18
感動的なのかどうなのか分からないラッチと両親との再会が終わった後、ハルはラッチやクロナギやヤマト、侍女と共にアナリアのところに向かった。
六階にある空き部屋の一つに入ると、アナリアは絨毯の敷かれた床にたくさんの布を広げて、服の仕立て屋と話し合っている最中だった。これもいい、あれもきっと似合う、と布地を選ぶ時点ですでに迷っているようだ。
「ハル様、ちょうどいいところに」
アナリアはハルを見ると立ち上がって、いつもより少し興奮気味の動作でハルの手を引き、部屋の中央へ連れて行く。
そうして次から次へと布地を体に当てて、ハルに似合う色を探していった。
「ねぇ、すぐに終わる? 私、何色でもいいよ」
来たばかりだというのにすでに服の布選びに飽き始めたハルが言うが、アナリアは「ええ、すぐに終わりますから」と返しつつ、全く終わらせる気配を見せない。
クロナギやヤマトに助けを請おうとそちらを見ても、困ったように笑うだけで二人ともアナリアを止めてはくれなかった。
侍女たちも進んでアナリアと仕立て屋の会話に参加し始めてしまったし、ラッチは布で遊ばないようヤマトに捕まえられているので邪魔してくれそうにない。
と、そこで部屋に入ってきたのは、実家から戻ってきたらしいオルガだ。
「あ、オルガさん、早かったですね」
ヤマトがラッチを抱えながら言う。
「まぁな。別にじっくり話すような事もねぇし。……お、服作りか。ハルはチビだから布が節約できるな」
オルガは、アナリアに布を当てられつつ人形のように突っ立っているハルに近づくと、
「今日は面白い頭してるな」
手をハルの頭のお団子に伸ばして握ってくる。今日は物騒な鋼の籠手はつけていないが、それでも大きくて強そうな手だ。
「やめてよ。せっかくやってもらったのに崩れちゃう」
体の正面をアナリアの方に向けておかなければならないので、ハルは首から下をなるべく動かさないようにしながら、片手でバシバシとオルガを叩いた。
しかし反抗されればされるほど楽しくなってしまうらしいオルガは、ニヤリと笑いながら今度はほっぺたを軽くつまんでくる。
「もう!」
ハルは我慢できずに体を動かして、オルガに飛びかかった。日頃からかわれている恨みを今日こそは果たすのだと、いつもより乱暴な手段に出る。
胸元に飛び込んでオルガの体を押そうとしたハルだったが、筋肉に包まれた大きくて重い体はちょっとやそっとじゃ動きそうもない。
そうこうしている間にオルガに逆に捕まって、肩に担がれてしまう。
「うわ!」
頭は下を向き、視界にはオルガの背中しか映らなくなる。
それでも抵抗を諦めずにオルガの固い背中を叩いてジタバタと足を動かしたが、オルガは肩を揺らして楽しそうに笑うだけだ。
しかしやがて、クロナギが静かに注意をしてくれた。
「オルガ」
「はいはい、分かったって」
オルガはハルをアナリアの前に元通りに立たせると、自分は奥のソファーにどかりと腰を下ろす。
ハルはもう一度オルガに挑戦しに行こうとしたが、アナリアに引き止められてまた布選びに戻されてしまった。
するとそこで、次に部屋に入ってきたのは寝起きのソルだ。
髪は少しボサッとしていて、目はいつにも増して眠そう。寝ぼけたまま着たのだろうか、軍服の着こなしも若干だらしない。
「ソル、紫なんだからもうちょっと身だしなみにも気を遣えよ」
ヤマトが呆れたように注意をするが、ソルは意に介さず、オルガの隣でソファーに座るとその背にもたれかかって目を閉じた。また寝るのだろうか?
