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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第四章 解術と戦争と帝国の希望と

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 ハルは暗い寝室にこもって、解術の練習に集中していた。


 杖についている黒い魔石を見る。そこに溜まっている魔力を使うには、一旦自分の体の中に取り入れなければならないようだ。

 ハルは杖を握って魔石に触れると、その魔力を取り込もうとした。

 しかし弾かれるような感覚がして、どうも上手くいかない。何度か挑戦した後、体の中の魔力をある程度消費して空きを作ってからでなければ取り込めないのかもしれないと思い至る。


 そこでハルはまず、魔石の魔力でなく自分の体の中の魔力を使って練習をしていく事にした。

 紙を見ながら呪文をすらすらと唱え、それと同時に魔力を練る。

 練った魔力を右腕に上手く集め、握っている杖に押し込める事ができれば、あとは呪文に導かれて、魔力は術となって発現するのだが――

 

「痛っ……」


 魔力の集め方が雑だったりすると、魔力が右腕に到達した時点で鋭い痛みが走る。

 必要以上の量を集めてしまっても今度は腕が熱くなり、一旦水で冷やさずにはいられない。


「丁寧に、丁寧に」


 ハルは自分に言い聞かせた。明日までに術を習得しなければという焦りはあるけれど、このままでは解術を完璧に自分のものにする前に、杖を持っている右腕が壊れてしまう。


「もう一度……」


 






 どれくらい時間が経っただろう。集中している時は眠気なんて感じないのに、ふと我に返ると意識が飛びそうになる。座って魔術の練習をしているだけでも、想像以上に頭や体は疲れるようだ。


 けれどまだ余裕はあったので、ハルは自分に残った体力の様子を見ながら練習を続けた。明日になって、いざアナリアを助けようという時に自分が倒れていては意味がない。最短でアナリアを元に戻す事はできなくなる。


 しかし、自分の体を労りながら自分の実力以上の魔術を習得するというのは矛盾していて、どちらも優先するのは難しい。

 本当はアナリアを助けるためなら自分の体なんてどうでもいいと思うのに、命を懸けて練習をする事はできないので、もっとやりたいと思っても自分で自分を止めなければならない。皇帝になると決めた今、ハルの命はハルだけのものではなくなってしまったのだ。


(ちょっと休憩)


 ハルはあぐらをかいたままで目をつぶり、一分間の睡眠を取った。これ以上目を閉じていたら明日の昼くらいまで延々と眠ってしまう、というところで不思議と覚醒する。それが一分だった。

 けれどほんの僅かな時間でも、眠れば頭がすっきりした気がする。ハルは再び解術の練習を開始した。











 集中を欠いて、魔力の集め方が雑になってしまった。

 腕が燃えるように熱くなり、やけどをしたように皮膚の一部が赤く爛れる。でもこれくらいなら大丈夫だ。そのまま練習を続ける。












 術を失敗すると、魔力が勢いよく腕の方へ逆流してきた。

 今までにないくらい強烈な痛みを感じたので自分の右腕を確認すると、ナイフで切られたような傷が二筋できていた。出血もあるので一度杖を置き、止血に使えるような布を探す。確か鞄に包帯を入れていたはず。

 クロナギに見られたら練習を止められそうなので言わない。後もう少しでコツを掴めそうなのだ。


 ……アナリアは今、どうしているだろうかと気になる。ちゃんと休ませてもらっているだろうか?


 










 杖を握る手のひらがじんじんと痛むような気がして、確認してみる。

 全体的に皮がめくれて真っ赤に濡れていた。いつの間にこんな酷い事になっていたんだろう。右腕全体がずっと傷んでいるから、気がつくのが遅れた。

 残っている包帯を、腕だけでなく手のひらにもぐるぐると巻いていく。こんな怪我をしてクロナギに怒られると心配になる。


 だけどもう術の習得は近い。何度も不完全な術を放っているうちに、この術に必要な適切な魔力の量が分かってきたし、魔力の集め方も滑らかになった。

 あと少し。

 

 












 日が出て、寝室が明るくなってきた頃、ハルはついに解術を成功させた。壁に向かって放たれた青白い光は、そこに奴隷術をかけられた対象者がいないのですぐに消えてしまったけれど、術は完璧であったとハルには分かった。

 だけど一度だけではまだ自信がない。アナリアに向かって不完全な術を放ちたくない。万が一暴発したらと考えると恐ろしい。

 冷静に、ハルは自分と魔石に残った魔力の量を探った。あと三度も術を放てば倒れてしまうだろう。


 しかしハルは迷わず、右腕の痛みに耐えて、さらに二度、解術の呪文を唱えて魔力を放った。

 結果、二度とも術は成功した。


(よし)


