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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第四章 解術と戦争と帝国の希望と

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 寝間着を脱ぎ、ラマーン側が用意してくれたらしい丈の長いワンピースと綺麗な緑色の石がついたサンダルに着替えた後、ハルはルカが待っているという部屋へ急いだ。

 そして中に招き入れられると、元気そうなルカの姿を見て、思わず側に駆け寄る。


「ルカ!」

「ハル、やっと目が覚めたんだね」


 無事に生きて再会できた事を喜び合いながら、ハルは集落にいた時よりもずっと立派な衣装を身に着けているルカに抱きついた。

 肌触りのいい白くて薄い服の上に、金糸で刺繍が施された紫色の貫頭衣のようなものを着ていて、その下には、ほとんど見えないがゆったりしたズボンも履いているようだ。

 装飾品は控えめにつけているだけだが、ルカの気品ある顔立ちと相まって、砂漠の王子らしい出で立ちになっている。

 肩くらいの長さの髪を後ろで縛っているのも、何だか新鮮だ。


「ルカのこういう姿が見られてよかった。本当に王子様って感じがする」

「その事だけど、実はもう王様なんだよ」


 ルカは苦笑しながら、自分の体に回されているハルの腕をそっと外した。ハルの後ろにいる竜騎士たち――クロナギにアナリア、それにレオルザークと四将軍も一緒にここへやって来ていたのだ――の視線が痛いのだ。

 ハルは自分の後ろで軍人たちが番犬よろしく睨みを効かせているとは気づかずに、きょとんとした顔でルカを見た。


「え、正式にラマーン王になったの!? いつの間に!」

「ハルが寝ている間にだよ。三日も寝ていたから。ハルが元気になるのを待ちたかったけど、まだ国は不安定な状況だし、王座を空けたままにしておくのはよくないって宰相たちと相談して、急遽戴冠式を行ったんだ。レオルザーク軍団長閣下と将軍たちには出席してもらったよ」

「そうなんだ……」


 ラマーンとドラニアスでは形式が違うかもしれないが、いずれは自分も行うであろう戴冠式というものがどんなものなのか一度見ておきたかったなとハルは思った。


 と、そこでふと、ハルは視線をルカの背後に向けた。

 部屋の向こうの壁際にはラマーンの要人たちが並んでいて、その中の何人かは兵士だ。そしてその一番端には、ザナクドとアスタ、そして集落で見た顔の男たちが数人立っていたのだ。

 ザナクドはともかく、若いアスタたちはこの場にいていい立場なのか微妙だが、どうやらルカが気を利かせて呼んでくれたようだった。彼らが無事であるという事をハルに知らせたかったのだろう。


「ザナクド!」


 ハルは嬉しくなって目を見開くと、一番手前にいたザナクドに駆け寄った。


「生きてた!」

「ハル……いや、ハル様」


 ザナクドは太い眉を寄せて困った顔をしつつも、戦争前と変わらず元気な様子のハルに表情を崩す。

 一方ハルは、微妙な顔をしてザナクドを見上げた。


「ハル“様”なんてザナクドに呼ばれると、何だか気持ち悪い……」


 距離を感じてしまって嫌だ。

 しかしザナクドはうっすらと額に汗をかきながら、ハルの後ろにいる竜騎士たちの事を気にしている。集落にいた時とは色々と状況が違うので、もう「ハル」と呼んでもらうのは無理なのだろう。