「そういえば紫って、ここにいる五人で全員なの? それとも他にもいる?」
旅してきた仲間が皆揃ったところで、ハルはふと疑問に思って尋ねた。
答えたのはクロナギだ。
「現在の紫のメンバーはこの五人だけです。エドモンド様が生きておられた時は、我々の他にも四人の竜騎士がいて、交代で護衛をしていましたが……」
そこで少し間を置いてから続ける。
「その四人は、エドモンド様を守れなかった責任を取って竜騎士団を辞めてしまいましたので」
「そうなの?」
ハルが悲しそうな顔をすると、クロナギはこう付け加えた。
「四人とも総長のように自分を追い詰めてはいないので、心配してくださっているのなら大丈夫ですよ」
「それならいいけど……」
ハルは小さく呟いた。彼らが竜騎士団を辞めてしまったのは、最初にクロナギが言ったように責任を感じての事だったのだろうし、それにもうエドモンド以外の主人に仕える気もないのかもしれない。
「本人たちがそれでいいなら戻ってきてって言うつもりはないけど、いつか私も彼らと会える? 父さまの話を聞きたいな」
「近いうちに連れてきますよ。引退した四人のうち二人は、紫とは関係なく俺の知り合いですので」
「知り合いっつーか、親だろ」
クロナギの言葉に突っ込んだのはオルガだ。
「親? クロナギのお父さんとお母さんが紫だったって事?」
ハルが驚いて訊くと、クロナギは頷いた。
「そうです。今は紫の隊長は俺ですが、その前は父親が隊長をしていました。会っていただけるのなら、二人も喜ぶと思いますよ」
「えー! 会いたい!」
どんな人たちだろう? とわくわくしながらハルが言うと同時に、また部屋の扉が開かれた。
入ってきたのはグオタオにラルネシオ、ジンにサザ、四人の将軍たちだ。
「あ、おはよう! ……じゃないか。もうすぐお昼だ」
元気に挨拶してみたものの、ハルは服の仕立て屋が首から掛けていた懐中時計をちらりと見てそう言った。
仕立て屋はだんだんと人口密度が高まっていく――しかも紫や将軍ばかりが集まってくるこの部屋で、アナリアや侍女たちの相手をしながら体を縮こませていた。緊張して居心地が悪そうだ。
「おや、可愛らしい格好をしておられる」
ハルに軽く礼を返してから、サザがにっこりほほ笑んで言う。
グオタオは大きな声を出して床に広がっている布地を見た。
「次代の服を作るのだな! どれ、わしも選んでやろう」
「大兄はやめておいた方がいい。こういうのは俺の方が得意だ」
おしゃれに軍服を着崩しているラルネシオが素早くそう言って、グオタオを止めた。グオタオのセンスを信用していないらしい。
ジンはいつも通り言葉少なだが、目が合うとハルに礼をしてくれた。そしてサザと共に、オルガやソルが座っているのとは別のソファーに腰掛ける。
「何だよ、四人揃って。何かハルに用事か?」
「用事がなければ顔を見に来てはならないわけではないだろう」
オルガにはサザが笑って返した。
しかしヤマトも続けて将軍たちに尋ねている。
「将軍方、地方に帰らなくていいんですか? 仕事があるでしょ」
「煩いやつだ。午後から帰るさ」
ラルネシオは、これがいいと選んだ布をアナリアや侍女たちに「子どもっぽ過ぎます」と却下されながら言った。
「総長は今朝からちゃんと仕事してますよ。元気に黄の部下たちをしごいてます」
「はは。まぁ、俺たちも明日から訓練には気合を入れるさ。新しい皇帝を守るためにな。……おい、これはどうだ?」
喋りながら、ラルネシオはまた違う布を選んで、アナリアたちに「派手過ぎます」とすげなく返されている。
そのうちグオタオもサザも、また、ジンもさり気なく布選びに口を出し始め、ハルは立ったまま着せ替え人形のごとく次から次へと布を当てられるはめになった。
グオタオは赤、サザは青、ジンは黒い布を選んだので、ラルネシオも白い布に決め、それぞれが仕立て屋にこうしてくれああしてくれと服の形の希望を伝えている。最低でも四着は新しい服ができそうだ。