 これで大丈夫だ。自分は解術を習得できたとハルは感じた。一度コツを掴んでしまえば、そうそう忘れそうにない。

 ハルはゆっくりと立ち上がった。ずっと床に座っていたので骨や筋肉がこわばってギシギシと鳴っている。


 数秒動かずに待って立ちくらみをやり過ごすと、寝室の入り口を塞いでいる布に目をやった。そのすぐ奥にクロナギはいるだろう。一晩中、気配はそこから動かなかった。

 ちゃんと寝てほしいなと思ったけど、それはハルが言える事ではない。


「おはよう」


 ハルは左手で布を避け、そっと顔だけを覗かせた。

 クロナギはハルが近づいてきた足音に気づいていたのか、すでに立ち上がって目の前にいた。ハルの事を心配しすぎて顔は険しくなっている。


 コルグはハルの声にハッと目を開いて何度かまばたきをした。座ったまま寝ていたらしい。

 ヤマトはナイフや短剣、大きな針のような武器を並べて、戦場へ出るための最終確認をしていて、ラッチと青いドラゴンは仲良く重なって眠っている。

 ヤマトはパッと顔を輝かせて言った。


「あ、ハル様。よかった、生きて出てきてくれて! 中で死んでんじゃないかと心配したんですよ。呪文を呟く声がいつ途絶えるかと……。解術の方はどうですか?」

「完璧だよ。アナリアを元に戻せる」

「自信ありそうですね」

「うん、ある」


 ハルはそう言い切ると、寝室と居間の間に垂れた布で体を隠したまま、今度は寝起きのコルグに向かって尋ねた。


「コルグ、手袋貸してくれない? ドラゴンに乗る時、つけてたよね。肘まである黒いやつ」

「手袋ですか? はい、ありますけど……」


 コルグがハルには大き過ぎる黒い手袋を取り出すと、クロナギがそれを受け取ってこちらへ持ってきた。


「手を見せてください」

「あ、バレてた……?」


 厳しい顔をしているクロナギに、ハルは上目遣いで舌を出した。おちゃめな仕草でごまかされてくれないかと思ったのだが、クロナギの表情は変わらない。ハルはしゅんと眉を下げた。


「自分で手当したから大丈夫。手袋貸して」


 右手の惨状を見ればクロナギはショックを受けそうだったので、左手を出してそう言った。

 けれどクロナギは扉に掛かっている布をどけてしまう。血に濡れたハルの右手が晒されて、ヤマトやコルグが息を呑む。まるで自分たちも痛みを感じているみたいだ。

 ハルは諦めて言った。


「分かった、ごめん。三人ともそんな顔しないでよ。私の体はもう、右腕一本だって私だけのものじゃないんだね。アナリアの解術が終わったら大切に労るよ」


 肘から先は触るのも痛いので、ハルは冗談ぽく二の腕の辺りをぽんぽんと叩いた。肘から指先まで巻いている赤い包帯の下がどうなっているのかは、想像したくない。

 

「ああ、ハル様の可愛い手が……」


 ヤマトが泣きそうになって言う。


「縫えるところは縫わないと」


 クロナギは一見すると冷静だが、眉間の皺を見るに、内心ヤマトと同じように泣きそうになっているのかもしれない。


「縫うの? やだなぁ」


 普通にしていても右腕は酷く痛むので、縫われる痛みくらい何でもないかもしれないが。


「そういえば、怪我を癒やす魔術もあるらしいよ。ルカは優秀な魔術師だから、癒やしの魔術も使えるかも。戦いが無事に終わってラマーンが勝ったら、ルカはきっと私を治してくれるだろうなぁ」


 やや棒読みになりつつもハルは呟いた。こう言っておけば、ルカを生かしておかなければという気持ちがクロナギたちにも芽生えるだろうと思ったのだ。

 けれど三人はそれに言葉を返す事なく、素早く手当の準備をしていく。


「ヤマト、お前の方が手先が器用だろう」


 クロナギは鞄から針と糸、消毒液のセットを取り出してヤマトに放ると、向かい合わせにハルを抱きしめて床に座った。ハルが治療の様子を見ないで済むように、後頭部を手で支えて自分の胸にそっと押し付ける。


「ハル様が全く痛みを感じないようにやってくださいよ、ヤマトさん」

「んな無茶な」


 コルグがそわそわしながら真剣な顔でヤマトに詰め寄っている。

 

