければならないのは少し忙しいが、ハルも皆に笑顔で手を振りながら、このパレードを楽しんでいた。
けれどパレードの行程の半分以上が過ぎたところで、ちょっとした騒動が起こる。
「陛下!」
きっかけは、途切れない歓声の中、鋭い口調で沿道の少年が叫んだ事だった。
それと同時にハルの乗る竜車の手前の人垣から、その声の主が飛び出してくる。歳は十五歳くらいだろうか。手には一輪の花を握っていた。
「ぐえっ……! ああ、クソー!」
しかし飛び出してきた少年は、すぐさま黄の竜騎士に取り押さえられてしまった。
突然の出来事にハルは驚いたのだが、竜騎士たちはちっとも動揺していない様子で行進も止めなかったし、沿道にいる人々はまるでほほ笑ましい光景を見ているかのようにこの騒動を眺めていた。
「一体、何?」
ヨミに乗って竜車の右側を行進していたクロナギの方へ、ハルは身を乗り出して訊いた。
「あの少年は〝挑戦者〟なんですよ。竜騎士たちの隙きを突き、手に持っているあの花をハル様に渡せれば彼の勝ち。渡せなければ負けなのです。こうやって皇帝が民衆に近づくような機会があると、時々ああいう者が現れますが……先に説明しておくべきでしたね、申し訳ありません」
「いいよ。それよりどうして彼はそんな挑戦をしたの?」
「紫の竜騎士を目指しているからです。竜騎士になるための正式な試験はあるのですが、こういう場で実力を示し、皇帝の目に止まれば、手っ取り早く紫に入れますから」
クロナギはそう説明した後で、慌てて付け加える。
「もちろん紫を目指す者全てがこんな行動を取るわけではありません。ごく一部の身のほど知らずだけです」
クロナギはあまりいい印象を持っていないようだが、少年少女のするこういった挑戦は、こういう場ではある種おなじみの光景となっていて、周りの大人たちも「今回も挑戦者が出たぞ」とばかりに拍手を送っている。
場合によっては行進が止まってしまうので迷惑行為ではあるのだが、皇帝に危害を加えるという目的ではないので、厳重注意という名のお説教をされるくらいで、基本的には罪には問われないようだ。
竜人の性格だろうか、こういう無鉄砲な若者は好まれる傾向にあるようで、竜騎士たちも生きのいい後輩が出てきたなと思うくらいだと言う。
と、そこでハルたちは、取り押さえられている少年の横を通り過ぎる事になった。悔しげな顔をしている少年に、オルガが通り過ぎざま、からかうように声をかける。
「俺はお前くらいの時、黄の竜騎士を三人倒したぜ。まぁ、せいぜい体を鍛えて頑張れよ」
自慢げな顔をしているオルガに、御者台に乗っていたトウマが愚痴を言うように呟く。
「お前が三人も倒せたのは、そのうちの一人がまだ竜騎士見習いだった俺だったからだよ。調子乗んな」
「いや、トウマの事は数に入れてねぇから。お前抜きで俺は三人倒した」
「てめぇ、この野郎」
「お、やるか?」
「やらねぇよ馬鹿」
パレードの最中だぞ、と言いながらトウマはムスッとした顔で前を向いた。トウマの方が多少は大人のようだ。
「ていうか、オルガってまさか……」
ひそひそと声を潜めてクロナギに尋ねる。
「そのまさかです。オルガはあの少年と同じように〝挑戦〟をして、竜騎士を三人倒し、俺の父に取り押さえられたようです。けれどその強さが総長やエドモンド様の目にとまり、竜騎士団に入団するとともに紫に配属されました」
「えー、オルガすごいね」
「馬鹿なだけです」
そう辛辣に言ってクロナギとハルの会話に入ってきたのはアナリアだ。
「実力があれば正規の試験を受けても、いずれ紫に配属されるんですから」
アナリアは呆れたようにオルガを見ながら言う。
ちなみにクロナギやアナリアは、実家が上級貴族な上に親が将軍だったり紫の隊長だったりで英才教育を受けてきたので、このような〝挑戦〟をする事もなく、竜騎士見習いの時から紫に配属されていたという正真正銘のエリートだ。
クロナギは今度はソルを見て言った。
「オルガよりソルの方が酷いですよ。あいつはこういうパレードでも式典でもなんでもない日に、皇帝のいない要塞に一人で剣を持って突っ込んでますから」
ソルは皇帝の目にとまるようにというより、ただ強い竜騎士と戦いたくて〝挑戦〟し、竜騎士だらけの要塞への大胆な侵入を試みたらしい。
「でもそれでソルも実力を認められて竜騎士になれたんでしょ?」
「戦いの才能はあると認められたみたいですね。ソルが突っ込んだのは黒の要塞ですが、ジン将軍は何よりも実力を重視する人ですから」
「ふぅん、ソルもすごいね」
「馬鹿なだけです」
再びアナリアが口を挟んだ。
 