もういい加減、ハルがじっとして立っている事に飽きてきたところで、再び部屋の扉が開かれた。
今度入ってきたのは、レオルザークの補佐官であるサイファンだ。
「賑やかですね」
サイファンは目を細めて笑いながら、部屋にいる面々を見渡した。そして「仕事は?」と言いたげな顔をして、蛇のような目で将軍たちを見る。
サザは堂々とほほ笑んでその視線を受け止めていたが、ジンとラルネシオ、グオタオはやんわりと顔をそらした。
サイファンは部屋の中央まで進むと、
「アナリア、布選びは少し中断してください。小陛下を連れて行きたいところがあるのです」
アナリアにそう言ってから、ソファーで寝こけているソルを叩き起こした。
「ソル、起きなさい。いつまで寝ているのです」
「どこへ行くの?」
ハルが見上げると、サイファンは儚げにほほ笑んで言った。
「エドモンド様が眠っておられるところですよ」
ハルがサイファンに連れられてやって来たのは、禁城の裏に建っている、皇帝一族を祀る墓だった。
墓は陽の下にあるのではなく、石造りの建物に囲まれていた。その建物は二階建てくらいの高さはあるものの、周囲に生えている木々の陰になって、ひっそりと静かな雰囲気だ。
「ここが……」
ハルはそわそわしながら、斜め後ろに控えていたクロナギに一歩近づいた。眠っているのは父親や先祖だし、別にお墓が怖いわけではないが、何となく誰かと手を繋いでいたいような気分だ。
ちなみにラッチは侍女たちに預けてきたが、クロナギ以外の紫のメンバーと四将軍もそのままハルについてきている。
建物の前には竜騎士たちが八人立っていた。
今はハルのために人払いをしてくれているらしいが、普段この墓は一般人も近づいていい事になっているらしいので、常に誰かが監視に立って、禁城と同じくらい厳重に警備をしているのだろう。
一般人は専用の裏門から入って、この建物の前まで来る事ができる。さすがに中にまでは入れないが、ここで祈りを捧げる事を毎日の習慣にしている者もいるらしい。
「エドモンド様が亡くなられた直後は大変でしたよ。民たちがここへ来てはおいおいと号泣するので、収集がつかなくなって。泣きたいのはこちらも同じだと言うのに」
サイファンが遠い目をしながら言った。
「さぁ、こちらへ」
サイファンに手を引かれて建物の中へ入る。すると入り口を通った時に、視界の端に怪しい黒い影が映ったので、ハルは小さく悲鳴を上げてサイファンに抱きついた。
「……ゆ、幽霊かと思った」
しかし影の正体はすぐに分かった。レオルザークが無言でそこに立っていたのだ。どうやらハルが来るのを中で待っていたらしい。
幽霊に間違われたレオルザークの事をサイファンやオルガたちが笑っているが、何故か笑っているサイファンたちでなくハルがレオルザークに睨まれる事になったので、とりあえず謝っておく。
「ごめんってば。そんな暗がりにいるから……」
やがてレオルザークは眉間に皺を寄せたまま、視線をハルの後ろに向けた。四人の将軍たちを見て、小言を言う。
「私は小陛下だけをお呼びしたのですが。大兄らは仕事があるのでは?」
「それはお前も同じだろう。仕事を放ってここにいるんじゃないのか?」
ラルネシオがすかさず自分たちの話題からレオルザークの話題にすり替えるが、冷たい口調でこう返されていた。
「私はもう午前の仕事を終えました。今は空き時間です。訓練をする竜騎士たちにも休憩が必要ですから」
しかしラルネシオはレオルザークより口が達者なようで、
「なら、俺たちも今は空き時間だ。仕事は午後からやるからな」
と都合のいい事を言ってレオルザークから厳しい目を向けられている。
しかしこんなやり取りは日常茶飯事なのか、レオルザークは軽くため息をついただけで本来の目的に話を戻した。
改めてハルを見ると、手に持っていた一輪の白い花を手渡して言う。
「小陛下、奥へ」
レオルザークから花を受け取り、ハルは建物の奥へと進んだ。小さな窓から差し込んでくる白い陽光が灰色の床を照らしていて、中は明るい。