 少し寂しい気がするが仕方がない。皇帝になるという事は、こういう寂しさも受け入れないといけないのかもしれない。

 ハルは気を取り直して言った。


「ザナクドも戦争に出てたんだよね? 元気そうに見えるけど、怪我はしなかった?」

「ええ、大丈夫です」


 ザナクドは真面目な顔をして頷いたが、そこでルカが心配そうな声で口を挟んだ。


「お腹を切られて重傷だったんだよ。治療魔術が無ければ死んでいたかもしれない。無茶な攻め方をするから……」


 ルカに言われて、ザナクドは小さくなっている。


「でも無事でよかったよ。ねぇ、ところでザナクド、ハディたちが今どうしてるか知らない?」

「ハディたちなら、ラクダと共にもう集落に戻っています。昨日様子を見てきましたが、皆、何事もなく無事ですよ」

「そっかぁ! よかった。気になってたんだ。またいつか会いに行くって、ハディに伝えておいてね。お世話になったお礼もしないと」

「伝えておきます」


 心配事がなくなったハルが明るい笑顔を浮かべて言うと、ザナクドもフッと口元をほころばせて頷いた。

 そして後ろでは、知らない女性の名前に反応してアナリアが「ハディって誰?」とクロナギに訊いている。


「さぁ、ハル。そろそろ食事にしよう。三日も食べてないんだ。お腹が空いているだろう」


 ルカはハルの手を引いてテーブルに着かせると、自分はその向かいに腰を下ろした。横に長い長方形の立派なテーブルだが、席に着いたのはルカとハル、そしてハルの膝の上にちゃっかり乗っているラッチだけ。


「皆は食べないの?」


 ハルは自分の後ろに控えているクロナギたち竜騎士や、ラマーン側のザナクドたちをきょろきょろと見て尋ねたが、


「皆は僕たちとは別に食べるよ。レオルザーク軍団長閣下も将軍たちも後でいいと言うから」


 と、ルカに言われた。


「もしかして私が起きるまでの三日間も、ドラニアスの皆のために食事を用意してくれたの?」

「たいしたものは用意できなかったけどね」

「どうもありがとう。でも、まだラマーンは大変な時なのに食料は十分にあるの?」


 体格のいい将軍たちや、ここにはいないオルガとソルの事も思い浮かべてハルは言った。特にオルガとソルはびっくりするくらいの量を食べるから、王宮の食料庫が空になってしまったんじゃないかと心配になる。ラマーンの人たちが食べる分はちゃんと残っているだろうか?

 