「やだなぁ」


 ハルはもう一度呟いて、大人しくクロナギに抱かれたまま右手をヤマトに差し出したのだった。





「そろそろかな。空気がピリピリしてきたね」


 ハルは黒手袋をつけた右手に杖を握って、クロナギたちと集落の外れに立っていた。

 ここからでも王都近くの砂丘の上に陣取っているラマーン軍が小さく見える。

 

 サイポス軍はまだハルの視界には入ってきていないが、嵐の前のような静けさが辺りを包んでいた。暑いのに、ぞくぞくと産毛が逆立つような感覚だ。戦い好きのオルガやソルがここにいたら、目を輝かせて興奮していたかもしれない。


 一方、ハルの心の中にも不思議と恐怖は無かった。一兵士として戦うわけではないし、クロナギが側で守ってくれるという安心感も大きい。

 それに今はアナリアを助ける事とルカを守る事で頭がいっぱいになっていて、戦争への恐怖を感じている暇はないのだ。


「来た、サイポス軍だ」


 緩やかに、けれど規則正しく進軍してきたサイポス軍は、ラマーン軍との距離を十分に保った位置で止まった。あの中にアナリアもいるだろうか。

 ハルは羽織っていたショールで頭も覆い、眩しい日差しを防ぎながら無意識に足を一歩踏み出す。

 しかしそこで貧血を起こしたような感覚に襲われて、ふらりと倒れそうになった。


「ハル様!」


 ヤマトとコルグが同時に叫び、クロナギが体を支えてくれた。ラッチが心配そうに側を飛ぶ。


「ありがと、だいじょぶ」


 体にあまり力が入らないのは、徹夜をした疲れがあるのと、体の中の魔力が減ってしまっているせいだろう。杖の魔石に溜まった魔力は練習で全て使ってしまったので空だ。そして体内に残った魔力は、解術をあと一度打てる分だけしかない。

 今までの人生でここまで魔力を消費した事がないので、体が重く、だるいようなこの感覚を体験するのは初めてだった。しかし風邪をひいた時に比べれば、何でもないと思える程度のしんどさだ。

 

「大丈夫ではありません」


 クロナギは顔をしかめて不機嫌な口調で言った。ハルが自分の体を大切にしないと怒りっぽくなるらしい。全てが終わったら十分に休息を取って、クロナギの機嫌を取らないといけないかもとハルは思った。

 彼は本当は、ハルには何の危険もない安全な部屋の中で、ただ楽しい事だけをしながら過ごしてもらいたいと思っているに違いないのだ。

 ハルはクロナギに体を預けたまま、ヤマトとコルグに指示を出した。


「そろそろ二人も行って。サイポス軍の中に二人で突っ込ませるなんて無茶をさせて悪いけど、もうすぐアナリアのお父さんも来るはずだから……。アナリアを頼んだよ。必ず私のもとに連れて帰ってきて」

「はい、必ず」


 ヤマトは右手を胸に当てて頭を垂れると、唇の端を軽く持ち上げてハルを見てから、遠くにいるサイポス軍に向かって砂漠の中を疾走していく。


「俺にお任せください!」


 そしてコルグも胸を張ってそう言うと、従順な犬のような笑顔を見せてからヤマトの後を追った。彼の相棒の青いドラゴンは去っていく主人を追いたそうな素振りを一瞬見せたが、その背にクロナギがハルを乗せると、自分の役割を思い出したかのように、首を捻って後ろを向いた。


「よろしく、スライド。安全飛行でお願いね」

 

 ハルがコルグから教えてもらった青いドラゴンの名を呼んで左手を差し出すと、スライドは分厚い舌を伸ばしてきて、ぺろぺろとその手を舐めた。


「ラッチも逸れないでね。私たちにちゃんとついてくるんだよ」

「ぎゃう!」


 一人用の鞍は狭いので、クロナギは密着するようにハルの後ろにまたがると、ハルの体を抱き込んで手綱を取った。

 スライドに合図を出して空へ飛び立つと、ラッチもぱたぱたと翼を動かして隣を飛ぶ。大人のスライドの優雅な飛び方と比べると、どこか忙しない一生懸命な飛び方だ。


「ドラニアス軍はまだ見えないね」


 西の空を見つめてハルが言うと、クロナギは真剣な声音でこう返してきた。


「すぐに来るでしょう」


 ハルはそれに頷くと、視線を下げて地上を見た。ミニチュア人形のようにたくさんの兵士が並んで、ラマーンとサイポスとで向かい合っている。

 生ぬるい風が吹くと同時に、ラマーンの兵士たちが雄叫びを上げた。



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