部屋は手前と奥で二つあり、横に四本並んだ太い柱で区切られている。手前の部屋には特に何もなく、柱の脇に、墓を守るようにして白いドラゴンの像が二体置いてあるだけだ。
柱と柱の間を通って奥の部屋へ入ると、中は手前の部屋よりずっと広く、ひんやりとした清廉な空気が流れていた。
ハルはサイファンと手を繋いだまま、そっと部屋の中央に進み出た。床には平らな白い石が敷き詰められているけれど、そこに長方形の棺のような形の黒い石が等間隔に埋め込まれているのだ。
床石より少し盛り上がっているこの黒い石は、きっと墓石なのだろう。数は四十以上あった。
レオルザークは静かに言う。
「ここには初代皇帝からエドモンド様まで、歴代の皇帝たちとその伴侶が眠っています」
よく見れば、墓石は二つずつ寄り添うように並べられている。夫婦で仲よく眠っているという事なのだろう。
墓石にはそれぞれ名前が書いてあったので、ハルは見たいような見たくないような気持ちで父親のものを探した。
すると、きょろきょろと視線をさまよわせるハルの手をサイファンが引く。
「エドモンド様はこちらです」
エドモンドは、一番手前の左端に眠っていた。
他の皇帝たちと違って隣はぽっかりと空いているので、少し寂しげに見える。
ハルはサイファンの手を離し、ちらりとクロナギを見た。クロナギは頷いてそっとハルの背を押してくれたので、そのままエドモンドの墓に近づき、そこで膝をつく。
レオルザークにもらった花を供えた後、黒い墓石を何となく撫でてみるが、普通の石と同じように冷たいだけだ。
『エドモンド・リシュドラゴ』と刻まれた文字を指でなぞりながら、この下に眠っている父を想う。
不思議とあまり悲しい気持ちにはならなかった。やっと会えたねと、少し感動はしたけれど。
後ろでグオタオが鼻をすすっている音がする。エドモンドの死を改めて思い返しているのか、それともこの光景が悲しい父子の対面に映っているのか、あるいは墓の前で座り込むハルを不憫に思ったのかは分からないが、泣いているようだ。
「……ハンカチは?」
「無い」
「もう……」
アナリアがため息をついて父親にハンカチを渡している。
ハルはエドモンドの墓石から手を離すと、空いている隣の床を見て呟いた。
「ここに……母さまを連れてきちゃだめかな?」
すぐ側にいたサイファンを見上げると、サイファンは眉を下げて笑った。
「そうおっしゃられると思っていました。ですので昨晩、すでに八賢竜とも話し合ったのですが、フレア様の墓を新たにここに作るという事で話はまとまっています」
「本当? いいの?」
ハルは緑金の瞳を控えめに輝かせて言った。レオルザークや四将軍、クロナギたちの事も順番に見回したが、皆それで納得しているようだった。
クロナギとヤマトが順番に言う。
「フレア様が人間でも関係ありません。エドモンド様の伴侶と呼べる人物は彼女だけなのですから」
「ハル様は皇帝になるんですから、フレア様は『皇帝の母』という事にもなりますしね。そんな方をその辺で眠らせておくわけにもいかないですし」
「でも……」
ハルは最後にアナリアを見た。
アナリアはこちらに近づいて来ると、ハルの隣で膝を折って口を開く。
「ハル様、私は大丈夫です。前に言った通り、もうフレアの……フレア様の事は憎んでいませんから。エドモンド様もハル様もドラニアスにいるのに、フレア様だけジジリアにいるというのは可哀想に思います。私なら嫌です。ですので、フレア様をここに連れてきましょう」
「ありがとう! よかった」
お互いの事を心から愛していた二人なのだ。生きている時には一緒になれなかったが、死後くらいは隣で眠らせてあげたい。
今、フレアの墓はハルが働いていたジジリアの地方領主の屋敷近くにあるので、さっそくレオルザークが黄の竜騎士たちで隊を組んで改葬を進めてくれる事になった。
ハルはもう一度皆にお礼を言って、ホッとしたように笑う。
こんな形だとしても、親子三人が同じ場所でいられるというのは嬉しかった。