「大丈夫だよ。食料にはすごく余裕があるという訳じゃないけど、窮している訳でもないから」


 ハルの疑問にルカが答えると、グオタオが後ろから口を挟んだ。


「後日、ドラニアスから食料を送ろう。食事も寝床も用意してもらったからな。受けた恩は返さねばならん!」

「ハルが目を覚ますまでは是非王宮にと、私が招待したんです」


 ルカはそう言って遠慮したが、グオタオは押しが強いので、最終的には「では有難く頂戴します」と笑ってくれた。

 ラマーンは砂漠が多いため作物が実りにくく、国が混乱している状況でなくとも、常に食料と水の確保は大事なのだそうだ。

 そんな事を話しているうちに、王宮に仕える使用人たちが手に皿を持って部屋へ入ってきた。


「さぁ、食事が来たよ。ハルのために消化の良いものもいくつか用意したんだ」

「わぁ、ありがとう。美味しそう」


 まずは食べやすく切られた色とりどりの果物がテーブルに乗せられ、その後、どろどろに溶けた米のような穀物と芋の入ったスープがハルの目の前に置かれた。

 ハルにとっては果物とこのお粥のようなスープだけで十分な朝食になるのだが、ラマーンの使用人たちは次から次へと大皿を持ってきてはテーブルに並べていく。

 あそこにあるのは鳥の丸焼きだろうか? ラッチが舌なめずりをし始めた。

 ラマーンではコース料理のように一皿ずつ順番に持ってくるのではなく、作った料理は一気に持ってくるらしく、テーブルの上は随分と豪華になった。


「料理人がはりきったみたいだけど、全部に口をつけないくていいよ。ハルは三日ぶりの食事だからね、無理しないで」


 ルカが苦笑しながら言い、


「ハル様、いきなり食べ過ぎるとお腹を壊しますから、スープとフルーツを主に頂いてください」


 後ろからはクロナギがひそひそと忠告してきた。揚げたドーナツに砂糖をふりかけたような甘いデザートを美味しそうだなと思いながら見ていた事に気づかれたらしい。

 ハルはクロナギに一応頷きながらも、ドーナツは消化に悪くても絶対に食べるぞと心に決めたのだった。





「じゃあ、お世話になりました!」


 王宮の前で、ハルは見送りに出てきてくれたルカやザナクド、ラマーンの文官や兵士たち、それに使用人たち皆を見て言った。

 ハルの体調も問題なく、幸いにも油っこいドーナツで胃腸を悪くする事もなかったので、ハル一行はレオルザークや将軍たちと一緒に早々にドラニアスへ向かう事にしたのだ。


 ルカとは離れがたいけれど、あまり長居しても迷惑になるし――王宮で働く人たちは普通の少女に見えるハルには笑顔を見せてくれたけど、レオルザークや将軍たち、オルガやソルなんかの迫力のある面々にはビクビクしていたのだ――早くドラニアスをこの目で見たい気持ちもあるので、ハルは別れが寂しい気持ちとわくわくした気持ちの両方を持ちながら、ルカの方を見て続けた。


「また会おうね。私がドラニアスで落ち着いたら遊びに来るね」


 言っているうちにやっぱり寂しい気持ちが大きくなってきて、ハルはぎゅっとルカに抱きついた。

 ルカがいなければ、自分は父の跡を継ぐという決意を持てなかった。自分と同じような立場にいる友だちというのは本当に貴重で、心の支えになる。


 ハルが一番信頼しているのはクロナギたち臣下だけど、ルカにはそれとはまた別の気持ちを抱いている。

 ルカは唯一無二の親友なのだ。

 ルカがラマーンで頑張っていると思えば、ハルもドラニアスで頑張れる。

 また遊びに来るといいながらも、ハルが今生の別れのように一方的に抱擁していると、


「ハル様、そろそろ……」


 クロナギにやんわりと引き剥がされた。

 その様子を見ながら、ルカがくすくす笑って言う。


「元気でね、ハル」


 ハルはそれに明るく頷いて、クロナギに促されるまま、ラッチを頭に乗せているドラゴンに近づいた。

 青みがかった暗い紫色のこのドラゴンは、ハルが眠っている間にドラニアスから来たクロナギの相棒らしい。クロナギはハルの側にずっといたので、他の竜騎士に頼んで連れてきてもらったようだ。


 名前はヨミというらしく、性格は控えめ。将軍たちのドラゴンほど成熟していないが成体で、普段は落ち着いているみたいだが、今はハルを前にして興奮気味にしっぽを振っている。

 けれど飛びかかったり舐めたりしてはいけないと躾けられているのか、しっぽとキラキラ光る瞳以外は大人しくしていた。

 ハルはヨミを撫でてからクロナギと二人乗りして鞍にまたがると、最後に再びルカやザナクドたちの方を振り返って手を振った。


「またね! 元気でね!」


 地上を離れ、空へ昇ると、ルカたちもラマーンの砂漠も段々と小さくなっていく。

 

「またねー!」


 ハルは何度も手を振って、ルカたちの姿が見えなくなるまで地上を見下ろしていた。





 真っ昼間という事もあって、降り注ぐ日差しは強い。ハルたちは白い陽光の下、ラマーンの空を横断していた。

 ルカはワンピースやサンダルをハルにくれたけど、この日差しの下で素肌は出せないので、結局ジジリアで着ていた元の服を身に着け、その上に日よけのショールを被った。

 ブーツやタイツといった服装は砂漠には合っていないが、ドラゴンの背に乗っていると風を受けるので、少し暑さも紛れる。


 しかし自分よりも、揃いの黒い軍服を着ている竜騎士の皆の方が暑そうだとハルは思った。

 クロナギやアナリア、オルガ、ソル、ヤマトは、今までは人間に紛れるために普通の旅装だったけれど、今はもうドラニアスに帰るだけなので、かちっとした軍服を身にまとっているのだ。

 ただ、オルガとソル、それにグオタオとラルネシオは上着を脱いでいたが。


「もうすぐ陸地の終わりが見えてきますよ」


 砂漠の景色を見飽きてきたところで、クロナギが耳元で声をかけてきた。

 少しうとうとしかけていたハルは、その声にむくりと顔を上げて目を開ける。


「あ、本当だ、海が見える!」


 砂の混じった乾いた風が、僅かに潮の匂いがする湿った風に変わった。

 砂漠はそのまま砂浜となり、紺色の海に沈んでいる。


「私、海って初めて見る! 広いね! 砂漠とどっちが広いかな」


 はしゃいだ声を上げるハルに、周りを飛ぶ将軍たちがほほ笑ましそうな顔をした。

 一方、クロナギはヨミを操って、大地が途切れたところで飛行高度を下げる。海面のすぐ上を滑るように飛ぶと、ハルは楽しそうに笑って海に手を伸ばした。距離があるので水に触れられはしなかったが、手に当たる空気が湿っている気がする。


 この辺りの海は深いのか、水は暗い紺色で、海中に何が潜んでいるか分からないような怖さも感じる。

 けれど竜人たちは何も恐怖を感じないのか、あるは何かいても倒せると思っているのか、普通にこの海を泳いで体を鍛えたり遊んだりするらしい。

 ヨミが再び高度を上げて一団の中心に戻ると、ハルはぽつりと言った。


「私は浅瀬で遊びたいなぁ」


 独り言のつもりだったけれど、斜め前を飛んでいたレオルザークには聞こえたらしく、厳しい顔をして振り返られ、こう釘を刺されてしまった。


「浅瀬でも、危なっかしい小陛下が海に入るのは危険です。岩場ばかりのドラニアスの海岸ではいつ足を滑らせて転ぶか分からない」


 注意されながら、ハルはレオルザークの前で水差しを落として割ってしまった時の事を考えた。あの場面をレオルザークに見られたのがまずかったなと思ったのだ。

 きっとあれでレオルザークの頭にハルはドジだという印象が刻まれてしまったに違いない。


「転ばないように気をつけるから」

「いけません」

「ちょっと海の水を触ってみたいだけ」

「駄目です」

「……ケチ」

「何とでもおっしゃればいい」


 思わず唇を尖らせてレオルザークにケチなどと言ってしまったハルだったが、言った後でハッとして謝った。


「ごめん、やっぱり危ない事はしないようにするよ」


 レオルザークと初めて顔を合わせた時、ハルは皇帝になるために何でもすると宣言しているのだ。勉強も行儀作法も、自由がなくなる事も覚悟していると言った。今までのように遊んだりできなくなる事も受け入れると。

 その自分の宣言を覆す事はしてはいけないと思って、ハルはしょぼんと肩を落としながら聞き分けよく続けた。


「怪我したら皆に迷惑かけるもんね。ジジリアで下女をやってた時の仕事仲間に海辺の町出身の子がいて、その子が海の水はしょっぱいって言ってたから、どのくらいしょっぱいのか試してみたかったけど……あと、魚を探したり、ちっちゃい蟹を獲ったりとか……」


 ハルの声は段々と小さくなっていき、最後は悲しそうに眉を下げて海をじっと眺め出す。それは別に演技でも作戦でもなかったが、レオルザークは良心が痛んだらしくたじろいだ。

 そして将軍たちも口々にハルを庇う。


「それでは次代が不憫だ」

「レオルザークは心配し過ぎだろう」

「少し厳し過ぎる」

「わしが一緒に海へ連れて行こう! 転ばないように見張っていればいいのだろう?」


 サザ、ラルネシオ、ジン、グオタオの順でレオルザークを諭す。

 そしてオルガも軽い口調で将軍たちに続いた。


「そうそう、いくらハルでも海に行ったくらいで死にゃしねぇよ。俺がハルをおぶって泳いでやるよ」

「それはやめて。ハル様を背負っている事を忘れて海に潜りそうだわ」


 オルガの隣りを飛んでいたアナリアがすかさず言う。

 レオルザークもオルガとグオタオの提案は却下しながら譲歩した。


「オルガは駄目だ。グオタオ大兄オドムにも子守りを任せるのは心もとないが、クロナギやアナリア、それに十分な人数の護衛の竜騎士を一緒に連れて行くのなら……仕方がない、海で遊ぶのもいいでしょう。魚や蟹が見たいのなら私も獲ってきます」

「ほんと!? ありがとう!」


 ハルが緑金の瞳を輝かせると、クロナギも後ろから「よかったですね」と言ってくれた。

 ハルは嬉しくなって、何年も前、例の下女仲間に話を聞いた時から密かに抱えていた野望を興奮気味に話し出す。


「あとね、知ってる? 浜辺にはピンクとか白とかの綺麗な貝殻がいっぱい落ちてるらしいんだよ! だから貝殻も集めたい!」

「……ピンクの貝殻か、さて岩場ばかりのドラニアスの海岸にあったかどうか」

「鍛錬をしによく海へ行くが、黒や茶色のものしか見た事がないな」


 サザとジンが神妙な顔をして言う。


「食べると美味しいんですけどね、観賞用にはちょっと……」


 ヤマトも微妙な顔をし、最後には何の根拠もなくグオタオがこう言い切った。

 

「ははは! まぁ探せばある!」

「適当な事を……」


 レオルザークがぼそっと呟く。

 そしてそんなやり取りをしているうちに、茶色い岩と緑の森に覆われた島が近づいてきた。あれがドラニアスだ。

 ハルが緊張しつつもわくわくしながらその島を見つめていると、後ろで騎乗していたクロナギが、ハルの体に回していた腕の力をふいに強めた。

 そして周りにいる竜騎士たちに気づかれないくらい自然にハルの肩に顔をうずめる。


「……クロナギ? どうしたの?」


 主従関係をあまり崩した事のないクロナギにしては珍しい行動だ。密着している背中が温かい。

 香水はつけていないのに何故かいい匂いのするクロナギの髪に顔をくすぐられながら、ハルは困惑気味に言った。


「眠いの? 疲れた?」

「いえ……」


 クロナギは少し顔を上げたが、また黙ってしまったので、ハルはもう一度訊いた。


「大丈夫?」


 自分のお腹に回っているクロナギの手の指をぎゅっと握ると、クロナギの腕の力はさらに強くなった。苦しくはないが、抱きすくめられて窮屈ではある。

 

「もうすぐドラニアスに着きます」

「え? うん、そうだね」


 話の着地点が分からなくて、ハルは困惑しながら答えた。

 静かで低い声でクロナギは続ける。


「ハル様の存在を知っているのは、最初は俺だけでした」

「うん」

「けれどアナリアやオルガ、ソル、それにヤマトやコルグが順番に加わって、今では総長や将軍たち、それにほとんど全ての竜騎士たちがハル様の存在を知っている」

「うん」

「さらにこのままドラニアスに行けば、国民全員がハル様の事を知る事になる。つまりもう、ハル様は俺だけのハル様ではなくなるのです」


 ハルは振り向いて、間近にあるクロナギの黒い瞳を探るように見つめた。


「クロナギは私に皇帝になってほしいんじゃないの?」

「なっていただきたいです。もちろん。その気持ちは変わりません。今もハル様と一緒にこうしてドラニアスに戻れるのが嬉しいし、ハル様が皇帝になる決意をされた事も、俺にとってはこの上なく嬉しい事です」


 クロナギは困ったようにほほ笑みながら続ける。


「しかし俺の気持ちは矛盾しているのです。ハル様の存在をドラニアスの者たちに知らしめたかったのに、ここへ来て、ハル様が俺のものだけでなくなるのが少し寂しくなってきました。あのまま二人で……まぁラッチも入れて三人で、当てもなく世界を巡るのも楽しかったかもしれません」


 そう言って、クロナギは自分の頬をハルのこめかみにくっつけるようにそっと擦りつけた。


(なんだかクロナギが甘えん坊だ……)


 珍しい行動ばかりするので、雪でも降るのではないかとハルは思わず空を見上げてしまった。

 しかし多少の雲は出ているものの晴れていたので、もう一度クロナギの方を振り返って言う。


「心配しなくても、私にとってクロナギは特別だよ。どれだけ臣下が増えてもそれは変わらない」

「……本当ですか?」


 クロナギの声が少し上擦った。


「本当だよ。クロナギは私を見つけてくれたもん」


 相手の目をじっと見ながら言うと、クロナギは安心したように表情を緩めてほほ笑んだのだった。

 


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